第26話 世界融合(1)


 結局この日は、歴史資料は発見されなかった。しかしそれはなかったということではなく、あまりにも膨大な書物が遺されていたので、全てを調べる前に日没を迎えてしまったという事情であった。前回夜間の襲撃を許してしまった故、夜が深まる前に別邸に帰還しなければならないため、急遽数名が東池袋駅に戻り馬車を用意して帰還となった。


 行きと同様、僕はラシュトイア王女の馬車に乗り込む。ラシュトイア王女とテレと共に密室に閉じこもっていると、不思議と気まずさが僕を蝕んできた。それはきっと、明日の国会図書館の調査に期待しているラシュトイア王女の微笑みと、有意義な調査であったと満足しているテレの落ち着いた表情に対して、後ろめたい思いがあるからではないだろうか。


 母が遺した本、世界についての考察が書かれた本の発見のことを、僕はラシュトイア王女に報告できずにいた。その本のことをどう打ち明ければ受け入れてくれるのか、皆目見当がつかなかったからだ。


 僕は終始どう打ち明けるか考えながら、馬車に揺られて別邸に戻って来た。馬車が停止して揺れが収まったのに便乗して、僕の悩みも収まってくれないかと思ったが、現実はそんなに甘くはようだ。そんな簡単に解決するならば、人は業を背負うことに苦しんだりはしない。


 僕は別邸に到着後、ラシュトイア王女とテレに促され、調査隊の報告会議に出席することになった。だがその会議において、僕は話を振られない限り発言はしなかった。状況報告だけして、今後の方針とか装備とかなんとかの話は、オフにされたエフェクトの如く、脳の回路を通過することもなく耳から耳へとバイパスされた。この席においても、僕は発見した母の本のことを切り出すことはできなかった。


 会議はいつの間にか終わり、僕は自分が寝起きしている客室に戻る。明日も早朝から国会図書館の調査へ向かわなくてはならない。さっさと汗を流して就寝しなければ体力は持たないだろう。頭はその合理的な夜の過ごし方を否定しない。しかし何故か僕の身体には覇気がなく、行動に移すことができなかった。僕の心を鈍らせた原因は、いつの間にか身体の方も鈍らせていたようだ。


 そんなときに、不意に客室の扉がノックされた。僕は部屋の中から誰何する。


「私です。ラシュトイアです」


 すると扉の向こうから返ってきた声は、ラシュトイア王女のものであった。


 僕は慌てて扉を開ける。すると廊下にはラシュトイア王女が立っており、その脇にはテレが控えていた。


「夜分遅くにすみません。少しお部屋でお話をしてもよろしいですか?」


「二人共、僕に話?」


「私はラシュトイア王女の護衛だ。総介殿のような節操のない男性のもとに王女一人行かせることはできない。無理を言って同席することにした」


 節操がないとか言うなよ。まあ確かに、僕はテレに対して変態行為をしたから反論はできないけど……。


 僕はそんなことを思いつつ、客室内に二人を招き入れ、応接スペースにて話をすることにした。テレは側近の役を全うしているのか、着席せずラシュトイア王女の座るソファの背後に控えるだけだった。よって僕とラシュトイア王女が向かい合うかたちになった。


「それで、話とは?」


 ラシュトイア王女は何のために訪ねてきたのだろう?


「その、調査が終了してから終始険しい表情をしていたので、もしかしたら調査中に何かあったのではないかと、心配になりまして」


 どうやら、ラシュトイア王女には見抜かれていたようだ。なんとも察しのいい王女様だな。彼女は、あまり僕を刺激しないように気を遣って尋ねてきた。


「まあ……僕のいた世界の施設が遺跡として発見されて調査をしたので、何かあったかといえば、感慨深いことがあったとしか言えないですね」


「そうですね。あの場所は、総介さんの世界のものでしたね。配慮が足りていませんでした」


「気にしないでください。僕自らが発案したことですし、覚悟の上です」


 なんだかものすごく気を遣わせてしまったようだ。別にラシュトイア王女が悪いわけではないのに。王女は優しすぎる故に、必要以上に他人に気を遣ってしまうのだな。ならば話題を変えなければ、王女はずっと気を遣い続けてしまうだろう。そして僕には話題にすべきことがある。


