来訪

                             15 years later …


 ――ぴくり。

 汽車からプラットホームに降りた瞬間、ヨナは眉間にしわを寄せた。

「ちっ……何だこの町。呪い臭えぞ」


 声変わり前の高い声音でそう呟くと、可愛らしい顔をぐしゃと歪めた。

「この鉄臭さ、血病だな。………………しかも呪書グリモアじゃねえか」


 ヨナはたったの十三歳で、少年だが、“魔女”である。

 尋常ならざる力を宿し、“糧”を求めてさまよう者は、老若男女を問わず“魔女”だ。そう呼ぶのが、この新大陸の習わしである。


 鹿革のベストとコットンズボンに小柄な体を包み、赤毛の頭につば広のウェスタンハットを乗せているこの少年の姿は、一見すると流れ者のカウボーイにしか見えない。ただ一点、左腕が奇怪な篭手に覆われていることを除けば。


 静脈血のように赤黒い、鈍い光沢の革篭手かわごてである。

 肘から指先まで覆い尽くす篭手のてのひらには、握り拳ほどの小ささの箱が縫い付けられている。だから左手は何も握れない。

 辞典の革ケースのようなその箱もまた濁赤色で、役に立たない挙句に不気味だ。

 “死呪の武具”などと名がついて欧州の騎士物語にでも登場しそうな不吉さを持つ篭手である。

 だが実際に呪われているのは篭手の中にある腕そのものであり、呪いを掛けたのは物語の中の悪魔でなく、悪魔以上に不快なであった。


 ヨナはベストのポケットから四つ折りの紙を取り出して、中のメッセージに目を落とした。


 《  “呪書殺し”を依頼致したく。当市へ至急参られたし。

             エル・ベルネ市 保安官 ナサニエル=スウェル 》



「くそ、この依頼はあの女絡みか。……お前、知ってて黙ってただろう」

 ヨナは翡翠の目を歪め、険のある顔で振り返った。


『嫌なら、逃げて帰れば良い』


 三日月のように微笑んで汽車の降り口から長身を覗かせたのは、紳士然とした青年だ。

 かつりかつりと優雅な所作でプラットホームに降り立つ。

 漆黒の髪を背の中ほどまで真っすぐ伸ばし、シルクハットから革靴まで、纏うすべてが黒一色。白い肌だけ異様に浮き立つ、妖艶な美貌の男だった。


『私は主人に忠実な使い魔下僕だ。貴様が不出来で臆病な子供だとしても、主人は主人だ。尊重しよう』


「黙れカラス」

 ヨナは紳士を睨みつけた。

「主人を“貴様”呼ばわりする下僕がどこに居るんだ? ったく、」

 カラスと呼ばれた紳士は、静かに笑みを刻んでいる。

 ヨナは紳士に背を向けて、煉瓦タイルの駅舎を歩き始めた。

「不快な依頼も、糧は糧だ。さっさと喰らって終わらせてやる。来い、カラス」

『仰せのままに』


 しゅうしゅうと噴く汽車の蒸気をまとわり付かせ、何十人という乗客が汽車から降りていった。

 日没前のこの時間だというのに、ずいぶんな賑わいぶりだ。

 さすが西部一の都市、といったところか。


 不意にカラスが呟いた。

『……………………懐かしき地だ』


「懐かしいだと。お前の『懐かしい』は、いったい何百年前なんだ」

『たったの十四年前さ』

「思ったよりも普通だな」

『それでも貴様が生まれるより古い』


 瀟洒なステンドグラスの外に流れる夕暮れを見て、カラスは切れ長の目を細めた。


『たった十四年で、随分と様変わりしたものだ。あの頃は、鉄道は疎か道もなく、深い森と先住民の集落があった。この地が白人の手に渡る前の話だ。まったく、生きるも死ぬも、人間は実に気忙きぜわしい』

