閑話 黒虎と呼ばれた男

 遠く、演習場から新型ライフルの銃声が轟く。最近はもっぱらその音ばかりを聞いていた。

 コイツはかねもとだからな。サシャが持ってきたときは何事かと思ったが。

 メイドが持っていたあの資料、これは戦争史を塗り替えると言っても過言じゃない。これは金になる。そう考えるとニヤけが止まらなくなるのが最近の悩みになりつつあった。

「失礼いたします、旦那様」

 書斎の机に肘をついて財政関係をまとめた書類を見ていると、扉の向こうからそんな声が聞こえた。

 幼さが抜けきった女の声だ。俺は入室の許可を出す。

「ヴァラスクジャルブ連邦より手紙が届いております。ルノア様からです」

「そうか」

 俺は書類を一度まとめて、手紙を持ってきたメイド、ローザからそれを受け取る。

 ローザのやるべき仕事は多い。手紙を渡すとローザは小さく会釈をして退室していった。

「ルノアから、か・・・」

 嬉しさ半分怖さ半分。そんな心境で手紙の封を切る。

 

『拝啓 お父様へ、

  

 こちらでの学院生活にもだんだんと慣れて友達も出来ました。

 ヴァランシの方はお変わりないでしょうか?そちらは今頃、緑の葉が色づいて落ち葉も多くなって来たのではと思います。

 お父様におかれましてはお酒などを飲み過ぎてはないですか?体調にはお気を付けください。

 また、お手紙をお送りしたいと思います。それでは御機嫌よう。

                          ルノア        』


 ルノアよ・・・、手紙を送れとは言ったがここまで事務的な物を寄こすとは・・・・。娘の情操教育をして来なかったツケが回って来たのか・・・?宛先の汚い字はサシャの物だろう、大方サシャに言われて嫌々書いたといったところか。

 俺は軽く溜め息を吐いて、机からピンクの便箋を取り出す。いつ買ったのかも覚えていないが、俺自身手紙はあまり出さないからきっとこの便箋を買ったのは軍術学院時代か。

 机の上にルノアの手紙と俺の取り出したピンクの便箋を置いてみる。

「父親の便箋の方が女子らしいとは・・・反応に困る」

 ルノアの便箋は白である。


『我が娘 サシャへ、


 手紙が届いた。連邦からここまで、手紙が届くのには一か月ほどかかるようだ。お前の手紙が届いた頃にはもう木の葉は落ちきっていたよ。

 前置きはこの程度にしておいて、お前の学院生活が楽しそうで何よりだ。人生において友という物は至高の宝と言えるだろう。お前のその出会いを大事にしなさい。

 ヴァラスクジャルブはヴァランシよりも寒いと聞く。この街から出たことがなかったお前が連邦に行きたいと言った時は何事かと思ったが、親離れかと思うとなんだかとっても笑えてきたよ。

 俺はお前の才能の為ならいくらだって投資を惜しまない。お前の人生だ、もっと我が儘になったっていいんだぞ?

 向こうでは不自由していないだろうか?何かあったら言ってほしい。食糧なんかは毎月ちゃんと届いているか?お前の好きなルーカルトの食事を送ってやれないのが悔やまれるがな。

 あとな、葡萄酒は万薬の素と言ってだな・・・・ようするにだが、俺は健康その物だ。ひ孫の顔を見るまでは俺は死なんよ。

 最後に、また手紙を送ってほしい。お前の話しを父は聞きたいのだ。楽しみに待っているぞ。

 そうだ、便箋も送っておこう。次からはこれで書くといい。

                                 父より 』


 こんなところだろうか?久しぶりすぎて手紙の書き方なんぞ忘れてしまった。

 俺は筆を戻して、文面を見直す。

「まぁ、いいか」

 便箋を封筒に詰めて、しっかりと糊付けをする。

「ローザ!ローザはいるか!」

 屋敷中に聞こえるよう、大きな声で叫ぶと二階から足音が聞こえた。

 しばらく待っていると、若干息を切らしたローザが現れる。

「い、いかがいたしました?」

「あぁ、この手紙を今日中に郵便局まで届けてほしい」

 俺は封筒を手渡す。ローザはそれを訝しそうにだが受け取った。

「かしこまりました」

 そう言ってローザは去ろうとする。

 これでよし、と。

 俺は満足したので書斎に戻った。

「あ、思い出した」

 あのピンクの便箋は、アイツを口説くときに使った物じゃないか。

 書斎の窓から遥か遠くを想う。

 きっとこんなことを想っていることがバレたら大笑いされてしまうかもな。




 冬の到来を感じさせる初雪が降ったこの日、ハルザス共和国から招かれざる客が現れた。

「御機嫌よう、黒虎。最近は景気がいいようじゃないか」

 いきなり馴れ馴れしいな。誰だコイツ。

「貴様らもな。大分、はっちゃけったらしいな。軍人が羽根筆も取るのか?」

「情報が早いな。我が国の貴族殿はもういないのでな」

「そいつはご愁傷さまだな」

 この飄々としようとする態度・・・あぁそうか。軍術学院で散々いじめてやったアロイブ・・・だったか。

「それで?アロイブ、貴様は何をしにこんな片田舎まで来たんだ?宴会がしたいなら前もって連絡をして酒でも持ってくるんだな」

「・・・・私の名を覚えているとは思わなかった」

 ってことは名前はあっているようだな。

「これでもマメな男なんでね」

「嘘を付け、アルベリク・ツェルスト。貴様がマメな男ならば黒虎などというあだ名は付けられん」

 わざとらしく肩をすくめて見せる。

 軍術学院のアロイブであっているらしいな。

「久々の友との再開を喜ぶのはここら辺にしておこう。それで・・・アロイブ共和国軍中佐殿、いかなる用件でブリュン・グラーネ帝国公爵アルベリク・ツェルストに謁見を求めるのか」

