繁華街-2



 空が近い。

 風と空と草むらしかない世界。


 穏やかな空気に包まれていると、頭がぼうっとしてしまう。

 足元がおぼつかなくなって、身体の境目が曖昧になるような。

 それはどことなく覚えのある感覚で、琴子はぼんやり記憶を探った。


(………そうだ)


 初めてこの世界に来た時の、上も下もわからない、あの時のあの感覚に似ているんだ。


「コトコ?」

「!」

「疲れたか?」

「…いや、大丈夫だよ」


 ロウに名前を呼ばれて、ハッと意識が戻ってきた。相変わらず空は青かったし、草は風にそよいでいた。

 目の前の小道の先には階段があって、建物がもう随分と近くにあった。

 瞬きをするとロウと目があった。白い建物が周りの景色とよく合っていた。


 ロウはそうかと短く言うとそのまま歩いていった。琴子もそれについて行って、レンガ造りのような白っぽい階段を降りていく。開けた原っぱから街に入ると急に視界が狭くなって空が遠く感じた。




 暫くいくと、人ごみ特有の喧騒が聞こえた。ザワザワとした雰囲気に街に来たんだという気持ちが強くなる。ふいに目の前を子供が横切った。お母さんお母さんと騒いでいく。

 階段を降り切ってもまたあるのは階段と細い横道だ。

 琴子は物珍しくてその横道をのぞき込んだ。走って行った子どもの背中が見える。

 陽の光が白い壁に反射して、こんなに建物が立て込んでいるのに不思議と明るかった。人が住んでいるんだろうか。窓に植物の鉢植えがおいてあったり、カラフルな布が干してあったりする。

 子どもはそのまま鼠色の扉を開けて、建物の中に入っていった。


「おい」

「……」

「おい」

「……」

「おい、コトコ‼」

「っ‼」

「あんまきょろきょろしてると置いていくからな」

「ご、ごめん」


 ロウに釘をさされて大人しく彼の後をついて行く。


「きょろきょろするなよ。こっちが恥ずかしい」

「だって」

「堂々と歩いてればいいんだ。分からないことがあったら答えてやるから」

「あ、ありがとう」


 しばらく細い道を登ったり下りたり曲がったりしてから、ふたりは大通りに出た。


「これは……っ」


 大通りに出た瞬間、喧騒が、今までの数倍の大きさになって琴子を包んだ。人の声、声、声、声。クラクション。モーター音。琴子の知らない軽妙な曲。

 もはや圧迫感すら感じるレベルだ。

 人が多い。本当に。

 そして、なんというか、空間が広い。



「ここが繁華街だ」



 生活音の集まりがこんなに大きくなるなんて。ロウの言葉もいつもよりずっと大声で言わなければ通じない。学院の物静かな雰囲気とはまるで真逆な空間だ。ここにいたら自分が今地下にいるのか地上にいるのか、二階にいるのかどこにいるのか、あっという間に見失ってしまう。


 今までのどの建物よりも大きくて背が高いビル群が空に突き刺さっていた。

 大通りといっても道幅は思ったよりも広くない。ただ真ん中に大きな空間が開いていた。地下から吹き抜けになっているのだ。下は広場のようになっていて、噴水が真ん中にあった。

 人がわらわら歩いている。

 何かのモーター音。警報のような鋭い音がとぎれとぎれ聞こえた。

 出店のようなものが食べ物を売っているのが見える。建物の路地にもまだ何かありそうだ。地上の道は、その空間によって二つに分かれて、また合流していた。バイクのようなものがいくつも走っている。同じようなもの琴子はテレビで見た気がした。確か東南アジアのどこかの国だったはずだ。


「す、すごい!」


 人が忙しなく歩いていた。ビルとビルの間も橋のようなもので繋がっている。ここにはなにもないスペースなんてないようだ。ちょっとした空間には木が茂っていて、噴水があったり、時計塔があったりした。あるビルなんか、全面が植物で覆われていた。緑の塔の向こうに随分と細長くなった空が見える。


 思わず琴子は駆け出した。

 すごい!すごい!すごい!すごいっ!


(こんな街、見たことない!)


