第27話 魔法の果実を、召し上がれっ!(後編2)


【オークマハトドラゴン】


 大戦期で航空機が主力になるまでは無敵を誇っていた大型使い魔。単体で魔力を回復するため、種はドラゴンでも立派な魔法使い系の使い魔である。


 魔法を無効化する上に戦車の砲弾をも跳ね返す異常に強固な皮膚を持つ。巨大な杭のような角を持ち、両翼で空を滑空するように飛行可能。大戦時は陸と空の両面で戦果を挙げている。


 凶悪な戦闘力と悪魔のような見た目から想像しづらいが、性格は温厚で食性は草食寄りの雑食。オーク(ナラやカシの木の総称)の葉を好んで食べることからその名がついた。また非常に頭が良く、人間が話す簡単な単語なら理解できたとも言われている。


 このように見た目にそぐわない逸話が多く、また国の最終防衛ラインとして活躍した経緯から、現在も国の内外を問わず人気が高いドラゴンである。



 後に知ったあの大型ドラゴンの紹介文である。性格が温厚、の部分は甚だ疑問だったが、使い魔とは本来、呼び出す人間の指示いかんでどうとでも変わってしまうものである。


 だからきっと、あのドラゴンも本当は優しい性格だったのかもしれない。呼び出したマスターの指示さえなければ、私達と敵対する理由も無かったのだろうから。


 今更確かめようもないのだが、私は勝手に、そう思う事にした。



「よしっ! いくわよっ! ダキニっ!」

「はいっ、マスター!」

 私とダキニはゆっくりと高度を下げた。なるべくあのドラゴンを刺激しないように。


「ここが恐らくギリギリでしょう。これ以上下げれば、あの杭の的にされます」

「分かった。ここなら何とか届きそうだし、大丈夫」

 私はダキニから離れて、自分の飛行魔法だけですー、と地面と水平に空中を移動する。


「いい! ダキニ! 絶対に無茶しちゃダメだからねっ!」

「ええ。マスターに愛されたまま死んでは、それこそ死に切れませんからね」

「ばっ、バカっ!!」

 そんな風にどきりとさせる一言を、笑顔でさらりと言ってのけるダキニ。さっきまでめそめそ泣いていた女の台詞じゃない。


「マスターの方こそ、死んだりしたらあの世の果てまでも追いかけていきますからね」

「……あんたの愛って基本重たいわよね」

 私がため息交じりでそう言うと、ダキニは少しだけ困ったように、これが私ですから、と呟いた。普通ならこれだけ離れていれば伝わらないような小声だったが、私達にはそんなものは関係ないのだ。


 ダキニの言葉は、ダキニの耳を通して聞こえる。繋がっている。


「気にしないで。私も……あんたのそういう所、結構好きよ」

 私はダキニの視線で自分の顔が真っ赤になっているのを自覚しながら、何とかそれだけは言葉にした。ダキニの頬も、ほんのりと赤く染まっている。心臓の鼓動が、とくんとくんと……。


「さっ、さて! じゃあ、始めましょうかっ!!」

「は、はい……いきましょう」

 お互いに恥ずかしくてちょっと照れ隠しするように話題を切った。いや、本当にこんないちゃいちゃしている場合じゃないんだけれど。


 私達を今も見上げているドラゴン。


 凶暴な悪魔の竜と言われてもしっくりくるような奴だが、上空に逃げた途端に大人しくなっている。案外ダキニの言うように本当に温厚な性格なのかもしれない。


 そう言えば攻撃したのもこっちが最初だっけ。そう考えると悪者なのは私達ってことになるのかしら。

いや、今更こんなこと言ってもしょうがない。もう私たちは敵対してしまったのだから。


「仲直りの印にするわけじゃないけれど」

 私はダキニに魔力を流す。ダキニはそれを受け、淡い光を放ち始めた。


 もはや習慣となっている、とっておきの魔力梨製造魔法。


 私の作る魔力梨は、私以外が食べると込められた魔力で催眠状態になる。病み付きになる程美味しいけれど、食べすぎれば酔っぱらったように正常な判断が出来なくなる。とっても危険な魅惑の果実。


