第三章 Starting and Leaving それぞれの出発

第三章 1 ベルジェンナの騎士たち

 南国ベルジェンナにもようやく秋の深まりが感じられてきて、今朝は濃い霧が地上をひたして漂っていた。

 小高い丘の頂上のいくつかが、まるで小さな島が点在しているかのようにあちらこちらに浮かんで見えている。


 霧の中からひとつの人影が斜面をあたふたと登ってきて、建物のテラスへとぴょんと跳びあがると、開け放たれた居間の中にあわただしく駆けこんだ。


「なんだ、まだそんな格好をしているのか、ラムド。何時だと思ってる。もうとっくに集合の時刻になってるぞ!」

 通称〝森番小屋〟と呼ばれるロッシュ邸に入ってきたのは、スピリチュアルにはめずらしいずんぐりとした体躯の男だった。

 顔を汗まみれにしながらも、行軍用に新たにデザインされたぴっちりした騎士の制服を、律儀にボタンをひとつ残らずはめて着こんでいる。


「ああ、すみません、サー・ムスターク。でも、夜通しでやっと出発の準備を終わらせて、寝たのは明け方近くだったんです。これから一日中行軍することになるっていうのに。とにかく、朝食くらいちゃんと食わせてくださいよ」

 名前に〝サー〟をつけるのは騎士に対する敬称である。

 怒鳴られたラムドは大テーブルについて、焼きたてのパンとベーコンに卵料理と山盛りのサラダをかっこんでいた。

 声はまだ寝ぼけているし、起き抜けのボサボサ頭に上半身は下着のままだ。


「ええい、どいつもこいつも、まったく……」

 ムスタークは、いらだたしげに歯がみした。

「どいつも、ってことは、サー・ウォルセンもやっぱりまだなんですね?」

 若いラムドはみんなにむかってやたらと〝サー〟を連発するが、ムスタークはなかなか使い慣れないし、そう呼ばれるとなんだか馬鹿にされているような気分になることもあった。


「まだどころか、ついさっき居酒屋の床で眠りこんでいるのを見つけたばかりだ。風呂場を借りて頭から水をぶっかけてやったら、やっと眼を覚ましてふらつきながら家にもどっていったよ。あれじゃ、とうてい出発式には間に合うまい」

「あの人らしいなあ」

 遅れているのが自分一人でないとわかって、ラムドはホッとした顔で笑った。

「おまえなあ、うちの軍に騎士が何人いるか知っているのか。たった六人だぞ。全員きちんとそろっていたって迫力に欠けるっていうのに、最初からその半分がまだ現れていないなんて、フィジカル兵たちにしめしがつかんだろう。霧がすっかり晴れてしまったら、見送りに集まっている大勢の国びともそれを見て騒ぎだすにきまってる」


 ガラフォールへ向けてのベルジェンナ軍の出発式が始まろうとしている。

 麦の刈り取りがすっかり終わって広々とした畑では、きのうから設営だの何だのの準備があわただしく行われていた。

 式典の会場はこの建物の真下だから、多くの人々の声や馬のいななきなどがさわやかな朝風に乗って聞こえてくる。


「半分て……あとはだれです?」

「肝心なロッシュさ。いったいあいつは何してるんだ? まさかまだ部屋で……」

 ムスタークは山荘風に寝室のドアが並ぶバルコニーを見上げ、階段のほうへ行きかけた。

「サー・ロッシュなら、わたしが部屋から降りてきたときに、ちょうど馬で出かけていくのを見ましたよ。城へ伯爵夫妻をお迎えに参ったのでしょう。ペレイア伯の代理として軍を統率していくことになるわけですから、その委任式もしてこないといけませんしね。まだしばらくはもどって来ませんよ」


「なあんだ、そういうことだったのか……」

 ムスタークは手近な椅子にくたくたと腰をおろし、制服の詰襟をくつろげた。

 伯爵が姿を見せないうちなら、たいがいのことはまだ間に合う。


 軍の兵員、装備の管理から式典の手配や進行まで、すべてをムスタークがこなさなければならなかった。

 今回の出兵に関する事柄だけではない。

 領地経営の煩瑣な実務仕事のほとんどをロッシュからまかされている。

 ロッシュが領主のペレイア伯に代わってしなければならないことが多すぎるせいでもあったが、ムスターク以外にそうした仕事を分担できそうな者がまったくいないというのが実情だった。


