第8話 流星の少女


 移動中誰とも遭遇せず、先程の少々背の高い草原に辿り着く。万事安全に林を抜けため、僕の警戒心は一気に弛緩した。それ故に起きた出来事だろう。僕は林を抜けてすぐに、誰かと至近距離まで接近してしまったことに気がついた。しかしそれは相手も同じようであり、僕の気配を察知した誰かは慌てて逃げようとした。


「誰だ!?」


 咄嗟に僕は懐中電灯の光で相手を照らし、誰何した。突如眩しい光を浴びせられたその人物は、驚きのあまり立ち止まる。僕の声と光を無視して逃げなかったのは、恐らく下手な行動をして僕を刺激しないよう配慮したのだろう。突然の出来事ではあったが、それができるくらいには相手も冷静でいるようだ。そしてその人物は警戒心を剥き出しにして僕の方を向く。


 少女であった。それも美しく、そして愛らしくもある少女だ。


 まず目を引いたのは、少女の髪の毛であった。腰のあたりまである長い髪はしなやかであり、夜闇の中で光を放っているかのような銀色をしていた。いや、実際に発光しているかのように明るい。少女の髪は、今この夜を覆い尽くしている星々の天蓋に引けを取らない流星の輝きがあった。


 そして美しいのは髪だけではない。前髪の隙間から窺えるのは、幼さは残るが上品に整った美貌。着ている服も白を基調にした可憐なドレス。まるで創作物に登場するお姫様のように気品に満ちていた。


 僕はその美しさに見蕩れてしまった。念のため持ち歩いていたつるはしが手から滑り落ち、カサッと草の上に横たわる。しかしそんなことは些細なことであるように思え、どうでもよくなった。それよりも、目の前の美をずっと目にしていたかった。


 そのとき、目の前の美少女が小さく呻いた。見れば少女は顔をしかめていた。それは眩しさ故の表情であることに気がつき、その原因は僕が照射している懐中電灯の光であることに思い当たり、僕は慌てて光をずらした。


 すると光の範囲から逃れた流星の髪は、その輝きを失い、夜闇に紛れた。そこで思い当たったのは、少女の髪は僕の懐中電灯の光を反射していたのではないかということ。確かに美しい黒髪とかは光を反射して潤いに満ちた光沢を放つが、眼前の少女の髪はその比ではなかった。


 鏡のような髪。そこまで言うと流石に言い過ぎのような気がするが、美しい月の光は太陽光の反射によるものというし、案外少女の髪もそのような要領なのかもしれなかった。


 とにかく、少女を光から解放したのはいいが、どうやら光源を持っているのは僕だけのようであり、少女から見た僕は逆光で何も見えない状態なのだろう。ただでさえ人気が皆無な大自然の中で正体不明の男と出会ったのである。少女が過剰に警戒するのは当然と言えた。僕だって夜道で不審者に遭遇したら相当怖い。


 そう考えると、少女は今底なしの恐怖に苛まれているのかもしれなかった。それでも悲鳴を上げず、気丈に振舞おうとしている少女には、頑丈で凛とした意識があるのだろう。その態度も少女の高貴さの要因になっているのかもしれない。


 僕は思い切って、懐中電灯のスイッチを切った。そして無理やり制服のポケットに懐中電灯を突っ込み、両手を上げて無害であることをアピール。それと同時に、


「ぼ、僕は決して怪しいものではないです。それより、あなたこそ、誰ですか?」


 僕は言葉でも無害アピールし、再度誰何した。しかし冷静になって考えてみたら、自分から怪しくないと宣言する人ほど怪しいものはいない。むしろ言ったことにより怪しさが増すようであり、明らかに逆効果である台詞であった。まあもう言ってしまったのだから仕方がない。ここは素直に少女の反応を待つとしよう。


 そう思って僕はしばらく黙っていたが、一向に反応する気配がない。懐中電灯を切ったことで確かな光源は失われたが、煌々と輝く星空の下では相手を十分に視認でき、この距離であれば相手の反応も窺える。それ故少女の様子はよく見えるのだが、少女は僕の言葉を聞いてキョトンとしていた。どうやら少女は意表を突かれたようであり、先程までの警戒心が驚きに変わっていた。闇の中でも、その表情の変化は見て取れた。


「――――」


「はい!?」


 少女は僕に向かって何か喋ったようだが、その言葉の意味はまるでわからなかった。だが明らかに日本語ではないことはわかった。僕は日本語と学校の授業で習う英語程度の語学力しかないが、その言語は今まで聞いたこともないものであった。


「えっと、ごめんなさい。言っていることがわかりません」


「――――」


「だから、僕は、あなたの、言葉、わからない」


 言葉が通じない外国人相手に、日本人が言葉を区切って日本語で話そうとしている場面に遭遇したことがあるが、まさか僕自身がその立場になるなんて思いもよらなかった。遠巻きから見ていて、あれは何の意味があるのだろうと蔑視していたが、同じ立場になるとこれ以外の意思疎通方法が見つからないのは確かである。うん、やっぱり語学力は大事だね。


 一方、少女の方も困惑した表情をしていた。どうやら少女も僕の話している言葉、日本語が理解できていないらしい。そのため依然警戒されているが、その警戒に別の要素が加わったようであり、僕のことをどう扱っていいのか判断に迷っている様子であった。


