事の次第-3


(…………やったか)



 ほっとして周囲を見渡す。



 ロウは顔についたヘドロを拭い取り、階段を駆け上がった。

 先に行ったシャンの後を追おうと食堂へ向かう。


「!」


 足が止まる。


「いやあ、びっくりしたよ。あの遠隔操作の式は割と気に入ってたんだけど」


 シャンが倒れていた。



 壁が凹み、そこにのめり込むようにシャンが倒れている。

 男が一人立っていた。細身で質のいい上着を着ている。


「一度追放された身が忍び込むのは大変でね。やっとさっき中に入ることが出来たんだよ。君たちの相手はあの式に任せて僕はお姫様を迎えに行こうと思ってたんだけど。思ってたより強くてびっくりびっくり」

「……お前が」


 男は気取った貴族のようにステッキを持って微笑んでいる。


「全く。双尾のお二方には困ったもんですよ。注文した商品を途中で落としちゃうんですから」


 壁の中でシャンが微かに呻く。

 ロウは身構えたままシャンのことを一瞥した。

 男は笑ったままそこから動かない。


「まあでも、おかげで君の力量をはかることもできたし」


 シャンの近くに男が立っているせいで、ロウには手出しができない。

 ペラペラと喋っているだけにも男の立ち姿は、驚く程に隙がなかった。


「………ロウ、」

「!」


 呻くようにシャンがロウの名を呼ぶ。男が愉快そうに眉をあげた。


「おや?随分タフだね」

「コトコの、ところに行け」

「……フフフ。君はやっぱり馬鹿だよね」

「うるせえな。お前、しゃべり方がうぜえんだよ」

「ああよく言われるんだ。君みたいな単細胞とかにね」

「その単細胞を、一発で仕留められなかったのは何処のどいつだ!」


 シャンが叫ぶ。


『進め!』


 シャンが起き上がりざまに短剣のエフェクトを起動し男に対して切りかかった。

 瞬時にロウが呪文を唱える。

 速度強化。

 切りかかるシャンの動きが一拍分早く動く。タイミングがずれたおかげで男の術が展開するよりも早くその胸元に飛び込んだ。


 シャンの短剣がその胸に届く、前に、


『凍る』

「くそ!」


 エフェクトが氷に阻まれ高い音がなった。シャンが素早く後退しロウのところまで来る。

 彼のエフェクトが淡く光る。その短剣は神力を通わせることで切り付けた部分が発火する。


 溶け出した自分の術を男は情けない顔をして服から払い落とした。


「まいったなあ。今日の目的は君らじゃないんだよ。僕らのお姫様を迎えにきたんだ。君らのところにいっちゃったのはほんの手違いなんだから。返してもらうだけなんだよ」

「うるせえ。そんなの俺らの知ったこっちゃねえ。大体てめえどこの誰だよ。怪しすぎんだよ。そんな奴に渡す訳ねえだろ!」

「これは意外!意外や意外!いきなり現れた見ず知らずの女の子の肩を持つなんて。案外君らは優しいんだね。でも彼女の肩を持って君らに何の得があるんだい?こうやって怪我をして、僕に襲われて、損だらけじゃないか」

「彼女に興味がある。お前らに渡すのは気に入らない。理由なんてそれで充分だろ」

「おや、天才君が彼女にご執心か。でもオススメしないね。君の友人を巻き込んでいる」

「!」

(ロウ、ここは俺に任せて先に行け)


 男が長々と話している間にシャンが小声で囁く。


「その興味は君だけのものだろう?彼は関係ない。それなのに巻き込んでいいのかい?君の、大切な兄弟だろう?」



「……ずいぶん俺のことを知ってるな」

「当然!君は僕らのアイドルだからね」

(ロウ!いい加減にしろ!)

「ロウ・キギリ。誰だい君にそんな無粋な名前を付けたのは。可哀想に、随分強力な封印術が施されているんだね」

「封印術?」

(おい!奴の話を聞くな!)

