第15話 ダイブプラン

「では、一体どうしろと言うんですか?」

 新藤は不満げな顔で、矢倉に食ってかかった。

「決まっている、見捨てるんだ。その間抜けなバディに追いつかれないように、急いで海面を目指せ。もしも追いつかれたら、ダイバーズナイフで相手のエアーホースを切って動きを止めろ。俺なら間違いなくそうする。知っているか? 海底での死亡事故のほとんどは、バディのトラブルに巻き込まれた結果の共倒れだ」

 矢倉の言い放った言葉に、新藤は虚を突かれたかのように、一瞬押し黙った。


「先程矢倉さんが、たった15分で海面に上がったのは、臆病だったからなのですか?」

「その通り。俺は予め定めたリスクの中でしか行動しない。予定外の行動をするのは、予定外の事が起きた時だけだ。臆病であり続けるには努力が必要だ。徹底していなければ、簡単に逸脱してしまうからな。先程は俺の目の前にいる間抜けなバディが、予定外の間抜けな判断をしそうになったんだ。こんな恐ろしい事は無い」

「そう言われると、返す言葉もありません……」

 新藤はうつむきながら言葉を絞り出した。


「あなたに見どころがあるから言ったのよ。真に受けちゃだめよ」

 玲子が新藤の気持ちを察して声を掛けた。そして矢倉に向き直って、「あなたも、こんな若い子に熱くなるなんて、いい大人が馬鹿じゃないの?」と毒づいた。

「確かにその通りだな」

 矢倉は、我に返ったように答えた。

「悪かったな新藤君。なんだか君は、昔の自分を見ているみたいで心配になるんだ。他意はない」

「謝らないで下さい。悪いのは僕ですから」


「お節介ついでに、一つだけ覚えておいてくれ。海中で一番怖いのはパニックだ。そいつのせいで、助かるものも助からなくなる。何かあったら冷静さを取り戻すことに全力を尽くせ。

 自分の名前は? 今何歳だ? 利き腕は右か、それとも左か? 今日は何日で、何曜日だ? 

 一つずつ自分の心のなかで繰り返せ。他のことは何も考えなくて良い」

「ありがとうございます。きちんと覚えておきます」

 新藤の顔は、再びもとの明るさを取り戻していた。


 砂浜で休憩を取りながら、矢倉達は2本目のダイブのプランを確認し合った。

「駆逐艇の船尾側には甲標的が沈んでいるはずなので。まずはそこに行こう。それから駆逐艇に戻り、船尾側からまずは右舷を確認。船内に入れそうな場所は、一箇所ずつビデオカメラに記録する。

 次に船首を左舷に回り込んで、同じく侵入可能箇所を確認。最後に上甲板をひと舐めする。いいね、新藤君」

「分かりました。今度は完璧にご指示に従います。リーダー」

 新藤は笑った。


 3人はタンクを新しいものに交換すると、矢倉が先ほど海面に上げたアンカーブイを目指して沖に出た。その赤いアンカーブイは先端から1m程を、海面から上にまっすぐに突き出しており、泳ぎながらでも容易に確認することができた。

 そして目的の場所まで来ると、3人は矢倉の潜水の合図と共に海中に潜った。


 アンカーブイから下に、ナイロン製のロープを頼りに潜って行くと、視界の悪い中でも容易に駆逐艇に行きつくことができた。そして矢倉は船尾方向に向かい、水中スクーターを走らせた。

 海底は緩やかに下降していった。そして深度34mになろうかとするところで、急に目的とする甲標的が目の前に現れた。丸い筒状の物体の前部は、ほぼ砂に埋もれており、中央部から後方のスクリュー部分を目視で確認することができた。


 全長24m、全幅1.8m。小型の一人乗り潜水艦――、甲標的。

 司令塔から上部に着きだしている潜望鏡や、船尾の二重反転スクリューは往時の形状をそのまま保ち、その特異な形状は妙な現実感を醸している。

 矢倉は駆逐艇より遥かに小さいはずの、甲標的が放つ存在感に圧倒された。それは恐らく、特殊潜航艇という武器が持つ特異性によるものだろう。


 駆逐艦の運用は哨戒任務が主だ。それに較べて、特殊潜航艇は出撃が即ち敵への攻撃を意味する。駆逐艦が鞘に収まった刀とすると、特殊潜航艇は抜き身の短刀のようなものだ。矢倉の心に迫る、言いようのない胸騒ぎのような感触は、きっと鋭利な刃物の切先を直視した時に感じる、あのざわついた思いと同じなのだ。


