第8話 八重子と甘太郎

 新宿駅。

 早朝の構内こうないは会社員やら学生やらでごったがえしており、異様な熱気をはらんでいる。

 酒々井しすい甘太郎あまたろう談合坂だんごうざか八重子やえこは電車をりて改札口かいさつぐちけた。

 甘太郎あまたろう群青色ぐんじょういろのブレザーに白いYシャツとワインレッドのネクタイを身にまとい、八重子やえこも同じ色のブレザーにスカーフ、チェックのプリーツスカートといった学校の制服せいふく姿だった。

 二人の通う高校はこの駅から徒歩10分ほどのところにある。 

 八重子やえこは腕時計にチラリと目を走らせ、人ごみの中、甘太郎あまたろしたがえてスタスタと地下道ちかどうを進んでいく。

 八重子やえこの向かう先は新宿駅のバスターミナルであり、甘太郎あまたろうの向かう先はバスターミナルをえてさらに先にある都立高校だった。


甘太郎あまたろう。本当にちゃんと学校に行くのよ?」


 八重子やえこくぎすようにそう言うと甘太郎あまたろう辟易へきえきとした顔でかたをすくめてうなづいた。 

 八重子やえこ物静ものしずかな雰囲気ふんいきただよわせ、知的ちてき見方みかたによっては冷たい感じのする少女だった。

 小さなころからどちらかと言えば感情をあまり表に出す子供ではなく、そのために彼女は周囲の人間からはやや敬遠けいえんされてきた。

 その目つきのするどさと、しゃべる時に目でじっと相手を見つめるくせが相手に冷たい威圧感いあつかんあたえるからだ。

 彼女自身もいつしかそうした周囲との間にかべを作るようになっていた。

 だから通っている高校でも友達と呼べる相手はほとんどいなかった。

 だが、そんな彼女にもまるでおくすることなく、軽々かるがるかべを飛びえて無遠慮ぶえんりょせっしてくるのが甘太郎あまたろうだった。

 八重子やえこ甘太郎あまたろうとはまだ小学校に上がる前からの幼馴染おさななじみである。


「しかしあの商店街であそんでたころは、おたがいこんな商売をするなんて思わなかったな」


 甘太郎あまたろうは足をはやめて八重子やえことなりならび立つと、幼少時を思い返してそう声をかけた。

 二人が子供のころに住んでいたのは東京都のとなり、神奈川県であり、そこには二人がよく一緒いっしょに遊んだ商店街があった。

 甘太郎あまたろう八重子やえこも少ないお小遣こづかいでわずかばかりの駄菓子だがしを買ったり、商店街の中にある小さなゲームコーナーで遊んだりと、二人にとっては楽しい思い出の場所だった。


右近山うこんやまショピングモールなんて名前だけは立派りっぱだったけど、今にして思えばただのこじんまりとした商店街よね」


 無表情でそう言う八重子やえこだったが、甘太郎あまたろうは思い出すだけで楽しいといった表情で言葉を返す。


「そうか? でも味のある場所だったよなぁ。屋根が完備されたアーケードがいで、雨の日でもけっこうお客さんがいて。俺、あのころは本気で思ってたんだぜ? 大人になったらここで自分の店を持つんだって。八重子やえこだってそうだったろ?」


 甘太郎あまたろうの話を聞いて、八重子やえこは当時のことを思い出す。

 ここに店をかまえるんだと息巻いきまいていたおさな甘太郎あまたろうの話に、八重子やえこも彼の店のとなりに自分の店を持つ、などという話をしていたのもなつかしい記憶だ。

