第餐襲話:鳥猪屠の宴(後)

(CM)

『ミストマート!(CV:灰鷹密)

 (灰鷹密がハンバーグにナイフを入れている。じゅわじゅわーとソースが皿の上で弾ける。「(もぐもぐと幸せそうにほおばる密の幸せそうな顔のUP)ミスティフロッグバーグ、虜になっちゃいました。これは取材しなくっちゃ!」)

 ミストマの新しいブランドもうご存じですか。肉汁でほっぺたがとろけること間違いなし。うーん美味しい。プライベートブランド、ミストマルシェはじまる』


 * 


 夕食は豪華なものだった。食レポということで撮影隊がインサートカット用のブツ撮りをするのがもどかしい。

 畑で収穫した頭足類を豪快に洗濯機でぬめりを落としたあとに湯がき、ぶつ切りにして塩揉みした胡瓜と梅酢を和えたもの。灰褐色だった色が鮮やかな桜色に煮あがっている。咀嚼するたびにこりこりした歯ごたえがたまらない。吸盤のぷちぷち感。触感の違う胡瓜に梅酢のしょっぱさが利いており、あっという間に平らげてしまった。隣でキリコが銘酒河童の溺れ水をおちょこで堪能している。

 漆塗りの蓋つき椀を開ける。湯気と共に立つ香りが鼻腔をくすぐった。柚の皮を散らした真っ赤に湯だった鳥猪屠の具足煮にこごみの緑が映える。すまし汁の味は何かしらの甲殻類の殻から出汁をとったのだろう。具足煮とはよく言ったもので、まるで小さな鎧武者の脛当に思える。大ぶりの脛当を剥いてかぶりつく。歯にこつんと何かが当たり、引き抜くと骨のようだった。いつまでもしゃぶっていられる。「は肉付きがようないもん。出汁袋に入れとる」

 湯引きした灰色の白子めいたものと焼き目のついた生き肝。なに、寄生虫などおりゃあせんよと勧められる。ポン酢をちょいとつけて分葱と一緒に噛むと濃厚なとろみが口内いっぱいに広がる。丁寧に血抜きされ表面を焙られた肝は噛まずとも上顎と舌で押しつぶせる。とっても美味しい。

 繊維状鱗片に覆われたてのひら状に傘の開いたみごう茸は肉醤ししびしおが塗布されて炭火で焙られており香ばしい。うねり串にされた鳥猪屠の胴丸焼きは真っ赤に色変わりした胸元から腰までを覆う甲冑めいた部分を剥ぎながら思いっきりかぶりつく。甲冑の下は確かに蟾蜍とホラアナグマを合わせたような、密の味蕾はジビエで食したことのあるタイワンザルの塩焼きを思い出していた。獣臭はしない。風呂桶に浮かんでいた黒い蓮の花弁を粉末にしたものを揉みこんであるのだと。鼻腔から吸い込まれた香気が眠りを誘う。いけない。食事中に居眠りは乙女として……。

 ……。

 夜半、ごうごうと風が唸る音に微睡まどろみから醒めた密が布団から起き上がった。隣の布団には誰もおらず枕元に浴衣が畳んで置いてある。

 なんだろう。がやがやとした気配が障子の向こうから押し寄せてきており、そうっと障子の隙間から外を覗いてみた。

 密が寝ていた和室の外、廊下を挟んだ向こうに畑が広がっている。

 ぼすんぼすんと円錐状の法螺貝が降ってきては畑に堕ちる。

 素焼きめいた壺の底が丸く破瓜されたと思ったら中から体高60、70センチほどの二足歩行した何者かがちょこなんと現れ出でた。鎧兜で完全武装した武者のごとき面妖な爬虫類をむりやり擬人化させたかのようないでたち。やあやあと鬨の声をあげながら畑の上を踏み荒らし、同様にいでたる面妖な人もどきがお互いに組み合っている。鶏小屋を襲撃したのか獲物を掲げて振り回し……げぎゃあと突如うずくまった。


