第5話 魅惑の果実(中編)


 私の一日は、私の可愛いメイドの淹れてくれる一杯のコーヒーから始まる。


 私こと栃豊亜琳は、比較的裕福な生まれから、こんなちょっとした贅沢を許される身分である。にこやかな彼女の笑顔と、美味しいコーヒーで迎える休日の朝は格別であり……。


「おはようございます、マスター」


 特別な時間、だった。


「……おはよう」

「今日は『ペットボトル』なるものから入れたお茶にしてみました。冷たいままでも風味を失わず、保存も効く素晴らしいお茶です」

 ダキニはそう言って市販のお茶を湯呑みに注いだだけのものを恭しく差し出す。手抜きも甚だしい。というかあなた、それ、昨日私が飲ませたお茶よね?


 彼女は窓までいってカーテンをあけ放つ。朝の陽ざしが彼女を照らす。陽の光を浴びた白髪がきらりと光る。ダキニの異形の装束とスタイルのいい体が、くっきりとその光の中に浮かび上がった。


 こいつ、胸あるなあ。


「今日も良い天気です。この風の感じでは、今日は一日快晴でしょう。と、そうテレビの中の者が申しておりました」

 ああ、天気予報を見たのね。というかテレビの中の者ってあなた、ペットボトルを知らなかったことといい、いつの時代の人なのよ?


「さあ、今お着替えをお持ちしますね。それとも朝は湯あみを致しますか? 僭越ながら、昨日は私ご一緒できませんでしたから、今度こそお背中をお流ししたく……」

「装果は?」

 私は色々言いたいのを抑えてまず聞かねばならないことだけを聞く。私の可愛い装果をどこにやったの?


「彼女は、私がマスターのお世話を代わると申し出ましたら喜んで代わっていただけました。今頃は二度寝を楽しんでいらっしゃるかと」

「嘘おっしゃい。あの子あの歳で凄い働き者なんだから、二度寝なんてするわけないでしょ。それに責任感もあるからおいそれとあなたに適当な仕事を任せるわけないし」

「……流石はマスター。使用人のことも家族のようによく熟知していらっしゃいますね」

 そう言って悪びれることなくにこりと微笑むダキニ。


 こうして私の爽やかな朝は、まるで腹の探り合いのような黒さで幕を開けた。


「彼女にはマスターからの指示と言って仕事を交代してもらいました。それを聞いておろおろとしていましたが、気の弱そうな子だったので押し切りました」

「なんてことしてんのよ」

 困惑する装果の顔が目に浮かぶようだった。


「仕方がありません。私がマスターのお世話をするのはもう決まったことですから。彼女には新しい仕事なり別の働き口なりを紹介してあげてはどうでしょう」

 こいつ、さらっと装果を追い出そうとしていないかしら?


「言っておくけれど、装果は私の専属メイドで、私の魔法の弟子で、ついでに庭師見習いで、あと、私の義妹だから」

「……いもうと? お顔はあまり似ていないようですが」

「そりゃあ血のつながりはないもの。でも私の可愛い義妹」


 そこまで言うと、流石のダキニも顔色が変わる。


「も、申し訳ありませんでした。義妹様に失礼な真似をしてしまいまして」

 そのまままたカーペットに膝をついて頭を下げる。昨日もそうだったが、このダキニは頭を下げることにそれほど抵抗が無い。というより、結構慣れているように思える。土下座が板についている使い魔、もとい神様ってどうなのかしら?


