閑話 巡る戦場

 私は双眼鏡を顔から外して一つ、溜め息を吐いた。

 冷たい風が頬を撫でる。夜のうちから屋敷を出発し、陣地で日の出を待った為にあまり眠れていない。だが、不思議と疲労も倦怠感も無い。

「かき集めるだけ集めてこちら方三万、ハルザス軍は十万・・・」

 私は平原に布陣したハルザス共和国軍を再び見る。横列に展開された歩兵部隊、その後方に砲兵部隊。両翼にそれぞれ騎兵部隊が配置されている。

 戦力比として一対三だ。いくら地形的有利をこちらが握っているとしても、ハルザス共和国軍の圧倒的な兵数にどれだけ耐えられるだろうか。

「ルノア様、斥候が戻って参りました」

「報告を」

 騎馬に乗った一隊が近づいてくる。私が放った斥候だ。斥候部隊の兵士は全て騎馬から降りた。

「陣地周辺に伏兵は無し。ハルザス軍は全軍を平原に展開している模様。ただ、新兵器と思しき物が多数。火砲のようです」

「新兵器・・・?」

 それがお父様の言っていた開戦の根拠、勝機なのでしょうか・・・?

「その砲は通常の火砲よりも巨大であり、それを牽引する馬の姿も確認しております」

「馬で運ぶほど、ということは威力は言わずもがななのでしょうね・・・。あなた達はアルベリク様の所に行って同じ報告をしてきなさい。最終的な判断はアルベリク様の指示通りに」

「はっ!それでは失礼いたします」

 斥候部隊はもう一度騎馬に乗りお父様のいる本陣へと向かって行った。

 遂に始まってしまう・・・。どうして私はここに立っているんだろう・・・・。

 震える手を、他者に見られないように隠した。

「総員、縄の最終確認をしてください。この戦いは我々に掛かっています。失敗は許されませんから」

「「「「はっ!」」」」







 日が現れた。ハルザス軍がひしめく平原に日の光が当てられる。

 報告にあった巨大砲。それは塔のようにそびえ立っている。

 あんなに大きな物は初めて見ました・・・。

 私は全く以て許されないことであるが感嘆のため息を吐く。

「伝令!伝令!総司令官アルベリク様からツェルスト軍中央第四中隊へ。当部隊は此方の合図に合わせて作戦を開始せよ、との事!」

 敵の巨大砲を見ていると伝令兵が本陣から降りて来た。どうやらお父様は作戦通りに進めると決められたようだ。

「了解しました。中央第四中隊は合図に合わせて敵戦列を迂回し、敵陣後背から突撃を敢行します」

 我ながら狂った作戦を考え付いた物。たかが二五〇人で十万の兵がひしめく敵陣に突っ込むのだから。

「全員、傾注」

 怖い。どうしてこんな戦場に来てしまったんだろう。叶うならサシャと一緒にずっとヴァラスクジャルブにいたかった。私の初めての友達と。でも、私のせいでこの世で一番危険な最前線に連れてきてしまった。今頃サシャは屋敷に残っているでしょう。なら私はせめて・・・・この命に代えたとしてもサシャを守りたい。私の全てを以て。

「我がツェルスト家は長らく戦いの中に身を置いてきた。だが、一度としてツェルスト家が攻勢に出たことは無い。専守防衛を貫いてきた。我らツェルスト軍が得意とするのは防衛戦。かつてこの大陸に武名を馳せる帝国の大軍を相手取り、生き残った。これはいつもの戦いの一つにしか過ぎない。敵の兵数が三倍と言うのなら、我らが一人で三人殺せば釣り合う数だ。何を気負うことがあるだろうか。我らはツェルスト軍。勇猛な黒虎の爪牙に断てぬものなど無いことを、今一度蛮族どもに教えてやれ」

「「「「おうっ!」」」」

 第四中隊の士気は最高潮に達した。全員がギラついた目をしている。

 軍楽隊の甲高いラッパの音色が鼓膜を撫でる。これは突撃の旋律だ。

「行くぞ!私に続け!雄叫びを揚げろ!突撃ッ!」

 私は腰のサーベルを抜き放ち、ハルザス軍に向け、愛馬グラニを走らせた。続いて続々と騎馬が走り出す。

「「「「うおおおおおおおおおおぉぉぉ!!!」」」」

 第四中隊は土煙を盛大に巻き上げながらハルザス共和国軍兵士十万人が鎮座する敵陣へと猪突猛進を開始した。




 東方から伝わった兵術の書、その中から私が選んだ作戦。

 敵右翼側から派手に騒ぎ立てる第四中隊が囮となり、反対の左翼側から本隊がハルザス共和国軍を叩く。

 敵の注意を引き付けるべく、第四中隊を乗せた騎馬達には縄で針葉樹の枝を括り付けてある。これによって土煙を立てて、本隊よりも第四中隊の方が兵数が多いとハルザスに錯覚させる狙いがある。本隊に気付かさせず、数で勝るハルザスの戦列を浸透突破しようとする我が第四中隊こそが本隊であると思わせるのだ。

