1ヶ月――その1――

 はじめに。

 いや、何を、言えばいいんでしょうか。

 有り難う御座います。

 これですかね、有り難い。

 有ることが、難い、だから価値がある。それなんだと思います。


 まずは、お礼を。

 ご覧下さった皆様。

 そして、この時点でレビュー頂いております、坂東蚕様、星村哲生様、織田崇滉様、E嬢様。

 皆様の言葉は、確実に、私の魂の一部を救ってくれたように思います。いや、少し大袈裟ですかね、なんか恥ずかしいです。


 恥ずかしいと言えば、エッセイ・ノンフィクション部門で週間ランキングのトップ10あたりをうろうろしていた頃、とても恥ずかしかったです。


 とても、恥ずかしかったです!(大事なことなry


 書いて良かった、と嬉しさ半分。

 人の不幸で、と罪悪感半分。


 ランキングも下がったようですし、「はぁー、安心」と(笑)、いや笑っていいんでしょうか、続きを書く気力を頂きました。勿論、皆様からです。

 前置きが長いですか。くどいのが私の悪い癖ですね。


 では、震災より1ヶ月くらいを振り返ってみたいと思います。

 流通も正常化した頃でしょうか。

 私も、何とか、ガソリンを入手出来て……ホントにね、ここは恨み節。

 色々ありました。

 それを、俺に、使わせてくれたら! とか。

 俺に、それを任せてくれたら! とか。

 情に訴えたり、ズルしたり、すれば、もっと早く手に入ったかもしれないですけど。

 私は、ようやく地元に帰ることが出来たのでした。

 車を運転する途中、自衛隊の車両がずらりと並ぶのを遠目に、2時間の道のりです。


 さて、どこからお話しというか、書きましょうか。

 正直、前回の1週間を書いてから、ここまではすぐ書けたんですが、600字程度でしょうか。ここからパタリと止まってしまい、今に至ります。

 いえ、トラウマとかそんなもんじゃないです。

 現に、ふざけた、のんきな小説も書けてますしね。

 なんでしょう、きっかけが重要な気もします。お酒の力を借りても駄目でしたし。


 そうですね。東日本大震災で、画像検索かけてみると、だいたいトップの方に表示される場所の辺り、関連書籍なんかでも見開きのトップページとか最初の写真なんかに良く使われていた場所ですね。

 私の高校時代の通学路でもあります。

 ……防波堤とか、意味ないじゃん? って気になるやつです。


 そう言えば、高校時代、ここで別の高校に通う幼馴染みと出くわして、自転車で並びながら、Zガンダムをツタヤで全巻レンタルして観た、って話をしましたね。

 もう、その幼馴染み、亡くなってますけど。いえ、震災絡みではないので、全然まったく関係ないですけど、なんかそういうことばっかり思い出してしまうんですよね。


 当時、ガラケーで写メ……あ、これ死語ですかね、写真撮ったデータが残ってますので、それらを眺めながらいきましょうか。

 高校まで一緒だった友人の宅の近くでもありますね。幸いにして今も健在のようです。


 目の前に拡がるのは破壊の跡でした。

 廃屋なんてものでもなく、瓦礫なんてものも残っていない。おそらく取り壊されたんでしょう。周囲の建物は残っていましたから。でも、その土地に汚れた白い車がぺしゃんこのまま2台置かれているのは、とても異様でした。


 市役所の駐車場には、船が瓦礫の上にひっくり返ってましたね。

 何言ってんだ? こいつは状態ですよね。

 駐車場に、船が、ひっくり返っていました。事実だけを書いてます。


 瓦礫に埋もれる、傾いた家屋たち。

 倒壊の恐れがあるからでしょう。

 白と赤の警告文で、近付かないよう注意書きがされていました。

 その光景は、水も無いのに建物が溺れているような錯覚を見せます。

 津波とは、こんなにも痕を遺す惨事なのでしょうか。


 建物と建物の間に瓦礫の道が出来て、向こう側が垣間見えます。

 何が、『残る』と『壊れる』の境界だったのでしょう?

 建物の強度? 古さ? 津波の流れ?

 しかし、そこにも確かに建物はあったのです。


 瓦礫の山の向こうに、無事だった小さなビルがあって。

『がんばろう』の手書きの文字で布が窓に貼られています。


 がんばろう、か。


 その言葉は、確かに励ましの言葉なのだけれど、頑張っていっぱいっぱいの人には、呪いの言葉にもなり得るんだよ……

 悪気はないはずだ。

 純粋な願いであり、決意だ。

 でも、あのときの私は、この言葉を目にすべきじゃなかったと思っています。


 民家や個人商店が並んでいた狭い路地は、瓦礫を道路脇に寄せられて更に狭い道になっていました。車一台通れるかどうかって道に、砂塵とタイヤの跡が残るのです。小学校のときに、友人と背伸びして入ったラーメン屋や、果たして何度通ったかも覚えていない食堂。中学校のときには友人宅に遊びに行く際、差し入れのジュースやお菓子を買ったお店や、高校の登校前に寄って、マガジンとヤングマガジンを買ってた小さなお店も、もう無いんですね。無いんだ……


