第14話 侍女


「では、何かございましたら、この爺まで」


 クモルはそう言い残して部屋を出て行った。この屋敷のこともそうだが、この世界のことを十分に把握しきれていない僕にとって、見るもの全てが新鮮であった。そのため心の整理が追いついておらず、じっくり考える時間が欲しかった。よってこのタイミングで一人になれるのはありがたく、別段クモルを引き止める理由はなくそのまま彼を見送った。


「さてと、どうしますかね」


 僕は呟きながらベッドに腰を下ろした。見渡すと、実に広々とした室内である。


 この屋敷は元々図書館やら学校やらと聞いたので、建物内部もその名残を受けているのだろうと思った。だが、そもそもこの世界の図書館や学校がどういったものなのか理解していない僕としては、その差異を見つけ出すことはかなわなかった。


 雰囲気としてはレトロな洋館そのもので、今いるこの部屋の家具や内装は高級ホテルの客室であるかのようだった。屋敷の玄関は大階段が鎮座するエントランスホールとなっており、廊下には絨毯が敷き詰められ、いたるところに絵画や花瓶など高級な装飾品が飾られている。どうやら建物を保存と言っていても、実情は暮らしやすいように改装しているらしかった。


 ラシュトイア王女の身なりを見てなんとなく思っていたが、どうやらこの世界、とりわけムルピエ王国の文化は西洋の文化に類似しているらしく、新鮮ではあるがどことなく既視感を覚えざるを得なかった。だがその既視感が救いでもあった。僕の知らない概念のみで構成させた世界であったならば、きっと今頃情報過多で頭がパンクしていただろう。そういう意味では幸運だったのかもしれない。


 僕はこの世界に来てようやく落ち着くことができた。取り敢えず情報を整理するため、持ち込んでいたバックパックの中からタブレットPCやスマートフォンを取り出し、メモ帳を開いて書き込んでいく。


 やはり情報量が多いので、整理して書き込んでいくのは一筋縄では行かなかった。だが一個一個、目にしたものから順に書き込んでいく。


 地下室のこと。地上のこと。王女のこと。戦闘のこと。魔符のこと。騎士のこと。王国のこと。などなど。


 気がつくと、上体をベッドに預けて横たわったりソファに深々と座ったりして、自然とリラックスな姿勢を取り始めていた。こうして一時間ほど小さな画面と向き合った結果、これまでの出来事を一応文章化にすることができた。改めて考えると、大分ハチャメチャな世界である。


「でもやっぱり、情報が足りないな」


 しかしそれでも、この世界のことを理解するには情報が少なすぎた。約半日過ごして、小一時間でまとめられる程度の情報しか得ていないことに驚きを隠せなかった。自分の感覚としては滔々と物事が進んでいったので、もっと膨大に情報があるように思えたのだけれども、実際はそうでもないようだ。


 僕は再びベッドに横たわり、タブレットPCを広いベッドに放り投げ、僕は酷使した脳と目と指を休ませる。そうしていると、やはり部分的ではなく全身が疲れていたのか、自然と睡魔が襲ってきた。僕は重たくなった目蓋を意識しながら、ここで寝ていいものなのかを考えていた。


 すると突然、ドアがノックされた。誰かが来訪してきたようだ。僕は一気に意識を覚醒させて起き上がる。


「ど、ぞうぞ」


「失礼いたします」


 断りを入れて入室してきたのはクモルと、もう一人は若い女性だった。


 クモルは先程と変わらず黒の礼服。一方女性の方は、青みがかった色の薄いワンピースを着ており、隣のクモルや側近のテレなどと比べると大分地味な服装であった。まるで看護師さんの制服のようだ。


「侍女のトロメロです」


「お初にお目にかかります。瀬尾総介様のお世話を仰せつかりました、トロメロと申します。以後よしなに」


 クモルは傍らの女性を侍女と紹介した。侍女? 侍女ってことは、もしかしてメイドさんですか!? 十六年生きてきて初めて本物のメイドさんを生で拝むことができた。まあ一般的なメイドさんとはかなり様式は違うようだが、エプロンなしのナース服風メイドさんもこれはこれで乙なものだろう。