「――――」


「…………」


 何やら独り言のようなことを言っているのはわかるのだが、やはり駄目だ。言葉が全くわからない。まさか未来では、東京だけでなく日本語までも消滅していたとは。そうすると、日本という国そのものがなくなってしまった可能性が出てきた。なんだよ、これ……。完全に異国に一人放り出された感じじゃないか。


「――――」


 今後は長々と何か言っているが、内容は依然としてわからないまま。どうしようか悩んでいると、目の前の少女が急に自身の身体をまさぐり出した。その急な行動に僕は訝しむが、言葉が通じないためどうすることもできない。取り敢えず黙って様子を窺うことにした。


 そうしていると、少女は袖口から薄いものを取り出した。それは……一枚の札? 少女はその札のようなものを高々と掲げた。僕としては、その奇行をただ茫然と見つめることしかできなかった。


 しかし少女が札を掲げた次の瞬間、札は突如発光した。その光に僕は目くらましを食らったかのように視覚を奪われた。腕で目を守りながら少女の次の行動を察知しようとするが、その光は一瞬のことであり、僕の視力が回復したときには既に先程の森閑とした夜に戻っていた。まるでその出来事が幻であったかのように、何事もなかった。


 そして少女も、何かを仕掛けることもなく僕の目の前に立っていた。その表情から少々警戒心が薄れたようであり、少女らしい微笑みを湛えている。しかし僕には、その表情がイタズラをした子供のような含みのある微笑みに見えてしまった。


 少女は一度深呼吸して開口する。言葉が通じないはずなのに、まだ何か話そうとしている。


「私の言葉、通じますか?」


「へッ!?」


 今まで全く意思疎通できていなかった少女が、いきなり日本語を話し始めた。その予想外の発言に僕は虚をつかれ、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。


「え!? 何? 日本語喋れるの? じゃあさっきの言葉は何?」


 僕はすっかり混乱し、まくし立てるように目の前の少女に尋ねた。


「あ、通じますか。その、驚かせてすみませんでした。でも、私はあなたの国の言葉がわからないため、話すことは疎か聞き取ることもできません。同時にあなたも私の言葉を聞き取ることができないかと。そこで少々小細工をさせていただきました。よかったです。うまくいったようです」


 少女は品のあるかしこまった口調で答えてくれたが、彼女の言っていることがよくわからない。もちろん言葉は通じているが、通じているからこそ、話すことも聞き取ることもできないと言われても到底納得することができなかった。


 それに、少々小細工とはなんだ? 先程の奇行と発光のことを言っているのだろうか。


「えっと、よくわからないから、詳しく説明してくれないか? それに、そもそもここは何処な――」


 僕が訳ありであるのと同様、きっと少女も何か深い事情があるのだろう。何せ一見高貴な女の子が、このような場所に一人でいるのだから。僕はそれを踏まえた上で、この土地のことなどを根掘り葉掘り尋ねようとして少女に問いかけたが、奇しくも少女の深い事情に関わるであろう要素が僕の質問に覆い被さった。


 爆発音。


 それは先程聞いた音よりも小規模であったが、空間をつんざくような轟音であることには変わりなかった。その音は静まり返った草原にこれでもかと響き渡った。


 そしてその爆発音に注意を引かれたのは、僕だけではなかった。少女もその音に反応してその方を見やる。突然のことであったので僕は驚いたが、少女の表情は凛として引き締まったものに変わっていた。


「あ、あの……」


 少女の表情の変化に僕は困惑し、腫れ物に触るような慎重な姿勢で声をかけた。すると少女は凛々しい表情のまま僕に向き直る。


「異国の方であるあなたを巻き込んでしまって申し訳ございません。ですが、失礼を承知でお尋ねします。この辺で、私を匿うことができる場所に、何か心当たりはございませんか? 何者かの襲撃を受けましたが、彼らの目的はこの私なのです。今身を挺している騎士たちは、全て私を戦場から逃がすために戦っています。彼らのためにも、私は無事に生還しなければなりません。ですので、どうか……。せめて、一時凌ぎでも構いません」


 少女は深々と頭を下げてお願いする。正直得体の知れない少女だけど、少女の事情が切羽詰ったものであることは一目瞭然であった。何せ近場で派手にドンパチしているのだから。それに得体の知れない存在であるのは僕も同じである。目の前の少女がこんな僕を信用するというのならば、僕もそれに答えるのが筋というものだろう。


「わかりました。それなら心当たりがあります。そこに逃げましょう。ですが、僕は全く事情を飲み込めていません。ですので、後で詳しい説明をしてもらいますけど、いいですか?」


 少女は僕の言葉に「はい。構いません」と答え、顔を上げた。この状況下で偶然頼りになる人と遭遇したのか、その表情は一気に弛緩し、愛らしい安堵の表情となった。


「失礼。こっちです」


 初対面の女の子なので、一応断ってから手を握り、手を引いて草を掻き分けて進む。


 目指すは茂みに隠れた洞穴。元僕の家の地下である。シェルターのような地下研究室であれば、夜を明かすぐらいの時間は稼げるであろう。




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