第3話 寝台特急カシオペア車内探検編

 16:20、寝台特急カシオペアはゆっくりと上野駅を出発した。2階建て列車の1階からの景色はお世辞にも良いとは言えないが、それでもこれから旅が始まるという気分の高揚感は変わらない。夕日に照らされた線路脇の防音壁を暫し眺めたあと、私達はようやく缶ビールを開けた。

 購入してから1時間以上経過してしまった為、ビールはすっかり生温かくなってしまったがこればかりは仕方がない。どうしても飲み足らなければ車内ラウンジに行って呑めばいい。流石にケチな旦那でもそれくらいの贅沢は許してくれるだろう……と思ったその時である。


「これ呑み終わったらちょっとラウンジに行こうか」


 ビールを飲み干した旦那からラウンジへのお誘いがあったのだ。ちょっと聞いただけでは願ったり叶ったりのこの申し出であるが、相手はドケチ鉄オタである。今までの結婚生活の経験から『電車内での旦那の発言は信用してはならない』という警告音が頭の中で鳴り響く。

 キンキンに冷えたビールをすんなり購入できれば問題ないが、単に車内探検をするだけでそのままラウンジを素通りするということも大いに有り得る。せめて車内販売か自販機のビールを購入できれば御の字なのだが……。それを期待して私はラウンジ行きを承諾した。

 だがその前に車掌の検札がある。まずはそれを受けてから、と思ったらタイミングよく車内アナウンスが流れた。案の定検札と車内案内のため、車掌が順次客室を訪れるから部屋を離れないでくれとの事である。確かに検札前にうろちょろされたら迷惑だ。

 そのアナウンスに納得した旦那はようやくソファーに座った。しかし早く『探検』に行きたいのか、相変わらずそわそわしている。何せ小学校の通知表全てに『落ち着きが無い』と書かれた男だ。憧れのカシオペアに乗車してテンションが上がっている中、ソファーに座って車掌を待つというだけの簡単なお仕事も彼にとっては難しいのである。

 だが幸いなことに放送からものの10分と経たないうちに車掌さんがやってきてくれた。旦那が待ちくたびれて部屋から脱走する前に来てくれて本当に良かった。普段は歳相応に行動するオッサンだが、電車が絡むと幼稚園児よりたちが悪くなるのが厄介である。

 そんな私の心中を知ってか知らずか、車掌さんはかなり丁寧に車内及び室内の説明をしてくれた。その殆どが興味深いものばかりだったが、その中で唯一知りたくなかった情報により、私達はいきなりの大散財をすることになる。




 検札を終えてから10分後、私たち夫婦はカシオペア最後尾にあるラウンジカーに出向いていた。そこには売店があり、私が欲している冷たいビールもおつまみも勿論揃っていた。だが、それに手が出せるような雰囲気は皆無だ。何故なら旦那が『あるもの』に夢中になり、それどころでは無かったからである。

 旦那の目の前にあるもの、それはカシオペア車内限定グッズの数々だった。検札にやってきた車掌さんが『ラウンジカーの売店にカシオペア限定グッズも販売していますから、是非どうぞ♪』なんて余計な情報を垂れ流してくれたお陰で、すぐさま売店に行く羽目になったのである。

 ガラスケースにきちんと並べられた高価なグッズから、クリアファイルや絵葉書のように気楽に買えるものまで多種多様な限定グッズの数々に、旦那の目はくぎ付けだ。本当であれば鉄オタにこんなものを見せてはいけない。というか、オタク全般購入できるグッズを目の前に置かれたらその行動パターンはただ一つ、『爆買い』しかない。


「う~ん、とりあえずクリアファイルとキーホルダーとポストカードと……」


 さすがにこれから旅が続くので、重量のあるものやかさばるものは購入しなかった。それでも全部で10種類くらいのグッズを手に入れたので、値段だけはそれ相応に高額になる。っていうか鍵を2つだけしか持っていないのに、キーホルダー3つも必要なのか?

 なお旦那が持っているのは自宅と車のキーだけである。更に詳しく言うならば、自宅の鍵は無くさないようベルトにゴムひもで括りつけてあるし、車のキーも頭の部分がやたら分厚く、キーホルダーを付けられるような形状ではない。

 つまり全く必要のないキーホルダーなのに『車内限定品だから』という理由で買い込んでいるのである。因みにこれらのキーホルダーは友人や会社関係者への土産の品では決して無い。そういう方々の為には旅行最終日、無難なご当地お菓子を購入するのが旦那のいつものパターンである。

 私から見て『それも買うのか?』というものはキーホルダーだけではない。クリアファイルだってインクジェット対応の透明フィルムと自分で撮った写真があれば作ることができる。しかし悲しいかな機械音痴の上に美術の成績が極端に悪かった旦那にそんな芸当は無理だ。そんな作り方を口に出そうものなら、間違いなく私がやらされる。

 結局これらの為に支払ったお金は5000円以上、私達二人分の夕飯の2倍近くの散財だった。弁当より高いカシオペアグッズ・・・何となく理不尽なものを感じたが、全種類買い占められるよりは遥かにマシだ。結局その出費に中てられた私は、ビールではなくお茶を購入し、自分達の客室に戻っていった。

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