五話

 床に噴出花火が仕掛けられていたのではないかと錯覚してしまうほどの火柱が、唐突にあがった。


「なっ……!?」

「あぶなっ!」


 二人は思わず後ずさる。

 それが一体何なのかを考える暇もなく、次々と、堰を切ったかのように、火柱は階下から、噴水のように噴き上がってきた。

 階下から噴き上がってきたそれは、そのまま勢いを衰えることなく、天井をも貫き、床や天井をさながらチーズのように、穴だらけにしていく。


 階下から襲ってくる多数の火柱。

 炎の槍。

 もし仮に、雨夜が記憶を遡っていていなければ、これが超能力者の攻撃だということに気づく事が出来ただろう。

 しかし、その部分の記憶が欠落している雨夜がそんな事に気づけるはずもなく、とにかく、突き上がってくるその炎の槍を躱し続ける事だけに集中していた。

 揺れには滅法強く造られているらしいこの建物も、やはり炎には弱いらしく、貫かれた場所から炎は広がり、いつの間にか部屋は豪火で真っ赤に染まっていた。


「維月! とにかく今は逃げるぞ!!」

「分かってる!!」


 黒煙が立ち込める部屋の中、咳き込みながら二人は叫び、轟々と燃え盛る部屋から脱出。

 そのまま一階まで駆け下りたのだが、一階は一階で、炎の地獄だった。

 焦熱地獄。

 部屋の中で炎が燃え盛っていない場所はもうほとんど残っていなかった。

 轟々と燃え盛る炎のせいで、店内にあったパンはもう炭に変わり、なぜかひしゃげて部屋の中に落ちているシャッターはその熱にやられて真っ赤になっている。

 そんな中、風呂からあがった後なのか、寝巻き姿の汐崎美咲が倒れる分だけのスペースがあった事は、雨夜には、今生最高の奇跡のように感じれた。


「委員長!」


 その異常なまでの熱気から体を守るように、腕を顔の前に置きながら、雨夜は壁によりかかるようにして倒れている汐崎のもとに走った。

 高坂の方は、このパン屋の主人の方に向かった。幸いにも、二人共無事のようだった。


「……これが大丈夫に見える?」

 脂汗を額に滲ませる汐崎の片足は、炎にやられたのか、ヒドい火傷をおっていた。


「生きてるだけ、充分無事だよ。怪我だって、僕みたいに小坂井にもどして貰えば……」


 安堵の息を吐いて、そんな事を口走った雨夜は、ハッと何かに気づいたようにまわりを見回す。

 いない。

 いない。

 一人、足りない。


「委員長……」

「その話は後で。とりあえず今は脱出しないと」


 雨夜の震える声に、汐崎は落ち着いた声で返して、手を伸ばした。

 片足を火傷しているのだから、確かに動きづらいか。

 雨夜は動揺を隠しきれてない表情をさらしながらも、汐崎の腕をとり、それを首の後ろにまわして肩を貸す。

 そして降りてきた時よりも、更に激しくなっている豪炎の中を抜けて、雨夜、汐崎、高坂、主人の四人はその場から脱出を果たした。


 外から見ると、パン屋はもう炎に包まれていた。

 家から炎が噴き出しているとかそんな感じではなく、でかい火柱がたっていて、その中に家がある。みたいな感じだ。

 脱出を果たした四人はしかし、誰一人とて喋ろうともせず、ただ呆然と、燃え盛る火柱を眺めながら、道のど真ん中でへたり込んでいた。

 沈黙がその場を支配する。

 空は曇りはじめ、ポツポツと雨が降りだし、次第にザーザーと音をたてる大雨に変わるが、火柱の勢いを衰えさせる事は出来ず、四人はその場から動こうとはしなかった。


「なあ」

 長い沈黙。

 それを破ったのは雨夜だった。

 雨に濡れて顔に張りつく灰色の髪をどかそうともせずに、さながら独り言のように呟いた。


「委員長、聞きたいことがある」

「小坂井さんは多分、逃げてると思う」

 汐崎は聞かれたわけでもないのに、そう返した。


「いきなりだった。唐突だった。お風呂からあがって水分補給をしていたら、おりていたシャッターが、外から巨人に殴られたみたいにひしゃげて、そのまま吹っ飛んだ。私はそれに巻き込まれて、壁に頭をぶつけてそのまま気を失っていたから、その後のことはよく分からないけど、うん、確かに小坂井さんは逃げていたはず」

 シャッターが壊れて、そこから超能力者の姿が視認できた時には、彼女は既に逃げだしていた。


「ああ、雨夜。私を置いて逃げたからって、彼女を怒っちゃダメだよ。むしろそれが正解だったんだから。彼女が狙ってるのはあくまでも小坂井さん。だから、彼女は逃げだした。私を守るために、自分を餌にして、超能力者をおびき寄せて」

