琴子-1






 ガチャンという音とともに、黒髪が部屋から出ていった。


 薄暗い部屋に月明かりが差し込んでいる。琴子はそのまま置かれたベッドに倒れ込んだ。マットレスがきしむ音と埃のにおい。髪につきそうだと思ったけれどそんなことは言っていられなかった。


「信じらんない……」


 自分の想像をはるかに超えた、はるかにとんでもない事態に巻き込まれていると気付いたのは、二人の男が場所を変え、琴子を質問攻めにし始めてからだった。


『いい加減にして!いくら聞いても何もわからないって!ここから出してよ!』

『そういう訳にもいかない。お前は怪しすぎる』


 黒髪のロウという男が言った一言で、琴子の身体はひとまず解放された。金髪の男は少しだけ居心地が悪そうに琴子が起き上がるのを助けてくれた。その後部屋の現状を見定めた二人は、あっさり部屋を片付けることは諦めて他の部屋へ移ることにした。勿論、琴子も連れていかれた。


『だから、私の国は日本です!皇国なんて知りません!』


 部屋に入ると、逃げられない様に出口は金髪の男が塞いだ。体を拘束されることはなかったけれど、そんなことは関係なかった。

 ふと、黒髪の冷めた表情がフラッシュバックする。

 琴子はぎゅっと瞼を強く瞑った。彼の疑心に満ちた目。言葉の端々から伝わってくる冷たい気配が、今も鼓膜にまとわりついている。


 二人の目的は琴子を質問攻めにすることだ。わからなくはない。話を聞いた限り、琴子は突然彼らの部屋に現れて、あの部屋をめちゃくちゃにしたらしいから。

 それでも、そんなことはやっていないし、わからないし、知らないのだ。


『田舎のガキじゃあるまいし。東の大国を知らないって言うのか?』

『あなたこそ、アメリカもロシアもイギリスも知らないなんて、ちゃんと学校に通ったんですか?』

『ああ?』

『ロウ、死刑囚もびっくりの悪人面してんぞー。ごめんな、こいつ口も人相も悪いんだわ』

『…………』

『皇国だけじゃない。お前は西の帝国や北の王国、南の連邦国まで知らないって言うんだな』

『知りません』

『神術は?まさか神術まで知らないのか?』

『なにそれ。そんなもの、私は知らない』

『ありえない。この世界に生きてて神術を知らないだなんて、ありえない』

『そんなこと言われたって知らないものは知らないし。あなたたちだって私の常識を何一つ知らないじゃない!』

『今質問しているのは俺だ』

『!…………』

『なぜここに飛ばされてきた?』

『………知らない。私はただ学校から帰ろうと思って電車に乗っただけ。突然下に落ちる感覚がして、気付いたらあそこにいた』

『お前の話は意味が分からないな』

『だから、あんたの話だって、あたしにとっては同じぐらい意味が分からないから!』

『…………ロウ…それぐらいにしたらどうだ?もう夜中だぜ?そろそろ他の奴らも帰ってきちまう』


 金髪の男が声をかけたことでようやく詰問は終わった。

 彼が指摘した通り、その頃には外に人の気配がするようになっていた。


 質問攻めをやめた黒髪は部屋を出るとしばらくして、毛布と枕を持ってきた。

 金髪の男は他の人に事情を説明してくると部屋を出ていった。

 ロウという男は、座り込む琴子の隣でテキパキとベッドを使えるように整えていく。そして今しがた、この部屋から出ていった。


(…いったい何が起きてるの……?)


 わからない。わからない。本当にわからない。

 唇を噛む。うっすら血の味が滲む。

 こんなところで泣き出したくない。今泣いたら本当にもうどうしたらいいかわからなくなってしまう。もしそうなったら、終わりだ。虚勢すら張れなくなったら。


 怖い。

 怖い。


 せめてあの男たちがいる間は虚勢を張り続けることが出来たけど、こんな風に一人ぼっちにされたら誰に対して虚勢を張ればいいのかわからない。

 琴子はさらに体を丸めた。


 わたしが!一体何をしたと!?

 なんでそんな風にわたしが尋問されなきゃいけないの!?

 ここがどこだって聞きたいのは私の方なのに!

 どうしてここに居るんだって、ききたいのは…


(………くやしい。なにもわからない)


 目を開ければ、天井は木で作られていた。床も壁もドアも。今時どこで見るんだってぐらい古臭い木造の建物。

 それでもいやに重厚感を出しているのは年季のせいだろうか。まるでどこかのアニメ映画に出てきそうな、古びた雰囲気だった。このベッドだってそうだ。枕も、毛布も、彼らが来ていた服も何もかも、琴子が知っているものとは違う。

 まるでファンタジーの世界だと思って、そこでもう、考えるのをやめた。


 部屋の中で、ベッドの中で、これでもかってぐらいに丸くなって、目を瞑って唇をかむ。心に、ぽっかり穴が開いたようだ。


 もしこれが、いつもの朝の朝礼だったら、学校の昼休みだったら、きっと横にいる友達に「琴子とうとう頭までおかしくなっちゃったの?」って笑われるんだ。そう決まってるんだ。そうに、決まってるのに。

 あの目が、こっちを見ている。

 黒い冷たい目が。


(……私はどこにいるの……)


 じわり、視界が歪んだ。

 あの夏の、ウザったいぐらいの暑い空気も、耳障りな蝉の声も、何もかも鮮やかに思い出せるっていうのに、ここの空気はひんやりと冷えていて、まるでもう、秋のようだ。

 

 少しザワザワとした感触の毛布にくるまれて、琴子はゆっくり瞼を閉じた。

 眠かったわけじゃない。でももう、寝てしまいたかった。考えたくなかった。

 疲労感が意識をじわじわと侵食する。

 ぼんやりと薄れていく視界の中で、朝起きたら自分の部屋にいることを祈った。









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