延長戦

延長戦1.「甘んじて受ける」は「嫌々受け入れる」? 炎上が言葉の意味を歪めるケース

【前置き】

 ご無沙汰しております。

 二〇二〇年四月現在、世界中で新型コロナウィルスが蔓延し、人類が危機的状況に陥っています。

 そんな中、外出自粛や休校が続き人々がインターネットに触れる時間が増えた為か、本作へのアクセスも微妙に増加傾向にあります。

 ……こんな状況下でも、日本語の疑問を解消しようとする方がいることを、喜ぶべきところでしょうか? やや、複雑な心境です。


 ただ、需要があるのならば応えるのが物書きというものです。

 「一時閉幕」とした本作ではありますが、この非常時に皆様の知的欲求の充足に、欠片でも助けとなるのならば……と考え、眠らせていた原稿を手直しして、公開することにしました。

 本格的な更新再開ではありませんが、どうぞお付き合いいただければと思います。



【本文】


 さて、今回は表題の通り「甘んじて受ける」という言葉について解説していきたいと思います。少し長いですが、どうか最後までお読みいただければと思います。


 「甘んじて受ける」は、日常ではあまり使わない言葉です。ですが、恐らくは多くの方がご存じなのではないでしょうか?


 二〇一八年のことです。

 日大アメフト部のとある選手が関西学院大学との試合の最中に「危険なタックル」を行い、大問題となった事件がありました。

 その事件の経緯については各自お調べいただくとして……当時は、マスコミもネット上も、日大アメフト部に留まらず、大学としての日大へのバッシング一色――いわゆる「炎上」状態となっていたことを、よく覚えています。


 そしてその事件のさなか、関西学院大側の記者会見を受けて、日大側がこんなコメントをしました。


厳しい批判は甘んじてお受けする


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31014320W8A520C1AC8000/


 「甘んじてお受けする」――この言葉がマスコミやネット上からの、更なるバッシングの材料となってしまいました。それはもう、酷い有様でした。

 ですが、私はそのバッシングの嵐に強い違和感を抱きもしました。


 何故、「甘んじてお受けする」がマスコミやネットからのバッシングを受けたのか?

 何故、私はそのバッシングに違和感を抱いたのか?

 以下、解説していきたいと思います。



 まず「甘んじて」という言葉。これは「甘んじる/甘んずる」という言葉の活用形です。

 その意味は、「デジタル大辞泉」では、


1.与えられたものをそのまま受け入れる。しかたがないと思ってがまんする。

2.満足する。たのしむ。


「大辞林 第三版」では、


与えられたものが不十分であっても、それを受け入れる。


と、それぞれ解説されています。


 ――ここで既に、察しの良い方はお気付きでしょうが、「甘んじる/甘んずる」には幾つかの異なる意味が存在します。

 「デジタル大辞泉」では、『与えられたものをそのまま受け入れる』と『しかたがないと思ってがまんする』、そして『満足する。たのしむ。』と、実に三つの意味が語釈の中に含まれています。それぞれ、全く意味が異なるように見えますね。

 なお、最後の『満足する。たのしむ。』は、古語的表現になります。


 一方、「大辞林」では『与えられたものが不十分であっても、それを受け入れる』と、ほぼ一つの意味しか書かれていません。「デジタル大辞泉」での解説の一つ、『しかたがないと思ってがまんする』に近いですね。

 もし「大辞林」だけを参照した方がいたなら、「甘んじる/甘んずる」にネガティブな印象しか持たないかもしれません。


 「番外編その2:複数の辞書を参照する事の大切さ」でも書きましたが、手元の辞書やネットの辞書だけを参照した場合、この手の事態を招くことが多々あります。

 出来るだけ多く、広く辞書や文献を参照しないと、その言葉の持つ一側面だけにしか気付かないことがあり、危険です。


 また、「甘んじて受け入れる」という言い回しは、慣用的な表現として多く使われているものです。

 これは多くの場合「甘受」という言葉とほぼ同じ意味で使われます。「甘受」の意味は、「デジタル大辞泉」では、


やむをえないものとしてあまんじて受け入れること


「大辞林」では、


甘んじて受け入れること。 「あえて批判を-する」 〔本来は、快く受け入れる意〕


 と解説されています。

 ――なんと、「大辞林」では、『本来は、快く受け入れる意』と「甘んじる/甘んずる」の語釈とは随分と異なる意味が出てきました。「デジタル大辞泉」の語釈にある『満足する。たのしむ。』に近いニュアンスです。

 同じ辞書で、ほぼ同じ意味の言葉同士でも、微妙に語釈のニュアンスが異なる場合がある、ということが分かりますね。


 さて、上記を踏まえますと、「批判は甘んじてお受けする」の意味も、受け取り方が幾つかあることが分かります。大きく分けて、次の三つの受け取り方があるでしょうか。


・批判はやむを得ないものとして、そのまま受け入れます

・批判は仕方がないと思って我慢して受け入れます

・批判はこころよく受け入れます


 謝罪上での言葉ですから、最後の「快く受け入れる」はあまりそぐわない感じですね。ですので、上二つのどちらか……と考えるのが自然でしょう。

 「やむを得ないものとして、そのまま受け入れます」と「仕方がないと思って我慢して受け入れます」では、全く違う印象を受けますね。特に後者は、「我慢して」というニュアンスが入っているので、謝罪の言葉としては不適切です。