 矢倉の視線が甲標的の表面を舐めるように這い、指令塔に空いた弾痕のような穴に焦点が合ったその時、タイマーがピピという短い音を鳴らした。

 予め設定していた5分が過ぎた合図だった。矢倉が振り返ると、玲子と新藤もその音に気付いたようだった。3人はアイコンタクトで頷きあい、元来た方向に戻って行った。


 矢倉達は駆逐艇の船尾から右舷方向に回り込んだ。船体後部は恐らく空襲で被弾したのであろうが、甲板部分が大きく捲れあがって大きな穴が空いており、そしてその穴を伝うように、小さな貝と藻が内側に向かって浸食していた。

 大きなその穴からであれば、ダイバーが船内に侵入するのは容易いだろうと思われ、矢倉は穴とその周辺を、入念にビデオカメラで撮影した。


 駆逐艇は前方に行くほどダメージは少なくなり、綺麗な原型を留めていた。それはレックダイビングを行う側から見ると、侵入口が無い事を意味していた。

 船首を回り込んで左舷側を辿るが、そちらも所々に弾痕らしき小さな亀裂が見られるだけであった。船の中央部は、先程矢倉がマーカーブイを海面に打ち上げた場所であった。


 矢倉は垂直ラッタルが下っていく先を、開口部からビデオライトで照らしたが、艦内は濁っていると表現した方が良いほど視界が悪く、ライトの照度を最大にしても、3m程しか先が見えなかった。

 矢倉は垂直ラッタルを辿って、足から開口部の奥に入った。床面に到達すると、そこから艦の前後方向に空間が延びていたが、その先はまた一段と視界が悪くなった。


「侵入するには危険な場所だな」

 矢倉はビデオ撮影だけを済ませて、上にあがった。

 開口部から出ると、すぐ脇には水密扉が失われたブリッジへの入口があった。矢倉が覗き込むと、入口から少し後ろ側には、上部に延びる傾斜したラッタルがあり、見上げるとそのラッタルが続く開口部から、光が差し込んでいた。間違いなくそれは司令塔に続いていると思われた。


 矢倉は撮影が終わったという身振りを玲子と新藤に示し、艦を左手に見ながら、更に船尾へと向かった。結局、左舷側には他に目立った開口部は見当たらなかった。


 矢倉が後ろを振り返ると、玲子がやや遅れており、不自然に頭が下がり気味だったので、矢倉は体調確認のため、玲子に向かって指でOKサインを示した。それは海中で『大丈夫か?』と訊ねる動作だった。玲子はそれに答えて、指でOKを返した。『大丈夫だ』というサインだった。

 矢倉は艦首側を指さして、そちらに向かうと2人に告げた。深度を上げながら3人は駆逐艇の上甲板をひと舐めし、そこで頷き合い、揃って海面を目指して浮上していった。


「船内に侵入できるのはやはり3カ所だな」

 海岸で、撮影したビデオ映像を確認しながら、矢倉が言った。

「やはり最初は、一番船らしいところを見たいですね。まずはブリッジに行きませんか?」

「いいだろう。それではブリッジ内を一回りして、それから船尾側の大穴に入ろう。それで3ダイブ目は終わりだ。艦の下側に向かう開口部は視界が悪すぎる。もしも余力が有れば、4ダイブ目でトライしてみよう」

「分かりました」

 返事をする新藤の横で、玲子が二見湾の先の外海を見つめていた。


「どうした玲子、具合でも悪いのか?」

「ああ――、ごめんなさい。少し考え事をしていたの。私もそのプランで良いわ」

 矢倉は玲子の言葉振りに、妙な違和感を覚えた。

「玲子、さっきのダイブから少し様子がおかしいぞ。ブリッジには俺と新藤君で行ってくるから、お前は艦の外で待機していろ。自分の体と相談してみて、問題ないようだったら、ブリッジの後、船尾の穴に侵入するところから一緒に行こう」

「私は大丈夫よ」


「どうかな? 体調不良は自分で自覚できないことも多い。レックダイビングは、何か起きてもすぐには浮上できないんだぞ」

「心配し過ぎよ。私だってダイブマスターの資格を持っているのよ。素人じゃないわ」

「駄目だ。これはリーダーからの命令だ」

「わかったわよ、まったく。いつもはアバウトな性格のに、ダイビングとなると、途端に慎重になるんだから――」

 玲子は膨らんだ頬を矢倉に向けた。


「仲が良いんですね。お2人は」

 新藤が冷やかした。


 矢倉は新藤の言葉には答えず、「さあ、そろそろ行こうか」と言って立ち上がった。


――第四章、終わり――

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