第十七話 カマセじゃない第二位の強さって半端じゃないよね④


 結果は一瞬だった。


 アスタロトが乗っているドラゴンを中心に縦横無尽の嵐が生じる。近くに積み立てられていた壁の煉瓦など反論を許さずに崩れるレベルの暴風が。更にその煉瓦までも暴風の一員となって二次災害の被害を増加させようとしている。

 種族として強靭な肉体を有している悪魔とは違い、脆弱な人間が巻き込まれればそれだけで肉を削ぎ落とされ絶命してしまうだろう。

 これが、アスタロトの目的だった。

 決して自らの手を汚すことはなく、攻撃とも呼べない攻撃で目標を仕留める。

 ジークを守ろうとしていたベルゼブブにとって、これ以上ない屈辱を与えられる。

 そもそも、これから守りに入ろうとした所で絶対に間に合わない。なにしろ、最初にジークを踏み潰そうとした時から、この位置関係に状況が移動するよう調整していたのだから。

 全ては計算内。

 だからアスタロトは勝利を確信していた。

 

 そのはずだった。

 

 渦を巻いた竜巻が横向きに倒れたまま進み、四方八方へ瓦礫を撒き散らしながら破壊の化身となってジークをのみ込もうとした直後。

「なっ、に!?」

 思わず叫んでしまったのは、アスタロトの方だった。

 ベルゼブブが背中に背負っていた大剣を鞘から抜き、手首を半回転ほどさせて柄を肩の高さに維持したまま刀身を地面に着くギリギリにまで下げる。その構えのまま、たった一度、ほんの一回大剣を振り上げただけの動きで。

「……止んだ?」

 ジークの頭に乗っていたカミオも、唖然としたように口を開いていた。

 アスタロトもまた、信じられない光景を目撃した表情で、

「まさか、大剣を振っただけの動きで、ドラゴンの一撃を相殺させたのですか……!?」

 仕組みは単純。

 お湯が張った浴槽をイメージすると分かりやすいが、一定に動きが安定している波は、逆側からまったく同じ波幅と大きさの波を与えると双方ともに消えてしまうのと一緒だ。風や竜巻というのは発生原因や威力の差こそあれ、簡単にいえば大気の振動という言葉で位置づけ出来てしまう。

 ならばその振動を中和する振動をぶつければ、それは簡単に消えてしまうのだ。

 説明をするのは容易だが、それが難しいことはわざわざ説明するまでもないだろう。特に現状の場合、ドラゴンが起こしたものと同等の嵐を起こさなくてはならないのだから。しかもベルゼブブが立っていたのは向かってくる嵐の正面ではなく側面。

 だが。

「別にそこまで難しいことじゃねぇ。そいつがリリスやサタンじゃねぇ以上、確実にオレよりは格下なんだからよ」

 大剣を掲げたまま、蠅の王はあっさりと嘯いた。

「こんなことはちっちゃい自分の子供に敵対心を向けられるようなもんだ。子供とはいえイラつきはするが、それ以上にウェイトを占めるのは微笑ましさだろう? 子供がどれだけ本気を出しても、大人の手加減にすら敵わねぇのと一緒だよ」

「…………ふざけないでください」

 一見しても、その理屈は通っていない。

 そもそも大剣を下から上に振るっただけで、どうやったら竜巻と同じ空気の波を生み出せるというのだ? いや、そう思ってしまうのは攻撃をした側のアスタロトにもさえ気流の流れなど見えていないからだけなのかもしれない。

 違う。

 アスタロトはその方向に向かおうとする自らの思考の手綱を何とか制御する。

 ベルゼブブは気流の流れを見ているわけでも、ましてや読んでいるわけでもない。だけどそれが出来る。もはやそういう領域に足を突っ込んだ存在。人が無意識に自転車に乗ってバランスを制御するのと同じレベルでドラゴンの一撃を消し飛ばす、不条理の理論。

 ベルゼブブは口元を下げ、嘲笑う。

「惚けてる場合かアスタロト。お前の隠し玉はそれで最後なのか? だったら今すぐにでも跪いて首を垂れろ。額を地面に擦りつけて一晩中許しを請いたら命だけは奪わないでやる」

