第13話 ミャンマー バガン行きのバスの中

バガン行きの長距離バスで、僕は酷い眠気と寒気に襲われていた。


昼過ぎにヤンゴン市内を出発して現在は何処をどう走っている全く解らない。


ミャンマーも雨季に入っている為ジメジメとして外気は暑いのだが、バスの中は一転。極寒である。冷房が効きすぎなのだ。途轍もなく寒い。それもそのはず。ミャンマーの長距離バスは日本製なのだ。恐らく中古だと思われる年季の入ったタイプだが、冷房の機能は抜群である。故に寒い。


更に、前日の夜は興奮と不安でなかなか寝付けなかったのにも関わらず車内で流れる妙なテンションのコメディドラマがうるさくて眠れない。それを見て笑っている前の席のおばはんがうるさくて眠れない。車内で流す映像としてはコメディドラマは完全にチョイスをミスってると僕は思った。


寒気と眠気。人の精神を蝕むにはもってこいのタッグである。ただでさえ自分とモルさんを比べて落ち込んでいたのに、こんな状況もあって僕は一層イジケてしまっていた。


途中でバスは、サービスエリアと呼ぶにはあまりに貧相な空き地に建てられた売店に立ち寄った。特に買いたい物もなかったが、少しでも体温を取り戻したいのと無性に煙草が吸いたかったので、僕は外へ出た。


売店で飲み物とお菓子を買う。驚いた事にそこで思わぬ再会をした。


売店で売っていたスナック菓子になんと母国の英雄、黄色いネズミさんこと「ピカ◯ュウ」さんが載っていた。多分オフィシャルだと思う。いや多分。


こんな遠く離れた異国の地でまさか小学生の頃からの旧友に出逢えるなんて。僕は嬉しさのあまり、値段も見ずに買ってしまった。食べてみると味も素っ気もない菓子だったが、パッケージに写るピカ◯ュウさんを見ていると少しだけ元気が出た。


『英語も喋れないから隣の席の奴とコミニュケーションもとれない。言葉が解らないとはこうも苦痛なことなのか。それに比べこんな辺境の地でパッケージを飾っているピカ◯ュウ。彼の方が俺よりずっとワールドワイドでタフガイだ―――――――当時の日記より引用』


バスに戻っても相変わらずの寒さで、火照った身体は一瞬で底冷えし始めた。


眠れないので外の景色を見ている事にしたのだが、僕にはさっきから気になっている事があった。


僕の席の後ろでやたら盛り上がっている男女がいる。二人は英語での会話をしているのだが、男の方はヨーロッパ系である事は先ほど立ち上がった時に確認している。しかし女性の方が、アジア系なのは分かっていたが話の内容から察するに、どうやら日本人の様なのだ。やれ富士山は綺麗だとか、寿司は美味いとか。是非また日本に来てくださいとか。そんな会話をしているのだ。しかも彼女は会話の端々で「えーっとそれは‥」等の日本語を挟んでいる。これはもう間違いない。


僕は思い切って次の休憩で彼女に話かけてみる事にした。


「あああのすみません。日本人の方ですすすよね」


挙動不審全開のテンションで僕はトイレから出て手を拭いている彼女を直撃した。


「あー!日本人ですよお!私の他にもいたんですねえ!良かったぁ」


笑うとコロコロして可愛らしい彼女の名前はマユさん。僕より2歳年下で、ワーキングホリデーで会得した英語を武器に一人でアジアを回っている勇気ある女の子だった。


僕らは休憩時間の度にバスから降りて、とりとめの無い会話を楽しんだ。僕は休憩時間が待ち遠しかった。寒気と眠気に襲われる道中だったが、マユさんのお陰で何とか無事にバガンに着く事ができた。


昼過ぎに出発して、到着したのは現地時間で夜の3時半だった。到着時間を夜中の三時半に設定しているミャンマーの長距離バスの会社はいかがなものかと思ったがとにかく無事に着いてホッとしていた。


冷房と永久にループし続けるコメディドラマから解放されたのは良かったが、降りろと言われた所はだだっ広い空き地で特にホテルの予約もしていない僕は暗闇の中に取り残された。