 もう、無いんだよ。壊されるのは、思い出もなのかな。


 ここからは徒歩です。

 実家の駐車場に着きました。

 陽も昇り始め、青空に僅かな朱色を重ねています。

 早朝ですので、家族もまだ布団の中でしょう。

 早く着きすぎたのではありません。

 そのつもりでした、その覚悟でした。


 私の実家は、山を切り崩した団地のような場所にあります。

 坂道を下っていけば、海まではすぐの距離です。


 この足で歩いて回って、この目で惨状を焼き付けておかなければならない。

 そんな使命感に、不思議と駆られていたのでした。


 装備は、手にした充電満タンの携帯電話。

 厚手のグレーのスウェットの上からジャージ(確かサッカードイツ代表レプリカだったと思う)、さらにフード付きの安っぽいウィンドブレーカー。

 黒い手袋と、厚底の白いスニーカー。

 肩から背中に掛けられるタイプのナイロンバッグに色々詰めて両手は自由に。

 誤解を恐れずに言えば、武器になるような多目的ツールも潜ませていました。

 そして。

 四月とは言え、早朝はまだ肌寒い。

 事実、途中、雪も降りましたしね。

 我ながら、いい判断だったと思いますよ、これは。


 私は、家族に会う前に。

 震災の傷跡を確かめに歩き出します。

 それが、けじめだと疑うこともせず。


 この小さな坂道を、何度、上り下りしたでしょうか。

 幼い頃は、親に連れられ床屋さんに通った道。

 高校に入る前は、親に無理矢理通わされた学習塾の為に通った道。

 正直、パソコンを使った学習方法だったりして、当時は面白かったんですけど、早稲田を出たって先生の道楽でやってたようなところで、あまりレベルは高くはなかったですかね。その学習塾、もうありませんけども。


 そして、この坂道は、私の親友が、九死に一生を得た道でもありました。

 その話は、もう少し後で。


 坂道を下りきった場所は、瓦礫の山でした。

 その瓦礫が、椅子やタンス、そんな家具中心だったのは、そこに生きる人たちがいた証拠のようであり、そんな生活臭を漂わせる瓦礫の上に、幾つもの車体が乗っかって並ぶ光景は、薄ら寒く感じたものです。


 ここまで、私は誰一人、人間とすれ違っていません。

 命とは、一匹すれ違いました。


 猫。


 毛並みも千々に乱れて、埃にまみれた、黒猫だったでしょうか? 埃のせいで、茶色っぽかった気もしますが。身を縮ませて、そこに佇む猫の姿は、廃墟の中の孤独、それは画になりました。

 今でも皆さんに見せたいぐらいの気持ちはあります。それぐらいです。うまく伝えられませんけれども。携帯を向けて写真を撮ろうとしたぐらいですよ。

 でも、そんな画像データは、残っていません。撮れなかったんです。


 生きていてくれて、ありがとう。


 そんな気持ちが、私の指を留めたのかもしれません。


 ここから画像データと場所を比べると、ちょっと距離が飛ぶのですが。

 記憶が確かならば、本家筋の方の道を歩いて、先祖の墓地を回ったはずです。特に墓石の倒れているようなこともなく、墓前に手を合わせて、遅くなったことを詫び、海へ足を進めたのだと思います。少し曖昧ですが。


 海へは、当然、近付けませんでした。

 黄色いテープが貼られ、黒字で侵入を禁じられていましたから。

 私はそこから引き返し、港町へ足を進めるのです。


 空は、憎らしいまでに綺麗でした。

 空の青と雲の白。

 太陽はそれらを明るく照らし、清々しくさえ感じます。

 地上は、真逆でしたけれども。


 漁港の側らしく、浮きや網がところどころに見えました。

 ここで、私は、一人のお坊さんとすれ違います。


 神とか宗教とか、まあ、少し斜に構えて語る私ですが、このときばかりは心を揺さぶられました。建物に突っ込んでいる車の辺りで、何とも言えない感情で、すれ違います。

 東日本大震災に、僧侶とかお坊さんとかで、検索すれば、見つけられる人です。


 神、って何でしょう?

 神に祈る人って何でしょう?

 助けてよ、神様。

 何で助けてくれなかったの? 神様。

 神様なら、こんな惨状、防げたでしょう?

 これは神様が引き起こしたってんなら?


 我々は、誰に、何に、祈ればいい?


 でも、あんな姿を、被災地を回りながら、失われた命に祈りを捧げる姿を見せつけられたら、無神論者だって、何も言えないよ。


 そうさ。

 私だって、神なんざ信じちゃいない。

 でも、神様! って祈ったことは、何度だってあったじゃないか。

 人の祈りや、人の行動が、誰かの心に触れたとき、それが神との対話じゃないのか?

 人間だけが神を持つのは、己を律し、より上位の存在を据えることで、自らの行動に指針を与える為だと思っていたけど。


 ううん、答えはもっと、弱くて優しくて、シンプルなのかもしれないと、思いましたよ。

 手を伸ばして掴んでくれる人、叫んで答えてくれる人、手を広げて抱き締めてくれる人、いやいや、神の価値なんて、随分下げられたものですね。


 神聖、神域、神格。


 いいじゃないですか。


 神様!


 その一言で、誰かが、元気になれるなら。


 私は、神を何にだって利用したっていいとさえ、思えるのです。


 神様、どうか。

 お願いします。

 人の世の平和の為に、どうか、その名を、お貸し下さい。


 廃墟と瓦礫の茶色の下に、空と海の青を上に。

 ちっぽけな人間が一人、存在を語るには。

 世界はあまりに大きすぎる。


 だから、どうか、神様。

 世界に、神様……

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