邂逅-2


「―――シャン」


 何かを探るようにロウはじっと動かない。


「どうした?」

「〝腐蝕〟が近くにいる」

「!」







 ピンと、空気が止まった。












「気がする」



「…はあ?」

「一瞬〝腐蝕〟の気配を感じたんだが、……もうしないな」


 ロウの一言に身体が瞬時に反応して構えてた。

 にもかかわらず、もうしないという言葉にシャンは脱力して頭をかく。


「お前なあ!そういうの軽はずみに口にすんなよ。こっちは命かけてるんだから」


 愚痴るようにそういうと、ロウは肩をすくめて「悪かったな」と返した。

 おざなりな返答に小言を言いたくなるが、意味がないと思って口を閉じる。


 〝腐蝕〟とは反皇国主義者、つまり反逆者を意味する。


 本当の意味はまた別のところにあるのだが、十年以上前に起こった内乱の首謀者が〝腐蝕〟だったことで、いまでも国の多くの人が〝腐蝕〟に対して嫌悪と畏怖の念を抱いている。だからこそ普通の人ならそう簡単にその名を口にしないものだが。


 そういう細かな心の機微というものを、全く解さない男がロウという人物だった。


「おかしいな……」

「なにがだよ」


 ロウはまだ動かないでいた。動いたら感覚がぶれるからだ。

 一瞬だがはっきりと感じた〝腐蝕〟の気配がぱったりなくなっている。

 ロウは眉をひそめた。

 勘違いなら勘違いで構わないが、〝腐蝕〟独特の腐ったヘドロのような気配をそう何かと間違えるだろうか。

 部屋を見渡すがまさか室内に〝腐蝕〟の術者がいるはずはなく、そう考えればこの学院のなかにそんな不審者がいるはずがない。それでも確かに感じた。今日は妙なことが多いなと息をつく。


「ロウの気のせいだろ、部屋に閉じこもってじっとしてるからとんでもないことを言い出すんだ。早く飯食いに行こうぜ」

「お前はただ市の夜を一人で歩きたくないだけだろ」

「ああそうだよ、察せよ!お前のせいでペナルティくらって学科の飲み会にも行き損ねたんだからな!」

「違うだろ。ほんとはあの巫女の女子を誘おうと思ってそっちの飲み会は」

「あああもううるせえな!その話は忘れろよ!」


 大声でロウの言葉を打ち消すシャンの両耳は赤い。


「市に行ってもいいけどな、その前にちょっと確認したい」

「何を」

「上宮の結界を。気のせいだろうと、〝腐蝕〟の気配を感じたら気になるからな」


 その言葉に少しだけシャンの顔が真面目になった。

 その隙にロウは窓を開け夕闇のなかに顔を突き出す。


『閉じろ。そして明かせ』


 低く呟いた言葉は詠唱となり空気を震わす。〝気〟を可視化するもう一つの目を開眼するとロウは遠く上宮を見つめた。森の中心に高くそびえる大樹はどこからでも見ることが出来る。


「それで、上宮は?」


 神通力の弱いシャンにはロウのように第三の目の開眼は出来ない。問う声は低く、表情も先程までと変わって真剣なものになっていた。


「遠い。あと高度すぎてよくわからん」

「おい」

「だけど、少し揺らいでる……か?」


 キリキリと術の精度を高めて上宮の様子を伺おうとするが、もともと上宮を囲っている結界は最高難度のもの。そうやすやすと一介の学生に異変を悟らせるようなものではない。


「まあ……気のせいか」


 違和感は残るがそれ以上何とも言いようがなかった。術をとき、窓辺から離れる。

 その時だった。



 何かが、ロウの視界の端で光った。


 ゾワリ、悪寒が背中を這う。



 それは唐突に始まった。

 いくつもの文献と無造作に重ねられた紙の束。本と紙と無骨な武器の数々と、それを手入れするための用具で入り乱れた部屋の山の中から、煌々とした光が飛び出してくる。生き物のように這い、キィィィンという音とともに部屋を走る。

 一瞬にして室内は一変した。


「なんだ!?」


 反射的にシャンが自分の武器を持つ。


「ロウ!」


 光は逃げるように走り、そして増幅していく。日が暮れ、薄暗い室内でそれらだけが異様に光っていた。いくつもの光が本の山の中から現れては群れの中に入っていく。背筋が凍るような感覚がした。


 一体これは何だ?どこから入ってきた?


 何が起こってるか分からない。とにもかくにも気味悪い。

 光は文字となり円を描き渦を作る。その勢いは増すばかりで、シャンは冷や汗をかいた。


「ロウ!これはなんだ!説明しろ!」

「知るかっ!」


 光の勢いとともに、高音の渦が二人の鼓膜を襲った。手が届く距離にいるというのに大声で怒鳴らなければ声が届かない。耳が痛い。頭が割れそうだ。


「お前っ、〝腐蝕〟だなんだ言ってる前にこれを何とかしろよ!」

「うるせえ!こんな気配一切なかったんだ!なんなんだよこれはっ!」

「お前に分からないものが俺に分かるかあ!さっきといい、今といい、一体何が起こってるんだ!」


 シャンが叫ぶ。

 ロウはもう一度可視化の呪文を詠唱した。


(……これは…)


 第三の目を開眼すると、さっきまでガンガンなっていた高音の嵐が鳴りを潜めた。

 世界への認識が一段階深まる感覚。

 先ほどまでとは異なり、まるで水の中に潜ったような息苦しさを感じる。

 違和感は一瞬にして去り、瞬きをして辺りを見回す。


 なんだ、これは?


