事の次第-1







風・二六 昼前



「結局手掛かり見つかんなかったのかよ!」


 コトコが現れてから四日経ち、崩壊していたロウとシャンの自室はだいぶ綺麗になっていた。散々していた紙類は片付けられ、本も本棚に収まり、シャンの武器や手入れ用具なども一カ所にまとめられている。


 ただ部屋がすっかり綺麗になっただけで、何も進展を産めなかった。


 コトコが食堂に行っているため、ずっと二人で復旧作業をしていたロウとシャンは、二人ともお互いにうんざりしていた。


 今日もコトコは朝から働いているだろう。ロウは大量の本を取り出し何かを探していた。苛立ったシャンに対する反応は薄い。


「まあ、そんなもんだろ」

「お前が手がかりがあるかもしれないって言ったんだろ!」

「あるかもしれないって言っただけだろ」

「無責任だ!」

「部屋がようやく使えるようになって十分だろうが」

「コトコには何て言うんだよ。期待してるぞあいつ」

「手がかりがなくたって次の手は見つけられる」

「どうやって」

「………」

「おいこら」


 剣呑な声を出すシャンのことは無視して、ロウはもくもくと自分の作業を進めた。窓からは差し込む日差しが目に痛い。


「俺は修練に行ってくる」

「ドーゾ」


 練習着を持ったシャンはそういいつつも、なかなか出ていかない。

 訝しんだロウが視線をあげると、気まずけな表情でシャンが怒鳴った。


「お前からちゃんとコトコに説明しろよ!」

「……なんだよ気持ち悪いな。さっさといけよ」

「ああ!?」

「何でもない」

「誰が気持ち悪いだ聞こえてるぞ引きこもりが!」

「わかったからさっさといけ。うるさい」

「うるせえバーカ!」


 ギャーギャーと騒ぎたててシャンが出ていくと、ロウは眉間を押えて重いため息をついた。シャンのああいうところは初めて会った時から本当に変わらない。

 いっそ尊敬すらする。


 一人になった部屋の中で、ロウは次の一手を考えていた。

 手がかりが見つからないことは別に落胆することじゃない。仮説を立てるための情報が欲しかったから確認していただけで、ないならないで、既にある情報を整理すればいい。


(……始まりは〝腐蝕〟の気配。そこから上宮の結界の異変。俺らの部屋で謎の術式が展開して、コトコが現れた……)



 まずわかっているのは、コトコが本当にこの世界でないどこかから、本人の意思と関係なくこの部屋に飛ばされてきたということだ。

 それはたぶん、間違いない。


 そして次にわかっていることは、彼女がいた世界に、神術が存在しない、もしくはないものとして認識されているということだ。


 コトコ自身は神術に関して何の知識もなかった。

 あの様子が演技だとするならば相当な女優だ。

 彼女は何も知らないまま、唐突に、この世界に飛ばされてきた。


 つまり。

 彼女の代わりにすべてを知っている人間が他にいる。


(あの術式の完成度は素晴らしかった。転送術式なんて古文書を覗かなけりゃ出てこない)


 神術は考案されている呪文を術者の意思で組み合わせて使用することでより高難度な現象を引き起こすことが出来る。


 あの時第三の目で見た術の構成は、ロウが今まで見たどの術よりも美しく、洗練されていた。だからこそ、一体何の術が展開しているのかわからなかったのだ。

 ロウが土壇場でそれが転送術式だと気づいたのは古めかしい古文書に目を通していたからで、それがなければ最後まで何の術だかわからなかっただろう。

 相手に内容を悟らせないのも術の構成の重要な要素だ。


 あれだけ素晴らしい術を、一体誰が展開したのか。


(少なくとも、コトコやコトコの世界の人間じゃない。確実にこの世界の、たぶんこの国の人間の仕業だ)


 この世界にも大国はいくつかあるが、皇国よりも神術が発展している国があるとは考えにくい。


 古文書にしかないような、高難度の術を、さらにアレンジして洗練させて使うだけの技量と神通力を兼ね備えている人間。


(嫌な予感しかしないな)


 そんな人間がもしいるとしたら、それは裏社会の人間だ。

 表舞台に生きている人間でそこまでの力量を持つ神術師といったら本当に一握りの人間に限られてくるし、そういった人間が、すぐ身元がばれるような派手な術を使うとは考えにくい。


(まあ、一介の学生に何ができると思って派手な技を使ったっていうのなら、それはそれでやりがいがあるけどな)



