葬儀屋ネイトのついた嘘・後

 薄暗い廊下に教祖さま在中の台車を押してでた俺は、さっそく耳を澄ませた。

 どれだけ集中して音をたどっても、聞こえるのは囚人のうろつく音だけ。

 いける。

 頭の中の地図にしたがい、排水路を探して駆けだした。


 古ぼけた廊下はデコボコしていて、台車が弾む。その度にボウルに溜まった血が零れやしないかヒヤヒヤする。

 本当だったら静かに侵入、無音で退散が鉄則だ。こんな売れない楽団みたいに騒ぎたくない。しかし今回ばかりは時間が足りなかった。

 上でミルが配ったパンが効果を維持する時間は予想もつかない。


「ああクソ。何度か来ときゃよかったよ。クソが!」


 思わず口にしていた。

 地下水路の順路は憶えているし、つながっている方向も地上で辿った。

 しかし城の内部は別だ。

 ギルドマスターは水路さえ見つければあとは一本道だと言っていた。けれど肝心の水路の方は――、


「クソ。まだ下があんのかよ」


 目の前には古びた階段が伸びていた。

 台車を押して無音で降りるなど不可能だ。勘と耳のいいミルが気づかないことを祈るしかない。台車を反転させてこっそり――降りれない。

 どっかんどっかん音を響かせ階段を下った。

 そうしてようやく底に降り立つやいなや、嫌な声が幽かに聞こえた。


「…前………だ! …………てる!」

「ちげーんスよぉ! ……野郎……………ねぇッスよ!」


 後ろの声はバカだ。間違いない。

 ミルじゃないのが救いだが、騒ぎになればすぐにおバカも動きだす。

 ジークが止めてくれりゃあなぁ。

 湧いてくる可笑しさがどうにも苦い。

 上から聞こえてくる足音に肝を冷やされながら、なおも排水路を探す。

 記憶をたどって進み、行き止まりにぶち当たる。


「クソ……」


 ここまでか、と思った瞬間。

 鉄格子が鳴り響いた。なにかがぶつかったのだ。


「助けてくれ! 頼むよ!」


 続く声で理解した。囚人だ。


「おい! 聞いてるんだろ! 助けてくれよぉ! もう何年も――」


 耳を塞ぎたくなるような重苦しさだ。囚人たちは

 餓死や狂死は死刑の範疇であり、服役刑には該当しない。それが裁判所の下した判断だ。蘇生魔法がつくりだした地獄はの一風景だ。


「もう嫌だ! もう殺してくれ! 頼む!」


 絶望一色の声のあと、隙間から干からびた腕まで伸びでてきた。

 それを皮切りに後ろでも、また来た道でも、久しぶりの人目当てに手が伸びる。

 牢獄という牢獄全てから伸びる手は、捕まったときの俺の末路でもある。


「俺は葬儀屋だ! 殺してやるから! 水路の場所を教えろ!」

「頼む! 殺せ! 出してくれ!」


 そんな叫びのさなか、数本の腕が来た道を指さしていた。

 俺はさらに声を張りあげ頼んだ。


「死なせてやるぞ! 水路を指させ!」


 今回のは口からデマカセってわけじゃあない。

 格子から伸びる腕を信じて、俺はヨーキ=ナハルに祈りを捧げた。

 当初の予定とは違うが役に立つならなんでもいい。

 教祖さまの血を吸いあげる。腐食した血液に変性させていく。


「ブラッド・ミスト!」


 唱えると同時に叫ぶ。


「死にたい奴は霧を吸え! 死にたくなきゃあ息止めろ!」


 狭い廊下に血の霧が広がっていく。

 ただの血ではない。腐食し悪臭を放つだけでもない。

 自身が作った毒を多量に摂取し、アルコールで循環させた血の霧である。

 いつもなら一瓶の経口摂取で静かに死ぬ薬である。今回の濃度は不明。ただ苦悶するだけで死なないかもしれないし、一呼吸で死に至りうるやも。

 とにかく霧に追いつかれないよう走らなければ、こっちも危険だ。

 霧が途切れかけたとき、廊下の影から、精強なる兵士たちが現れた。


「貴様ぁ! ケンプフェル公を謀るとは!」

