第6話 死の天使

「私たちの再会に、乾杯!」

 藍沢蘭子あいさわらんこの発声で始まった小さなパーティ、それは高峰秋月たかみねしゅうげつの個展会場での二人の再会が切っ掛けだった。

「蘭ちゃんじゃない、ホントお久しぶり。見に来てくれたのね、ありがとう」

 幻想的な日本画を得意とする秋月、最近ちまたでもてはやされてる。

「得意なイマジナティブなタッチ、ますます磨きがかかってきたようね。おめでとうございます」

 朝靄あさもやに消え行く淡香色うすこういろの月に、目が釘付けとなった蘭子、秋月に背を向けながら祝った。


 それからくるりと踵を返し、「ねえ、学生時代に、私たちバーベキューしたでしょ。また山の、私の家に四人集まらない?」と誘う。

 思わず懐かしさが込み上げた秋月、「もちろん寄せてもらうわ、大輝だいきを連れてね」と二つ返事でオーケーを出した。

 こうして、高峰秋月と会社経営する夫の大輝、そしてホスト側の蘭子と夫の藍沢伊蔵いぞう、この二組の夫婦が集った。


 振り返れば、四人は画家になることを夢見て美術大学に入学した。そして知り合った。

 それからは若者同士の世の常、恋が芽生え、大輝と蘭子、伊蔵と秋月のカップルができた。学園での煌めく日々、だがそれはあっと言う間に巡り行き、卒業。当然二つのカップルは結婚へとゴールインするはずだった。

 しかし、会社社長の長男の大輝は親の猛烈な反対に会い、貧しい山村出身の蘭子から町の資産家の娘、秋月に鞍替えしてプロポーズをした。

 秋月は秋月で、農家の二男坊の伊蔵と一緒になったとしても、費用が嵩む日本画は続けられない。そう打算的に考えたのだろう、大輝を選んだ。


 蘭子はこれで大輝から捨てられた。いわゆるどんでん返しが起こってしまったのだ。

 その上に蘭子の実家の陋屋ろうおくへ、秋月にふられ自暴自棄となった伊蔵が転がり込んできた。

 貧しさ故に行き場を失った男と女、行き掛かり上夫婦になるしかなかった。それでもいつか絵画の世界で天高く羽ばたこうと二人は精進した。

 されども絵の具も買えない事欠く生活。そんなことから伊蔵は貧困スパイラルに落ち、安酒に溺れた。

「私は大輝の妻になるはずだったのに、なぜこんな男と暮らさなければならないの」

 毎日不満抱く蘭子、さほど絵の具を必要としないボタニカルアートへと転身した。そして悔しさをバネに一筆一筆描き続けた。その甲斐あってかやっと画集が出版でき、また町で教室を持てるようになった。


「さあ、猪肉に雉肉、それと山鳥のつくねもあるわ。自然薯じねんじょと一緒に召し上がれ」

 蘭子の奨めで、三人は好みのものをそれぞれ皿に取る。それを見て取った蘭子、自慢のつくねを「美味しいわよ」と笑みを湛えながら配る。

 確かに、この四人には振り返りたくない過去がある。

 だが今日はその苦々しさを心の奥底に封印し、ここに参集した。この再会の縁を歓迎するかのように、初夏の青葉が映え、時折吹き来る涼風が心地よい。

 四人は学生時代へとタイムスリップし、楽しい一時を過ごした。


  女流日本画家・高峰秋月、食中毒死する。

  夫の大輝は入院中。

  油絵画家・藍沢伊蔵も逝く。

  妻の蘭子の症状は幸いにも軽い。


 翌日の新聞にこんな見出しが躍り、不幸な出来事を報じた。世間は新鋭の秋月の死に驚くとともに、どんな悪いものを食べたのかと強い関心を持った。

 一方当局は事件の可能性もあり、刑事・百目鬼学が捜査に当たった。

 それから1週間後、死因は環状ペプチドの毒と判明した。

「藍沢蘭子作の植物画集の中に、ペプチドの猛毒のドクツルタケがありました。別名『死の天使』と呼ばれてますよ」

 芹凛こと芹川凛子刑事が真っ白なキノコを指差した。

 これが七転八倒で死に至る毒キノコかと眺め入った百目鬼、おもむろに顔を上げ、推理を述べろ、と目で合図する。

 芹凛はこんな無愛想な要求に臆することもなく、背筋を伸ばし、あとはとうとうと。


「つまり蘭子に、死の天使が舞い降りたということですよ。蘭子は裏山に自生しているドクツルタケを描くことにより、その毒性を知った。――、本来なら大輝と一緒になっていた。それを奪った秋月への憎悪、それとだらしない夫への嫌悪、それらの感情が結合増幅し、とどのつまりが、つくねに毒キノコを混ぜ込み毒殺したのよ。あたかも食中毒のようにね。その証拠に自分は僅かしか口にしていないわ」

「ほぼ正解だな」と頷いた百目鬼、今度は「ところで、大輝は入院中ってことは?」と厳しい視点で問う。

 これに芹凛は自信たっぷりに、「蘭子は大輝と二人でやり直したいから、生かしたのだわ」と結論付けた。


「甘い!」

 百目鬼から厳酷苛烈な一喝が。

 そして「蘭子に死の天使が舞い降りたんだろ」と鬼の目をギョロッと剥いた。これに芹凛はブルッと身を震わせる。

 その瞬間だった。ハタと気付く。

「蘭子が一番憎んでるのは大輝。だから最後に、大輝をなぶり殺しにする。こんな予感がします」

 この芹凛の推理に、百目鬼はニッニッと笑みを零し、上司としての思いを告げるのだった。

「仮説は今のところ事実ではない。さっ芹凛、我々の予感、それは最後に、大輝が――、蘭子に処刑される。そうならない内に、早くこの事件を解決してしまおう」


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