第16話

 自分のことを繊細だなどと言うつもりはないが、さりとて豪快さは微塵も持ち合わせていないと思う。いつか堂々とした精神力を手に入れたいものだ。

 私はマイナスな出来事があっても可能な限り「まあいっか」と忘れるようにしている。それは下手に記憶し続けてしまうといつまでも考え込んでしまうからなのだが、私もただの人間、そういったいくつかの忘れ得ぬトラウマをちゃんと持っている。

 一人で抱え込むのも癪だし、せっかくなので抜粋して皆様にお伝えしたい。

 最も過去のものは幼稚園児の頃で、遊びに来ていた従姉妹たちと一緒に「わっほ~い」と我が家のリビングを走り回っていた私は、扇風機の土台に勢いよく足の小指をぶつけ「あんぎゃああああ!」と叫んで床を転がった。

 本当にじたばたと転がっていたことをよく覚えている。病院に行ったら見事に骨折していた。これのせいで未だに扇風機という存在がちょっと怖い。

 小学校低学年では、車の中でアメをなめようとして(そう、思い出したぞ。緑色のハート型だった)口に入れた瞬間、つるりと喉の奥に入っていき、そして私は窒息した。

 何と言うか、見事にアメが私の喉をピタリと塞いだのだ。後部座席に座っていたのだが、背もたれから天井から窓から何から何までとにかく叩きまくって暴れた。完全なるパニック状態で自分が何をやっているのかもたぶんわかっていなかっただろう。喉を押さえて暴れ、リアルに死の恐怖を感じた私。

 どうやって危機を脱したのかはよく覚えていない。ひとまず今生きているわけだから、アメを飲み込んだか吐き出したか……両親が手を突っ込んだような気もするが、この事件そのものを覚えていないようなので真相は闇の中だ。

 この件ではアメではなく窒息そのものに対する恐怖を植え付けられた。確かしばらくの間プールにまったく入れなかったはずだ。今はだいぶマシになった(水泳の授業は大嫌い)ものの、冗談でも首を絞められると反射的に攻撃してしまいがち。

 肉体的なものだけでなく、精神的なものもある。トラウマと言えばやはりそちらだろう。

 家のキッチンでふらふらしていた小学生の私は、鍋に黒く汚い液体が入っていることに気が付いた。機転を利かし、褒めてもらおうと思ってその液体を捨てて鍋を綺麗に洗った。

 そのことを自慢げに母親に言うと、「あー、あれコーヒーゼリーだったのに」と予想外の答えが返ってきて私は頭が真っ白になった。ゼラチンを煮溶かした後、粗熱を取っていたところだったのだろう。

 褒められるどころか余計なことをしてしまったとか、大好きなコーヒーゼリーが食べられないとか、色々な思いが錯綜して私は大泣きした。母親はさすが、鍋を洗ったことを褒めてくれてゼリーも新しく作り直してくれたが、今でも何の前触れもなく思い出しちょっと寂しい気持ちになる。

 他にも、図書カードを手に本屋へ向かっていたら突風でカードが消え去ったりとか、コンビニ行って帰ってきたらデニムのお尻の部分が思いっきり破れてたとか色々あるのだが、その中でもごく最近のものを一つ語ることにしよう。

 とある日曜日、私、友人W、そしてWの友人(私はあまりよく知らないコ)の三人でたまたまランチをすることになった。

 正直べしゃりにはあんまり自信のない私なのだが、この二人というのが実に大人しくて物静かなタイプだったのだ。どちらも私なんかよりよっぽど文学少女なイメージである。

 Wと私が二人きりでいる分には会話が少なくても別に構わない(それが常だから)けれど、ここにもう一人、仮に文学ちゃんとするが、彼女が加わるとなると話は変わる。

 要は人数が問題で、三人も集まってランチしているのに静かだったりしたら、これはちょっと出来れば避けたい状況だ。

 端から見たら「うーん、あそこの三人全然楽しそうじゃねーなあ」と思われてしまうかもしれず、Wと文学ちゃんも「楽しそうじゃないって思われてるかな……」などと思ってしまうかもしれないではないか。まあ自意識過剰と言われたらその通りなんだけど。

 しかし私の友人たちにそんな思いをさせるわけにはいかない!

 私と文学ちゃんを引き合わせたWの名誉もある、ここは私が盛り上げなくては!