 それをこれから、たっぷりと味わってもらうのだ。


「うちで育った自慢の梨、ご馳走してあげるわねっ!!」

 ダキニの体がよりはっきりと強い光に包まれ、下の梨の実に魔力が注がれていく。一度に複数の実が膨れ、ほとんど出荷待ちの状態まで育った梨がさらに一回りくらい大きくなる。


 と、どうやらこのドラゴンは、それを黙って見ている程行儀がいいわけじゃなさそうだ。


「ダキニっ!」

「大丈夫ですっ!!」

 危険を感じたのか、ぐっと力を溜め、ダキニに向かって飛び上がるようにして杭を突き上げるドラゴン。ダキニは迫る高速の杭をひらりとかわし、梨に伝える魔力を止めることなく浮かび続けている。


 ドラゴンはその巨体を再び地につけて、同じように構える。今度はさらに高く飛び、その杭をダキニの上から振りおろすように攻撃するが、やはり地上での攻撃と比べれば速度は落ちる。ダキニにとってはそれをかわすくらい朝飯前だろう。


 だが同時に、ダキニが激しく動く度に魔力が消費されていくのも事実。


「くっ! 結構きついわね、これ……」

 ダキニが動く度に私にかかる負担も結構馬鹿にならない、加えて今の私は魔力梨に注ぐための魔力、自分が浮くための魔力も消費している。残っていた魔力がガンガン減っている状態なのだ。


 魔力が尽きれば浮いてはいられない。地上に降りれば、私という足枷を抱えたダキニでは万に一つもあいつに勝ち目はないだろう。そこで私たちの命運は尽きる。


 魔力梨を作るのが先か、あいつが私達を魔力切れにして地上に落とすのが先か。



 これが正真正銘、最後の勝負だった。



「ダキニっ! まだっ!?」

「あと少し、あと少しですっ!」

 ダキニも杭をかわしながら魔力を梨に渡し続け、私も必死で浮き続けながらごりごり減らされていく魔力の消費に耐える。二人でドラゴン相手に決死の抵抗。


 ドラゴンもダキニの動きを掴みつつあった。ダキニが私を庇うような形で前に出ているため、ダキニの逃げられる範囲はどうしても狭まる。そこに気づいていた。


「ぐっ! あぐっ!」

 空中で杭をめちゃくちゃに振るうようにして、ダキニを切り裂いていく。決して致命傷はもらわないものの、ダキニの顔にも苦悶の表情が浮かんでいた。


「ダキニっ!!」

「大丈夫ですっ!! あっ、あと少しですっ!!」

 さっき傷をつけられた方とは反対の太もももまくれ上がり、足からはぼたぼたと血を流す。肩にも腕にも、生々しい傷が出来ていた。もうぼろぼろだった。


「ぐあっ!!」

「ダキニっ!?」

 ドラゴンの突きが、ダキニの腹をかすめた。ぶしゅっ、と勢いよく血が飛び散る。お腹に穴こそ開かなかったものの、凄まじい衝撃に、ダキニの視界はがくがくと揺れていた。


「ぐっ! ま、マスターっ!!」

 ダキニはドラゴンの杭を、裂かれた方の腹で抱えて、大声で、叫んだ。


「注ぎ終わりましたっ! 今ですっ!!」

「うっしゃあああああっ!!」

 私はすぐさま梨に注ぐ魔力を切り、出来上がった梨を魔法で掴む。メロン大の大きさにまで成長した禁断の果実を、容赦なくもぎ取った。


「いけええええっ!!」

 今まで特訓を続けたモノを操る魔法の要領で、無数の魔力梨を高速で飛ばす。一直線に、あのドラゴンの口めがけて。


 最初の一個を空いた口に滑り込ませ、続いてドラゴンの足で叩き落とされそうになりながらそれをひょいとかわして二個目。三個目四個目を飛ばしたところで、ドラゴンは抵抗するように口を閉じ……。


「あっ、けっ、ろおっ!!」

 ダキニの渾身の両足蹴りで顎を撃たれ、開いたところで五個、六個。


 抵抗を続け暴れ回るドラゴンの口に、次々に梨を放り込んでいく。杭をめちゃくちゃに振り回して叩き落とそうとするも、私は複雑にいくつもの梨を操作し、全ての杭をかわし、全ての梨を遠慮なく放り込んだ。あるものは宙返りさせるように、あるものはジグザグに、あるものはとんでもない急カーブを描いて。