 今はもうその商店街も取りこわされ、新たな大型ショッピングモールに建て替えられたと聞いている。

 当時の商店街のたたずまいは、今や二人の思い出の中だ。

 八重子やえこはまっすぐ前を向いたまま少しだけ歩く速度をゆるめて口を開く。


「あのころはね。でもまあ、あんたも私も親が能力者だったから、遺伝いでんでいつかはこういう商売に落ち着く運命だったんでしょ」


 中学に上がる前に八重子やえこ引越ひっこしをして一時、はなばなれになった二人だが、高校に上がってすぐに再会をたすこととなった。

 八重子やえこの自宅のうらには彼女の父が経営するアパートがある。

 ある事情じじょうから甘太郎はそこに一人で住むようになり、それ以来、再び二人は毎日のように顔を合わせるようになったのだ。

 ただし数年ぶりに再会した二人は以前とはちがい、たがいに霊能力者となっていた。

 甘太郎あまたろう異界貿易士いかいぼうえきしとして、そして八重子やえこ霊医師れいいしとしての力を身につけて。


「けど、俺がこんな体になった時に、八重子やえこ霊視れいしの能力を身につけてたのは運命的だな」


 甘太郎あまたろうの言葉に八重子やえこめずらしく表情を変えて甘太郎あまたろうあおぎ見た。


「う、運命的?」

「ああ。粉屋こなやとそば屋が出会って一緒に商売やるようなもんだな」


 何の気なしにそう言う甘太郎あまたろうのその言葉を聞くと八重子やえこは一瞬だけ顔をしかめ、すぐに元の冷然れいぜんとした表情にもどって言う。


「……ずいぶんとご機嫌きげんのようね」


 そう言う八重子やえこの声にややとげがあることにも頓着とんちゃくせず、甘太郎あまたろううなづいた。


「そりゃそうだろ。カントルムの仕事なら公的な補助ほじょを受けられる。闇穴やみあな開通の通関料つうかんりょう免除めんじょされるなんて俺にとってはわたりに船だ」


 甘太郎あまたろう喜色満面きしょくまんめんにそう言った。

 彼が今朝、客の女の前で空間に開けた不思議ふしぎあな通称つうしょう闇穴やみあな』を開けるさいあなの大きさによって通関料つうかんりょうという税金ぜいきんが発生し、貿易士ぼうえきしは皆それを国税局こくぜいきょくおさめる義務ぎむがある。

 闇穴やみあなを開けることは空間に負荷ふかをかける行為こういであることから、税金ぜいきんをかけることで闇穴やみあな乱造らんぞうふせぎ、さらにはその税金ぜいきんを空間の修繕費用しゅうぜんひようてるという名目めいもくにより、こうした措置そちが取られていた。

 だが、国際的な組織そしきであるカントルムが、公序良俗こうじょりょうぞくを守るための公的な霊媒れいばい業務ぎょうむであるという認可にんかを出した業務ぎょうむの中においては、闇穴やみあな開通かいつう通関料つうかんりょう一切免除いっさいめんじょされるという特例とくれいがある。

 それは無論むろん、商人として旨味うまみのある話であり、もうけたいという気持ちから来るものだったが、甘太郎あまたろうにとってはそれ以上の意味のあることだった。


闇穴やみあなを多く穿うが絶好ぜっこうの機会。これをのがしたら俺に明日はない」


 甘太郎あまたろうは真剣な表情でそうつぶやく。

 明日はない。

 それは商売人として生きることの可否かひしめす言葉ではない。

 文字通り、人としての命を長らえることができるかどうかの瀬戸際せとぎわだという意味である。

 それを分かっているからこそ、八重子やえこも納得してうなづいた。


 甘太郎あまたろうの身の内に宿やど暗黒炉あんこくろ

 そのが生み出す魔気まき熾烈しれつきわめ、甘太郎あまたろうの身体を徐々じょじょむしばんでいた。

 強すぎる力に肉体がえられないのだ。

 八重子やえこの父親である異界医師・談合坂だんごうざか幸之助こうのすけ見立みたてでは、甘太郎あまたろうの命はこのままではあと数年しかえうることができないらしく、霊的な手術をほどこす必要があった。

 だが、今の甘太郎あまたろうにはその手術にえうる霊的な体力がそなわっていないのだ。

 それをるためには、闇穴やみあなを多く穿うがち、その霊能力を多く使うことで自らの霊的な体力を強化していく必要があった。

 しかし闇穴やみあな穿うがつほどに費用ひようがかさむ。

 そのため無税むぜい闇穴やみあな穿うがつことの出来るカントルムの仕事は甘太郎あまたろうにとっては絶好ぜっこうの機会だった。

 

 だが八重子やえこはそんな甘太郎あまたろういさめるように言った。


「明日はないなんて縁起えんぎでもないことを言うものじゃないわ。でも、この好機こうきをうまく生かせれば、あんたの運命は大きく好転こうてんすることは間違まちがいないわね」


 八重子やえこの言葉に甘太郎あまたろう神妙しんみょう面持おももちでうなづいた。

 それから少しの間、二人はだまったまま地下道ちかどうを歩き続け、やがてのぼ階段かいだんを上がって地上へと出た。

 途端とたん視界しかいに飛び込んでくる人のなみと信号待ちの車の列。

 そこには都会のあわただしい朝の光景がいつものように広がっていた。

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