 視点を下げ、渦巻く光を視認する。

 見た瞬間ロウは眉をひそめた。地面にうごめく、それは異形だ。

 視たことがないものだ。

 違う。

 それはロウにとって視知ったものだ。目を細め、さらに中を視ようとする。

 水圧が高くなるように、呼吸がしづらくなる。

 そうだ、それは、ロウが今まで息をするように扱ってきたものなはずだ。でも違う。桁が違う。完成度の域が違う。


 これは一体何なんだ?


「これは……」


 背筋が凍るような胸の高まりを感じる。

 わからない。本当にわからない。

 だけどなぜか無性に懐かしかった。

 目を閉じて、元の世界に戻る。音が一気に戻ってきて、鼓膜が破れそうだ。


「まさか………転送術式?」


 猥雑な、音の鳴る世界。


「何!?」

「これが何なのか全然、全く、これっぽっちもわかんないが、これはたぶん転送術式だ!この甲高い音で術を発動させようとしてるんだ!」

「何を転送するって!」

「わからん!」

「誰が!」

「知らん!」

「目的は!」

「シャン発動するぞ!」

「ええええええええ」

「受身取れ受身!」

「お前に言われなくたって出来るわ、あ」


 アホと言い切る前に、爆風が巻き起こった。本が、武器が、身体が、飛ばされ打ち付けられ、建物がきしむ。鼓膜が今度こそ破れそうだ。


「ロウ!」

「クッ」


 ガツンッと頭に衝撃が来る。ロウは思いっきり飛ばされると、そのまま壁に打ち付けられた。内臓が一瞬つぶれる感覚。押し出されて息が漏れた。骨がきしむ音がする。シャンは床に転がり衝撃を受け流す。

 爆風はしばらく続き、収まった頃には部屋は半壊していた。シャンはロウを一目見て無事を確認すると部屋の中央へ視線をやる。

 そして息をのんだ。


「っ、ロウ!さっさと起きろ、アホ!」


 焦ったようにシャンが言うが、軍人でもないロウはそんなすぐには起き上がれない。


 何なんだ、今日は。祭日だっていうのに。


 ロウは唇をかんだ。思い切りぶつけた後頭部が痛む。薄れそうになる意識を寸前のところで押しとどめ、無理やり瞼を開けた。


「ロウ!」

「……痛ぇ」

「平気そうだな!良かった!」

「痛ぇって……」

「おい、ぼけぼけしてる暇はないぞ!」


 呻くロウを雑に助け起こす。シャンの顔は強張っていた。ロウの耳元にささやく声も緊張して、普段の楽観さが足りない。その視線はじっと中央に向かれたままだ。まだ痛みが抜けきっていないロウは顔をしかめながらシャンの目線を追った。術式は、発動したのか。


 部屋は荒れきっていた。

 元々酷い有様だったのに致命傷を受けた感じだ。

 本と用具が壁に打ち付けられ新しい山を作っている。

 紙が部屋を舞う。シャンの武器がところどころ壁に刺さっている。

 埃がひどい。木製のベッドは半壊だ。かろうじて秩序を保っていた本棚も中身をぶちまけ倒れている。借りてきた本の上にインクがこぼれているのは見なかったことにしたい。

 床に、インクの黒い染みが広がる。隣でシャンが武器に手を伸ばす気配がした。あまりの埃にロウは口を覆うと部屋の中央を見た。


「なっ」


 思わず漏れたのは驚愕の声。

 油断なくシャンが身構える。


「……女?」

「ああ、パッと見女だな」


 半壊した部屋の中央に、女が一人倒れていた。うつ伏せで顔がよくみえないが、少女のように見える。神術師か、何かの式か。どちらにせよ、素性が怪しい奴には違いない。


「動かない」

「死んではなさそうだ。どうする」

「…そうだな」

「‼」


 ロウがそういった時、女がかすかに身じろいだ。シャンが武器を構える。と同時に、ロウがそれを制した。


(なんでだよっ)

(焦るな、まだだ)


 女は今意識が戻ったような動きでゆっくりと上体を起こす。ひどく緩慢な動きにこちらの糸が切れそうだ。シャンが目線で早くしろと急かしてくるが、今はそれを無視。気を失っているなら捕えた方がいいだろうが、意識を取り戻した今、素性がわからないものに対して短気を起こしてはいけない。焦りを、理性で押さえつける。


 女は意識がはっきりしていないらしい。焦点の合わない目で周りを見回す。あいまいな視線が、自分たちを通過するのがわかる。

 焦れる。

 まだだ。

 宙をさまよった女の視線が、こちらに戻ってくる。

 今、目が、あった。


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