葬儀ギルドの、明日はあさって。

 ようやくアンブロジアの一件が片付いた翌日。俺はどうしても事務所を開けたくなくて、椅子に座ったきり、ただ漫然と時間をむさぼっていた。外に出るのも億劫おっくうで、扉を見ても目が滑る。


 滑った先で目に入ってくるのは、ミル用の小さなデスクだ。

 ミルとミランダが並んで座り、葬儀ギルドについての勉強会が開かれている。もちろん、教えているのはミランダである。


 あの日あのあと、結局ミランダはしばらく目覚めず、墓地はヨーキ様が直してくれた。問題は彼女の家で、墓地以外は直せないということらしい。

 なんでも、管轄が違うのだそうだ。神と言えども全知全能ではないのか、あるいは人の仕事を取ると面倒なのか。意外と、神の世界も人の世界も、大して変わらないのかもしれない。


 そんなわけでミランダは、昨夜、突如として事務所に駆け込んできた。最初は断るつもりだった。しかし、ミルは『はくじょーッス』と煩いし、そうなった非はこちらにもある。そこで仕方なく、新しく家が建つまで同居を許可した。


 ぼうっと見つめていたせいで、ミランダに気付かれた。小首を傾げて、ニッコリ笑っている。ミルが肩を叩いて、お勉強会の再開だ。

 なんとも穏やかな時間だ。

 眼鏡をかけたミルも、視線に気付いたのかこっちを向いた。

 

「センパイ、なにかお仕事ッスかぁ?」 


 そう言って、妙に四角く大きな眼鏡を、くいっと上げた。いつの間に買っていたのか知らないそれは『お部屋でお勉強する用めがね』というらしい。レンズが入っていないから、何の意味があるのか、まったく分からん。

 

 ミルは答えを待っているのか、無駄に眼鏡を上げ下げしてうっとうしい。

 手だけを振って、応えておくことにしよう。どうせ聞いても、眼鏡をかけている方が頭がよさそうとか、そんな理由に決まっている。


 背もたれに身を預け、天井見上げて一息ついて。

 どうせ今日は事務所を開けないし、一杯やってもいいかもしれない。あの日ジークから奪い取ったスキットルを取り出して……さすがに飲むのはまずいか。

 蓋だけ開けて香りを嗅いで、再び閉めて引き出しに納める。


 元の持ち主の方は、このままだと蘇生魔法が徐々に使えなくなるってことで――裏切りの因果も含めて――アンブロジアの元に預けてしまった。

 腐っちゃいても、元はユーツ=ナハルの信徒だし、蘇生魔法が使えなくなったら仕事もやれない。そこで修行と称して、酒を抜かせることにした。結果として奴が戻ってくるまで、事務所を開けたくても開けらない。


 その任せた先のアンブロジアは、ようやくのまともな生活に喜んではいた。それにユーツ=ナハルが再生の力を奪った途端、みるみる内に老けはじめ年相応に……ならなかった。

 多少は背が伸び、老けもした。しかし恐ろしいことに、ナイスミドルというには若すぎる外見で、美少年から美青年になってしまった。『麗しき』なんて呼び名がつくのもの納得できる。


 汚れた天井、つまり自宅の床を見上げていると、部屋に残されていなかった死体を思い出す。あの専門業者アサシンの死体は、俺達が墓地でバカげた戦いをしている間に、きっちり回収されていた。しかもアンブロジアに聞いたら、別に頼んだりはしていないとのこと。

 その点については神も何も言わない。聞けば教えてもらえるとしても、どうせ何かしら見返りを求められるのだろう。それなら、いっそ聞かない方がマシだ。下手に聞いたら、また余計な何かに巻き込まれる。


 なんとはなしに昨日のことを思い返していると、今度は眠気がやってきた。時間もゆっくり流れているし、部屋の掃除に鍵の壊れた扉の修繕に、昨日も満足に眠れていないのだ。

 時計を見やると、まだ一日は始まったばかり。ダメか。


 ごん、ごん、とくだんのドアが叩かれた。誰だよ。

 休業札は出したはずだし、今日はもう仕事をする気もない。とんだ不良ギルド員に、いまからなり果てるのだ。グレイブ氏の一件もあって、まだ金に余裕もある。

 再びのノックは、先ほどよりも強くなってる。しつけぇな。


「おーい、ミルー……」


 無視かよ。お勉強に集中してる。勉強自体はダメでも、集中力だけは高いらしい。

 ため息をついて、立ち上がろうとしたその時だった。

 ミルが弾かれたように席を立った。


「センパイ!」

 

 張りつめる緊張の糸。何だよ。

 ダガーは――

 鋼の塊が扉をぶち抜いた。大剣だ。見覚えがある。

 打音とともに、扉が飛んだ。

 立っていたのは、グレイブ氏の娘さんだ。蹴り開けやがった。しかも鍵を剣でぶち抜いて。昨日、直したばっかりなのに。


「なぜ誰も出ないのですか!?」

「……だからって切り開かないでもらえますか?」

「そんなことは、どうでもいいでしょう!」


 よかねぇよ。そしてミル、臨戦態勢に入るのはやめてくれ。まずはミランダさんを保護しろ。顔色が悪い。

 娘さんは、ガンガンと床を蹴りつけ、デスクの前で止まった。


「私を、葬儀ギルドで雇いなさい!」

「はぁ?」

「あなたに負けて! あの!」

 

 娘さんはミルを指さした。


「チマいのにも負けて!」 


 リカッソを握って、床に剣を突き立てた。誰が修理するんだ、そこ。


「もうこうなったら、近くについて、見て学ぶことにしましたわ!」

「はぁ……」


 言葉にならなかった。しかし頭だけは回り続ける。

 グレイブ氏は金を持ち、アンブロジアともつながっている。冒険者仲間も多かったし、彼のおかげで客は増加した。しかして葬儀をやって、報酬も受け取った。つまり今は貸し借りは無い。彼女を置いておけば、あの家と繋がりを残しておける。

 それなら答えは、一つしかない。


「いいですよ」

「え!?」「うぇぇ!?」

「なにを驚いてるんですか。いいですよ。書類を作ってギルド本部に紹介するんで、色々書いてもらいますよ」

 

 驚き口をパクパクさせてるミルに、言葉を向ける。


「良かったな。後輩ができたぞ」

「後輩! ……ボク、センパイッスかぁ!?」

「そーだ、センパイだ。色々教えてやれよ?」

「りょーかいッスよぉ!」


 ビシっと敬礼するミルを見て、娘さんの顔が不満そうに歪んだ。

 名前も知らないなんて気付かれたら、いますぐにでも斬られそうだ。

 ごまかすためにも、さっさと書類を書いてもらわなければ。


「それじゃ紹介状をつくるんで、そこに座って待ってて下さい」

「え? あ……はい……って、待ちなさい!」

「なんです?」


 娘さんはこちらに、赤い蝋で封をされた手紙を突き出した。


「これ、入り口に落ちていましてよ?」

「……ありがとうございます」


 封を開ける前に、蝋に刻まれた印を観察する。翼を広げた大ガラスは、ヨーキ=ナハル教団の印だ。中でもこいつは特別で、教祖さま以外は使わないとされている。

 厄介事だ。こいつは絶対、厄介事の種だ。開けたくない。

 

 しかし開けなきゃ、もっと厄介なことになる。

 ……とりあえず、書類か。上階に向かって歩きだす。手紙の封を開けながら。

 『歩みを止めることなかれ』。

 それがヨーキ=ナハルの、女神様のお言葉だから。


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