「どうもご丁寧に」


 侍女というと主や客に給仕するのが仕事であるので、言葉遣いや態度も必然的に丁寧なものになる。よって、彼女は僕に仕事の対応をしているにすぎないのだが、それでも言われて気持ちがいいことは確かである。僕は照れ隠しするかのように、彼女、トロメロさんに頭を下げて返事をした。


 頭を上げ、改めてトロメロさんを注視する。歳は二十前後に見え、僕と歳が近いラシュトイア王女やテレなどと比べるとお姉さんの気質がある。またそのお姉さん気質がときたま母性を醸し出しているところが彼女の魅力の一部なのだろう。ちなみに、決してトロメロさんの胸が大きいから母性的だと言っているわけではない。ないが、巨乳でナース服風の衣装はどう考えても卑怯だろう……。目が釘付けにされてしまうわ。


「ところで、えっと、何か御用ですか?」


 僕は強引に胸から視線を動かし、トロメロさんの顔を直視して尋ねた。しかしトロメロさんもラシュトイア王女やテレ同様美人なので、胸を直視するときとは違う意味でドキドキしてしまった。この人と会話するときは一体どこを見て話せばいいのだろうか?


「総介様は遊学中の旅人と伺っています。昨夜の賊との戦いのこともあり、少々お召し物に汚れがついておられます。もしよろしければ浴場にて疲労を癒し、その間私の方でクリーニングをいたしますが、いかがなされますか?」


 遠まわしに「お前汚い」と言われたわけだが、確かに僕は昨日学校から帰宅してすぐに母特製タイムマシンに乗り、事故ってこの異世界に来てしまったのだ。着替えもしてなければ風呂にも入っていない。汚いのは事実である。


 それに実際、僕は衣服のことを全く考えていなかった。そして母も考えていなかったのだろう。何せ、タイムマシンの中に積み込まれていた非常用物資の中に、衣服の類は一切なかったのだ。親子揃って盲点が同じところであるのはいささか恥ずかしい。


 しかし幸運にも、衣服という死活問題は、先方から解決策を提示してくれた。この機を逃すのは得策ではない。


「そうですね。僕も丁度なんとかしたいと思っていたところです。お言葉に甘えさせていただきます」


「かしこまりました。それでは、大浴場の方にご案内いたします」


 そんなこんなで、僕は風呂に入ることになった。部屋を出て絨毯が敷かれた廊下をトロメロさんに案内されて進む。未だに建物の内部構造を把握しきれていない僕としては、今現在どちらの方向に進んでいるのかがわからなくなる。まるで樹海の中をさまよっているかのようだ。


 だがそんな心配は意味をなさなかった。一階に降りてしばらく進むと、トロメロさんは唐突に扉を開けて入室。僕もそれについていくと、入室した部屋は脱衣所であった。案外あっさり到着してしまった。


「あ、そういえば、僕は風呂から出たら何を着たらいいですか?」


 まさか数分でクリーニングが終わるとも思えない。そうすると、僕は着る服がなくなってしまい、裸で過ごさなければならなくなる。それは非常に困る。


「ご安心ください。総介様のお召し物は魔符にてクリーニングさせていただきますので、早急に終了いたします」


「……王女と出会ったときも思ったが、魔符というのは便利ですね」


「はい。非常に便利な技術ではありますが、私たちが魔符を使用するのは緊急時や至急の要件のみであり、普段は使用しません」


「普段は手洗い?」


「はい。日常的に魔符を使用すると、ご多忙なラシュトイア王女に申し訳ないですし」


 僕はその言葉に引っかかった。そしてすぐ思考に浮上したのは、魔符の使用制限のことであった。


 その考えは荷馬車でここまで来るときに思ったことで、魔符という抜群の収納力と携帯性をもつ非常に便利な技術があるにも関わらず、どうして荷馬車を必要としたのか、というところが起因であった。そしてそこから、魔符には条件または制限が設けられているのではないかと推測した。


 そしてトロメロさんは、王女に悪いと言った。つまり、魔符に記録する行為にラシュトイア王女が関わってくるのではないだろうか。


「あの、一つお尋ねしていいですか?」


 自分の中で推理していくのに比例して、魔符に対する好奇心が増していく。そして気がついたときには行動に移しており、僕はトロメロさんに詰め寄っていた。


「魔符とラシュトイア王女は、どのような関係があるのですか?」


 僕は核心をつく質問を投げかける。




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