「あれ?どうしたんですか!?」


声に後ろを振り返るとマユさんがポツンと立っていた。


「いや実は、バガンまで殆ど無計画で来たので。ホテルをどこも予約していないんです」


「あらら。奇遇ですね。私もなんですよ」


驚いた事にマユさんも同じ状況にいたらしい。


周りは漆黒の闇が広がっており、時折人力車の様なものに乗ったミャンマー人が執拗に僕らに「乗りなよ!ヘイ!乗りなって!」とアプローチしてくる。


「多分あの人たちに着いて行くと、ちょっと高いゲストハウスに泊まるハメになるかもしれませんよ」


マユさんが僕にそっと耳打ちしてくれた。


「そうなんですか!?どうしよう…」


僕は一瞬、このままここで朝になるのを待とうと思ったが自分のバッグにミャンマー版地球の歩き方が入っているのを思い出した。


「ああ!コレ!バガンの周辺地図が載ってます。ここの宿に日本語が喋れるミャンマー人スタッフがいると書いてありました。僕、ここに行こうかな」


「良いの持ってるじゃないですか。さすがです。私はその先のゲストハウスが安いみたいなのでそこにしようかな。途中までご一緒していいですか?」


僕はマユさんの提案を喜んで受け入れた。深夜に女の子と二人で異国の道を歩くなんて随分ロマンチックだと思えるが、当時の僕は彼女の英語力にすっかり頼る気でいた。なんとも野暮な男である。


「もちろん。行きましょう!歩いて行けるはずです」


しきりにクラクションを鳴らす人力車の奴らを尻目に、僕らはテクテク歩きだした。どうやら地図は正確なものだったらしく、しばらく行かないうちに僕の探していたゲストハウスを見つけた。呼び鈴を鳴らすと深夜にも関わらず中から男が出てきた。おそらくあの長距離バスに乗ってくる外国人が一日に少なからずいるのだろう。しかし、どうやらこの男は日本語は解らないようだ。


「あのー、えっと、ワンパーソン、キャナイゲッタ…」


「彼はここに泊まりたいみたい。部屋は空いてる?(流暢な英語で)」


「空いてるよ。キミは泊まらないの?(英語で)」


「私はこの先のとこに泊まるわ。彼をよろしくね(英)」


期待していたとは言え、僕はマユさんと男のやり取りをただ呆然と眺めて関心していた。やはり英語が喋れるというのは凄い。


「大丈夫みたいです。値段もそこまで高くないですね」


「すみませんなんか頼ってしまって」


「全然良いのです。私もここまで二人で来れて安心でした。ありがとうございました」


僕らはここで別れることになった。彼女は限られた旅費でやりくりしなければならない為、少しでも安いところに泊まりたいらしい。


「それじゃあ、またどこかで」


「マユさんも、お気を付けて」


僕は明るくなり始めたバガンの空の下、一人で歩く彼女を見送った。


男に案内された部屋はかなり広かったが、かなりの湿気とカビ臭さで快適とは言い難かったが極寒のバスよりはいくらかマシだった。


それよりもこんな辺境の地で若い女の子を一人で行かせてしまって本当に良かったのかという疑問が頭をよぎっていた。いくら勇気があって英語に長けていても女の子だ。きっと心細いだろうに。僕は男として、自分が情けなくなっていた。


ひとまず考えるのは止めて寝ようと思いエアコンのスイッチをいれた。しかし今度は困った事に部屋のエアコンがつかない。極寒地獄の次は灼熱地獄かと思ったらうんざりしてきたので流石に部屋を変えてもらうことにした。


僕は部屋を出てロビーに向かった。するとそこで信じられない光景を目にした。


「あれ!?どうしたんですかマユさん!?」


なんとそこにはさっき別れたばかりのマユさんの姿があった。


「私、戻ってきちゃいました。ここに泊まろうと思って」


そう言って彼女は可愛らしく笑って、僕に部屋の番号が入った鍵を見せてくれた。僕の部屋の隣の部屋だった。


その瞬間、僕の中で初めて彼女への異性としての感情が産まれたのだった。


続く

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