 母の本のことである。きっと今言わなければ、いつまでたっても言い出せないだろう。恩がある関係上、知らせないままでいることはできない。僕がどちらの選択をするにせよ、ラシュトイア王女には僕の置かれた状況を知る必要がある。


「その、丁度王女に聞かせたい話がありまして、いいですか?」


「はい。どうぞ」


 僕は身体の奥底から勇気をかき集めてそう尋ねた。それに対してラシュトイア王女は、急な話題変更に狼狽えることなく、上品に返事をした。


 その返事を受け、僕は例の本を取り出した。


「今日、調査中に発見した本です」


 僕はようやくその本を出すことができた。これは、僕が役目を果たすための通過儀礼なのである。


 ラシュトイア王女は一度僕を見てから、テーブルに置かれた母の本を手にとった。


「僕の母が書いた本です。この世界の、真実について、書かれています」


 その言葉に、ラシュトイア王女は瞠目した。


「まずは、のちに『世界融合』と呼ばれるようになる天変地異について、実際に起きた現象が記されていました。世界自体が光に包まれたとか、突然浮遊感に襲われたなどから始まり、それらがおさまると、今までいた世界と全く異なる世界に立っていたことなど書かれていた。読んで察するに、一瞬の出来事だったのだろう」


 実際に読ませてもよかったのだが、この本は読むのに時間がかかるうえに難解であるため、既に読み終わった僕がその内容を語ったほうがよいと思い、僕はラシュトイア王女が本を開く前にそう切り出した。それにこの本は僕たち東京の人たちの視点であるため、ムルピエ王国側である彼女たちには理解できない概念があるかもしれない。ならば概要を語りつつ、わからない箇所をその都度補足した方が効率はいいはずである。


「東京の摩天楼が一瞬にして更地に変化したことは、当時の人たちにとって衝撃的な出来事だったみたいだ。しかし何故か東京の地下はそのままの状態で残っていたらしく、地上にいた人々は急遽地下へ避難したようだ。だが母さんの文章によると、地下の入口のうちいくつかは天変地異の際に塞がってしまったようで、全ての人が地下に辿り着いたわけではないらしい。地下に避難してきた人数と、実際東京にいるだろう人口が、明らかに釣り合わなかったのだ」


「調査をしている際にも思いましたが、東京と呼ばれる土地は、地下施設が充実していたのですね。東京にどれだけの人が暮らしていたのかはわかりませんが、総介さんのお話によると、東京は都市であったと思われます。その都市に暮らす大勢の人たちを、全員ではないにしろ避難することができたことに驚きを隠せません」


「地上ほどではないが、地下にもう一つ街があるといっても過言ではないほど、地下の役割は大きかった。とくに広さに関しては申し分なく、多くの人を受け入れられたみたいだ。それに共同溝があったためライフライン自体は無傷であり、しばらくは何とかなったようだ。まあそれでも、供給源が無事ではなかったようだけどね」


 東京を襲ったこの奇妙な事態に対して、完璧ではないけど、地下は意外と避難先に適していたみたいだ。


「それで、ある程度避難生活の環境を整えたのち、有志を募って、変容した東京の地上を探索することにしたようだ。そしてそのときに彼らと出会ったらしい」


「その彼らとはすなわち、私たちのご先祖様、ムルピエ王国の民のことですね」


 僕が言わんとすることを、ラシュトイア王女は察してくれた。僕はそれに無言で頷く。


「最初は言葉によって意思疎通をはかろうとしたが、やはりというべきか、全くもって会話が成立しなかったようだ」


「それはそうですね。私が総介さんと出会ったときのことを思い返すと、その様子は容易に想像できます」


「ああ。でも、僕たちのときとは違う要素がそこにはあったみたいだ」


「違う要素?」


「互いに敵意があったことだ」


 首を傾げたラシュトイア王女に対して、僕はもったいぶらずにすんなりと教えた。


「東京の人間はムルピエ王国の人間のことを『地上を変容させた異星人』という認識があり、一方ムルピエ王国の人間は東京の人間のことを『突如自国の領内に出現した異民族』という認識があったからだ。お互いにとって、出会う前から実被害が発生していたのだ。相手の印象が悪くなってしまうのも無理はない」