 悪いけれど、こういう精密な操作を要求される魔法は得意なのよ、私。


「うりゃあああああああっ!!」

 ダキニの視界を借りている今、私には速すぎて見えない筈の杭の動きだってばっちり捉えられるのだ。ひとつひとつの動きだけじゃない。杭の質感、皮膚のしわ、ドラゴンの、私達の予想外の攻撃に驚く表情。全てが手に取るように分かる。


 私が、いや、私達がこの強大なドラゴンにぶつけているのは、これまでの私達の全てだ。


 喧嘩し罵り合い反省し頑張り笑い泣き愛し……。ダキニと共に過ごした日々の全て。


 今の私に出来る全てだ。


「さあまだまだっ……えっ!?」

 梨を次々叩き込むうちついにドラゴンにも変化が現れた。涎をたらし、むちゃくちゃに頭を振って大声で鳴きはじめたのだ。


「う……く、あっ」

「だ、ダキニっ!?」

 その変化とほぼ同時に、ダキニの耳からうめき声に似たダキニの声。視界が極端に狭められて、ぶつりと、テレビの電源を切るかのように真っ暗になる。


 ダキニとの感覚の共有が、途切れた。


「ダキニっ!? ダキニっ!! 返事しなさいっ!!」

 むちゃくちゃに暴れる杭にしがみついたまま、ダキニは動かなくなっていた。


 そして、ドラゴンが大きく首を横に振り、そのまま勢いをつけるようにして、振った。


「あっ!!」


 ダキニはその勢いで、振り飛ばされたのだ。


「ダキニー!!」

 私は飛ばされるダキニに、無我夢中で飛び込んでいた。飛行魔法なんてお世辞にも言えない、自分の体を掴んで投げ飛ばすような、ひどく乱暴な魔法で。


「ぐぶっ!?」

 空中で何とかダキニを受け止めるも、衝撃で意識が飛びかける。勢いを全く殺しきれない。このままでは、どこかに叩きつけられて……。


「くっ! ああああああああああっ!!」

 私は残っていたありったけの魔力を振り絞り、最後の力で全力で勢いを殺そうとした。

なけなしの魔力を全て出し切るように、後先のことなど一切考えず。


 ただただ、ダキニを助けたい一心で。


「ああああああああがぶっ!?」

 背中に走る衝撃。痛みに、肺から空気が全部漏れ出してしまう。


 私は一瞬死すらも覚悟したが、暫く痛みで悶えていると、その痛みも徐々に引いてきた。はあはあと荒い呼吸を繰り返しながら、背中の感覚にどうやら菜園の芝に落下したのだと気付く。


