身の程知らずの勇者たち

 ぬるり。あるいは、どろり。

 躰にへばりついていた闇が溶けおちる。溶けていたのは躰の方かもしれない。

 両目が光を取り戻す――。

 目覚めた俺は、異様な空気の中に突っ立っていた。


「だ、大丈夫――ッスか?」


 言いつつ、ミルが俺の顔をぺちぺちと叩いた。


「大丈夫だよ。ちょっとヨーキ様と会ってきただけだ。何かあったのか?」

「センパイ、ペラペラになっちゃってたッス!」


 意味が分からなかった。すぐにミランダが、地に落ちた影になっていたのだ、とフォローを入れた。

 まったく神というのは好き勝手な連中である。


「なんと。まったく、ネイトに会ってから驚かされるばかりよの」


 レオニートは拍手しながら言った。


「我の守護する土地で、こうまで好きに力を使われるとは思わなんだ……死の女神とやら、会ってみるのが待ち遠しいの!」

「いったい、何の騒ぎですか?」


 タラスは冷めた目をして、一抱えはある黒い壺をレオニートに差し出した。


「こちらでよろしいでしょうか?」


 レオニートは、む、とひと声唸って受け取ると、誇らしげに掲げてみせた。

 その壺は、まるで黒檀のような色合いの鋼で出来ていた。蓋には槍の穂先にも似たつまみがあり、そこに金細工の蛇がからみついている。また壺の表面に金文字で、


 『汝に永劫の死を』


 と、刻まれていた。

 ヨーキ=ナハル様の御言葉を疑うつもりはない。しかし実際に骨壺を目にしてみると、彼女の性格を知っているだけに、地味な意匠に思えた。


 ともあれ、呪われた子――不死者に死を提供するための道具は揃った。

 俺は死の女神がよこした託宣の一部を伝えた。全てを伝えてしまえば、彼が悩みかねないと判断したのだ。死を前にして頭を悩ませるのは葬儀屋だけでいい。それが形態の変わった葬儀屋としての、僅かばかりの矜持である。


 ミランダがレオニートに蘇生封印を施し終えるの待ってから、俺は「本当に殺していいのか」と、確認を取った。


「それが我の望みと言ったであろ」


 レオニートの答えは、分かりきったものだった。蘇生封印を施した今が、死を撤回できる最後のシャンスだ。ただ念を押したに過ぎない。そして決意が揺るがないのであれば、次に尋ねる問いも決まる。


「俺たちとレオニート様では、戦力の差がありすぎます。戦い、勝利を狙うのであれば、俺たちは手段を選びませんが、よろしいでしょうか?」


 戦闘のルールについて、了解を取る必要があった。


 もちろんレオニートの「全力で戦って死にたい」という望みには答えたい。けれど正々堂々と戦って、と条件がついたら、話は変わる。真っ向勝負に勝機はないのだ。

 俺自身の元を正せばただの盗賊で、バカは蘇生しか能のない神官で、ミランダは墓守である。無条件で戦力として数えられるのは、ミルとエステルしかいない。

 俺の重要な問い――というかお願い――にレオニートは破顔した。


「当然よの。力比べよ。罠を張るのも、手勢をかき集めるのも、その者の実力あってのもの。どのような勝利であっても、勝利に違いはなかろ?」


 どうやら人族と魔族では、そもそも実力の意味が異なるらしい。

 魔族にとって、持てる技術を封じる意味などないのだ。徒党を組んでの力押しであっても、罠を張り巡らせての搦手であっても、それらを成す力を比べているに過ぎないのだろう。

