第11話 ミャンマー 再び町のレストラン


「マジかよ。そりゃ最高だわ。キミ、なかなかやるね」


トウマさんはそう言って生ビールのジョッキを煽った。


「でもさあ。本当にいるんだね。そんな人。あたしもノートでは読んでたけど」


エリさんは頼んだ生ビールきは殆ど手をつけていない。あまりお酒は飲まないみたいだ。


「僕も驚きました。でもあのノートがあって本当によかったです。なかったら騙されてました」


僕ら三人はゲストハウス近くのレストランに来ていた。例のウェイターが若い男の子ばかりのレストランである。


「まあ良かったじゃんか。タイの仇をミャンマーでとったわけだ。日本人を食い物にする連中には容赦すんな?」


「はい!」


僕はすっかりいっぱしの旅人気取りだった。英語が喋れないという現実、行き先を決めてない現実から目を背ければその日は最高の夜だった。見知らぬ人と友達になり、異国の地で得体の知れない料理をつまみながら生ビールを傾けている。僕の人生の中でこれほど充実した瞬間はなかった。


「ところで、これから一体どうするの?」


エリさんが僕とトウマさんに質問した。


「俺はマンダレーに行く。もう一つの都市って言われてるくらいだからね。それ見るまでは帰れないよな」


エリさんは、と問いかけてみる。


「あたしは日本に帰る。もう仕事しないとね。でも良かった。ミャンマー来て。最高の旅行になったよ。んで?キミは?」


その時の僕にはドキッとする質問だった。


次は何処へ行くのか。本当は目的の無い旅をしている僕にとっては一番の課題である。


「決まってないんです。全然」


僕のしんみりした顔つきを見て、トウマさんが笑いながら言った。


「じゃあさ、俺決めて良いかな?次の行き先」


「え?」


「ちょっとトウマくん」


エリさんも流石にそれはという顔をする。


「だってさ、決まってないんだろ?俺もさ、自分の行き先を決める事はあってもひとの行き先は決めた事はないんだよな。ま、これも経験としてさ。お互いに」


トウマさんの笑顔が怖いくらいに爽やかでその勢いに負けたということもあったが、それ以上に僕も自分では行き先を決めれそうもなかった。


「お願いします」


僕はトウマさんの発案に乗ることにした。


「キミ、大丈夫?」


エリさんはとても信じられないという顔をしていた。


「良いんです。お願いします」


「オッケー。んじゃあねえ‥バガンでどう?」


「バガン?」


「あーバガンねえ」


そう言えば前に聞いた事のある名前だった。


「なんかとんでもない所言うかと思ったけど意外と普通に良いとこ言うんだねトウマくん」


「俺だって鬼じゃないからさ。あと行ってもらいたい場所でも良いわけじゃん?てか、とんでもないとこって、何処よ?」


「ネピドーとか」


「おいおい。それは無理だろ」


僕は会話には入らなかったが、ネピドーというのは現在のミャンマーの新首都である。この当時の首都は僕らがいたヤンゴンだったが、政権が民主主義に変わる少し前に首都を移した。僕らはちょうど首都が変更になる直前の時期にいたわけである。しかし当時の政府は、何故か執拗に観光客へのネピドーの公開を拒んだ。当時旅行者の間では、ネピドーは幻の都言われていた。


「バガン、ってどんな所ですか?」


当の僕はネピドーよりもバガンに興味津々だった。何せこれから自分が行く場所である。


「バガンは観光地っちゃ観光地だな。だだっ広い砂漠みたいなとこに、うんざりするくらい沢山の遺跡の寺がある」


「遺跡?寺?」


「それをチャリとかリキシャーとかで周るんだよ。まあそれ自体は面白くないけど、やってるうちに訳が分からなくなって『アレ?俺今何してんだっけ?』ってなるのが面白い」


「確かに。思い出すと笑える」


妙な盛り上がり方には二人にはついて行けなかったけれど、砂漠という言葉に僕はすっかり捕まっていた。


「砂漠かぁ」


夢に見ている砂漠とは絶対に違うとわかっていても頭に思い浮かぶのは映画に出てくるようなエジプト砂漠だった。


「行きます!僕バガンに行きますよ!」


「おおそうか!ならすぐに行くと良い。多分明日の夕方出るバスのチケットなら朝でも間に合うぜ」


「そうします!」


「ではそれぞれの出発を祝して、カンパーイ!」


「カンパーイ!」


「カンパーイ!」


そういう具合に、僕の次の行き先が決まったのである。


ゲストハウスに戻りそれぞれの部屋に戻る前に僕らは小さな声でお別れをした。


「じゃあね。明日朝早いから多分ここでお別れ。またいつか何処かで」


「俺も少し早めに出るから多分会えないな。またいつか何処かで」


「ありがとうございました。僕、必ずバガン行きます。さよなら、またいつか何処かで」


これが、この先の旅路で僕が山ほど言う事になる「またいつか何処かで」の記念すべき最初の一言だった。それだけは今でもしっかり覚えている。


部屋に戻った僕はさっそくバガンへの出立準備をしようと思ったのだが、ゲストハウスで借りた本を本棚に戻すのを忘れている事に気が付いた。


部屋を出て本棚のある場所へ行くと、人気の無いフロアでミャンマー人スタッフの青年モルさんがひと息ついている所だった。


「こんばんは」


「こんばんは、本を返しに来ました」


「そうですか。どうぞどうぞ」


先述したがこの青年はびっくりするくらい日本語が上手い。日本人宿で働いているという事もあるのだろうがイントネーションと言い文法と言い完璧な日本語を操る。僕はこの青年と話してると、自分の言語能力の低さにつくづく嫌気がさす。


「モルさんは本当に日本語上手いですね」


「そんな事ないです。下手ですよ」


彼の謙遜する動作も日本人のそれである。本当に何者なんだろうこの青年は。


僕が本を戻して部屋に帰ろうとすると、彼は何かを思い出した様に僕を呼び止めた。


「あのう、私とお茶しませんか?外で。私、おごりますから」


「え♂?」


僕は産まれて初めて男性にお茶に誘われた。


そしてこの日本語の上手い青年に対し、またしても少し疑心暗鬼になり始めていた。


続く

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