疑念-2



「あれは〝鴉の宿木〟と呼ばれる集団のものが好んで使う式だ」


 クレハ将軍はそう説明した。


「奴らは皇国に対して反感を持っている。あわよくば革命を起こそうと、今も地下で虎視眈々と狙っているのだろう。昨日のあれは、いわばその狼煙だ」


 馬車が時折その車体を揺らしながら、細く整備された道を通っていた。三人が通っているのは大通りから外れた裏の道だ。先に上宮に連れられていたロウとシャンはこの先の兵舎にいるらしい。

 そこがこの上宮内で二番目に安全な場所だとクレハ将軍は言った。


「一番は勿論天宮だがな」


 クレハ将軍は初めて会った時と同じような、やる気のない口調で説明を続ける。

 アーリアと琴子はその向かいに座って、神妙な顔で体を縮めていた。


「昨日のことは、学院の外にも広まっているんですか」


 クレハ将軍は一瞬アーリアを見つめて、少しだけ笑った。


「ああ。既にもう噂は広まっているだろう。お前は、確か+Aの学生だったな」

「はい」

「今回の一件は、全て特殊部隊で処理することにする。既に入隊が決まっている訓練生は、少々前倒しになるが即刻各配属班に入隊してもらうことになる」

「はっ!」

「まあ気張るな。どうせさらっても何も出てこない」


 腹の底から声を出してかしこまるアーリアに対して、クレハ将軍の返しはどこまでもふ抜けている。窓辺に肘をついて、ぼんやり外を眺めながら、やる気があるのかないのかわからない仕草で欠伸を噛み殺していた。


 アーリアは生真面目に背筋を伸ばしたままだけど、琴子は既にもう、かしこまった体勢を取り続けることがきつくなってきた。なにせかしこまるべき対象がぐでぐでのふにゃふにゃなのである。

 琴子はひっそりとその横顔を盗み見た。丁度寝起きのような顔で欠伸をしている。一体森での威圧感をどこに忘れてきたのだろう。琴子が自分の立場を忘れてしまうぐらい、クレハ将軍の顔には締まりがない。


(……それに、やけに派手だし)


 車窓からは夏の面影を残した青空が見えた。

 その青さを背景にクレハ将軍が肘をついている。朱色の、鮮やかな紅葉のような彼の髪が、その端正な顔立ちを一層引き立てるようにして風に吹かれている。

 ふいにこちらを見た両眼は、金と橙のオッドアイだ。


『元々皇族の方々はオッドアイの方が多いんだけど―』


 シャンの声が蘇る。


「私の目が、珍しいか?」

「あっ、いえ……」


 琴子はすぐに視線を外して体を縮めた。迂闊なことをしてしまった。


 一瞬だけアーリアが琴子を見た。諌めるような視線を感じた。

 申し訳ないとさらに体を縮める。


 ただ、生まれて初めて見た本物のオッドアイはちょっとした衝撃だった。


(…………この人やっぱり皇族なんだ)


 クレハ将軍の態度が皇族らしいかどうかはわからない。

 ただ彼の双眼だけは神秘の色をしていた。

 これが皇族。


〝神の末席に連なる者〟と呼ばれる現皇は、一体どんな瞳をしているんだろう。


 琴子は見たこともないこの国の主に思いをはせた。

 今自分がいるこの上宮に、その現皇もいるのだと思うと奇妙な気分になってくる。すると心臓が思い出したようにドクドクと鼓動を打ち始めた。あ、と思った時には、もう全身が強ばっている。


(さっきまで平気だったのに)


 クレハ将軍は琴子の盗み見など気にしていないようで、すぐにまた視線を車窓に戻す。


(はやく、ロウとシャンに会いたい)


 目を閉じて、ゆっくり息をする。この先のことは見当もつかない。

 それが怖い。



「今日は本当なら一人一人から話を聞こうと思っていたんだが、午後から会議が入ってしまった。全体的に時間が足りない。あと数日もすれば月が替わり、物忌みの期間に入る。全く、奴らも面倒な時期に動き出してくれたものだ」

「あの、クレハ将軍」

「どうした?」

「〝鴉の宿木〟の狙いは一体何だったんでしょうか。わざわざ学院の結界に侵入し、その一部を一時的にのっとってまでしたかったことは、一体……」

「さあな。探りたいところだが、どうせ今から何か探っても何もでてきやしない。痕跡を残さないことに関してだけは皇国一だからな。我らに問われるのはいつだって次の一手をどうするかよ」

「次の一手ですか」

「ああ、そうだ。だからお前たちを上宮に呼んだのだ」


 淡々と話すクレハ将軍の目が、すっと細くなるのを見た。


「洗いざらい話して国に尽くせ」


 吐き出された端的な言葉に、琴子は息を飲んだ。



(―――私本当に、国も、常識も、何もかも違う場所にいるんだ)



 帰りたい。


 帰りたい。

 帰りたい。



(駄目)


 そんな風に願ったって帰れない。

 ここに来て一週間弱。

 願うだけで帰れるならもうとっくの昔に帰ってる。


 その後馬車は無言に包まれ、時折がたがたと車体を揺らしながら兵舎へと向かった。重苦しい沈黙の中、琴子は必死に頭を働かせていた。ここにロウとシャンがいないのが痛い。これから彼らに会いに行くところだけど、多分それじゃあ間に合わない。クレハ将軍の質問が始まる前に打ち合わせをしないときっと自分は墓穴を掘ってしまう。


「…………っ」


 焦っていた。でも、焦ったからって状況は変わらない。


 無情にも具体的なことが何も思い浮かばないうちに馬車は速度を落とし始めた。

 はっとして車窓へ視線をやると、灰色の黒ずんだ建物が見えた。

 華やかで洗練された上宮の中ではその一画だけ浮いているように見える。


「特殊部隊の兵舎だ」


 将軍がそういうと弾かれるようにアーリアが顔を挙げた。


「これが」

「そうだ。お前にとっては何日か後に住む場所になるな。まあ、所属する班にもよるけどな」


 琴子はおずおずと建物を眺めた。昨日泊まった宮と違って、一見するとコンクリートのようだ。装飾がほとんどない無骨な姿は、軍自体の本質を表してるように見える。


(この中にロウとシャンがいる)


 そう思うと胸が痛くなるぐらいほっとする。

 と同時に琴子は目を伏せた。

 ほの暗い後ろめたさが背中からじわじわと湧き登ってくる。


 ロウとシャンに頼って、二人がいることに安心して、それで本当にいいんだろうか。


(嘘つけ。聞くまでもない。本当はわかってるくせに)


 もっとしっかりしなくちゃ。

 自分のことは自分で守らなきゃ。

 一人でやろうとしない。一人じゃ何もできない。そんな人を、誰も助けてはしない。


「コトコ?」

「――ん、どうしたの?」

「顔色が悪いわ」

「ああ。……こういう兵舎とか縁がなくて。緊張しちゃった」


 そう言って笑うと、アーリアも少しだけ表情を柔らかくした。それを見て、初めて彼女も自分と同じように緊張していることに気付いた。




 ぐんぐんと兵舎が近づいてきて、馬車はゆっくりとその正面に止まった。



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