 言い換えれば、たとえ人の世で悪党と言われる手段であっても、構わないわけだ。


「参りましたね。我々五人だけで残る魔族全員と戦うことはできません」


 我ながら意地の悪い言い方になってしまった。

 しかし、地下に潜伏しているという仲間を総動員されるわけにはいかなかった。こっち軍隊を引っ張ってくることなどできないのだ。

 レオニートは庭に並べられた魔法陣を眺め、薄く笑った。


「守るべき民を我の我儘に付き合わせるなど……ありえんの」

「あなたのためなら万の魔物が力を貸してくれるのでは?」

「ふむ。気遣いはいらぬよ。我のために命を賭すなどもはや誰もせぬ。それに――民に再び光を見せるため死ぬのうというに、先に死なれては元も子もないでの」


 言って、傍らに立つタラスの腰を叩いた。

 俺は、彼が人族の王だったらどんなにか良かったのに、なんて思ってしまった。

 おそらく、一時の気の迷いだ。あるいはレオニートだけが特別なのだ。

 魔族と人族で講和を結んだとして、素直に従う者がどれだけいるというのか。先の力比べの話だけでも十分に察せる。


 知ったことか。

 ともかく、遠慮はいらなくなったのだ。

 俺は公平を期すためと称し、戦場には監督者の館の庭を指定した。墓地を戦場に選んで、ミランダを戦力化するためだ。

 もちろん館の墓地はヨーキ=ナハルの庭ではないので、最大限の力を扱うことはできないのだろう。それでも足手まといに比べれば、遥かにマシだ。


 レオニートはこれも了承し、監督者の館が壊れるのは忍びないので、とタラスが守護結界を張ると申しでた。

 すると快活な笑い声とともに、またもや魔族ジョークが飛び出した。


「決闘とはまた、若い頃を思い出すの。今度は山を壊さぬようにせんとな!」

 またとんでもない冗談だと思った。だがタラスが「防ぎぎれなかったときは諦めてください」と弱音を吐いていた。


 ――冗談じゃねぇ。


 俺は愛想笑いを浮かべつつ、神に助力を願った。今度ばかりは、返答はなかった。



 準備のため教会へと戻った俺たちは、薪ストーブを囲んで作戦会議をはじめた。


「まず、死者忌避術ターンアンデッドを入れるってのはどうだ? できるか?」

「それは俺が使えるか、ってことか? それとも効くのかって方か?」


 ジークはジャム入りの紅茶を口に運んで、顔をしかめた。


「アンブロジア様のとこで修業を進めたかんね。できることぁできるよ。けど、多分効かねぇだろうな」

「どういうことだ?」

「そのまんまの意味だよ。”不死者”なんだろ? 死者忌避術は死んで蘇った奴にしか効かねぇからな。それも蘇生術リザレクション以外で起きてきた奴、限定だ」

「じゃあ、お前はまた蘇生専門なのかよ」


 ジークはふいっと目を逸らし――いや違う。サイドテーブルの酒を見ている。

 俺はため息をつきつつ、バカを睨んだ。


「飲みたきゃ飲めよ。この寒さなら神さまだってお目こぼししてくれるだろうよ」

「……ありがたくそうさせてもらうわ」


 その返答に、俺はズッコケかけた。

 あれだけ時間をかけて酒を抜いたというのに、王都からスラ・エマンダまでの道程だけで、もう戒律を守る気力がつきたのかと思った。しかし、少し様子が違った。

 ジークは難しい顔をして、酒を紅茶に注いで飲んだのだ。昔のバカならそんな飲み方はしなかったはず。修行によって改心したってわけでもない。なら、なんだ。


「なんか言いたいことがあるなら言えよ」

「言いたいことっつか、問題がある」

「どんなだよ。もったいぶってんじゃねぇよ。これ以上時間はかけたくねぇんだ」


 言いつつ、俺はミルに目を向けた。館ではしゃぎすぎたせいなのか、こくり、こくり、と船を漕いでいた。その肩にはお休み中のエステルの頭も乗っていた。

 ジークは薪ストーブの上に置かれた薬缶やかんを取り、茶を注ぎ足した。


「……実はな、その蘇生魔法なんだが……一回くらいが限度かもしれねぇんだわ」

「はぁ?」


 予想外の回答に、俺は間の抜けた声を出してしまった。


「だからな。アンブロジア様の一件あったろ? あれからどんどん蘇生魔法の難度が上がってるんだわ。王都から逃げたときでもすでに何度もかけるってのは無理になってた。今じゃ、正当な儀式を踏んで、日に一回か二回が限度だよ」

