第4話 花菱舞火

 少ししてから彼女は離してくれた。

 こまいぬ太はじっとしてるのに飽きて一匹で境内を走り回っている。

 元気な犬だった。

 式神だけど相手が犬と認識しているので意識を合わせた方が良い気がしてきた。

 有栖は彼女と神社の前の階段で並んで座った。犬が走っている様子を眺めてから彼女は話しかけてきた。


「前のバイトが合わなくて辞めちゃってね。それから条件の合うバイトが見つからなくて、困っていたのよね」

「それで祈っていたんですか?」

「うん、そう。でも、神様って本当にいるのね。こんなに良さそうな仕事を早くに持ってきてくれるんだもの」


 良さそうと言われても有栖は困ってしまうのだが。

 この仕事の条件は彼女に合っているのだろうか。失望させることは無いだろうか。本当に声を掛けて良かったのだろうか。

 有栖は迷いながらも訊いてみた。


「仕事に合う条件って、どんな条件ですか?」


 緊張と興奮に返事を待つ有栖に、少女は得意げに自慢するように鼻を上げて胸に手を当てて答えた。


「わたしの美貌が活かせる仕事よ。それでいてわたしに嫉妬する面倒なおばさんがいない職場」

「そうですか」


 どうやらその面倒なおばさんとやらが彼女が前の職場を辞めた原因となったらしい。

 この職場はどうだろうか。有栖は考えてみた。

 とりあえずおばさんはいないけれど……と言うか、有栖自身しかいないけど……

 有栖が何かを結論付ける前に、少女は優しい微笑みと眼差しを浮かべて言葉を続けてきた。


「その点、あなたは良いわよね。小さいし、可愛いから」

「そう……ですか?」


 有栖は照れてしまう。

 父の友人は年輩の大人達ばかりでそうした人達からは可愛いと何度か言われたことはあったが、同年代のお姉さんから可愛いと言われたのは初めてのことだった。

 何だかむず痒くなってしまう。

 彼女はお姉さんらしい優しい微笑みを浮かべたまま話を続けてきた。


「わたし、花菱舞火(はなびし まいか)っていうの。あなたは?」

「伏木乃有栖です」

「へえ、有栖ちゃんはこの神社の娘さんなの?」

「はい」

「じゃあ、ここでは巫女服とか着るの?」 

「はい、仕事の時に」


 そう有栖が答えた時、舞火の目が輝いた。気がした。鼻息も荒くなった。気がした。

 舞火は飛びつくように身を乗り出してきた。


「じゃあ、今すぐ着たい! 有栖ちゃんも着てくれるのよね? 巫女服姿、見たいなあ。花菱舞火、今日から仕事に入らせていただきます!」

「あ……はい」


 仕事があるのは明後日の放課後なんだけど、とは言えない空気だった。有栖は勢いに押されて、舞火を神社の中へ案内することになった。




 有栖は舞火を連れて神社の中の板張りの廊下を歩いていく。

 いつも掃除している廊下は清潔で綺麗だ。

 美しい木の廊下は窓からの光に照らされて、それだけで神秘的な輝きを放って見える。


「神社の中ってこうなってるんだ」

「はい」


 有栖にとっては見慣れた建物の中の見慣れた景色だが、舞火にとっては珍しいようだった。

 周囲を好奇心で伺うようにしながら有栖の後をついてくる。

 その彼女の瞳が廊下の隅にある小さな木彫りの兎の像を見て止まった。


「この兎は?」


 木彫りの熊や人形はよくあるが、兎は珍しいようだった。

 有栖は答える。


「この神社で祀っている神様、宇佐ノ命です」

「へえ、これが神様なんだ」

「わたしも実物を見たわけではないのですが、相当容赦のない神様だったそうですよ」

「容赦が無いんだ。こんなに可愛いのに」

「でも、優しかったそうですよ。この地域に暖かな繁栄をもたらしてくれました」

「有栖ちゃんみたいね」

「うーん」


 有栖は返答に困ってしまう。


「ありがとうございます」


 とりあえず適当に答えておいて案内を続けることにする。

 舞火は神社のことが気に入っているようだった。笑顔でついてきてくれる。

 有栖としては友好的な関係でいられることはありがたいことだった。

 伝統と格式ある伏木乃神社の中はそこそこの広さがある。

 子供の頃は有栖もこの神社には何か隠された秘密の通路があるのではないかとよく探検に出たものだった。

 今では中の構造を把握しているので有栖は何の迷いもない足取りで歩いていく。

 後ろをついてくる舞火が有栖の背中に話しかけてきた。


「有栖ちゃんはいつもここで暮らしているの?」

「いえ、暮らしているのは離れの家の方です。仕事で使う物はこっちの神社の方に置いているので。着きました。この部屋です」


 目的の部屋に着いて、有栖はふすまを開けて中に入る。舞火も続いて入ってきた。

 何のへんてつもないタンスの並んだ静かな普通の部屋だ。


「確かここに」


 有栖は衣服をしまったタンスの中から一つを開けて、バイトの人用の巫女服を取り出した。

 いつもは年末年始の忙しい時期に雇うバイトの人用にしか使わないものだ。

 今もここにあるだろうかと少し不安だったが、きちんと保管されていた。

 有栖が手にとった白と赤のそれを見て、舞火は目を輝かせた。


「これが巫女服! こんな近くで見たのは初めてだわ。着ていいの?」

「もちろんです」


 すぐに仕事というわけではなかったけれど、着たいと言っているのに断る理由は無かった。

 やる気と興味を持ってくれるのはありがたいことだった。

 じらして興味を無くされて帰られても困る。

 有栖がそれを手渡すと舞火は「フンフーン」と鼻歌を歌いながら自分の服を脱ぎ始めた。

 機嫌がいいのは結構なことだが、有栖は目のやり場に困ってしまう。

 大人びた少女とは思っていたが、脱いでもやはり子供っぽい有栖とは違っていた。

 何て言うか大きい。

 見ているとその視線に気が付いた舞火が話しかけてきた。


「何してるの? 有栖ちゃんも着てよ」

「え……」

「有栖ちゃんが着てくれないと着方がよく分からないなあ」


 そう言われるとそういうものかもしれない。

 有栖には簡単に思えることでも初めての人には手本を見せる必要はあるのかもしれなかった。


「じゃあ、見ててください」

「うん、見てる見てるー」


 舞火はらんらんと瞳を輝かせている。

 有栖は手本を見せることにした。人の視線をこれほど恥ずかしいと思ったことは初めてだったかもしれない。

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