第3話 壁の向こうの男と女

 OL斬殺事件、その重要参考人として山端郁夫やまはしいくおの取り調べが始まった。

「あなたは一流企業の重役候補。それでも部下の、いや愛人の里村綾乃さとむらあやのを刺し殺してしまった。邪魔になったのですか?」

 慇懃無礼に問い質していた刑事、今度は「会社は首なんだよ。だから、全部吐露トロせ!」と頭に血を上らせ、椅子を蹴り上げた。


「綾乃との縁を切るつもりはありませんでした。だから私は殺害してません」と山端は声を震わせた。

「ほう、否認するのか。だったら奥さんが、お前たちの三角関係のもつれで、刺したんだな」と取調官が焦点を変えてくる。これに「妻の美月みつきもやってません」と涙声で訴えると、刑事がニヤリと笑う。

「そう仰るなら、あったことを全部喋ってもらわないとね、ご夫婦お二人とも殺人罪で起訴することに」と目一杯脅してきた。

 これで山端の命運は尽きた。フーと息を吐き、低い声で話し始めるのだった。


 綾乃と男女の関係になって3年、妻の美月は気付いてなかったと思います。

 しかし、あの日……、妻の弁によれば、綾乃という女から突然電話があり、「私はご主人の愛人。だけどもう限界、そろそろ妻の座を譲ってください。だから私のアパートで話し合いを持ちましょ」と。

 それは綾乃になりすました電話だったかも知れませんが、それでも美月は出掛けて行きました。

 それにしても、少し変。玄関の鍵は掛かってなかったのです。

 妻の美月が恐る恐る部屋へと入って行くと、床はすでに血の海。胸を刺された綾乃が倒れていたのです。


 その頃です、「殺される!」と綾乃からのメールを私は受け取りました。心配で、急ぎ駆け付けると、美月が綾乃の亡骸の前で呆然と立っていました。

「お前がやったのか?」

 私が問い詰めますと、「すでに殺されてたわ。この現場に、私たちは意図的に呼び出されたのよ」と唇を噛み締めました。

 私はパニクってしまいましたが、できるだけ冷静に考えてみました。


 現在昇進できるかどうかの瀬戸際。今のところ会社は私と綾乃がオフィスラブに陥ってることを知りません。

 それでも現実に綾乃が亡くなってしまった以上、私はこの殺人事件とは無関係の立場を取るのが良いと考えました。こうして私は妻に、お互いに秘密だぞと念を押し、玄関の鍵を閉めました。


 その1週間後、管理人が異臭に気付き、部屋へ入って仏さんを発見したと聞いてます。


 こんな不届き千万な真実を語り終え、項垂うなだれる山端に、「綾乃さんのケイタイと、凶器のナイフが庭から出てきたんだぞ、お前が隠したんだろ?」と取調官の容赦ない尋問が続く。


 捜査一課の百目鬼学どうめきがく、こんな取り調べをマジックミラー越しに耳をそばだて、目を凝らしていた。

 それにしてもどことなくしっくりこない。しばらく無精髭を擦っていたが、突然カッと目を見開き吠えた。

「捜査線上から漏れてるヤツがいる!」と。

 それから部下の芹凛せりりんこと芹川凛子せりかわりんこ刑事へと視線を向け、「おい、現場に行くぞ」と声を掛けた。


 このようにして二人が犯行現場を改めて調べ直してみて、まず百目鬼が「この壁、襖一枚と同じじゃないか。隣人は聞きたくもない物音や声を聞かされてたってことか」と指摘する。


 だが芹凛はこの意味がよく理解できず、ポカンとしていると、「芹凛はまだお子ちゃまかい。要は、男と女の営みだよ」と百目鬼からの成人教育。

 その後、眼光鋭く「隣の住人は誰なんだ?」と質問を芹凛に投げ付ける。

 芹凛はとにもかくにも事件資料を繰り直し、「北本悠斗きたもとはるとというフリーターです。事件の1ヶ月前に引っ越して、あとはずっと空き部屋です」と報告する。

「北本、結構イラッときてたんだろうなあ」と少しにやけながら漏らしてしまった百目鬼に、今度は芹凛が「たったそれだけで殺しますか?」と反論。

 確かに! もっと深い恨みがあったのだろう。

 百目鬼はコクリと頷き、「とにかく、北本の身柄を確保しよう」と伝えると、芹凛は手際よく関係部署へと連絡を取るのだった。


 それから1週間が経過した。徐々に北本のことが明らかになってきた。

 北本は有名企業の入社試験を受けた。しかし、壁の向こうで繰り広げられた秘め事のせいで、試験前夜は一睡も出来ずに筆記試験に臨んだ。その上、青ざめたまま面接を受けた。

 結局、結果は不採用。


 だが北本は意外なことを知った。

 隣人の女性は北本が入社を目指す会社のスタッフ、そして面接官の部長は、アパートの通路ですれ違ったことがある隣人の情人だった。

 正社員になるために頑張ってきた北本、壁一枚隔てた向こう側で淫靡いんびな行為に溺れる部長と女性スタッフに、夢を無残にも破壊させられてしまったのだ。


 もう許せない。そして北本は決意した、女には死を、男には人生破滅の裁きを、と。


 こんな動機で、北本が綾乃を斬殺した可能性が高い。だが北本は雲隠れしてしまった。捜査にも焦りが。

 そんなある日、衝撃が走る。北本の水死体が上がったのだ。それは自殺か他殺か?

 芹凛は「どちらにしろ、これで事件は藪の中に」と嘆く。


 しかし、百目鬼は一段と眼光を鋭くさせ、空を睨み付け絞り出す。

「こうなることを一番望んでいたのは、妻の美月。すべては美月のシナリオ通りなのかもな。つまり、ある日美月がこっそりとダンナの浮気相手の綾乃のアパートを訪ねたら、隣人の北本が引っ越し中だった。そこで北本と会話を交わし、美月は北本の無念を知った。ここは夫と愛人への恨みを晴らすチャンスが来たと、北本を焚き付けて、綾乃をあやめさせた。その後、美月は用なしとなった北本を葬り去った。今は慰謝料たっぷりで山端部長からさっさと離婚して、過去をすっきり精算させて気楽な身となり……。さあ芹凛、事件はまだ終わってない。出掛けるぞ!」


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