五話

 雨夜の欠陥能力『人形師ハウンドプライズ』は、自身の体を操り人形に見立てて操る事の出来る能力だ。

 能力者の上に能力者自身の意識があって、そこから垂れる糸で自分を操っている。そういうイメージだ。

 それを利用して雨夜は、本来動くことのない体を動かしている。

 雨夜維月の体は産まれたときから、動くことができなかった。

 更に言えば見ることも出来なかったし、聞くことも出来なかったし、喋ることさえ出来なかった。

 いわゆる閉じ込め症候群に近い状態である。

 残念ながら、目を動かすこともできなかったけど。


 意識だけが真っ暗な世界に放り捨てられているような、そんな感覚の中、雨夜は七年間過ごし続けた。

 転機は十年前だった。

 世界中で欠陥能力者が暴走を始めた時、雨夜も欠陥能力を手にいれて動くことが出来るようになっていた。

 見えるようになったし、聞こえるようになっていた。


 もっとも、彼がこうして喋れるようになったのは去年の冬頃の話で、まだ彼が喋れるようになってから半年ほどしか経ってないのだけど。

 それまでの彼は話せなかったことも相成って、なんというか、他人と接点を持とうとしない、殻に籠もった性格をしていた。

 その殻を破って、彼が喋れるようになったきっかけを与えてくれたのが、委員長して恩人、汐崎美咲だった。

 おかげで雨夜は今も、汐崎に頭が上がらないでいる。


 ともかく欠陥能力を使うことで、雨夜は体を動かせるようになった。

 その代わり、動けない体を動かすのに当たって、欠陥能力らしく『不便』と『不具合』がある。

 『不具合』は、どれだけ頑張っても半日ほどしか活動できない事。

 激しい運動をすればするほど、その活動時間は減っていく。

 『不便』は体を動かすためにエネルギーを溜めないといけない事。

 その間は雨夜は元の、植物人間のような体に戻る。


 汐崎はそんな雨夜の体を『スマホみたいだね』なんて言っていたが、確かに言い得て妙ではあった。

 そのまま使わずに置いておけば半日は充電が保って、逆に運動(アプリ起動)とかを繰り返せば、充電の減りが早くなる。

 ということは。

 使い込んだスマホのように、いつかバッテリーの持ちが悪くなって、充電の減りが早くなっていく事もあるのだろうか。

 ありえなくはない話ではある。

 実際、能力を手に入れた頃と比べて、活動時間は減っているし、充電時間も増えた気もする。

 またいつか、昔の姿に戻る事もあるのだろうか。


 そう言えば。

 小坂井は超能力者の能力には『不都合』がなくて『不便』がないと言っていた。

 超能力者には、充電が必要ではないのか。

 羨ましい話だ。

 ともかく。


 ねむるように倒れてから十一時間。

 雨夜の意識は復活した。

 人形のようだった体に力がこもり、ぐいん! と、上半身が跳ね上がる。

 体にかかっていたかけ布団が腰のあたりに集まる。

 雨夜は、ゆっくりと瞼を開く。

 朝の柔らかな太陽の光が目に入り、思わず目を細めて、手を目の前にかざした。

 目が見える――。

 耳を澄ますと、外からスズメの鳴き声や、新聞を運んでいるエンジンの音が窓の外から漏れてくる。

 耳が聞こえる――。

 右手を動かす。

 ぐーぱーぐーぱー。

 ぐーぱーぐーぱー。

 うん。

 よかった。

 今日もちゃんと、体は動く。

 安堵とともに、凝り固まった体を伸ばしてほぐしていると、ふと、汐崎と小坂井がいない事に気づいた。


「ん、あれ?」

 起きてそのまま、適当に放られている毛布と、きちんと畳んで片付けられている敷布団を見る限り、もう起きてはいるようだけど、トイレと風呂場(使えない)を除けば一部屋しかないのに、どうしてか二人の姿はなかった。


「朝飯でも買いに行ったのか?」

 ふあー、と大口を開けてあくびをしながら、そんな的外れな事を考えながら、雨夜はまだ覚醒しきっていない頭を起こすべく、亀裂がはしっていてお湯を張れない風呂場にある脱衣所のドアを開けた。