 アロイブの胸には共和国軍章と階級章が飾られている。あの階級章は中佐相当だ。

「はっ!失礼いたしましたツェルスト公、しかしこれは非公式の用件でありますゆえ」

「ほう?帝国に非公式と?」

 帝国と国交を断たれたハルザスがいまさら何をと思うが、一応聞こうじゃないか。

「ツェルスト公、我ら共和国に戻ってはいただけないか?戻って頂けるのなら将軍の扱いをさせていただきたい」

 なるほど。最近のコイツらの動きからして戦争を起こしたがっているのは理解していた。帝国がこの動きに対しての反発が怖がっているのも想像できる。

「この城郭都市ヴァランシで帝国軍の足を止めたいわけだな?いかにハルザス軍といえど遠征中に首都を落とされたら敵わない。せめて時間稼ぎがしたい、と。まぁこんなところだろう?」

 ヴァランシは両国の橋頭保、懐に仕込まれたナイフ。精強で知られるツェルスト軍を向けられるのは両国互いにストレスか。

「その通りです、ツェルスト公。我らは近いうちに正義の御旗を掲げて聖戦を始める。貴方がいれば心強い」

 聖戦ときたか。コイツら、革命が上手くいったからと言っても、あれは腐り切った王政に嫌気がさした貴族家達が支援したから成功したということを知りはしないのだ。

 革命の徒を自称する民衆が王城に雪崩れ込んだ頃には既に王族達は貴族達が軟禁していた。抵抗する気の無かった王族を私刑にする民衆など、野蛮と謗られても弁解の仕様がない。

「そこまで言うなら、勝てる見込みがあるんだな?帝国を本格的に敵に回せば連邦だって動かざるをえないだろう。それに北ばかりを見ていたら、長い間小競りあっていたターリア王国も機と見て侵攻するかもしれないぞ?最悪二、いや三正面の戦線を展開してもなお勝てると?」

「勝てる。ハルザスの正義が大陸中に知らしめられる」

 なんだ?なぜそう言い切れる?その自信はなんだ?

「理由を聞いても?」

「まだ帝国側である貴方には詳しくは言えないが、共和国軍には切り札がある。戦況を覆せるほどの切り札が。大国を同時に複数相手取って御釣りがくるほどの切り札が」

 切り札・・・脅しか?普通に考えてアロイブの言うような物はありえ無い。

「それが何か分からないうちはなんともなぁ?」

「切り札がどういった物なのか、詳しくは言えませんがどうか、どうか我々を信じていただけないか。我々がツェルスト家やその民にしたことを忘れたことはない。ましては許していただけるとも思っていない。だが、生まれ育った祖国の勝利の為に協力していただきたい」

 アロイブが頭を下げた。腰を完全に折って、コイツのプライドを無視してまで言っている。

「祖国・・・祖国だと?貴様らがあの娘にしたことが、どれほど罪深いのか分かっているのかッ!」

 アロイブは動かない。

 殴られることは織り込み済みということか。ますます気に入らなくなった。

「帰れ、血に汚れた暴虐者め。次に貴様らがヴァランシに近づいてみろ。その時は全軍を以て貴様らを滅ぼすからな」

「その虎の目、我らに向けたことを後悔なさらぬよう・・・・」

 アロウブはゆっくりと腰を元の位置に戻す。そしてピンと背筋を張って書斎から出て行った。

 怒鳴ったのが聞こえたのかローザが不安そうな目で廊下から俺を見ていた。

「ローザ、今出ていくアイツに生ごみでも投げてやれ。アイツは他国の使者でもなんでもない」

 俺がそう言うとローザは書斎からは見えなくなった。きっと逃げたのだろう。

 俺は舌打ちをして、何度も杖を床に叩きつけた。

 それほどまでに奴らは俺の神経を逆撫でた。




 あの娘を腕に抱いたとき、俺の中で何かが溶けて行った。血生臭い人生を歩んできた俺の業が、その重荷が軽く感じられた。この娘の為に生きて行こうと決めた。そう生きていけると思えるような活力が溢れてきた。

 それ以来、この娘の前では力強い父親であろう、弱さを見せない常に余裕ぶった男でいようと決めていたんだがな・・・・。

「ルノア、今回ばかりは皮を被ってはいられないらしい。ひ孫を見るまで、というのは難しくなったかもしれないなぁ・・・・」

 椅子の背もたれにぐっと体重を掛けると、体中から力が抜けていった。折れ曲がったくの字のような姿勢になって少し息苦しい。

 息をはくとさらに力が抜けてしまって、いよいよ辛くなってくる。

 その時、演習場から火薬が炸裂し変わった形状のミニエー弾とも言うべき物の発砲音が聞こえた。とても聞きなれた音だ。

 分かってる。俺が何かを為すべきときに何を握って生きてきたのかを。

「やるしかない。今度こそ俺は守り切ってみせるからなルーデリデット。たとえこの身が地獄に落ちるとしても」

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