 千年以上続くこの国の内情が素晴らしいものだとは思わない。


 裏で何かコソコソとやっているのならそれを白日の下にさらけ出し、その正体を見極めたい。そういう衝動がロウの中に燻っている。


 シャンに言ったら怒られるかもしれない。

 彼がこれから進む道は、ロウが厭う皇国側の道だ。ロウ自身上宮の内部に忍び込みたくて、上宮付きの神官である一等神官の試験を受けようと考えていたが、そんなまどろっこしいことをしなくても、コトコのことを追っていればロウが長年探し求めていた解答にたどり着ける気がする。


 ただの勘だが、コトコが自分の前に現れたことがただの偶然だとは思えない。


(面白くなってきた)


 コトコの存在は、ロウの目的を抜きにしても面白い。

 彼女に関して面白いことが多すぎて手放そうとは思えない。


 勿論危ない橋を渡っている自覚はある。

 それでも、新しいことがわかる予感が、ただロウを突き動かす。

 彼女がやってきてからの数日間が、ロウは愉快で仕方ない。






 シャンは暫く戻らないだろう。彼は一度出かけたら三時間は戻らない。

 この森のどこかで一人こっそり修練するのが彼の趣味らしい。


(少し早いが飯でも食うか)


 ついでに参考になりそうな本が他にないか見てこようと頭の中で予定を組み立てる。もう少ししたら食堂からコトコが顔を出しに来るはずだ。それまでに次の一手の見当がつけばいい。確かに、シャンの言う通りコトコはこの部屋か出てくるはずの手がかりに期待を寄せていただろうから。


 そういえばと、ロウの思考が脱線する。

 何の脈略もなく、コトコの家のことが気になった。

 

 彼女がここにやってきてから今日で五日になる。その間コトコは目立って取り乱すようなことがなかった。彼女は一人でここにやってきて、今も一人で働いている。シャンは食堂のおばちゃんは優しいから大丈夫だと言っていたが、たとえそうだとしても彼女の事情を知っているわけじゃない。


 五日間、訳の分からない自分の素性を隠したうえで見知らぬ人たちの間に囲まれて、彼女の神経はすり減らないのだろうか。

 そう思うと同時に、らしくないなと自分を評した。

 そんなことを考えてロウが何かできるわけでも、ロウに何か利益があるわけでもない。


 考え込むロウの横顔がうっすらと窓に映っていた。


 窓の向こうには今日も変わらず深い森が続いている。

 ここが都だということを忘れてしまいそうな存在感。


(似ているか…)


 三日前シャンに問い詰められた時、出てきた言葉は自分でも意外な言葉だった。

 コトコと俺は似ている。

 そうだろうか。今考え直すとわからない。

 だからこそある意味事実をついているのかもしれない。


 廊下に出て、扉を閉めて、鍵をかけようとポケットに手をかけたとき。

 ロウは何か違和感に気付いた。

 自分が何かを見落としている気がする。


(なんだ、何を忘れてるんだ俺は)


 それが当てはまれば、パチリとピースがはまる気がする。


(思い出せ、一体何を考えていたのか。さっきまで、俺は、何を)


 ロウは目を見開いて、その場に立ち尽くした。

 心臓がドクドクと血液を押し出している音が聞こえる。

 一瞬世界が止まったような感覚がした。


(始まりは〝腐蝕〟の気配………)


 そう。そうだ。あの術式を展開するには並の神通力じゃ歯が立たない。人並み外れた膨大な量の〝気〟を必要とする。

 人一人を丸ごと飛ばす転送術式。

 術者はそうとう神術に精通している裏社会の人間。

 そしてそれが展開する直前に自分が感知した、〝腐蝕〟の気配。



 〝鴉の宿木〟



 かつて内乱を策略し、国を一時完全にのっとった反皇族組織。

 嫌な汗が、背中を伝っていった。

 その首謀者は、力を求め〝腐蝕〟化し、この学院から永久追放された神術師だと言われている。

 ロウは背を翻し駆け出した。何かすごく嫌な予感がする。


『口笛が君を呼ぶ。軽やかに風に乗り、光のように宙を舞う』


 ロウは神術で式を生み出すとシャンを呼び戻すように伝言を託した。蝶のような淡い光の瞬きが頷いたように上下に揺れ、すっと宙に消えていった。心臓が早鐘を打つ。血流が嫌なスピードで駆け巡り、妙に頭が落ち着いていた。

 そのまま真っ直ぐ廊下を走り、コトコのもとへ走った。




 はずだった。




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