 一人そんなことを考えた私は、ランチの間あれやこれやと文学ちゃんに話しかけ、Wにも話題を振り、どうにかテーブルの上に会話を並べ続けるよう努めた。

 考えようによっては物静かな二人にしゃべらせまくった面倒なヤツかもしれないが、こっちも必死だったのだ。

 そしていよいよ頼んでいた料理が来たのだが、ここで私は一つピンと来た。この店は私が二人にオススメした安くて美味しいお手頃レストランで、いわば私のホームグラウンド。地の利を活かすべし。

「文学ちゃん文学ちゃん、よかったらこれ食べてみて! 美味しいから!」

 私が頼んだのは一口カツの盛り合わせなのだが、この店はフライの衣に荒くて大きなパン粉を使用しており、ちょっとザクッとした面白い歯ごたえが楽しめるのだ。

 文学ちゃんはラタトゥイユ(野菜のトマト煮)なんぞを頼んでいたので、いや私もアレ好きだけどとにかく、是非ともこの肉の旨さを味わって欲しかったのだ。

 今考えたら、自分の皿から食べ物を取らせる、なんてことをほぼ初対面の人にやらせてしまった時点でテンションおかしいというか、ちょっとイタいヤツである。

 でもそれは必死だったからなのだ! 必死だったんだよぉ!

 文学ちゃんはちょっと迷ったような素振りを見せた(まあそうだよね)が、結局「うん、ありがとう」とカツを食べてくれた。

「あ、美味しいね」

「でしょ!」

 うんうん。私は満足だった。美味しいものって、どうして誰かに「これ美味しいよ!」って言いたくなるんだろう。知っている自分を自慢したい気持ちもあるだろうが、それ以上に皆が美味しいものを食べて幸せになってくれたら嬉しいな、という博愛の心が必ずあるような気がする。

 そんなものを作ってくれる人に対しても感謝の念が湧く。料理人はもちろん、農家の人とかにも「いやホントありがとうございやす!」って言いたくなるよね。

 そう、美食とは愛。グルメは世界を救うのだ。

 我々はこうして無事に温かい気分で食事をすることが出来た。

 しかし。

 店を出たところで私は自分のミスを知ることになった。


ミ「いやー美味しかったねー。なかなかいい店でしょ」

W「うん」

文「ホントにね」

ミ「カツもよかったでしょ? 私あれ好きなんだ」

文「うん。わたし普段は食べないんだけど」

ミ「えっ? カツを?」

文「フライがちょっと苦手で」

ミ「えっ」

文「肉もあんまり食べなくて。でも今日のは食べられたよ」

ミ「  」


 このときの私の「やっちまった」感をわかっていただけるだろうか。

 私は思わずWを見た。あ、そうだった、などとのたまうW。お前こらぁ! 知ってたんなら私を止めてくれよぉ! ああ何てことだ、文学ちゃんは私を気遣って苦手なカツを食べてくれていたのだ。

 もうホント最悪である。

 ひたすら謝り倒したのは言うまでもない。

 普通に美味しかったよーなどと文学ちゃんは言ってくれたが、それすら気遣いかもしれないと思うと私は気が気じゃなかった。

 皆さんもありませんか、こういう経験。まったく、過去の自分を殴ってやりたいぜ。

 というわけで、これが一番最近のトラウマなのでした。

 トラウマっつーかただの失敗談じゃねーか、とお思いの方もいらっしゃるやもしれぬが、この件を思い出すたびに申し訳ない気持ちが心にジワるので私的には立派なトラウマである。

 まあこれが一つの話題になったおかげで文学ちゃんとそこそこ仲良くなれたからよかったんだけどさ。ああマジでミスった。あああ。


 そういえばこの間テレビでパクチーが食べられない人のことをやっていた。

 私はパクチーはまあまあ好きな方だが、あの風味が苦手だという気持ちも理解しているつもりだった。

 ところが、なぜその人がパクチー嫌いかというと、自転車に乗っていたら口の中にカメムシが入り、そのときのニオイがパクチーにそっくりだったからなのだそう。

 うへえ。想像するだけで恐ろしい。

 これぞまさしくトラウマだなあ、と思ったものだ。

 そうなると、超音波を出しそびれたコウモリが口に飛び込んできたら肉が食えなくなる可能性があるので、夜の自転車は特に十分な注意が必要である。

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