みんなのおはなし、ベイビートーク

■小さな君と琉依の話



 私の母は

 まだ私が小さい頃

 家を出た……



 私の家は

 祖母が仕切る厳しい家庭で


 父は祖父の開業した病院で

 現在若先生として

 患者を受け持つ

 脳外科医をしている。



 私の知る父は

 それくらい……


 休みの日はなく

 顔をあわせることも

 ほとんどない、


 私は父を

 何も知らない。



 普段

 私が一緒に過ごすのは

 祖母だ。



 とても厳しい

 酷しいひと……





「琉依。帰ったのかい?」



 祖母の呼ぶ声がした。



「…はい…」



 消え入りそうなくらいしか

 私の声は出ない。


 いつも私は

 何かに

 圧し潰されてしまいそうで


 だから

 口を開くのは

 嫌い。



「三田村屋の和菓子があるからお茶を煎れてちょうだい」



 高い声が

 頭に響いた。



「…はい…」



 学校のかばんを

 自分の机において

 ダイニングへ向かうと

 祖母に会う。



 今度は直接

 顔をあわせて言われた。



「今日は何か変わったことは?」



「…いえ、…別に…」



 私は黙々とお茶をたてた。


 母がいないので

 私を育ててくれたは祖母だ。


 学校から帰ると

 毎日様子を聞かれるが

 応えたことはない。


 何も変わったことはない。



 変わったことは……




 今日

 小さい女の子に会った。


 クラスメートの

 泉谷の親戚の。




 それだけ。


 あとは何もない。

 何もしなかったから。





「…どうぞ…」



 祖母にお茶をだす。


 祖母の好きな

 三田村屋の和菓子は

 甘くてしつこくて


 吐き気がする。



「琉依もおあがり」



「…はい…」



 本当は見るのも嫌い。

 でも祖母の言葉は絶対。



 お茶は好き。


 大嫌いな和菓子を

 誤魔化してくれる。


 深いみどりが

 私を飲み込んでくれる。



 お茶をたてているときは


 何も

 考えないでいられるから……





 黙々と

 時間が流れた。



「…ごちそうさま…」



 器を片付け

 洗う。



 ただ黙々と。



 祖母は何も言わず

 じっと私を

 見ているようだったけど


 気配を無視して

 視界にいれないようにした。



 それから部屋へ帰った。



 ドアをぱたりと閉めて

 安堵の息。



 私は祖母が嫌い。






 机に向かい

 宿題を済ます。


 他にすることもない。




 と、

 携帯に電話がかかってきた。



(…誰?…)



 普段鳴ることのない

 ききなれない音を

 止める為の動作。


 ぴ、と

 通話ボタンを押した。




 途端

 手に持つ携帯から

 放たれる声が


 耳にあてるまでもなく

 飛び込んでくる。



『もしもし!?琉依ちゃんっ』



 普段とは違う

 追い詰められた声で


 彼は

『助けて』と

 そう言っていた。



(…なんで…私…?)



 そんな不思議と


 でも放っておけない

 一大事さから

 仕方なく腰を上げる。





「出掛けるのかい?」



 珍しい私の外出に

 祖母が驚いた顔を向ける。



「…うん…」



 靴を履く。



「どこへ?」



「…公園…」



 靴紐を結ぶ、

 祖母はそれ以上何も言わない。


 咄嗟に浮かばないだけかも。



「…いってきます…」



 振り向かず扉から

 私は逃げ出す。





 祖母の何とも言えない

 驚きの表情が

 脳裏にこびりついていた。


 玄関から飛び出した

 当たり前の外の空気が

 すっと胸を満たす。




 そう

 これは開放感……


 家でも学校でもなく


 私は向かう、

 自由のような身軽さで。




 泉谷の告げていた公園は

 そんな遠くない。


 …迷子か…




(…あれ…?)