 ダキニを上にして、その下に私。体をもぞもぞと動かすも、手足は無事だし、どこか出血しているわけでも無い。


 結論から言えば、私は無事だった。


「っ!? だ、ダキニっ!!」

 そして私はすぐにダキニの事を思い出し、まるで眠れる森の美女のように目を閉じたまま動かないダキニに呼びかけた。

「ど、どうしたのっ!? しっかり! しっかりしてっ! ダキニっ!!」


 私はダキニの下になったまま、必死にその名を呼び続けた。


 嘘でしょ、こんな……。


「だっ、ダキニっ! ダキ……」

「んっ、あ……」


 その口から声が漏れ、瞳がけだるげに見開かれる。


「あ……マス……」

「ダキニっ!!」

 私は自分を下にしたままの不自由な姿勢でダキニを抱きしめた。


「よかったっ! よかったよおおっ!!」

 うええええ、とみっともない声をあげて私は泣いた。


 本当に、本当に良かった。ダキニが目を覚ましてくれて。


「あっ、マス、マスター!? あ、な、何でマスターが下にっ!?」

「そんなごどどうでもいいいー!! うぐわあああああー!!」

 私はダキニを抱きしめながら、良かった、良かったと何度も繰り返した。


 ああ、成程。


 失う怖さは今までもあったけれど、この感覚は初めて味わう。

 大事な人が、無事だった時のこの喜び。

 心の底からほっとするような、安心させてくれるような、この気持ち。


 ああ、本気で人を好きになると、ダキニじゃなくても泣き虫になるものなんだなあ。


「あ、あの……マスター」

「ふぐぶえええっ! だにっ?」

「その……一体どうなったのでしょう? あの、ドラゴンは?」

「ぶぁっ!?」


 そうだった。忘れていた。


「ちょ、ダキニっ! 起きて起きてっ!!」

「あぐっ! マスター! そこっ! 痛っ!」

「ああごめんっ!!」

 痛みに苦しむダキニに謝りつつ、お互い支え合うようにして立ち上がる。


 そして、立ち上がって目に入ってきた光景に、唖然とする。


「な、何、アレ?」

「さあ……酔っぱらっているのでしょうか?」

 あの大型ドラゴンは顔を上に向け、無言でただひたすらぶんぶんと首を振っていた。特に暴れるでもなく、ひたすらその意味の分からない行動を繰り返している。


「ちょ、ちょっと怖いけれど、これってチャンスよね?」

 予定通りこいつは酔っぱらって隙だらけになった。この状態で戦えばダキニの勝利は間違いなしだ。


「じゃあ今のうちにやっつけちゃおうっ!」

「そうしたいのは山々なのですが、マスター」

 私の言葉に、ダキニはすまなさそうな表情で応える。


「えっ、何!? や、やっぱりどこか痛む!? も、もう動けない!?」

「落ち着いてくださいマスター。確かに傷は負いましたが、戦えない程ではありません。ですがマスターの魔力はもう」

「あ……」

 ダキニに言われて私は杖を振る。私の中に魔力が感じられない。火の玉どころか火花だって出てこない。


 魔力切れだ。


「あっちゃー」

「そういう事ですので、私もこれ以上は動けません」

「じゃあ、えっと……どうなるの?」


 私とダキニは顔を見合わせ、今も頭を振り続けるドラゴンを見る。


「引き分け、ですかね」

「……そうみたいね」

 私ははあ、と一つため息をつく。この大型ドラゴンを無力化できたのだからもっと喜べそうなものなのに、どうにも嬉しくない。


「ごめんね。私の魔力、足りなくなっちゃって」

 魔力梨を作ってあいつに食べさせている時までは、まだそこそこ魔力は残っていたのだ。最後の、ダキニを庇って魔力を出し切ってしまったのが原因だ。


 無我夢中だったから過剰に魔力を使ってしまったのだ。魔力を大量に注ぎ込んでも結果が劇的に変わるわけではない。あのドラゴンが脅威でなくなっていたから良かったものの、そうでなかったら今頃……。