 これが第一階級公爵。

 これが『蠅の王』。

 これが悪魔ベルゼブブ。

 凡百の悪魔が束になって挑んでも倒すことの敵わない、あのリリスやサタンと同等に振る舞え、同等に戦えるほどの力を持った存在。

 アスタロトの喉が干上がった。

「ふっ……、ざけないでくださいッ! 私が! 私がこの日のためにどれだけの準備をしてきたかも知らないで! お前に察されないように細心の注意を払いながら下準備を続けてきたというのに!!」

 叫んだアスタロトの背中から二枚の翼が顕現する。ドラゴンのそれとはまた違う、翼を構成する一枚一枚の羽根にすら意志があるかのように蠢いている。漆黒、と表現するほどではないが、全体的に与える印象としてはそれぐらいが丁度いい。

 二枚の翼はアスタロトを包み込むように現れた後、ゆったりと羽ばたき始める。

 ベルゼブブはわずかに眉をひそめた。

「おい、それはやり過ぎだ」

「構いません。ここでやり遂げられず、再びお前の配下に戻るぐらいなら、ここで死んでしまったほうが遥かにマシな結果です」

「ふざけんなよ。単に死ぬだけで終わると思ってんのか。そりゃ天使の翼だろ? 悪魔として伝えられてるお前が天使としての力を使い始めたらどうなると思う? 自己矛盾に耐えきれなくなったアスタロトって存在が、地獄に落ちるでも天国に上がるでもなく、ただただ消滅しちまうだけになっちまうんだぞ」

 対してアスタロトの反応は淡白だった。

「構わない、と言ったはずですが? それとも、この期に及んでまで私を心配してくださっているのですか?」

「んなわけないだろうが」

 言葉と共に二体の悪魔が激突した。

 大剣を構えつつアスタロト目掛けて真っ直ぐに突っ込むベルゼブブに対し、アスタロトの方は右手側の翼を思い切り叩き付けた。大質量の鈍器で岩を叩いたような音がしたが、ベルゼブブの進む速度は緩んでいない。

 翼からこぼれた羽根が落ちると同時に地面が爆発するが黒髪の悪魔は気にも留めない。

 ベルゼブブにとって、そんなものは攻撃ですらない。

 そのままアスタロトに肉薄し、大剣を振るおうとしたその時。

「……ち、そういやこいつも居たっけかな」

 舌打ちするベルゼブブの大剣が彼女の頭の上で止まっていた。

 もちろん彼女の意志ではない。

 アスタロトの下僕になっているドラゴンが、その凶悪な爪をもってベルゼブブの大剣を押し止めていた。体長10メートルにもなるドラゴンの腕力はベルゼブブ以上なのか、彼女が掲げた位置から微塵も動かせない。

 そしてその隙を見逃すほどアスタロトは馬鹿ではない。

 アスタロトは再度、翼を広げその身を宙へと舞い上げる。

「このまま天使としての力を使えば自己矛盾で消滅すると仰っていたようですが、それは間違いです」

 飛翔したアスタロトはドラゴンを超えた位置で制止し、二枚の翼から無尽蔵な羽根を落とす。

「もともと、悪魔に落ちる前の私は、天使の中でも最上級に位置する熾天使(セラフィム)だったのですから。かのルシファーやミカエルには力及ばずとも、相性でいえば悪魔になど負ける道理はないのです。そして、お前が『高貴な館の主』として自分自身をを変革したように、私も自らを熾天使として変革させていたのですからッ!!」

 光が、アスタロトから溢れ出た。

 それは彼女の言葉を信じるとすれば天使の光なのだろうか。


「さぁ、群がる小汚い蠅の王よ。天使の恩寵をその身に浴び、消え去りなさい」


 言葉と共に、アスタロトの背中から新たな翼が現れた。

 その数は六。

 六枚の翼がひとりでに動き、左右から、上下からベルゼブブを挟み込もうとする。

 ただの攻撃ではない。天使の恩寵を加えたこの攻撃は、並の悪魔が受ければ一瞬の内に蒸発するほどの熱量を放っている。

 そもそも天使と悪魔とは対極の存在ではない。

 関係としては、捕食者と餌のようなもの。餌となるハエがどう足掻いても爬虫類に勝てないように、悪魔では天使に勝てない。

 たった一枚にでも触れれば死んでしまう翼が、縦横無尽にベルゼブブに襲い掛かった。

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