 私はベッドに腰掛けたままずずず、と市販のお茶を湯呑みで啜る。うん、まあ、これはこれで普通に美味しいけれども。


「朝の装果の仕事を取らないでよね。装果には休みをあげたいくらいだけれど、あの子も真面目だから、急に自分の仕事がなくなっちゃったら気にしちゃうわ」

「はい、肝に銘じておきます」

 ダキニは土下座のままの姿勢でそう言った。


「……それとあなた、えっと、ダキニ」

「はい、何でしょうかマスター」

 私の言葉で顔をあげると、その顔にはいつもの底の見えない笑顔。

「ダキニ、その、あなたちょっと堅苦しいって言うか、もっとフランクに接してくれていいわよ? 私に仕えてくれるのは嬉しいけれど、私は何もあなたを下僕として使いたいんじゃないんだから」


 昨日から気になっていたことだ。

 この過剰なまでの従順さ。それがどうも気になってしょうがない。こいつの性格は結構したたかだし、腹黒い面もきっと持っているんだと思う。けれどもこの態度のせいでどうにも怒りにくい。いちいち土下座されるのもかえってこっちが悪いような気がするし。


「だからほら、もっとフランクに接してくれていいわよ」

「あの……マスター」

 ダキニは私の言葉に困惑の表情を見せる。

「フランク、とは何ですか?」

「え? ああ、えっと……もっと遠慮なく何でも言っていい、って意味よ」

 私が説明すると、ははあなるほどと納得するダキニ。


 そう、フランクって言葉の意味も知らない、と……。


 ダキニについて昨日調べたことで、記憶喪失の理由にいくつかの仮説が立った。


 まずこいつが嘘をついていないことが前提だが、使い魔が記憶を失ってしまう事は実はよくあることなのだそうだ。

 大原則として召喚術は死者を蘇らせる術ではない。ダキニのような神格、つまり名の知れた人物や神が使い魔として現れることがあるが、それは皆本物のコピーのようなものなのだ。


 コピーと言っても、仮にそう呼ばれているだけで本当の所は分からない。だが、確かなのはそのコピーにも優劣があること。


 優秀な術者の召喚した使い魔は本物の持っていた記憶や経験など、多くのものをそのまま引き継いでこの世界に現れる。逆に術者が至らなければどこかが欠けていたりするのだ。

 勿論コピーの完成度は術者の腕だけでなく、使い魔自身の格にも依存する。神格を持った使い魔を完全にコピーしたという話は、実際はほとんどない。


 私は魔力以外、何の準備もなしにこいつを召喚した。普通の使い魔ならまだしも、神格を持った使い魔では準備不足でコピーが上手くいかなかったのかもしれない。だからこいつが記憶を無くしているというのも、あながちウソとは言い切れなくなった。


「ねえ、でもあんた普通に日本語は使えているのよね」

「はい、そうですが?」

 使い魔がヒト型の場合、言語や一般常識などは呼び出した主人のソレに影響される。つまり外国出身の使い魔を呼びだしても、日本語が通じたりするのだ。


 だが、このダキニは私の常識が元になっているにも関わらず、ペットボトルを知らなかった。日本語を自在に操るし、風呂や茶などの言葉も知っている。けれどもテレビに対する見方も変だし、フランクなどの用語の意味も分かっていない。


 外来語に弱いのかと思えば、私の事は普通に『ご主人様』ではなく『マスター』と呼ぶ。


 これが意味する所が分からない。


「あんた、やっぱり謎だらけね」

 私が呟くと、ダキニはまたにこりと微笑む。ううむ、こいつを知るには時間がかかりそうだ。

「それで、その、マスター」

「ん? 何よ」

「先ほどの、フランク、に接しても良いという事ですが」

 ダキニは少しだけためらうように言葉を切りながら話す。こいつがこんな風に喋るのも初めてだ。


「ええ、フランクに接して。堅苦しいのは抜きでいいわ。何なら友達気分で話してくれても構わないから」

 私がそう言うと、ダキニは一瞬きょとんとした顔をして、それから、ちょっとはにかむようにして笑った。

「やっぱり、マスターはお優しい」

「ん? 何よ?」

「いえ、何でもありません。ではこれからは『フランク』にさせていただきます」


 何か意味深なことを言って、ダキニはまたふふふと笑うのだった。



――



 朝食を済ませ、私は早速菜園に出た。今日は普段着ではなく、ブレザー仕様の制服と、学校でも使用している魔法使いのローブを羽織っている。ローブの全体は白で、複数の茶と金のラインが走るデザイン。背中には我が家の家紋が青色で刺繍された、私だけの特注品だ。シルエットだけなら白衣にも見えるこのローブが、私は大変お気に入りである。