「そ、そんなことが……!? でも、確かに未知の存在との出会いですから、そうならざるを得ないですね。……最悪の場合、私と総介さんの出会いも、そうなっていたかもしれませんね」


 ラシュトイア王女は驚きつつも納得したようだ。そしてそれと同様のことが僕たちにも起こり得たことに気がついた彼女は、怯えるように目を伏せ、気持ちが沈み込んだ。


「ラシュトイア王女……」


「いけませんね。今は大事な話の最中なのに。総介さん、続きをお願いします」


 僕はラシュトイア王女のことが心配になったが、当の彼女は自身の気持ちを振り払い、凛とした双眸を僕に向けて続きを促した。僕はそれを受け、ぎこちなく話を続ける。


「それで、両者敵意があるために、次第に言葉による意思疎通をする機会が減っていきました。互いに互のことを理解できない故に、武力による強硬手段に発展したのは、自然の流れであったと記されていた。そしてそれは、東京に限った話ではなく、世界各国で起きたのです」


 日本以外にも、アメリカを始めとする世界各国が同様の事態に遭遇しており、戦争に発展したそうだ。そのことは地下に残った通信手段によって、世界の情勢をリアルタイムで得られたらしい。


 どの国も戦争に発展したことは事実なのだが、こと日本においては、世界で一番深刻な状況であった。何せ、アメリカは国土の一部に、南アジアはインド洋海上に未知の勢力が出現したのに対して、日本は国土の殆どが被害にあったのである。主要都市に関しては地下に避難できたが、それ以外の地域の生存者は絶望的であり、日本は天変地異によって滅んだのも同然であった。


 だがこれらの話は当時の世界情勢が関わってくるため、僕はあえて省いた。それを説明してしまえば話が脱線してしまうので、あくまでラシュトイア王女に話すことは概要にとどめた。


「世界各地で戦争が勃発したわけですが、日本の状況は最悪でした。天変地異によって各都市に分断されただけではなく、外部との物流が途絶えてしまったのです。物資の支援が全くもって受けられない状況では、戦争はもとより自分たちの生活を送るのも困難になります。正直な話、地上で戦争をしている場合ではないほど切羽詰った問題だったのです」


「その状況を打開しなければ、東京は生き残れないのですね」


「はい。そこで東京は現状を打開するために、まずは地上の戦争の早期終結を企てた。電撃戦により、素早く相手の重要拠点を制圧してしまおうと考えたのです」


 幸い今まで防戦をしていたため、東京に残された自衛隊の戦力の消耗は少なく、電撃戦を行えるだけの余力はあったようだ。


「そしてその作戦は成功しました。それが所謂ムルピエ王国の要塞化した旧王立図書館の制圧です。これにより、東京の人間は地上の拠点を得ることができたのです。しかし成果とは釣り合わない誤算が生じました。相手、ムルピエ王国の勢力は、東京の人間が想像していたよりもはるかに巨大な存在であったことを知ったのです。それは押収した資料の中にあった地図から判明したようです。自分たちが制圧した拠点は、このムルピエ王国のほんの一部でしかなく、まさに氷山の一角であったのだと」


「そして下手に拠点を制圧してしまったので、東京の人たちの立場は余計悪くなってしまったのですね。我々ムルピエ王国側としては、拠点を奪い返すための戦力を投入するはずです。そしてそれは、今までの戦力とは比較にならないくらい大規模なものであったことが窺えます」


