第4話 別離と不安



 二人で掃除を始めたものの、ウィリアムズはあまりのゴミの多さに自身とこの状況に腹が立った。窓を開け、冷たい風が部屋の中を通っても気持ちはちっともすっきりしない。この状況は何なんだ、コウの厚かましさから始まり、分身の登場で混乱し、そのせいでコウが急に来るという事態に対応できない。混沌としてる。ウィリアムズはどこかに閉じこもりたい気分だった。


「どうして、こんなに汚いんだ」

「ウィリアムズが汚くしたんだ」

「ロビンはしてないってのか」

「いや、すまん。俺たちだな」


 もしコウがこの場にいたら二人は間違いなく襲い掛かっただろう。少なくとも時間を早めた分、殴る権利はあるはずだ。でもきっとコウは「まずは俺に殴らせろ」とか言うんだろう。そんな事を想像して二人は諦める様にして怒りを納めた。


「三十分で何とかしよう」

 ロビンはペットボトルの中身を確認せずにゴミ袋に入れていく。


「そんなに時間あるのか」

 ウィリアムズは一度着たかどうかも分からない服を押入れに放り投げて嘆いた。


「大丈夫だ。大学から電車で来るそうだから、駅からの時間と具材を購入する時間で三十分」ロビンは祈る様に目を伏せて答えた。


「具材ってこっちで買うか分からないだろ、なんでさっき聞かなかったんだ」ロビンは俺と違ってバカなのか、と掃除が捗らないイライラをぶつける。


「あ~五月蠅い! 手を動かせ! 俺が聞かなかったんだ、ウィリアムズだって聞かなかったはずだろ」ペットボトルをまとめた袋をキッチンの方に放り投げて声を荒げる。


 怒鳴り合っても仕方ない。そう頭が冷えるタイミングも一緒だったらしく、二人して黙々と部屋をきれいにしていく。


「ゴミ捨ててくる」

 ロビンが台所に集めたゴミ袋をまとめて外に捨てに出ていった。


 サトシはベコベコになったティッシュボックスをゴミ箱に入れてため息をついた。「どうしてこう悪い展開は続くんだ」そうつぶやいてみると、「悪いことは続くものさ」ともう一人の自分から言い返される錯覚に陥る。ロビンのせいだ。


「錯覚だったらいいのに」


 今部屋には一人。自分しかいない。まるでただ普通に急いで掃除をしているかのような状況。この後扉から入ってくるのはコウ達だったらきっと、「おい、まだ掃除終わってないのかよ」と笑いながら手伝ってくれるだろう。……いや、そんなコウだったらいいのに。コウがもっとまともな奴だったらな、そんなことを考えながら小さいテレビの上の缶を手に取る。


「ゴミ置き場やっぱ臭いな」

 日も落ちて寒むくなってきたのか、ロビンは腕をさすりながら部屋に戻ってきた。ドアが開いたことで、窓からの風が部屋の異臭を外へ逃がした。


 今はそのことは置いておこう。と冷たい風が部屋を抜けていく様に迷いを頭から押し流した。


「ああ、いつも思うけど」「「定期的にゴミ持ってけ」」



 汁っぽいタワーとボーリング場、白い山脈が再度ゴミ袋にまとまり、服も大部分は押し入れに隠せた。畳がきちんと見える部屋になり、ゴールが見えて来た。


「よし、あとは「やばいヒトミ」様のために埃の掃き掃除、コタツの設置だな」


「ああ、何とかみんなが来ても大丈夫だな」


 時間は六時三三分。なんとか間に合いそうだと二人は安堵した。しかし、同時に二人は何か重要なことを忘れているような気がした。


「ウィリアムズ、なんか、忘れてないか」

 箒で埃を掃いながら感じている不安を言葉にする。


「ロビンも考えていたか。俺も大事なことを忘れてる気がする」

 塵取りを構えているウィリアムズは顔を上げて答える。


「……今日は鍋だったな」

「そうだな闇鍋だ」

「ルールは」「一人一品」


「「具材か!」」やっべ、と二人は箒と塵取りを放り出してドアへ向かう。「「待て待て、二人して行くことはないだろ」」

 互いの胸ぐらをつかみ勢いを殺す。

「「そうだな」」


「ウィリアムズ行って来い。さっき俺はコウと話しただろ。部屋の掃除とコタツの設置はやっておくから「やばいヒトミ」のお気に召すもの買って来い」


「ああ、わかった。具材はもう俺が決めるぞ」

 ウィリアムズは左ポケットに財布が入ってることを確認して、靴のかかとがつぶれるのも気にせずに外へ行く。


 ウィリアムズはドアが閉まる時には階段を下り始めていた。カツンッ、カツンッ、と一段飛ばしで降りていく。

 カツ、カツ、と上る音と共に女性が上ってきた。邪魔だと言わんばかりにそのまま通り抜けようとした時、

「あ、サトシくん」


「へ?」


 サトシは思わず錆びた手すりで勢いを止めた。

 顔を上げれば茶色のコートに藍色の厚手のワンピースに身を包んだ小林リカがいた。少し大きめの白いバッグからは具材を入れているだろうビニール袋が顔を出している。髪型を変えたのか前髪が短く切りそろえられている。その前髪に隠れていない額と少し太めの生足は寒さの所為か赤みがかっていた。