「聖職者を脅す罪を知れ!」


 口々に叫ぶ兵士たちの言葉が笑える。


「やればできるじゃねぇか。バカジークが」


 もはや遠慮する必要もない。教祖さまの血液すべてを使い、仕事を完遂する。

 ダガーを教祖さまの躰に突きたてる。死者に詫びる余裕はない。


「ブラッド・ミスト」


 言い切ると同時に息を深く吸いこみ、止める。

 順路は見えた。瞼は閉じる。持てる魔力を注ぎ込み、毒の血煙を拡散する。

 頼りが耳のみって状況はどこか懐かしい。思えばあの英雄から始まった。

 終わりの始まりは、やはり蘇生魔法の誕生だったというわけだ。


「ぶぐぅっあ」「かっ、ぶぅぐぁば!」


 耳に届く悲鳴は兵士のものだ。

 どういう毒なのかは詳しくないが、どうやら呼吸摂取の方がキツいらしい。

 肌が焼けるような感覚もある。それが毒のせいか感情のせいかは分からない。

 俺は息を止めたまま、ゆっくりと悲鳴の中を歩いた。

 走れば速度は倍になる。しかしそのために必要な息は三倍以上だ。

 ただゆっくりと、息を潜め、歩く。

 膨れ続ける血霧を引きずり前進する。


「……っ! ……っ!」


 息を飲み、こらえ、歩く。

 囚人たちの声が途絶え途絶えに聞こえ、ガンガンと格子を叩いているのが分かる。

 音の先に壁がある。違う。壁だ。反響している。

 俺は血の霧を作るのを止め、駆けた。

 ねばりつく感触が消えた瞬間に目を開く。うすぐらい廊下の先に壁がある。


「ブハッ、カぁ!」


 急激に肺に流れ込む饐えた空気に吐き気を感じた。

 だからといって吐くわけにもいかない。囚人たちが教えてくれたように、廊下の片隅に人一人が滑り込めそうな格子があるのだ。


「助かったよ。ご同業」


 振り向けば赤黒い霧の奥でいまだ金属質な音がしていた。長い廊下を反響し、まるで鐘の音のようだ。

 排水溝の蓋を力任せに引き開けて、教祖さまのご遺体を投げ込んだ。続いて俺だ。

 死体の上に落ちたことと、冗談にもならない臭い以外は、運が良かった。


 教祖さまの死体を背負って暗く湿った水路を歩く。

 目指すは盗賊ギルドの奥、ヨーキ=ナハルの神像だ。

 記憶を頼りに歩くこと数分。聞こえた声に安堵の息をついた。


「ネイトさん!? だ、大丈夫ですか!?」


 ミランダだ。いまだガチ・メイド(?)なる服装なのが納得いかない。

 しかし、俺の仕事もひと段落だ。

 教祖さまの遺体をご希望の棺桶に叩き込み、ミランダにいう。


「そんじゃ、蘇生封印をよろしくお願いします」

「は、はい。あの、ほんとにだいじょ――」

「いいから早く! 時間がないんですよ!」

「は、はい!」


 ミランダが杖を振り、蘇生封印が始まった。

 急かした甲斐もあって、封印自体はスムーズに終わった。

 地中から……茨……じゃなく、見慣れない蔓が伸び、棺に絡む。真っ赤な五枚の花弁が正五角形に並ぶ花が咲き、中心にはラッパのように――。


『ハイビスカスよ』

「は!?」


 とうとつに頭の中に響いたヨーキ=ナハルの声に、思わず叫んでいた。


『あんたがもっと華やかな雰囲気にしろっていったんじゃない』

「言ったけども。今度は派手すぎるだろ!」

『わがままね。まぁいいわ。今回の働きに免じて――』

「やめろ。俺の頑張りで作った借りをこんなんで返すな!」

『ったくもう。ほんと面倒ね。どんな花ならいいわけ?』


 なにをと言われてもいますぐに思いつくわけがない。大体にして蘇生封印中に語り掛けてくるなんて初の出来事だ。

 もしや俺がもともと傍系出身だから、盗賊の墓所と相性がいいのだろうか。


「……考えとくから、ちょっと待って」

『ほんっとワガママなヤツだわ。ちょっっっとばかし愛されてるからって、調子にのらないことね』

