第六章 3 ベルジェンナ軍の戦果

 その日はあわただしかった。


 小型の飛空艦カルマに搭乗した皇帝の一行が、午後に帝都アンジェリクから飛来したからである。

 整列することは義務づけられなかったものの、全員が天幕の外へ出て降下してくる飛空艦を見上げ、その到着を敬礼して迎えた。


 競技会も中断せざるをえず、予定されていた当日分の競技は、日が暮れてからも明々と焚かれたかがり火の下で続行された。


 各種目には一か国三人まで出場できるが、騎士がセイリンを含めても七人しかいないベルジェンナ軍は、最初から人数を絞らざるをえなかった。

 出る気のないウォルセンをのぞき、一人が最低でも一種目、多い者は三種目もこなさなければならず、出場順を待つ途中で他の競技に呼び出されたりしててんやわんやのありさまだった。


「やっとこれで最終種目ですね」

 ロッシュの後ろを早足で追いかけながら、ハーロウが言った。

 ロッシュがフィジカルの射撃を観戦しているところに駆けつけてきて、出場予定になっている馬上弓術の呼集が始まったことを告げたのだ。


「おまえは、フィジカルの大弓の部門でみごとに優勝したらしいな。おめでとう」

「おれだけじゃありません。サー・メイガスは当然のような顔をして射撃とクロスボウの二冠を達成したし、弓術ではサー・ラムドが優勝しました。でも、『優勝なんかより、セイリン姫に負けて恥をかかなくてよかった』ってホッとしてましたよ」


「そうか、みんなよくやったな。私はデュバリの射撃を観戦した。ヒゲ面の帝国軍人など見たこともないし、軍服はいかにも借り物くさかったが、腕前は大口叩くだけのことはあった。あのまままちがいなく優勝することだろう」

「ええ。サー・ムスタークだって、クロスボウで二位に入りました。『メイガスさえいなけりゃ』ってさかんに悔しがってましたけど、ベルジェンナ軍の大健闘には大喜びでしたよ。今晩は夕食っていうより夜食になりますが、酒と肉を大盤振る舞いするそうです。あとはいちばん難しい馬上弓術ですね。がんばってください、サー・ロッシュ!」


 馬上弓術は、馬場を一定時間内に三回周回し、そのつどいくつもの的を駆けながら射抜かなくてはならず、高い技術が要求される種目だ。最後になっているのは、いちばん注目の集まる競技会の花形だからである。

「ああ、がんばるよ。見ていてくれ」

 馬場へと急ぎながら、ロッシュもいつになく弾んだ声で言った。


 競技会はまだ予選の段階とはいえ、ベルジェンナ軍は最小規模の軍としては圧倒的な戦果を収めている。

 ムスタークは「それどころじゃないだろう」と言うかもしれないが、これこそがロッシュが考える〝国づくり〟の基本だった。


 国は豊かさや大きさだけではない。

 まずだいいちに、国びとが誇りを持てなければならない。

 不幸にも世は戦乱の時代だ。

 小国が生き延びていくには、他力本願に大国の陰に入るのでなければ、他国には負けぬという誇りを持って団結するしかない。


 まず自国を守れる態勢を築くことだ。

 多数の国を見てきたエルンファードや、身近で苦楽を共にしているムスタークにもその意図はなかなか理解されなかったが、ロッシュが騎士を集めるにあたって心を砕いた最大の点は、手ぎわのよい国家経営より、少数でも精強な軍を一からつくり上げることにあった。


 そのためには、フィジカルの人民を惹きつける魅力的な人格をそなえ、手本となれる優れた技量を持つ者たちが必要だった。

 いち早くフィジカルの中にとけ込んで戦いの実像と醍醐味を興味深く説いてくれたウォルセンや、卓越した技量を無言で示すメイガスは、ロッシュがその方針にかなう人物として登用した代表例である。


 技量もさることながら、スピリチュアルとフィジカルを分けへだてしない公平さと、つねに先頭に立つ豪胆さをあわせ持つラムドもそうだし、だれにも好かれる素直な性格のペデルの存在も貴重だった。

 もちろん、ペデルが持参した推薦状には、ブランカの競技会で上げた抜群の成績が記されていた。

 人柄をふくめ、すべてロッシュがエルンファードに依頼した条件を満たすものだった。

 アラミクの弟だったというのは、嬉しい偶然でしかなかったのだ。


 決勝戦の結果を待つまでもなく、今日の赫々たる戦績はベルジェンナ軍の誇りとなり、よりいっそう団結心を堅固にし、自信を深めてくれることだろう。

 そしてやがては国びとたちの誇りと信頼感になっていくはずだ。

 これほど早くそのような機会が訪れようとは、ロッシュ自身も予想していないことだった。

 すくなくとも、ロッシュが脳裏に描いた理想が順調に最初の一歩を踏み出したことはたしかだった。


 そして、予想していなかったことといえば、辺境にあるベルジェンナの弱点を補完するデュバリと、帝国初の女騎士となるセイリンの存在である。

 デュバリは貴重な情報をもたらしてくれるだろうし、それ以上に、皇帝府や帝国各国がけっして持ちえない、フィジカル側の視点を含めた広い情勢判断という眼をロッシュにあたえてくれるにちがいない。

 さらに、今夜祝勝の乾杯と同時に発表されることになるセイリンの騎士への正式な叙任は、勝敗に一喜一憂したり、死傷への恐怖といった殺伐とした軍役に、まったく意外な方向からの、生き生きとしたまぶしい光明を射しかけてくれることだろう。


 競技会場を区切っている天幕の間の細い通路を移動しながら、ロッシュは抑えきれない心の高揚を感じていた。


「あっ!」

 途中から先を歩いていたハーロウがいきなり声を上げた。

 出場者の集合場所へ案内するために、ロッシュを追い抜いていたのだ。


 ちょうど天幕と天幕の角だった。

 そこを曲がろうとしていたハーロウに、横手から猛烈な速度で走ってきたスピリチュアルがぶつかった。

 ハーロウは尻もちをつき、相手はよろけながらも足をゆるめず、そのまま走り去っていった。

「なんて人だ。こっちがフィジカルだと思って――」


 ロッシュは、かたわらに銃が落ちているのに気づいて拾い上げた。

「今の兵士が落としていったものだな。……熱い」

 銃身に触れてみると、それが使用直後であることがはっきりわかった。


 銃声はときおり聞こえてきていたが、そのほとんどは今もつづいているフィジカルの競技会場からのもののはずだった。

「ハーロウ。あの男の後を追ってくれ。気づかれないように、な。どの陣営に入るかだけを見届ければそれでいい」

「でも、それじゃ、サー・ロッシュの妙技が見られないかも……」

 ロッシュを弓の師と仰ぐハーロウは、泣きそうな声で言った。

「心配するな。私はきっと勝ち抜いて決勝戦にまた出る」

「わ、わかりました!」


 すっ飛んでいくハーロウとは逆に、ロッシュは男が走ってきたほうへ急ぎ足で向かった。

 次の角で横道に眼をやると、うつ伏せに倒れている人影が見えた。

 天幕ごしのぼんやりした明かりではどこの軍の制服か判然としないが、地面に広がりつつある血だまりから銃で撃たれたのがその人物であることは確実だった。


 そちらに向かおうとすると、通路の反対側に人影がいくつも現れ、ロッシュよりも先に倒れた人物のところへ駆け寄った。

 一人が銃を手にしたロッシュに指を突きつけて叫んだ。

「こ、こいつが人殺しだ!」


 ロッシュは弁明するすべもなく、たちまちその場で取り押さえられてしまった――。

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