 げぎゃあー


  げぎゃあー


   げぎゃあー


 面妖なる人もどきがそこらじゅうで這いつくばっている。

 そういえば、キリコを風呂に誘おうとしたら、畑にくくり罠を設置しに行くから先に湯だっててちょうだいなと言われたんだった。そうだ、鳥猪屠を獲るのだと。探究者として取材せねばと密は行動を起こそうとしたが風呂に浮かんだ黒い花弁から立ち上る香気に当てられ思考がちりちり霧散してしまい、気づけば宴の真っただ中にいたのだった。

 まるで薙刀の武道演武みたい……。

「ひとぉーつ」

 絶縁体仕様のチェストフェルトフィーダーを身にまとい、罠を踏んで足をワイヤーでくくられた人もどきの胴体をゴム手袋に握られたさすまた状の長物で挟み込むようにして刺突するキリコ。動力を供給しているのだろう、背負われたバックパックからケーブルが伸びてさすまた状の柄に繋がっている。

「ふたーつぅ」

 挟み込まれた人もどきが片っ端から昏倒していく。さすまたの先にばちばちと電撃が宿り、つかのま闇の中からキリコの姿が浮かび上がる。不導体ヘルメットのバイザーに覆われた表情は読めないが狂風にはためくキリコの白衣がやけに眩しい。

「みいーっつ」仕留めた数だろうか、愉快そうにキリコがカウントしている。

 黒長谷集落の人々が冷たく膨らみのあるうるんだ瞳を輝かせながらキリコの獲物を次々とトラクターの荷台へと放り込んでいく。

 刺突された鳥猪屠が冷たく膨らみのあるうるんだ眼球を裏返しにさせながら放り込まれていく。

 (冷たく膨らみのあるうるんだ瞳……)

 ちりちりと思考が発火する。

(里の食い扶持はワシらが自らあがなっておるんじゃ)

 密が導き出した答えに身震いした。

 (冷たく膨らみのあるうるんだ瞳!!)

 体高体格の差はあれど、。鳥猪屠は住処を求めて虚ろ船で彷徨う幼仔ネオテニーで、黒長谷集落の人々は虚ろ船を降り土地に定着した性成熟した大人で……思考を奪う黒蓮の香り……。

 狂風の中、ぬかるんだ地面を蛸が這いあがってくる。どうやら獲物は眼前の毛房磯蟹であろうか。畑に蛸が出没するというのは本当だったんだ。蛸が磯蟹を捕らえて鳥猪屠の争いを避けるように虚ろ船の中に這入りこむ。にゅるり。

 黒長谷集落は総出で鳥猪屠狩りに出かけているようだった。今なら!

 アクションカメラを頭部に装着し、胃の奥からせりあがるものをこらえ、密が間取図を思い浮かべながらこけつまろびつ土間に駆け込む。

 調理場には宴の名残が残っていた。

 出汁殻が捨ててある。赤く茹だった佩盾はいだてと膝当に白ちゃけた肉がへばりついている。出汁袋をぶちまけた。収縮して丸まっている塊を拾い上げる。握りしめられたこぶしだ。ごろごろと転がりでてくる。


(もみじは肉付きがようないもん。出汁袋に入れとる)


 後ずさった拍子に味噌樽で腰をしたたかに打つ。毒食らわばと密がえいやっと重しをどかして蓋を開ける。変色した木綿の上に肉醤の上澄みが褐色に光っている。くるんである木綿をほどく。頭部と四肢を落とされ筒切りにされた胴体が内臓ごと塩麹に漬けこまれてあった。まだ新しい。よろめいて土間に尻をついた。手がなにがしかお椀のようなものに触れた。指に絡みつくものを目線まで持ち上げる。かつては冷たく膨らみうるんだ瞳が干からびて密を見つめていた。頭蓋がぱかんと割られており襟足の髪の毛が密の指を離さない。頭の中は空っぽだった。灰色の白子めいた……密がくの字に体を折る。