「足寒くないの?」

 サトシは自分の意味の分からない第一声でさらに頭の中はごちゃごちゃに混ざったおもちゃ箱になる。


「へ? ああ、ちょっと寒いかな」

 リカは口角だけを少し上げて、足元を見るように下に視線をやる。


「ああっと、ごめん、そうじゃなくて、今から具材を買ってくるよ!」


 サトシは脱兎のごとくアパートの敷地前にある道路へ走っていく。違う、違うぞ、俺。まずは「こんにちは、小林さん。髪切ったんだね、似合ってるよ」だろうが。小林さんを正面に顔を斜め四十五度でキリッと決め顔だろ。この寒空の下、暑くて足を晒すバカがいるか、あれはファッションだ。どうして否定的な事を言ってしまうんだ。

 サトシは高速で自分の愚かしさを省みる。


 しばらく走ると頭の中の情報が整理されていく。バスケット選手も驚きの切り替えしでアパートの方へ足を戻した。


 アパートに着くと小林さんは階段の踊り場まで上がり切った所だった。


「はぁっ、こ、小林さん! 先に髪切って部屋似合ってます」

 サトシは伝えるべき内容は言えたと思い、スーパーへと走りだした。



 俺は何をやっているんだ。リカさんは髪を切ってもやっぱりかわいい。いやいや、そうじゃない。まず、俺はまだ風呂に入っていない。それだ、昨日は面倒だと言って入らないまま布団に入ってしまった。臭かったろうか、いっそ歯ブラシとボデイーペーパー買って、服も新調しようか。昨日はにんにくは食べていない、歯ブラシはなしだ、ガムにしよう。そんな思考を振り払う様に全力で路地を走り続ける。

 スーパーまであと数分の位置まできただろうか。かかとをつぶした靴が飛んでいかない様にしながらスピードを落としていく。運動は高校の部活以来なにもしてない所為か、それともリカさんの所為で心拍数が高くなってしまったからか、すぐにわき腹が痛みを訴えた。


「はぁはぁ、俺はどうする。そう、まずは具材だ」

 そう元来の目的を思い出しながら息を整える。膝に手を付き、頭を振り雑念や混乱を外に追いやる。ふ

と足元に目をやると違和感に気付いた。

「はぁっ、ふー……。この靴、誰のだ」


 そう言葉にするとフツフツと胸の奥から不安が募る。サトシが履いている靴は黒い革靴だった。「俺はこんなの持ってない……」そう、何で俺は部屋から出る時に靴の踵をつぶさなきゃいけなかったんだ?普段履いているスニーカーの踵はつぶれている筈だ。今日も鍋を買いに行ったのはスニーカーでだった。サトシは首をひねり、頭の思考エンジンに火をつけた。入学式で履いた革靴かとも思ったが、普段履かない所為で押入れの奥にしまったはずだと否定する。


 サトシは靴の状態を確認した。靴紐の長さが左右ともきれいに揃えられており、靴も使い込まれていたがしっかり手入もされて居る様だ。この靴の持ち主が大切にしている証拠だ。サトシは自分が靴の手入れの仕方も知らない事からこの靴は他人の物である事が確たる事実であることを理解した。


「つまり、なんだ、この靴は先に部屋にいたロビンの靴、か」


 冷たい風がサトシの暖まったはずの体を舐め、鳥肌が立つ。同じ鍵を持ち、同じ鍋を買い、同じ財布、折れ方が寸分違わず同じレシートを持ち、同じ格好に同じ記憶と顔、それらを持ち合わせながら、どうして「ロビンの履いていた靴」は同じじゃない。


「まずい」

 まずい、まずい、まずい、頭の中で警笛が鳴り響き、サトシは再び小林リカが居るであろう、ボロアパートへ走り出した。

 体を動かすと同時にサトシは脳細胞をつなぐシナプスを活性させる。


 非科学的な事だが、他人が知るはずのない俺の記憶をロビンが持っていることから、ロビンが俺自身の分身であるとする。

 それを前提とすると、何らかの原因から分裂した事になる。なぜなら、外で身に着けているモノは全て二つずつあるからだ。鍋にせよ、財布にせよ、レシートにせよ、だ。服装の色落ち具合やレシートの折れ具合はそうすぐに用意できないだろう。鍋のレシートを見る限り、俺たちは同時に同じものを買った。

 つまり、二人になってしまったのは鍋の購入後だ。その時に鍋や、服装や鍵も分裂した。ここまでは筋が通っている。


 また、俺自身が二番目に部屋に入ったため、俺がサトシのオリジナルとは断言出来ない事になってしまう。が、この説なら杞憂で終わる。サトシという人物が小林リカに危害を加えることは考えにくいからだ。

 しかし、現に俺が履いている靴はサトシという人物の靴ではない事をサトシである俺が理解している。ということは、奴は、ロビンは、サトシの分身ではない事になる。となると最初に提言した分身という説は有り得ない。


 ロビンは他の誰か別人だ。


 どうやって俺の記憶や服装、顔、所持品等を揃えたかは分からない。だが実際に『Mrs.Doubtfire』でも妙齢の女性に変身することは出来た。そして、ロビンがサトシではない以上、小林さんに何をするか分からない。

そうサトシは走りながらシナプスを連結させ電流を駆け巡らせていたのだった。




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