「……そっか」

 雨夜は呟くと、そのままのそりと立ち上がった。


「どこに行くの……?」

「無論、小坂井の所に」

「どうやって、場所も分からないのに」

「この街はそこまで広くないし、走り回ってでも探す」

「どうして? そこまでして助けようとするの?」

「二度と失敗したくないから」

「じゃあダメだ」

「なん……!?」


 なんでだよ! と叫びながら振り返る予定だった雨夜だっだが、その途中で声をどもらせてしまう。

 どうしてかと言えば、振り返ったその先に汐崎の顔が、ちょうど目と鼻の先にあったからだ。

 息と息がふれあうほどの距離。

 それこそ、少し前に動いたら額と額がぶつかってしまいそうな距離に、彼女の顔はあった。

 しかし不思議とドキドキ感は無かった。

 なぜなら彼女の目が『観察』している目だったからだ。

 瞳の奥底を覗き込んでいるような、心中を読み取ろうとしているような目だったからだ。

 だから、どちらかというと、雨夜は恐怖を覚えた。

 恩人に恐怖を覚えたのはきっと、これが最初で最後だろう。


「いや、別にきみにイジワルをしたくって言ってるわけじゃあないからね」

 汐崎は『観察』する目のまま、表情を一切変えずに言う。


「小坂井さんを助けに行くこと自体には、私も賛成だよ。というか、普通に考えて、助けに行くべきだ」

 けど、と汐崎は続ける。


「きみはまた、自分のために動こうとしている。このままだとまた失敗しそうだと怯えて行動している。だから私はきみを止める」

 そろそろきみは、ステップアップする時期だと私は思うんだ。

 そう汐崎は言った。


「どうして……?」

 雨夜は素直に疑問を投げかけた。

 この生き方を、失敗しないように足掻く生き方を雨夜に教えたのは、汐崎だ。

 いつまで経っても過去ばかり見て、後ろを向いて殻に閉じこもっていた雨夜が、前を向けるようにと彼女が教えた生き方だ。

 なのにどうして、彼女はそれを否定するのだろう。

 それが雨夜には分からなかった。


「どうしてって、決まってるよ」

 汐崎は、自分の中で解決していることを、口に出して再確認するように言う。


「『ヒーロー』って言うのはね、誰かに頼りにされるから『ヒーロー』なんだよ」


 汐崎がそう言い切った直後だった。

 雨夜のポケットの中に入っていたスマホから、ピリリリリと味気ない着信音がなったのは。

 (友達が少ないから)鳴ること自体滅法少ないスマホが鳴って、雨夜は少し焦りながらそれをとった。

 画面には『高坂鋼屋』の名前が表示されていた。


「あれ、でも確か……」

 雨夜は高坂の方を見る。

 高坂は携帯を持っていない。

 そもそも高坂は、携帯は汐崎に没収されてしまったと言っていた。

 でも汐崎の手にも、携帯はない。

 ――じゃあ一体誰が……?


「出てみれば分かるんじゃない?」

 汐崎に促されて、雨夜は電話にでる。

 電話の先も雨が降っているのか、ザーザーと雨粒が地面を叩く音が聞こえる。

 その雨音に混じって、微かながら、まるでさっきまで走り回っていたような、荒い息遣いも聞こえる。


「あ、雨夜……?」

 電話の主は。

 小坂井せつなは、確認するように小さな声で言った。

 か弱くて、か細くて、今にも泣きだしそうな声だった。


「そ、そうだ。僕だ! 大丈夫か!? 今どこにいる!? すぐにそっちに」

「お願い――」


 雨夜はすぐに彼女の居場所を聞きだして、助けに行こうとした。

 しかしそんな雨夜の言葉を遮るようにして、小坂井は言った。

 お人好しな雨夜が、意外にも今まで聞いたことがなかった言葉を。

 叫ぶ。


「助けて……っ!!」


 ドクン、と心臓の鼓動が一際大きくなったような気がした。

 体が震える。心が震える。

 はからずして、頬が緩んでしまう。


 ――ああ、そうだ。そう言えば。

 ――今まで僕は、人を助けてばっかだったな。


 こんな大きな事件は今まで二度しか遭遇した事はないが(汐崎と友達になったきっかけの事件と、今回の事件)それでも、朝の風船の時のように、雨夜は、人を助けることを当たり前のようにしていた。

 しかし、意外なことに、人に助けを乞われたことは一度としてなかった。

 困っている人を見つけて、その人を助けることはあっても。

 困ってる人が雨夜を見つけて、助けを乞われたことはなかった。

 ステップアップ。


 自分勝手にわがままに人を助けてきた少年は、今日初めて、人に頼りにされた。

 人に助けを求められた。


 ――人に『助けて』と言われる。助けを乞われる。

 ――それは即ち、頼りにされてるって事だよな。

 ――それはまるで『ヒーロー』みたいで。

 ――なんだ、なんだよ。

 ――それって。

 ――滅茶苦茶嬉しいじゃねーか。


「……待ってろ」

 震える手の中にあるスマホに向けて――その電話の先にいる彼女に向けて、雨夜は言う。


「すぐに、助けに行くから」

 通話を切る。

 汐崎の方を向き直す。

 彼女の目は『観察』するそれから、優しげなそれに戻っていた。


「という訳だ委員長、僕はあいつを助けに行く。今度は、邪魔しないよな?」

「もちろん」

 汐崎は聖母を思わせるような優しげな笑みを浮かべながら言う。


「行ってらっしゃい」

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