「そりゃこっちの台詞だよ」

『あ!?』「ね、ネイトさん?」


 もうこの際、女神の声は無視する。

 俺はミランダにダガーを向けた。


「ミランダさん。俺はいま、ミランダさんのこと脅してるから」

「は、はい!? えっと? なにがおっしゃりたいのか、私、その」

「いますぐ教祖さまの葬儀を執り行ってください。口上なしで」

「で、でも――」

「じゃないとコレで刺します」

「えっ」


 ミランダが顔を引きつらせた。

 我ながらバカなことをやっているとは思う。けれど雇い人は巻き込めない。


「脅してるんですよ。早くやってください」

「は、はい。えっと……えい!」


 えいって。

 俺がそう思うとほぼ同時に、ヨーキ=ナハルの手……か?

 ともかく両手が優しく教祖さまの棺を掴んだ。

 絶叫はない。むしろ――、


「踊り狂ってる」

「……お、踊ってますね」


 ミランダも困惑している。当たり前だ。

 葬儀ギルドに入ってからはじめてみた。狂気含みで笑い転げる魂を。

 脳内に再びヨーキ=ナハルの声が鳴り響く。


『えっとー。ごくろーさん』


 やる気ねぇな。


『まぁね。こいつ、ウザそうだったし』


 あんたのせいで散々だ。次の仕事で終いにすっからな。


『あいよー……あぁ!? あんだって!?』

「ミランダさん。お疲れ」

「えっ、あ、はい! お疲れさまでした……?」『こら! 無視すんな!』


 俺はヨーキ=ナハルの声をガン無視して、ミランダに頼んだ。


「これからここまで追手がくるかもしれない。俺に脅されたって言って」

「えっ? あの」

「それと、ほんと申し訳ない」

「えっ?」


 ガチメイド(?)の襟もとを掴み、ダガーを使って強引に引き裂く。

「ひやゃぁぁぁ! なにを――」


 露わになった肢体を隠し、ミランダが抗議の声をあげた。当たり前だ。

 俺は努めて平静を装い告げた。


「とりあず、これで」

「ネイトさん!? どうしたんです!? なんでこんな!」

「追手が来ても、必ず脅されたと言ってください。じゃないと全部無駄になる」

「でも――」

「お願いです。あと、俺の事務所、墓の代わりに守ってください。必ず戻ります」


 ミランダの顔が歪む。

 しかし返答を待つ時間はない。やることはやったし、伝えることは伝えた。

 ミランダの目尻に溜まる涙をぬぐい、通路の先へと向かう。


「必ず、守りますから!」


 背後からミランダの決意表明が飛んできた。声色がいつもの調子のでよかった。

 地下通路には俺の足音だけが響いていた。

 三叉路を右に曲がる。その先の分岐をいくつか超えるとギルドハウスのさらに郊外へと繋がっているのだ。場所は城壁の外。いわゆる秘密の通路というわけだ。


 地下通路を教わるにあたって、俺はギルドマスターに提案をした。

 俺が教祖さまの死体を盗みだしたらあんたらの手柄にしてくれていい。罪をかぶせるのも好きにしろ。

 本来なら筋違いの頼みは、それを条件して通ったわけだ。


 葬儀ギルド員がヨーキ=ナハル教団の教祖を送ったとなれば、大スキャンダルである。葬儀ギルド側は隠したい。

 対して盗賊ギルドにとってはある種の名誉となる。交渉自体に迷いはなかった。

 もっとも、俺にはもう一つ、別の理由もあった。


 とばっちりを防ぐことだ。

 葬儀ギルドはまだ俺の独断に気づいていないはず。教祖さまは孤立してるし、通常業務として報告書つきで請け負ったわけではない。あとは皆が黙っていてさえくれれば、


 正直いって不本意だが、それが一番安全な状況をつくりだす。ギルド間の利害関係も一致する。問題があるとすれば、教団の直系と傍系で諍いがおきることだろう。もっとも争いは今にはじまったことではない。むしろ傍系が俺を守るかもしれない。