 開けてしまった。

 二人の女子がいないのだから、少しは警戒してノックしたりするべきだろうに。

 特に躊躇することなく、開けてしまった。

 果たして、脱衣所の中には小坂井と汐崎がいた。

 ありのまま、生まれたまま。

 服を着ていない状態で。


「……?」

「え?」

「あ」


 確かに風呂は使えないが、水道代はしっかり払っているので、シャワーは使える事を、雨夜はすっかり失念していた。

 二人ともシャワーを浴びたばかりなのか、体が少し火照っていて、湯気があがっている。

 汐崎の方は厳密に言えば服を着ようとしている最中だった――全然間に合っておらず、丁度上の下着を着ようとしている最中だった。

 小坂井は――まだ髪を拭いていた。

 やはり腰まで伸びる髪というのは拭くのも一手間かかるらしい。

 つまり彼女は下着さえ着ていない。その長い髪が、体を隠してはいるが、全身くまなく隠せるはずもなく、肌色の比率の方が高い。


「あ、えっと……」

 しどろもどろになる。

 小坂井ほどじゃないにしろ、挙動不審に陥る。

 まだ眠っていた頭は一瞬にして冴え渡ったが、混乱が解けることなく、呆然と立ち尽くしてしまい、逃げるタイミングを見逃してしまった。

 二人の軽蔑の視線が、雨夜の体を串刺しにする。

 多量の脂汗はとどまる事を知らず、眼はこれでもかというぐらい、泳ぎに泳ぐ。

 そんな焦りに焦った雨夜が選んだ行動は、洗面台に向かうことだった。

 冷水を思いっきり顔にぶちまける。

 顔面の血管が収縮し、身震いする。滲んでいた脂汗のぬめりが押し流される。水滴の重みで垂れ下がってきた髪の毛が目にかかるのでかきあげた。


「ふう……」

「スッキリした?」


 まあつまり、現実逃避なんだけれど。

 そんな事をした所で、現実が水に流される訳でもなく、スッキリした目で見た鏡には、笑っている汐崎が映っていた。

 目の中に漆黒の意志を灯らせた汐崎が映っていた。


「……うん」

 観念した雨夜はゆっくりと頷く。

「それで、なにか言い残す事はある?」


 さながら、絞首台を前に立ち尽くす死刑囚のような気分の雨夜は、気落ちした声で、言う。


「委員長、まあ、あれだ。まだ成長期だから、諦めるのはまだはや──」

 雨夜の顔面が、鏡に突き刺さった。

 意識を途切れさせる事が出来ない事が、これほどまで苦痛だった事を、雨夜は初めて知った。


***


「いやさ、確かに僕も悪かったよ。二人の姿が見えない時点で少しは警戒したり、用心すべきだった。一回ぐらいノックしたりするべきだったよ、無用心だった。それは僕が悪かった、謝る」