 いきなり走り出した琴子にロウが慌てて手を伸ばしたが届かない。


「おい!」


 ロウが叫ぶ。この街は継ぎ接ぎだらけで出来ている。新しいのもあれば古いのもある。そんな風に身を乗り出して街を眺めていたら、手すりがぽきっと折れてしまうかもしれない。


「コトコっ、大通りに降りるぞ。お前の服を買わないと」


 目をキラキラ輝かせて街を見る琴子をなんとか手すりから引き離した。

 一体何がそんなに彼女を興奮させるのか理解不能だ。

 そもそも、まだ大通りについてさえいない。彼女は気づいていないかもしれないが、ここはまだ階段の踊り場なのだ。


「あっロウ待って」


 右手で琴子の腕を掴んでそのままロウは階段を下りていった。本当の大通りはこの下に見えるあの通りだ。繁華街は広くいくつかの区があるが、ここはその中でも庶民向けの商品を扱っている区域だ。とりあえずここに行けば大抵のものが揃う。

 ロウに引っ張られ、転がるように階段を降りる。琴子はふと、あることに気づいてしまった。


(待って。服、買うって言ってた?今私お金ないけど)


 当然のように琴子は今一文無しだ。本当は学生鞄にお小遣い三千円ぐらい入っていた気がするが普段そんな使うわけでもないので、もしかしたら入っていないかもしれない。まあ例え入っていたとしても意味がない。あの時一緒に電車の中にあったはずの鞄は琴子と一緒にこの不思議な世界に落ちてはこなかったらしいのだ。そういう訳で何もお金を持っていない。


(……ん、これはやばいんじゃないの?)


 今までは身の危険とかそういったことに神経を張りつめていたけれど、もっと根本的な問題に気づいてしまった。


(服もそうだけど、それよりも今日のごはんはどうしたらいいんだ……?)


 今朝はシャンに奢ってもらった。

 でも昼は?

 まさかこのまま誰かに奢ってもらい続けることなんてできない。よくない。これは良くない。今すぐ自分の家に帰れないなら、衣食住の問題が出てくるのではないか。そうなってくると昨日の夜とはまた違って意味で、これは、ピンチだ。


「あの、ロウ、私」


 大通りの喧騒が琴子の声をかき消してしまう。


「なんだ!?聞こえないっ」

「私お金持ってないっ!」

「!」


 勢いよくロウが振り返った。愕然とその目が真ん丸に見開いている。


(あ。)


 どうやら、彼も、今気づいたようだ。


「…………貸すだけだからな。出世払いでいいからどうにかして返せよ」


 苦渋の選択といった表情で絞り出すようにロウがそう言う。


「………ごめん。ありがとう。あの、古着屋とかでいいからね。返す目途はないけど、返せるよう頑張るね」

「………冗談だ。俺が出す。気にしなくていい」

「ごめん!ありがとう!」


 タンタンタンとリズムよく階段を降りていく。これ以上何も言えないので、ロウの背中を追いかけて琴子も鉄製の階段を下りていく。

 階段の隙間から下が見えて結構怖い。ロウの慣れた様子から考えるとここ階段がとくにおんぼろといったわけではなさそうだ。街全体もよく見れば耐久性が気になるような場所が結構見つかる。


 ちょっとレトロで、でも全然違うところもあって、だけどやっぱり懐かしい。

 活気ある街の様子に、なぜだか琴子は惹きつけられてしまう。


「こっからは人通りも多くなってくるからさっきまでみたいにふらふらしてると本当に迷子になって野垂れ死ぬぞ」

「うう、わかった」

「ならいい。こっちだ」


 階段を降り切って大通りに入ると、ロウが言った通り確かに物凄い人の数だ。そこまで田舎に住んでいるつもりはなかったが、この人の波にはちょっと怖い。

 たんに大勢の人がそこにいるだけではない。大勢の人がある一定のルールに基づいて絶えず動き、流れていっている。河のようだ。道の中央ではオートバイのような乗り物と馬車が行きかっている。が、そこと人の境界が明確にあるわけじゃない。正直おっかなくて仕方がない。


 びびっているうちにロウが歩き始めてしまった。琴子のことなんか忘れてしまったかのようにどんどん人ごみの中へ行ってしまう。仕方がないので琴子は必死に彼の背中を追った。

 この国の人は髪色が派手な人が多く、濡れたようなロウの黒髪は良く目立った。

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