「あらあら、こんなとこさで夜更けにどうなすった」

 密の頭部に手が伸びてきてアクションカメラのバンドを優しく外した。その手が密の髪の毛を梳く。にゃくろうー、にゃるくしゅたと歌いながら鳥猪屠を捌いていた黒長谷の婦人の声だ。密の髪の毛に黒蓮の香りがとろりとまとわりつく。冴えていた頭脳に靄もやがかかり始める。彼女が冷たく膨らみのあるうるんだ瞳で密を射抜く。かつて鳥猪屠であったものに感情らしい感情は読み取れなかった。ちょうちょとぉー、うらせたん、ほうってらーせー。いけない、目を瞑っては。いけない……。


 *


 チュピチュピチュピジーとツバメのさえずり鳴き。

 布団をはねのけ密が飛び起きた。閉じられた障子を開く。

 目もあやな蒼穹を飛燕が幾羽も舞っている。

 枕元には丁寧にアイロンがけされたサファリジャケットが畳んで置いてあった。隣の布団を見る。浴衣の裾をはだけて寝息を立てているキリコ。両手でしっかりと「付喪神百年午睡」とラベルの貼られた空瓶を抱いている。空瓶をそっと抜き取り、浴衣の裾を直しキリコに布団をかけてやる。ハンガーにかけられた白衣には泥跳ね一つ付いていない。

 密の枕元にはアクションカメラも置いてあった。荷物からPCを取り出してアクションカメラから抜き取ったメモリーカードを挿入する。みごう茸の榾木を取材したところで映像は終わっていた。編集削除された形跡は残っていない。そうだ。撮影隊のカメラにはなにかしら映っているかもしれない。別部屋ですでに起きて作業している撮影ディレクターにカメラマンへの指示を確認する。もうすぐ朝ごはんなのに仕事熱心だなぁと各カメラに撮影を行った内容をあくび交じりで説明してくれた。それにしたって真霧間先生はだねぇ。虚空蔵山までの道のりと、黒長谷集落の紹介、蛸壺と虚ろ船の話、みごう茸の榾木。あとは蛸が蛸壺に這入るのを定点観測で撮ったもの。夕飯の豪華さには圧倒されたね。

 鳥猪屠?

 いや、今回のディレクションは虚空蔵山の蛸壺がテーマだから。食事のシーンは入れるけどそれはメインではないからね。美味しかったけど。灰鷹さんの入浴場面はこのご時世、スポンサーから怒られるから。深夜に野外ロケしたかって? そりゃあしたよ。定点観測カメラの映像は御覧の通りさ。鳥猪屠を捕獲する場面と言われてもな。夜は不思議と寝ちまってて……灰鷹さん、もうすぐ朝ごはんだよ。


 朝食はヤマメの塩焼きと霧生菜のお浸し、どぶ汁と糠漬けの大根に白飯。 

 キリコはどぶ汁をおかわりしていたが、密は一箸も手をつけなかった。


 *


『戦慄怪奇! 虚空蔵山集落の畑にある謎の蛸壺を調査せよ!!』は49.4%の視聴率を叩きだした。好評につき、頭足類シリーズと冠して灰鷹密のスケジュールがつき次第ハイチへ向かい、魔宴に突如出現した粘液滴る烏賊のごとき嘴のある擬足を取材する予定とのこと。

 灰鷹密が改めて鳥猪屠について単独で取材を決行したが黒長谷集落が虚空蔵山から突如消失してしまったので委細は不明のままである(注釈)

 *


(注釈)

 真霧間科学研究所によって4次元時空座標は常時マッピングされており、式王子ヶ谷山地の虚空蔵山黒長谷集落マヨヒガ消失時に閾値を超えるひずみの数値が検出された。鳥猪屠は管轄を霧生ヶ谷史編纂室九識に移管し調査は継続する。回収された外骨格装甲はキチン質に似た構造をしており、生体を保護する次元潜航服ディメンションダイバースーツではないかとの回答。被検体と共に収容済み。黒い蓮ブラックロータスの成分分析については真霧間科学研究所の所見を待つところである。


 記録者:名取新人



(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る