 けどさ。と雨夜は続ける。

 不機嫌にしかめている顔には、鏡の破片が幾つも突き刺さった痕が、まざまざと刻まれている。

 そんな雨夜の前には、汐崎と小坂井が座っている。

 シャワーを浴びたばかりだからか、髪はしっとりと濡れていて肌はほんのり赤くなっている。


「人の家のシャワーを勝手に使うのはどうなんだよ。せめて起こして、シャワーを使うぐらい言ってくれれば」

「一応何回か起こそうとは努力したけど、全然きみが起きなかったから」

 睨む雨夜の目を見返しながら、汐崎はたんたんと答える。

「というより、きみを起こすことなんて不可能なんだから。能力が切れてるきみは、死んでるようなものなんだから」

「むう……」


 それを言われるとキツいものがある。

 一度能力が切れてしまえば、再び充電し終えるまで、雨夜はどれだけ外から干渉されても、気付くことが出来ない。

 だから例えば、寝ている間に汐崎に顔を平手で叩かれ続けたとしても、例えば小坂井に腹を殴られていたとしても、雨夜は起きることはないし、気付くこともない。


「じゃ、じゃあどうして朝にシャワーなんて浴びてたんだ?」

「日課だから」

「さいですか……」

 雨夜はがくっと肩を落として、少しため息をつく。


「それと、小坂井さんを風呂に入れないといけなかったから。ほら、彼女ずっと逃げ続けていたから、ずっとお風呂に入っていなかったらしいからね」

 汐崎は雨夜に目配せをする。

 よくよく見てみると、確かに小坂井の髪の色がくすんだ藍色から透き通るような薄い水色に変わっていた。

 これが彼女の本来の髪色で、今までのは汚れてくすんでいただけだったようだ。


「分かってくれた?」

 雨夜は渋々ながらも頷く。

 よくよく考えてみれば、そこまで拘る程の事でもないし。

 それを見て、汐崎はニコリと笑う。


「よし、それじゃあ今から朝ごはんにしようか」

 汐崎は立ち上がって、簡易的なシンクの方に向かう。

「雨夜、キッチン借りていい?」

「いいけど、食料なんて殆ど残ってないぞ。どこぞの誰かが食い荒らしたから」

 嫌味っぽく口元を歪めて、雨夜は小坂井を睨んだ。


 小坂井はあたふたと慌てたように動いてから、申し訳なさそうに頭を垂れた。綺麗になった青髪が彼女の顔を覆う。

 そんな雨夜と小坂井を、汐崎は冷蔵庫に手をかけたまま、半笑いで眺める。


「けど全くないってわけじゃないんでしょ?」

「まー、生で食べられないものだったら、あるにはあるだろうけど……あれ、委員長って料理できるのか?」

「む、失礼だね」


 汐崎は冷蔵庫の戸を開けながら腰を手に当てて、不服だと言わんばかりに頬を膨らませて、口を尖らせる。


「私が毎日弁当を作ってることぐらい知ってるでしょ。雨夜みたいな不器用と一緒にしてほしくないね」

 無い胸を張りながら汐崎は、そんな大口をたたいて、朝食作りに取りかかった。

 十分後。

 完成した朝食が食卓に並んだ。

 焦げ目がつきすぎている卵巻きと、焦げたベーコンがフライパンに張り付いて剥がれなくなった目玉焼き。

 誰がどうみても、失敗作だった。


「ま、予想通りだったな」

 机の真ん中に置かれたフライパンから目玉焼きをはがそうと、その間に箸を滑らせながら、特に驚きもせずに雨夜は言う。

 箸を動かすたびにジャリジャリと、してはいけない音がする。


「うう……途中までは上手くいっていたのに……」

 焦げた卵巻きを恨めしそうに涙目で睨みながら、汐崎にしては珍しく弱音を吐く。

 まあ自慢げに言っていた弁当も、よくよく見てみれば冷凍食品ばかりだということに、薄々感づいていた雨夜は目玉焼きを諦めて、卵巻きに箸を伸ばす。


「あ、でも今日の卵巻きはよく出来た方だと自負してるよ、綺麗に巻けて崩れなかったし」

「巻くぐらいなら僕にだって出来るよ」

 焦げた卵巻きは箸で掴むと、その衝撃で脆くも崩れさった。

「これは……ヒドい」


 これには小坂井も思わず顔をしかめる。

 頭の良い委員長の事だから、料理だってきっと出来るのだろう。

 そんな風に甘く考えていた雨夜だったのだが、汐崎は普通に料理下手だった。

 しかも奇天烈料理を作ったりする天災料理人ではなく、塩と砂糖の分量を間違えたり焦がしちゃったりする、そんな料理下手だ。

 完全無欠な委員長でも、やっぱり欠点というものはあるのだな。と少しばかりほっこりしながらも、雨夜は残った目玉焼きと卵巻きを、ジュースと一緒に飲み込んだ。


「うぷっ……なんとか食べれたな」

「あの……」

 そうして、なんとか失敗作を胃の中に詰め込め終えて、嗚咽を漏らしていると、小坂井が申し訳なさそうに、雨夜に話しかけてきた。

 どうでもいいが、どうして彼女はここまで引け目なのだろうか。まだ特に、そこまで引け目を感じるような事をしていないだろうに。


「ん?」

「こ、これ……」

 小坂井が出したのは、卵巻きだった。

 どうやらこの家にはもはや、卵しか食糧がないらしい。という哀しい現実をつきつけられたような気もするが、しかし、それには触れずに、目を背けて小坂井が出してきた卵巻きに目を向ける。

 それは汐崎が出した卵巻きとは比べるのがおこがましいぐらい綺麗な出来で、それだけで彼女の料理技術を物語っているようだった。

 しかし、どうしていきなり卵巻きなんて作ったのだろう。

 汐崎の料理が不味すぎて、口直しにでも作ったのだろうか。


「泊めて貰った、その、お礼……」

「ああ、なるほど」

 得心して、その卵巻きに箸を伸ばす。

 汐崎のそれと違って、触っても脆く崩れ去ったりせず(この時点で彼女の料理は汐崎よりも格上になった)安心して雨夜は掴んだそれを口に含んだ。

 そして。

「うまい!」

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