 ぼんやりと記憶をたぐる。


 いつだったろう、

 私も迷子になったことが

 あったような気がする……


 泣いていた、

 私をみつけた時の

 お母さん――。




「琉依ちゃん!」



 そう…

 ちょうどこんなふうに


 ぐちゃぐちゃな顔をして

 泣いていたんだ。




 目の前にいる泉谷は

 男で


 白昼堂々泣いているのは

 普通じゃないのに。


 私はソレを

 馬鹿にできなかった。





 こどものいなくなった経緯を

 泣きながら捲し立てる泉谷に

 お母さんが重なる。


 あの時、

 私を探して


 こんなに必死に

 なってたのだろうか……




 あまりよく

 思い出せない。


 お母さんがいたのは

 小さい頃だけ。



 私は一度目を伏せ

 泉谷に言った。


 自分にも言える。


「…早く…捜して」




 今は


 迷子を

 みつけてあげないと……






 薄暗い夕闇が

 ゆっくり

 辺りを飲み込んでいく


 帰り道。




 頭の中は

 お母さんの思い出が

 思い出せそうで


 でもよく解らない。




 ぼんやりと



 そして諦めた。


 あっという間に

 家に着いてしまう。




「珍しいね、何をしてきたんだい?」


 玄関を開けた途端。



 祖母は

 待ち構えていたかのように

 やって来て問う。


 私は身が堅くなるのが

 自分でも解った。




 …なんで、

 ほっといてくれないの…


 畏怖、


 そう呼んでしまえるくらいの

 感情がわき起こる。




「…別に…」



 やっとのことで

 切り返す言葉。



「誰と会ってきたんだい」



 蛇のような目が

 じっと見ていた。




 普段出掛けない私が

 突然出掛けたのは

 祖母には不審なんだろう、


 けど。



「…クラス…メート…。迷子捜して…」



 緊張で声が掠れる。





「…まだ…宿題、あるから…」


 私は

 まだ色々聞き出そうと

 祖母が口を開く前に


 部屋へ逃げた。





 ぱたんと

 閉じた空間、


 でも緊張が解けない。



 私の身体は

 小刻みに震え止まらない。




 私は

 祖母が


 ――嫌い。



 お母さんがいなくなって

 毎日のように


 私が泣く度

 祖母は言った。



『高志の人生に傷を付けたんだよ、琉依の母さんはね!悪い女だよ。離婚だなんて、世間に顔向けならないね!あぁもう泣くのはおよし!!』



 小さな私は

 祖母が怖かった。


 お母さんを憎んでる…

 悪口ばかりを私に言う。




「…お母さん…」



 思い出すのは

 祖母の怒鳴る声ばかり


 お母さんの泣いていた

 そんな記憶ばかり……




 祖母は近所のひとに

 お母さんが私を捨てて

 出ていったと言ったらしい。


 でも

 私を連れて行こうとした

 お母さんを

 たくさん罵っていたんだ……




「…だれか…たすけて…」



 涙が溢れた。


 苦しくて死にたくて

 たまらない感情が押し寄せる。


 誰でもいいから

 助けてほしい。


 この記憶から

 私を救ってほしい。




「琉依。食事においで」


 祖母が呼んだ。




 私は慌てて溢れていた涙を

 すべて隠した。


 私は泣いちゃ駄目。


 私はいい子でいないと

 祖母はまたヒステリックに

 お母さんを責めるから。





 学校では

 またいつものように

 泉谷がうるさく

 まとわりついてくる。


 なんで…解らない。



 あんたのせいで

 今日はいつもより憂鬱…。




 あぁもう

 こどもの話とかやめて。


 私には関係ない…


 親を悪く言うのはやめて…!





 なるべく聞かないように

 窓の外を

 頑張ってぼんやり見てたのに


 我慢、もう、できない…



 私は……





 たくさん

 言葉が飛び出してしまった。


 泉谷はただ

 あの子のことが

 可哀想なだけなのに。


 たくさんたくさん

 飛び出してしまった……




 目を白黒させてる泉谷…


 言うんじゃなかった、

 何で私が泣きそうなの……!





 うつ向いた髪が

 私の顔を隠すからか


 泉谷は手を伸ばして



「…泣いてないよ…」


 髪を指でそらす

 私の顔をさらす

 私は泣かない、


 同情しないで……!




 泣いたって

 お母さんは帰ってこないよ。





 泉谷は変だ。


 言ってることが

 よく解らない。



 …サンタになるとか、

 意味不明…



 無邪気って

 幸せそうだ…



 思うのはそのくらい。




 私は

 サンタなんか嫌い。


 クリスマスなんか嫌い。


 プレゼントなんか

 いらない。



 …だって、

 私のほしいものは

 絶対もらえないんだから…








 そう思っていた私は


 やっぱり

 こどもだったのかな…?



 ねぇ泉谷。


 私


 沙希ちゃんに

 自分の大切を

 気付かせてもらったよ。


 凄いね、こどもは。



 自分に素直で

 想いを貫く。



 ワガママじゃないんだね、

 伝えるっていうのは。




 私はやっぱり

 殆どなんにも言えないけど


 本当は

 私の気持ち、


 お母さんにも

 祖母にも


 ちゃんと

 伝えなきゃいけない。



 いつか、

 勇気をだしてね。




 それに気付かせてくれた、

 沙希ちゃんに感謝だよ……。







               ―――― Thank You



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る