「ああ、君はそれすら知らないのか。何も知らないまま今日まで生きてきたんだね。そうか。通りで腑抜けた色をしていると思ったよ。もっと君の力は禍々しくて強力で、他の誰よりも美しかったのに」

「俺を、知っているのか」

「いい加減にしろ‼早くコトコのところに行け!お前はさっさとこの場から離れろ!」

「シャン、」

「はやく‼」






「やだな。僕が先に迎えに行くんだってば」


 ドンッッと、世界が歪む音がした。




 少しでも神術をかじったことがある人間だったら呼吸すらままなくなる、圧倒的な存在感が、一瞬にして現れた。




 男の背後に大蛇が蜷局を巻いている。そんな錯覚すら覚える、恐怖。

 背筋を逆なでる悪寒に二人は目を見開いて立ち竦んだ。

 シャンでさえも息をすることが出来なかった。


『爆ぜろ、我が名の下で』


 今までの比じゃない〝気〟の重み。

 男の呪文と共に氷の刃が散弾のように二人を刺す。


『防げ!』


 とっさにロウが張った結界はあっという間に破れた。

 凍りついたロウを引っ張り倒しシャンがその前に出る。

 ロウを背後に隠すようにしてエフェクトを構え、降りかかる刃を薙ぎ払った。肌が裂け、血が滴る。


「ロウ!任せたからな!」


 シャンに怒鳴られてハッとする。

 一瞬だけ二人の目が合った。

 すぐにシャンは向き直り、攻撃を払い男に切りかかる。ロウは背を翻して走り出した。この道を通らなくてもなんとか食堂に行かなければならない。あの男よりも先に彼女のもとに行かなくてはいけない。


「無駄なのに」


 切りかかるシャンの斬撃を避けながら男がロウの背中に手を向ける。

 「やめろ!」とシャンが叫んだ。

 氷の刃が真っ直ぐにロウの背中へ飛んでいく。

 シャンの叫び声にロウが振り返る。

 鮮血が弾ける音がした。


「こん、のオオオオオオオ!!」


 シャンは思わず振り返りそうになるがぐっと堪え、隙が出来た男の懐に切りかかった。

 どれだけシャンが切り傷を与えようとも、刃が触れる寸前に男の身体が凍り付いてしまう。上手く致命傷を与えられない。それでも相手を焼き殺すこのエフェクトは、この男の術と相性が良かった。


「今日は地味に行動するつもりだったのに、君らのせいで台無しだよ」

「うるせえな!こっちだって貴重なオフ潰されて散々なんだよ」


 身体のあちこちに切り傷が出来ている。そこから流れる血がじわじわとシャンを追いつめた。後ろのロウが無事にコトコのところに向かったかどうかがわからない。それでも今は目の前の相手から視線を逸らすことなんてできなかった。


 大蛇がこっちを睨む。まるで小さな蛙を飲み込むように大きく口を開ける。そんな恐怖が脳裏を焼いた。それを何とかごまかして目の前の相手に剣を向ける。


「まあ、彼女のところに影を送ればいい話なんだけど」

「なっ」

「天才君が駆け付けた頃にはもう僕らのところにいるかもね」

「てめえ!」

「本当は僕が迎えに行きたかったんだ。そのためにわざわざお洒落して学院の中まで忍び込んだって言うのに最悪だよ」

「最悪なのはこっちの台詞だ!」

「ああもう時間切れだ。悪いね」


 強烈な蹴りが男の脇腹に決まる。そのまま男は吹き飛んだ。

 後を追ったシャンが男にさらに攻撃を仕掛けようとした時、もうそこには誰もいなかった。


「くそ!逃げたか!」


 結局あの男が何者なのかはっきりしなかった。

 肩で息をするシャンの背後に影が近づく。気配に気づきシャンは振り返った。


「きゃああああああああああああああああああああああああああ!」

「!コトコっ」


 食堂の方から悲鳴が聞こえた。男が言っていた通り影が二人より先に食堂に現れたのかもしれない。

 シャンの目の前には足止めするように三体の影が揺れていた。

 あの得体のしれない男が自らいなくなったというのに、彼女を奪われるわけにはいかない。影が手を向け、術を発動させる前に、シャンが一歩前に踏み出す。血がじわりと噴出した。目の前の仮面を頭部ごと切り落とし、次に左の仮面に短剣を突き刺す。


『散』


 三体目の鎌鼬を飛び跳ねて回避すると、次の術が発動されるより前にエフェクトを投げつけた。

 三体の仮面が炎に包まれる。


「コトコ!そこから逃げろ!」


 無我夢中にシャンは叫んだ。












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