「……お前、やけに饒舌じゃないか」

 ふだん無言で作り物めいた笑みを刻むだけの唇が、今日はやたらとよく動く。よほど思い出深い土地なのだろうか。


 ――別にこいつの感傷なんて、オレにはどうでも良いけどな。

 心の中でそう呟くと、ヨナは改札を抜けた。

 カラスも無言で、彼に続く。


 空は血の色。

 西の山々は赤く燃え、東は闇に濡れていた。



  *


「お待ちしていました。“魔女”ヨナ殿」


 駅舎の外で二人を待ちかまえていたのは、三十そこそこの優男やさおとこだった。丸眼鏡の奥の瞳を細め、穏やかそうに微笑している。

 山高帽から流れる髪は金髪で、うなじでゆるく括られている。朽ち葉色のフロックコートの下には拳銃を携帯している様子もない。

 医者か私服牧師、――あるいはそれらをかたる詐欺師のような恰好だ。

「あんたは?」

「私は――――」


 そのとき。

「ナサニエル!!」

 と、若い女の声が響いた。


 二十歳はたち手前の女が、機敏な動きで駆けてきた。

 ドレスではなく男物のズボンとシャツを纏い、腰にはガンベルトを巻いている。夕日に縁どられ、栗毛色の三つ編みが黄金色に輝いて見えた。

「……何の用かね、アメリア」

 優男が、穏やかな声で問いかける。

「例の件よ。隣市から手配書の回っていた賞金首二名を拘束したわ」

「それで?」

 はぁ!? と不満げな声を上げ、女は眉を怒らせた。

「何よ『それで』って。無法者バカを取っ捕まえたから、わざわざ報告しに来たんじゃない」

「それは結構なことだ。すぐに判事を呼び、法の裁きを与えたまえ。その程度のことは、きみ保安官代理で十分だ」

「その程度ですって? あたしはあんたのパシリじゃないのよ――」

 吠え立てる女を遮って、男は言った。

「些末なことで私を煩わせないでくれ、いまは客人をお迎えするのに忙しい」


 女は今さら気づいた様子で、向かいに立つ二名を見やると、

「っ!」

 やたら驚いた顔をして、二名をまじまじと見つめた。

「……分かったわ。邪魔して、悪かったわね…………」

 急に歯切れが悪くなり、女は立ち去って行った。


 刺す眼差しで女の背中を睨みつけ、ヨナは低くつぶやいた。

「あのやかましいのは、何だ」

 やたらと甘怠い、“あの女”に似た匂いの女だった。


「保安官補佐のアメリア・カーソンです。愚昧な部下が失礼いたしました」

「補佐。とするとあんたが、保安官という訳か」

「当市の保安官の、ナサニエル・スウェルと申します」


 不信感も露わに、ヨナは男を睨みつけた。

「銃も持たないで、保安官か?」

 言いながら、ヨナは自分の腰を指さした。

 細腰に巻いたガンベルトには、回転式拳銃を提げたホルスターが付いている。


 一方のスウェルはにこやかなまま、フロックコートの襟を開いた。ベストの胸には、六茫星の保安官章ティンスターが輝いている。

「どんな悪漢も私には適いません。銃より遙かに素晴らしい物を、私は神より賜っておりますので」

 ……その穏やかさが、胡散臭い。

 神の赦しを説いたところで、ならず者が耳を貸す訳がない。

「賜り物、ね。まさか悪漢相手にThe Book聖書の読み聞かせでもやってるのか?」

 冷めた口調でそう言った。――が、


「いいえ、ヨナ殿。“Book”はあなたのご本業でしょう?」


 相手がそう答えた瞬間、少年の顔はこわばった。

「私は“Knifeナイフの魔女”ですので」

 スウェルは、十字を切る様な仕草で右手を額に近づける。

 三本の指が胸の前まで下りた瞬間、街路樹のマロニエが真二つに裂けた。


 耳に生木の悲鳴が刺さり、切断された上半分が、ぐらりと倒れて地を打った。

 ――“Knifeナイフの魔女”。

 ヨナは厳しい顔で立ち尽くし、カラスは変わらず笑みを溜める。

 スウェルはゆるりと踵を返し、通りを歩き始めていた。

「こちらへどうぞ、ヨナ殿。依頼の件、詳しくお話し致します」


   * * *

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