 ただ一つだけ、まったく予想できないことがった。

 通路の先が坑道のようになる。さらに先の光差す縦穴。

 上った先で待ってやがった。


 ミルが。


 ロングスカートのまま走ってきたのか額には汗玉がいくつも浮いている。そのくせ待たせておいた戦車に乗り笑ってやがる。

 俺は何というべきか考えながら御者台にのった。

 何も思いつかねぇ。ペチるしかねぇ。


「ったく、お前は、このおバカ――」

「ボク、おバカじゃないッス!」


 ミルが叫ぶと同時に俺の右手が悲鳴をあげた。痛ぇ。

 いつものようにペチろうとした俺の手は、ミルががっちり握っている。


「ボク、ボクは、いつまでもおバカじゃないッスよぉ」

「じゃあなんだってんだよ。いてぇだろ?」

「きょ、きょ、きょ……」

「あぁ?」

「きょーどーけーえーしゃッス!」 


 そう言って、おバカなミルは泣きだした。声もださずに、うーうー唸って泣きやがる。いつぞやみたいに鼻水たらして泣かれる方が万倍マシだ。

 なによりボケっとしてたらすぐに捕まる。


「連れてってやるから手を離せ。おバカめ」

「ほんとッスかぁ?」


 意外だった。

 ようやく上を向いたデコが、いつものように輝きゃしない。

 俺は手首をつかむミルの指をつまんでいった。


「お前が握りつぶしたせいだぞ、おバカめ」


 戦車の手綱を指さし教えてやる。


「痛くて握れなくなっちまった。俺を奴らに捕まえさせんなよ?」

「センパイ!」

「なんだよ。目の前にいるだろ? ぼっとしてんな。さっさと逃がしてくれよ」

「りょーかいッス!」


 叫んだミルはようやく笑い、へろへろな敬礼をした。よほど緊張していたらしい。

 だけど今度は気を抜かれたら困る。追手はすぐそこまできているはずだ。


「ほら、ミル早く出さねぇと追いつかれちまう。やってくれ」

「りょーかいッス! センパイ、振り落とされないようにするっスよぉ」

「おう。しっかり掴まってっから」


 俺はエプロンの結び目を掴んで腰を下ろした。

 それに安心したのか、ミルの威勢のいい声がした。


「はいよぉぉぉッスぅぅぅ!」


 響く手綱の破裂音。

 戦車が爆音響かせ走り始める。

 ミルが叫んだ。


「センパイ! ジークさんからの伝言ッス!」

「あのバカの!? どういうことだ!?」

「センパイがおバカなことしようとしてるって教えてくれたッスよぉ!」

「あぁん!?」


 あのイカれ神官め。これまでの恩を仇で返しやがった。

 どうすんだよ、このあと。俺一人ならともかく、冷静になったらミルは事態に気づいて泣きだすぞ。バカめ。

 ああくそヨーキ=ナハルめ。こいつはデカい貸しだ。


「そんで? あのバカはなんて言ってた?」

「アンブロジアさんのところで改心したんだって言ってたッスぅ!」

「ああそうかよ。どうせ言ってたんだろ」


 俺は天を仰いだ。ガダガダと揺れる空には、間の抜けたちぎれ雲が浮かんでた。


「汝、歩みを止めることなかれってよ!」

「違うッス!」

「あぁ!?」

「オレは自分の命の方が惜しいって言ってたッス!」


 あのバカ野郎。ふざけやがって。


「絶対殴りに行くから覚えてろよバカ野郎!」


 王都に向かって呪詛を吐く。本気だぞバカ野郎。

 ようやく地下道から顔をだしてきた追手は、サイズになっていた。

 腰を下ろすと傍らにミルのお気に入り鞄があった。少し浮いたかぶせの隙間から茶色いなにかと紙包が覗いてる。どうせパンに決まってる。

 

 おバカめ。どうやら、ちゃっかり鞄とパンは回収してきたらしい。

 自然と気が抜けてくるのが腹立たしい。しかし今日だけは勘弁してやろう。

 俺は街に戻る手立てを考えなくちゃならない。

 俺は、俺たちは、なにがなんでもライト・シハナミの事務所に戻ってやる。

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