 ですので、ここは「やむを得ないものとして、そのまま受け入れます」という意味であると捉えるのが、最も自然と思われます……が。


 ――ここで思い出していただきたいのが、この言葉は「炎上」のさなかに飛び出したという事実です。

 「炎上」を目撃したことがある方はお分かりになると思いますが、「炎上」中は当事者がどんなに言葉を尽くして謝っても、周囲は違う意味で受け取り更なるバッシングに走るという現象が、よく見受けられます。


 『厳しい批判は甘んじてお受けする』という日大の言葉は、当然のように「悪い方の意味」で受け取られてしまい、更なるバッシングを受けることになってしまいました。

 このように、二つの辞書を紐解いても、幾つかの意味を持つであろう言葉が、「悪い方の意味」でばかり受け取られてしまったのです。恐ろしい事です。


 さて、中にはここまでの内容を読んで「でも、バッシングされている状況で、複数の意味で受け取れる言葉を使う方が悪いのでは?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 ですがここで、私が途中で書いた言葉を思い出して下さい。私は先に、こんなことを書いています。


「甘んじて受け入れる」という言い回しは慣用的な表現として、多く使われているものです


 実は、「(批判は)甘んじて受け入れる」という言い回しは、以前から「謝罪」の言葉として、企業や政治家が使ってきた言葉でもあるのです。

 多くの場合は、不祥事を起こした企業や人物が、平身低頭謝る態度を示す為に使われてきました。「批判を受け入れるほかない」くらいの意味ですね。


 ところが、上記の通り「甘んじる/甘んずる」の辞書での語釈には、良い意味も悪い意味も含まれているので……謝罪している組織/人物に悪意を持つ人間が見れば、悪い方の意味で受け取ってしまう場合があるわけです。


 この辺りは、世代間によっても受け取り方が違う問題かもしれません。

 身近な70歳代の何人かの方にお伺いしたところ、謝罪の言葉としての「(批判は)甘んじて受け入れる」の意味を「平謝りに謝っている」「反論せずに素直に謝罪している」と答えた方が多かったことを、ここに書き添えておきます。


 また、「甘んじて受け入れる」は、「(言い分はあるが今は)反論せずに受け入れる」と主張する際にも使われます。

 これは、例えば俗に言う「確信犯的」行為のように、世間から非難されることは理解しつつも、本人としてはやむを得ない理由があった際によく使われる言い回しです。

 「非難されるのは覚悟の上だった」というニュアンスですね。


 このように、複数の意味を持つ言葉というものは、文脈によって意味が変わってくるのが当たり前です。

 前後の文脈やシチュエーションを無視して、その言葉だけを抜き出して論じても、本来のニュアンスが伝わるわけがありません。


 日大が「厳しい批判は甘んじてお受けする」という言葉を使ったのは、関西学院大や関係者から厳しい批判を受け、第三者や警察の調査に協力する、と明言した席でのことです。

 その流れを考えれば、この「甘んじて受ける」が悪い意味ではないと考えるのが自然なはずですが……「炎上」で盛り上がっていた人々は、そうは受け取らなかったようです。



 「甘んじる/甘んずる」の本来の意味は、「デジタル大辞泉」にある『満足する。たのしむ。』でした。

 例えば「清貧に甘んじる」と言った場合、「清貧(=『私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること』)に満足している」という意味になります。


 ですが、いつの時代からか、「甘んじる/甘んずる」に『我慢する』というニュアンスが加えられていきました。既に明治・大正期くらいには、例えば他人を糾弾するような意味合いで「彼は薄給に甘んじている(不遇の立場なのにそれを良しとしている。けしからん)」のような言い回しが使われていたようです。

 しかし同時に、本来のニュアンスの通りの「彼は仕事が楽しくて薄給に甘んじている(仕事が楽しいので薄給でも満足している)」というような使い方がされている例もあります。


 そのような経緯もあって、「甘んじる/甘んずる」には、相反する幾つかの意味が含まれるようになっていったようです。ある意味で「言葉」というものの面白みを体現したような存在ですね。


 ――ですので、『「甘んじる/甘んずる」には悪い意味しかない』という言説にも、謝罪の言葉を曲解して一方的に吊るし上げるような行為にも、私は違和感を禁じ得ないのです。


 今は正に苦難の時代です。疑心暗鬼になる事もあるでしょう。

 でも、だからこそ、相手の言葉を曲解して悪感情をぶつけたり、誰かを一方的に非難したりといった憎悪の連鎖は、止めなければならないと思います。


 バッシングを受け、それに反論せず「甘んじて受け入れている」誰かに、「俺も私も」と石を投げつけるような行為には、決して手を染めないでもらいたいと、切に願います。



【まとめ】

・「甘んじる/甘んずる」には良い意味も悪い意味もある。

・「(批判は)甘んじて受け入れる」は、謝罪の言葉としても多く使われてきた。

・人心が乱れ人々が興奮している時だからこそ、冷静に、お互いを思いやってほしい(筆者の切なる願い)。


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