 明らかに私の失策だった。


「何を言っているんですか、マスター」

 落ち込む私とは逆に、ダキニは笑顔だった。


「私を庇ってくれたのでしょう? 残り魔力を気にする余裕がないほど必死に」

「えっ、あ、うん……」

「私にとっては、そちらのほうが嬉しいです」

 ダキニは顔を赤らめ、私を真正面から見ようとせず、ドラゴンを見ながら呟くように言った。


 その顔は、死ぬほど綺麗だった。


「ありがとうございます、マスター」

「ど、どう……いたしまして」

 私は急に恥ずかしくなって顔を伏せる。ダキニにつられるように、今私の顔も真っ赤になっているのだろう。


 どくどくと、自分の心臓の鼓動を感じる。この音はダキニにも聞こえているだろう。今更顔を伏せたって、分かり切っている事だ。


 私は顔をあげ、隣を見た。


 ダキニが、私を見つめていた。


 切れ長の目が細められ、形のいい唇が笑みを作る。頬がバラ色に染められ、私を誘う。

 どちらからともなくだった。身長の高いダキニが少しかがんで、低い私が背伸びをして。


 お互いに顔を近づけ……。


「グアアアアッ!!」

「うおっ!?」

「なっ!?」


 まるで見計らったかのようなタイミングで、大型ドラゴンが雄たけびをあげた。


「こっ、こいつまだっ!! って、え!?」

 私とダキニが警戒する暇もなく、ドラゴンはこちらを無視して、何かに夢中でかぶりついていた。


「あいつ……何を、って、あー!!」

 ドラゴンはいつの間にか菜園の一角、梨園の方まで移動していた。


 夢中でかぶりついていたもの、それは……。


「まだ魔力を注いでない梨まで……」

「これは……やられましたね」

 ドラゴンは近くの梨の木に、一心不乱にかぶりついていたのだ。


 ぐああだとかぐぎゃああだとか時折大声をあげながら、実のついている木に手あたり次第噛り付いていく。


 石臼のような歯が梨の木をいとも簡単にへし折り、バキバキと凄まじい音を立ててかみ砕いていく。


 それも一本や二本じゃない。近くにある梨の木を次々に。


 大事に育てた、梨の木を。


「これ、宗谷さんや装果になんて言い訳しよう……」

「下手に餌付けをするものじゃありませんでしたね」

 私とダキニがそう言う間にも、みるみる梨園の木がへし折られていく。


 恐らくはあの大型ドラゴンはさっきの魔力梨に味を占めてしまったのだ。錯乱させることには成功したようだが、まさかこんな結果になるとは。これ、明らかに魔力梨を使った私のせいよね?


 やがてその動きが緩慢になり、ぐうう、だか何だかうめき声みたいな声をあげ、ドラゴンはその巨体を横たえた。


 足から地面を通して揺れが伝わり、ついで低い地鳴りのような音が、ドラゴンから定期的に漏れ出した。


 要するに……いびきだ。


「何? 寝ちゃったの?」

「そのようです」

「酔って最後に馬鹿食いして、寝ちゃったと?」

「そのようです」

「……よっぽど、美味しかったのかしら?」

「そうでしょうね」


 私とダキニはそう言って顔を見合わせる。そして、どちらからともなく、笑った。


「あっはははは! あーもーふざけんなバカたれー!!」

「まったく、最後まではた迷惑なドラゴンでしたね」

「ったく、亜琳ちゃん特製の梨に夢中になってくれたのはいいけれど、お行儀ってものをもう少しわきまえて欲しいわ」

「言って聞くような者には見えませんけれどね」

 ダキニの言葉に私はそりゃそうよね、と相槌を打った。


「あーもう。もうすぐ収穫だって言ってたのに、無茶苦茶ね」

 本当に、今日一日でいろいろ台無しにしてくれちゃって。


 私の魔法少女試験はともかく、梨の収穫は装果も楽しみにしていたというのに。


「って、そうだっ! 装果の方は!? 確かあっちの倉庫に行って」

「いえ、マスター。そちらはもう解決済みのようです」

 ダキニがそう言って顔を向けた方から、こちらに駆けてくる一人の少女。


「お嬢様ー! ダキニさーん!」

 遠くからでも満面の笑みを浮かべているのが分かる。私の可愛い装果だ。


「装果っ! 無事だったのねっ!」

「はいっ! 皆で無事に、お屋敷に避難できましたっ!!」

 駆け寄ってきた装果をぎゅっと抱きしめる。装果も私の事をしっかりと抱きしめ返す。


「皆で頑張って、薫さんが助けてくれて、怖かったけれど、最後まで頑張れました」

「うん、偉い。偉いわ、装果」

 私は抱きしめたままの装果をいっぱい撫でる。ちょっとぐずりながら、何度もよく頑張ったわね、と装果を褒めた。


 くすぐったそうにしていた装果も、やがて甘えるようにえへへと笑った。


 あれ、どうしよう、可愛すぎるんだけれど。


「お嬢様ー!!」

 と、そこに加わるもう一つの声。小走りで駆けてくる宗谷さんと、いつもの調子で歩いてくる薫さん。


「宗谷さんっ! 薫さんっ!」

「ご無事ですかっ!?」

「宗谷さん達こそ無事!? 皆にけがはない?」

 宗谷さんはいつものニコニコした顔で三白眼を細めて、はい、皆無事です、と答えた。


「お嬢たちの方こそ、手ひどくやられたか?」

「あっ、うん。私は大丈夫だけれどダキニが」

「このくらいどうという事はありませんよ」

 薫さんの言葉にダキニの方を見るも、ダキニはいつものクールな感じに戻っていた。


「つばをつけておけば治ります」

「治るわけないでしょっ!! いいから病院行くわよっ!!」

 本気なのか冗談なのか分からないダキニに一喝。


「ああお嬢、今屋敷の方でドラゴンの残りがいないか探してるから、済まないがそれが終わってからにしてくれないか? それと魔法犯罪対策課の知り合いに連絡したから、来たら事情聴取くらいは受けてやってくれ。俺もこれからもう一回りして確認してくる」