 ついでにダキニは変わらずあのドクロアクセサリー付きの奇抜な衣装。一応うちで余っているメイド服を貸してあげたのだけれど、本人曰く『これが自分の正装』だそうだ。


 他の庭手伝いのメイド達に混じって装果も既に仕事を始めている。今日も休日だというのに、相変わらず熱心に働いているようだ。


「おはよう、装果」

「あ、おはようございますお嬢様。今日は……いかがでした?」

 装果は少し心配そうにしながら私と、そして隣のダキニを交互に見やる。

「ええと、こいつには装果を困らせないようちゃんと言っておいたから、装果もこいつに流されちゃだめよ」

「あはは、はい。いえ、やっぱりお嬢様が……ダキニさんに頼んだわけではなかったんですね」

 装果はそう言って安心したように笑う。うん、やっぱりこの子は可愛い。


「そうですよ。気をしっかり持たないと、いつか悪い男に騙されますからね」

「あんたが言うな」

 装果を強引に押し切った張本人が何を言っているのだ。


「いえいえ、私は装果さんにしっかりとして欲しくてですね」

「今更そんな嘘言っても誰も信じないわよ」

「嘘だなんてひどい。私がまるで腹黒い人間のようではないですか」

「腹黒い人間でしょう? いや、あんたの場合は腹黒い神様?」

「え、あ、あの……?」

 装果は驚いている様だった。昨日の話し方とはだいぶ違うものね。


 私が遠慮しなくていい、なんて言ったものだから、こいつはだいぶ『フランク』になってきた。


「ふふ、マスター。このくらいで腹黒いなどと言ってしまっては、世の中渡っていくのに苦労しますよ? マスターは『お優しい』のですから、私は心配です」

「ご心配どうもー。でもお生憎様、あんたくらいの腹黒がそばにいたら、嫌でも耐性がついてくるだろうから、心配いらないわよ」

「それはどうも」

 お互いふふふ、あははと笑いあう。


「え、えっと……仲良くなられたんですね」

 装果は当たり障りのなさそうな言葉でコメントする。正直私とダキニの会話で引いているようにも見える。

「仲良く、ね。底の見えない腹の探りあいよりはマシになったかな?」

「私はマスターと仲良くなれたようで嬉しいですよ。『フランク』って、いいものですね」

 相も変わらずニコニコと笑うダキニ。フランクってこういうのを言うんだったっけ?


 でもまあ、含み笑いではなく普通に楽しそうに笑っているようだし、これはこれでいいだろう。


「さて、じゃあ今日も、頑張って作業しましょうか」

 私はそう言って、二人を引き連れて梨の区画へと移動する。



「作業しましょうか、とは言ったのだけれど」

 昨日と同じ場所に来る。当たり前だが、昨日と何か変わったようには見えない。

「作業って、具体的には何をするの?」

「そうですね。もうすぐ防鳥ネットを張る予定なのですが、今は特にないですね。草刈もこの間してしまったばかりですし」

「あら、そうなの? じゃあ今日は毎日の水やりをするとか?」


 私がそう言うと、装果は微笑ましそうに笑顔を作った。


「お嬢様、果樹には毎日水をやらなくてもいいんですよ」

「え? ホント?」

「ええ。土中にはちゃんと水が残っていますし」

 私は装果の言葉に驚くが、装果からすればソレが当たり前らしく、常識を知らない子供を見るような温かい目をして話している。


「水分は多すぎると土が腐ってしまったりして病気の原因になるんです。それに、水をあげずにいると木が水を求めて深くまで根を張ってくれるので、そういう意味でもあまり水はやらないです。夏の暑い日が続いた時などは別ですが」

「そのくらいは常識ですよマスター」

「ふーん、成程ねー。って、あんたは一言余計よ!」

 ペットボトルも知らなかったダキニに言われる筋合いはない。というか、あんたの常識の範囲は本当にどうなっているのよ?