 とにかく派手に。本隊が左翼側から敵を打ち崩すまでは目立たなければならない。

「全員、抜剣!」

「「「「うおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」」」」

 横腹を殴られた敵騎兵部隊を蹂躙していく。すれ違いざまにサーベルで撫で斬りにする。噴き出た鮮血は土煙に巻かれていった。

 止まるな止まるな止まるな止まるな!

 立ち上がろうとしたハルザス将兵の背骨をグラニが踏み抜く。硬質な破砕音はこちらが発する怒号によって失われていく。

 敵歩兵が手に持ったマスケット銃を構える。敵砲兵が大砲をこちらを向いた。

「全速前進!注意を引きつけろ!」

 こうも動き回られたら照準を付けれないはず・・・・。さらにこの土煙なら照準にも手間取るはずだ。

 自分でも自覚するほどセオリー通りのこの頭脳がそう判断する。

 敵陣の中をかき乱していると、あの巨大砲だけが変わらずツェルスト軍の本陣を睨んでいることに気づいた。

 あれだけ巨体だと小回りが利かないってことでしょうか・・・・・。

 しかし、私の予想に反して巨大砲はその砲身から煌きを放った。

「なっ!?」

 狼狽えながらも前線に立っていたハルザス軍の戦列を呑み込み、閃光はお父様のいる本陣目掛けて炸裂した。

 閃光はツェルスト軍の本陣と共に過ぎ去っていった。言葉通り、光と共に本陣は消え去った。

「は?」

 誰かが間抜けにそう漏らした。もしかしたら私だったのかも知れないが。

 先程まで混沌としていた戦場でそんな言葉が痛いほどに聞こえてしまう。だが、これは今この場にいた全ての兵士の代弁であったと自覚する。

 仕方ない、そう思わせてください。

 心のうちで自己弁論が沸き立った。目の前で起きてしまった事態を形容し、それによって沸き立つ様々な事柄の処理に対して、私の頭脳も心も矮小すぎる。

「てっ、撤たっ・・・」

 私の口が完全に開くより先に軍楽隊のラッパが響き渡る。それが指揮官の指示でもその奏者の本能的な行動であり、敵前逃亡を犯すことになったとしても誰が追求出来るだろうか。

 ここからは遠く離れた敵陣左翼側。本作戦に於いて最も打撃力を有した虎の牙は、ただ一度の瞬きによって全ての歯が抜け落ちた。




「ま、待って・・・!」

 私の声など最早届くはずもない。

 あの巨大砲は次なる目標を定める。

 銃を恐れる獣が尻尾を巻いて逃げるが如く、背嚢を捨て、銃剣を捨て、そして先程まで威高々と掲げられていたツェルスト軍の軍旗を踏みにじりながら我先にと逃げ惑う兵士達。その背中を、まるで小狐を射るかのように、徐ろに巨大砲は再び光線を吐き出した。

 何も残っていない。物も、人も、動物も、植物も。そこには焦土だけが虚しく横たわっている。きっとここではもう植生が蘇ることなどないだろう。容易く想像出来た。

「こんなのはもう戦争じゃない・・・」

 たった二、三の大砲如きが戦争を変えた。これより始まるのは対等な戦争でも何でもない。圧倒的な暴力からなる虐殺だ。

 どこで私は選択を間違えた。どこから狂い出した。私の何がいけなかった。今までのどんな責苦にも甘んじてきた私が、一体何をしたというのか。主はそれほどまでに私が憎いのですか?

 例えるならチェスを興じていたと思っていたらば、それは自分のみで相手は盤上を無視してライフルを突き付けてきたかのような、これほどの不条理を目にして私は暗黙のルールを盲信していたことを理解した。

 あの一瞬であった光の瞬きは、不条理なまでの暴虐と共に、私ルノア・ツェルストというちっぽけな存在に否応無く時代の変遷を告げると同時に、私に唯一残された決断を迫った。

「・・・・・・・ツェルスト家は、ハルザス共和国に、降伏する」

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