「ま、マジか……?」


 もっと緩やかに失われていくものだとばかり思っていた。

 ミランダが沈痛な面持ちで言葉を継いだ。


「私が仕事を失くしたのは、なにもネイトさんのせいだけではないんです。蘇生封印の需要自体も、減ってきているんですよ。ジークさんとアンブロジア様の予測だと、早ければ今年中には、神殿を受け持つ神官以外に、蘇生魔法は使えなくなると……」


 その言葉は驚くほど不思議な響きをもっていた。まるでこの世の言語ではないような、汎用語として聞き取るのにも苦労する音声だった。

 俺は紅茶を飲もうとして、カップを取り落としてしまった。

 床にぶつかり爆ぜた。

 音に驚いたのかミルとエステルが飛び起きた。


「セ、センパイ? 大丈夫ッスか?」

「あぁ、大丈夫だよ。問題ない。ちゃんと帰れるさ」


 そう自分に言い聞かせる。なんのことはない。少しばかり条件が増えただけだ。命懸けの作戦は一回までと決める。それだけだ。帰ってからの仕事だって後で考えればいい。今考えるのはレオニートの倒し方だけでいいのだ。

 それにレオニートのことだから、もし倒せなかったとしても、謝ればきっと許してくれるだろう。毒を作って自ら死を選んでもらうのでもいいじゃないか。心苦しくても、できることとできないことはある……。


「……パイ? センパイ! お顔が真っ青ッス!」

「えっ? ああ、その、だいじょ――もぐぁ」


 べちん、と口に何かを突っ込まれた。甘い。野苺の砂糖漬けだ。

 ミルはエヘンと胸を張った。


「センパイが大変なときは、ボクが頑張るから大丈夫ッス! あまあまさっぱりで復活ッスよ!」


「そ、そうですよね! 私も頑張りますから、きっと大丈夫ですよ!」


 ミランダは新しいカップに紅茶を注いで、こちらに差し出してきた。


「ヨーキ=ナハル様の魔法陣を描いた土地なら、私だって結構お役立ちですよ!」 


 なんとも頼りない言葉だ。けれど、野苺の砂糖漬けと渋い紅茶で気力は湧いた。

 きょろきょろと首を振っていたエステルが慌てて席を立つ。勢いで椅子が倒れてガタンと鳴った。


「わ、私も! 私もミルクと一緒に、お手伝いしますわ!」

「ああ。うん。期待してる。もし帰ってから葬儀屋続けられなかったら、仕事、紹介してくれな」

「えっ? そ、そっちですの!? それは私には――」

「冗談だよ。冗談。大丈夫。なんとかするし、なんとかなるさ。ありがとな」


 俺は三人を見回し、頷いた。なぜか三人とも目を丸くしていた。

 そして、黙っているバカ一匹は、


「あー、えーと……そいじゃ、景気づけに一杯やるか!」


 無駄に大声を張り上げ、酒瓶の蓋を開けた。

 バカめ。飲ませはするものか。

 俺はジークの手から酒瓶を奪い取った。たった一回しか使えないかもしれない蘇生魔法だ。飲んだくれて二日酔いで使えませんじゃ、話にならない。

 俺は酒を呷って、皆に宣言した。


「決戦は明日だ! 一発勝負になるが、いい案がある!」


 力強く頷いた皆に作戦を話した。大ブーイングもあったが、仕方ないと説得した。

 そしてその夜、俺は毒薬を調合した。

 以前エステルの父グレイブに死を与え、教祖様も自害に使った、あの薬だ。

 毒薬が次に奪うのは、俺の命になるだろう。

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