「じゃあ、今日は特に作業することは無いわけ?」

「そうですね、丁度作業と作業の合間に入ってしまいましたから、しばらくはありません。あとは見回りして、木が病気になってないか、苔やキノコが生えてきていないかを確かめたりするくらいですかね」

 意外に楽なのね、と言って、梨の木を見渡す。


 紙の袋に包まれている、まだ青々とした実。陽の光を浴びて、いかにも自然の美しさと力強さを見せつけるような木々。特に世話なんかしなくても、簡単に育ってくれるようだ。


「元々果樹は成長すればひとりで生きていける強さがありますから。いえ、果樹に限らず自然の生き物は、本当は人間の手を借りずに生きていくだけの力を持っている、と宗谷さんが言っていました」

 装果はどこか嬉しそうにそう言った。


「まあそうよね。元々自然のものなんだし」

「ですが、農業はまるっきり自然そのものの中で植物を育てているわけではありません。果実がおいしくなるように、綺麗に大きく育つように、沢山取れるようにと、人間が都合のいいように環境を整えたものです。そういう所は、魔法と同じかもしれませんね」


 確かに、装果の言う通りだ。


 魔法も自然の摂理に則ったものとはいえ、まるっきりの自然そのものではない。人間がその自然を利用するべく見つけ出し、獲得した神秘なのだ。


「ですからそのための手間もかかりますし、本来存在しないはずのリスクも出てきます。それと向き合って、対策をしたりするのが私たちの仕事……と、宗谷さんが言っていました」

「うん、えらいわ装果。ちゃんと勉強してるのね」

 私はそう言って装果の頭を撫でる。普段だったら恥ずかしがって逃げる装果も、この時は照れながらも素直に撫でられていた。


「マスター、私もそのくらいのことは知っていました」

「うん? そう、あんたも結構博識なのね」

 私はダキニにそう言ったが、ダキニはそれでは不服だったようで。

「私の頭も撫でてください」

「何でよ」


 お前は装果に嫉妬でもしたのか。


「装果さん。マスターに可愛がられているからっていい気にならないでください。いつかマスターの愛を真に勝ち取るのは、この私ですから」

 ダキニはにこりと、例の底の見えない不気味な笑みを装果へと向ける。装果も少しダキニに慣れたようだが、その笑顔に若干怯えるように後ずさりする。

「何わけのわからないことで張り合おうとしてるのよ。私の装果を苛めないで」

 私は呆れ半分でそう言ったが、どうにもダキニは本気のような気がする。ちょっと変な方向で愛が重い。


 真面目に警戒しておいた方がいいかしら? 命の危機とか、そういう方面とは別に。


「じゃあ装果、あなたはこれからどうする? 今日は特にやること無いみたいだけれど」

「私は別の野菜の世話がありますので、お許しいただければそちらに向かおうと思います」

「ああごめんね。私が仕事中に引っ張ってきたのよね。こっちはもういいから、そっちに行っていいわよ」


 私はそう言って自分の世話をする梨をもう一度見る。紙の袋に包まれた梨の実はまだ小さく青い。


 うん、この時期の実でなら、試してみる価値はあるかもしれない。


「では、そうさせてもらいます。お嬢様はどうなさるのですか?」

「私はちょっと、魔法で実験してみようと思うの」

 そう言って装果にウインクして見せた。

 まだ上手くいく、なんて保証は出来ないのだけれど。


 今日は、本格的に魔法使いとして梨の栽培に挑戦してみようと思う。

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