 ラシュトイア王女は理解が早く、察したことを述べた。僕はそれに「まさにその通りです」と返事をし、話を続ける。


「このままこの場所に留まれば、殲滅されることは間違いなかった。かといってこれ以上攻め込むのは無謀でしかなく、自殺行為であった。そのため制圧した拠点を放棄し、戦利品としてできるだけ多くの物資と資料を奪い、東京の人間は地下へ戻った。それ以降は、地下の入口を可能な限り塞ぎ、籠城したのだという」


「八十年以上前に我が国と地底人が争い、要塞化した旧王立図書館を制圧され、歴史資料を含む重要書類を奪われ、そして何らかの事情により拠点を放棄し消息を絶った。そう認識している我々の歴史と、総介さんのお母様が遺された本に書かれている東京の末路に、矛盾点はないようですね。むしろ、我々が認識していた歴史の不明瞭な部分が補完されました」


 ラシュトイア王女は、八十年以上前にこの地で起こった出来事の真実に、得心がいったようだ。それは明るくなった彼女の表情から窺い知れた。


「ですが地下に引きこもったとしても、滅亡を待つだけです」


「その通りです。だからこそ母さんは、未来に託したのです」


「未来、に?」


「僕は過去の人間です。そして今は、時空を超えて未来の世界に来ています。そのことを知っていたのは、母さん一人だけです」


 僕のその言葉に、ラシュトイア王女はハッとした。


「総介さんは、まさか……過去を改変すると、そう仰るのですか?」


「はい。それが今日芽生えた僕の使命です。そしてこれは、過去の世界を救うだけではなく、未来の世界にとっても悪い話ではないのです」


「み、未来の世界にも……? それはどういうことですか?」


「八十年以上前にこの地で、東京とムルピエ王国は戦争をしました。その際東京の人間によって歴史資料を含む重要書類を奪われた。そしてそれによって現在、王位継承の問題が発生している。しかし仮に東京とムルピエ王国が関わり合わなければ、歴史資料は奪われることもなかった。そしてラシュトイア王女は弟さんと継承争いをすることもなく、国政は真っ二つに割ることもなかった。つまり現在ラシュトイア王女が抱えている問題は、端から起こらないんだ」


「そ、そんなことが、あるのですか!?」


 もしもの話をした途端、ラシュトイア王女は瞠目すると共にこの話に食いついた。


「まあでも、このことは、僕が過去を改変した場合、こっちの世界にはどういう影響があるか考えた結果出てきたものだから、本当にそうなる確証はないけどね」


 これはあくまで僕の妄想に過ぎないのだ。そしてこれはもっとも希望的な推測でしかない。言わばこれは過去改変した場合のメリットの一つなのである。過去を改変することによるデメリットに対して、目を背けているに過ぎないのだ。


「総介さんは、ご自身の世界だけではなく、私たちの世界のことも気にかけていらっしゃるのですね」


 ラシュトイア王女が今現在抱えている問題は、思わぬ方向から解決策が出てきた。そしてその解決策は、問題の根本から解決するものであった。それはまさに夢のような策であり、そのことにラシュトイア王女は希望を見出したのか、屈託のない微笑みを浮かべた。


 しかしその笑みは、僕の心をチクリと刺してきた。それは過去を改変することがいいことばかりでないことを僕が理解していたからだ。大きな成果には、大きな代償が伴う。その代償の部分の説明をしてしまえば、彼女の微笑みが凍りついてしまうことは容易に想像できた。そして僕はそんな姿を見たくなかった。だがしかし、ここまで話してしまった以上、それを説明しないわけにはいかない。


「その、総介さんが過去を改変すると決意されたということは、それを実現できる方法があるということですよね?」


 そしてラシュトイア王女は、僕の葛藤を察することなく話を進める。


「はい。それは、世界の構造、世界の真実を逆手に取った方法です」


 そのことに、僕は安堵してしまった。ラシュトイア王女の無邪気さに甘えてしまい、その話に乗っかってしまった。僕は過去改変によって発生するデメリット、代償の部分から逃げていた。そして逃げたまま、王女の問いに答えていく。




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