第8話 邂逅

 青年は優しい、しかしどこか悲しげな微笑みを浮かべて佇む。

 隙のない三つ揃いを着こなし、まるで英国紳士のようだ。

 彼は口を開いた。

「指輪を見つけてくれて、ありがとう。僕に返してくれるかな」

「あ……はい」

 響が近寄り、指輪を箱ごと手渡す。彼はその箱から指輪を取りだし、愛しげに見つめた。


「あなたが、この邸の主人?」


 青年の視線が響を捉え、頷く。

「そう。この邸は、祖父から相続した、僕の屋敷いえだ」

 上品な微笑みを凝視する音葉の様子に、響は眉をひそめた。


「ひさしぶりだね、音葉。125年ぶり」

「⁉」

「ずっと、きみが戻ってくるのを待っていたんだよ」

 青年──恭一朗──は優しく音葉の左手を取り、その薬指に指輪をはめた。

「あ……!」

 白い光が、音葉を包む。

 それは激しく輝いて、響は目を細めたが、恭一朗は平然としていた。


「恭一朗さま!」


 音葉が叫ぶ。

 彼女の両目から、涙が溢れた。


「逢いたかった、音葉」

「私も……私もです!」


 ふたりはしっかりと抱き合った。


「どういうことですか?」


 響が問うと、音葉が涙をぬぐい、

「私は篠宮音葉。恭一朗さまのお母様の、弟の娘です」

「そして、僕のたったひとりの許婚だ」

「私は、篠宮子爵家の次男である廣通ひろみちと、平民の出である竹子たけこの間に生まれました」

「だから、僕の父に結婚を許されなかった」


 恭一朗と音葉は、一年の時を隔てて生まれた。

 ふたりは仲良く育ち、やがてその友情は愛情へと変わった。

 恭一朗はヴァイオリンを、音葉はピアノを奏で、ふたりはいつも合奏していた。お気に入りは、モーツァルトのソナタホ短調、K. 304(300c)。


 しかし。


 恭一朗の父、春日嗣臣伯爵は、音葉の生母の身分が低いことを理由に、ふたりの結婚に猛反対したのだ。そして、音葉に恭一朗と別れるよう強いた。

 音葉は渡されていた指輪と邸の鍵を返したが、恭一朗は鍵を彼女のもとに送り返した。必ず訪ねてくるようにと信じて。しかし、彼女は訪れなかった。


「僕はそれで狂ってしまった」


 恭一朗は狂乱し、自暴自棄となって……


「指輪をしまいこみ、満月の晩、この邸に火をつけた」


「──なんだって?」


 恭一朗は焼死。

 そして、自分が去ったせいで自殺した恭一朗のことを想い……


「私は自刃しました」


 死んでからも、ふたりは互いを求めあったが、逢うことは叶わなかった。


 恭一朗は邸に、音葉は自らの命を絶った場所である恭一朗の墓に、魂を留め置かれたせいだった。


 やがて、自分のせいで最愛の人が命を絶ったという、あまりに つらい記憶に耐えかねた音葉は、すべてを忘れてしまった。


「でも、あなたが私をここに連れてきてくれた」


 音葉が微笑む。それは、幸福に満ち足りた微笑だった。


「ありがとう」

「ありがとう」


「そんな……」


「きみにお礼をしなければならないね」


 ふたりの姿が白く輝きだす。

「あ、待って……!」

 しかし、もうふたりは響を見ていない。


「また、モーツァルトを奏でましょう、恭一朗さん」

「きみと僕のソナタを」

「永遠に」


光が満ちる。

 そして、響は気を失った。

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