「あ、ありがとう薫さん。っていうか、うちに入り込んできたあの小型ドラゴン、全部薫さんが引きつけててくれたの?」

「俺の方に寄って来ただけだ。お嬢たちこそ、随分なデカブツを相手にしてたみたいだな」


 今もいびきをかいている大型のドラゴンの方を向いて薫さんはそう言う。装果も宗谷さんも薫さんの言葉で初めて大型ドラゴンが寝ているのに気づいたらしく、二人とも目を丸くしていた。


「何とかなって良かったけれど、正直二度と戦いたくはないわ」

「ははっ、だろうな。大したもんだぜ、お嬢も、ダキニも」


 薫さんはそう言って私の頭にぽんと手を乗せる。


「……でかくなったな、お嬢」

「その言い方だと私まだ子ども扱いされてるような気がするんだけれど?」

「俺にとっちゃあお嬢はお嬢だよ」

 薫さんは笑った。相変わらず格好いいと形容していいのか、美人だと形容していいのか分からないような感じで。


 そうして耳元まで顔を寄せ、囁く。


「いい女だぜ?」

「薫さんに言われると……いや、やっぱ嬉しいわ」

 私の言葉に薫さんも子供みたいな笑みで返してくれる。そうして薫さんはダキニと一言二言言葉を交わして、見回りに出かけた。


「ダキニ、薫さんは何て?」

「病院にすぐ連れていってやれなくて悪い。もう少しマスターを守っていてくれ、と」

「相変わらず行動がイケメンで抜かりないわよね。イケメン、って例えが適切なのかは分からないけれど」

 黒髪の綺麗な長髪を揺らして歩いていく後姿は、相変わらず様になっている。薫さんは、やっぱり薫さんだ。


「私も薫さんは好きですが、私とマスターの今後の為に、やはり引きちぎっておくべきではないかとも思います」

「やめなさい」

 ダキニに釘を刺し、改めて今回の件が一件落着になってよかったとほっと一息ついた。


 うちの皆は無事。私も大した怪我はせず、ダキニもどうやら大丈夫そうだ。あんな大型ドラゴンが攻めてきたというのにこれだけの被害で済んだのは、万々歳だった。


「って、人の被害は無かったけれど、ごめんなさい宗谷さん。梨園、っていうか菜園の方はこんな事になっちゃって」

「いっ、いえっ! そんなっ! お嬢様達が大事に至らなくて何よりです。菜園は、また時間をかけて治していきますから」

 宗谷さんはむしろ恐縮するような態度でそんな風に言う。宗谷さんが大事に育てた菜園がこんなに荒らされてしまったというのに。


「それに残っている部分もありますから。梨も収穫できそうな量はありますし……」

 そこで宗谷さんは言葉を切った。梨園の方を向いて、笑顔を凍り付かせたように固まってしまう。


「え? どうしたの? 宗谷さ……」

「マスター!!」

 ダキニの突然の怒声に、只ならぬ気配を感じた。私が急いで宗谷さんとダキニの視線の先を追うと、一人のスーツ姿の男が、こちらを睨み付けていたのだ。


「えっ、な……」

 事態を飲み込めず私が何か言おうとしたところで、男が懐から黒い塊を取り出すのが見えた。


 距離があるからぼんやりとだが、男の顔にも見覚えがあった。私とダキニが魔法少女試験の試験場を知るきっかけとなった人物。


 あの日、お父様に会いに来ていた、お父様の仕事関係の人。


 恐らくあの人なのだが、その表情はあの時とは似ても似つかない。はっきりと、私に敵意を向けているのが分かった。


 手に持った黒い塊の先を、私に向けていたのだから。


 魔法でもない、科学で作られたその凶器が、私に向かって火を噴いたのだ。

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