響と音葉 出会い

第1話 出会い

 ひびきは携帯電話だけをパーカーのポケットに入れて歩いていた。

 今日は7月20日。

 時刻は17時45分。

 日没までは、まだ時間がある。

 しかし、響は急いでいた。


 に会うためには、時間がいくらあっても足りないかもしれない。

 なにしろ、その人物が住んでいる場所は、だと言われているからだ。


 緑の多い街のなかでも、とくに深い森のなかの小道を、響は急ぎ足で進んでいく。もうじき古い墓地が見え、その先に目指す洋館は建っているのだという。


 日没前の夏の日だというのに、人通りは全くない。

 楢の木、ブナの木、杉の木……。

 立っているのは木ばかりだ。


 響はジーンズに包まれた、よく締まった脚を進める。スニーカーが木の小枝を踏んで、ぱきりと音が鳴った。カラスの声が響く。

「ふう……」

 もう1時間も歩いている。

 響の家から自転車で30分。

 細い森の中の小道に入って、1時間だ。

 そろそろ休憩したいと思った。


 そんなとき。

 右側に、視界が開けた。

 誰とも知れない者たちが眠る、墓地だ。

 そこには墓参り用の設備を備えた、小さな小屋がある。小屋と言っても、壁は三方向にしかない、長椅子があるだけのものだったが。バスの停留所にある待合所のようなものだ。

「座れるか」

 呟いて、近づいていく。

 小屋の向こうに、人影が見えた。

「え?」


 ある墓標の前に、髪の長い少女が跪いている。祈っているのか。

 白いレースのワンピース。

 黒い革の靴。

 ふわり、と彼女は振り向いた。


「誰?」


 どきり、とする。


 目鼻立ちの整った、可憐な美少女だった。

 大きな茶色い瞳。

 真っ白な肌に、ほんのりと桜色の頬。

 長い、長い睫毛。

 小さな唇。

 細いが濃い眉。

 さらさらとした、長い黒髪。

 首に鎖をかけているが、そのペンダントトップはワンピースの内側に隠されていて、見えない。


「きみこそ、誰なんだ。なんで、こんな場所にひとりで?」


 幽霊か、と響は思った。

 しかし、あまりに繊細な美貌の少女で、怖くはない。


「わからない」


 少女は困ったように眉を下げて言った。


「は?」


「さっき気がついたら、ここにいたのよ。どうしてだかも、わからないわ。でも、たぶん私の名前は篠宮しのみや音葉おとはというの」

「音葉?」

「そう。でも、それしか覚えていないの。あなたは?」

「響」


 すこしばかり警戒した響は、それだけを名乗った。

 少女が頷く。


「そう。響くんというのね。ねえ、このあたりに家はあるかしら?」

「え?」

「私の家は、近くにあるかもしれない。だって、こんな恰好よ。鞄とか荷物も特にないわ。遠出してきたとは思えないでしょう?」

 確かに彼女は手ぶらで、財布も携帯電話もなにも持っていないようだ。

 響も、携帯電話に電子マネーが組み込まれていなければ、財布は持ってきただろう。 


 しかし。

 近くにあるのは、あの邸だけだ。


 ──幽月邸ゆうづきてい


 資産家の別邸かなにかだったらしいが、いまでは空き家のはずの。


「近くにあるのは空き家だけだよ。誰かが引っ越してきたって話も聞いたことないけど」

「でも、たとえば今日、引っ越してきたのかもしれないわ」


 少女は必死に そう言った。


「お願い、連れて行って」

「え?」

「ひとりじゃ怖いの。それに、あなたも もともと そこにんでしょう?」


 響はため息を吐く。

 しかし、同伴者がいて困る事情はない。

 それに、を探すには、人手が多いほうがいいかもしれない。

 第一、この少女には、が必要そうだ。


「わかった。一緒に行こう。ここからなら、もうすぐだっていう話だ。でも、少し休ませてくれないか。15分くらい」

 腕時計を見ながら そう言うと、少女は頷いた。

「いいわ。もちろん」

 

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