「ロッシュはな、ペレイア伯に騎士としてお仕えすると告げに行ったその足で、まっすぐおれのところへ協力してくれと頼みにやって来たんだぞ。ま、当然だろうがな」

 最初のうちは得意げに、だが今では半分愚痴まじりにそう言うのがムスタークの口癖になっていた。


 いちおうその場では「考えさせてくれ」とロッシュに答えたが、実のところムスタークには騎士の誘いはほかに一件も来ていなかった。

 能力の高さへの評価より、あつかいにくい性格だというかんばしくない評判のほうが大きすぎたのである。

 悩んだふりをして少し日をおいてからロッシュに会いにいくと、彼のポッドにはすでにウォルセンとラムドが来ていて、ベルジェンナ領についての下調べと検討に余念がなかった。

 その顔ぶれを見た瞬間、ムスタークは現在のような状況になることをほぼ予感していた。


 ムスタークの苦労など知らぬげに、若いラムドがようやく山盛りの朝食を平らげ、その場で平然と下着を脱いで着替えに取りかかった。

 ラムドはロッシュと同年だが、ブランカへの帰還は一〇か月遅かった。

 それでも驚異的な早さと言えるが、本人は「なんでもかんでもサー・ロッシュがやっていたとおりにまねしてみただけなんです」と何のてらいもなく言う。

 それも能力があってこそできたことだ。

 ロッシュのような独創性には欠けているが、その分よけいなこだわりがなく、こうと決めたら一途に邁進するいさぎよさがある。

 もちろん、なんとか帳尻を合わそうと頭を悩ます細かい事務仕事に向いた性格でないことも事実だった。


「おまえ、ほかの貴族からは騎士のお呼びはかからなかったのか?」

 一息入れるつもりでポットの紅茶の残りをラムドのカップに注ぎ、ちびちびすすりながらふと思いついて尋ねた。

「かかりましたよ、そこそこ」

「そこそこって、いくつくらいだ?」

「さあ、九、一〇……いや、もっとだったかな。もう忘れました」

 ラムドはこともなげに答えた。


「じゃあ、ここよりずっと条件のいい申し出もあっただろう」

「ええ、もちろん。でも、わたしはサー・ロッシュが行くところについていくことしか考えていませんでしたからね。わたしなんかが引く手あまただったのは、カナリエル追跡隊に参加したおかげで、一時的に注目を集めてちやほやされただけです。あの戦いは、ほんとはロッシュどのの手柄です。わたしだって、身のほどはわきまえてますよ」

「ほう」

 意外としおらしいせりふを聞いて、ムスタークは大きな眼をむいた。


 ウォルセンに関しては、本人に問いただすまでもなかった。

 ロッシュがペレイア伯に頼みこまなければ、引き受け手はまず現れなかっただろう。

 ここで三年間いっしょに過ごしてきたムスタークでも、いまだにロッシュの意図が理解できなかった。


 あの男が夢見ているのは、壮大な〝戦争ごっこ〟なのだ。

 たしかにフィジカルの若造どもをうっとりさせるような弁舌のさわやかさはあるが、語る内容はまるきり実戦的ではない。

 だいいち、本人が剣も銃もろくにあつかえず、しらふで馬に乗っていてもあぶなっかしいときては、戦場に出すことさえ不安だった。


 残る騎士二名のうち、一人は追跡隊にも参加していたメイガスである。

 無口で何を考えているのかまったくわからない。

 不敵な面がまえとかたときも銃を離さない習慣からすれば、好戦的な危険人物であることだけは容易に想像がついた。


 ロッシュに質問したら、「私の苦手な銃を、だれよりも精確にあやつることができる。すごいやつじゃないか」との応えだった。

 これもムスタークにはまったく理解に苦しむことだった。

 貴重な人件費をさくことを考えれば、もっと領地経営に向いた実用的な人物がほかにいくらでもいたはずだった。


 最後の一人は、この春に幼年学校を卒業したばかりのペデルという若者である。

 以前にペレイア伯を介してエルンファードに人選の依頼をしてあったとかで、ブランカで生徒たちを間近に見て指導教官もしている彼が書いた推薦状をたずさえてやって来た。

 これからは軍隊暮らしも戦場もまったく経験せず、いきなり騎士になる者がいるのだ。

 ペデルの面接に立ち会って、そのことにムスタークははじめて気づかされた。


 元気で陽気でだれの言うことも素直に聞くのはいいのだが、見かけも精神年齢もまだ子ども同然だった。

 聞けば、エルンファードの女房になったアラミクの弟だという。

 ムスタークは憤然として「追い返せ」とロッシュに迫ったが、ロッシュは「将来性にかけてみよう」と笑ってあっさりと採用してしまった。

 しかたなくムスタークも自分の仕事を手伝わせているが、使いっ走りの域を一歩も出ていない。


 以上がベルジェンナが抱えているスピリチュアル騎士の全容である。

 数の上ではもちろん、どのような面においても中途半端で物足りない印象はまぬがれなかった。


「なあ、ロッシュ。騎士をあと一人雇う資金はおれがなんとかひねり出す。頼むから、もっと使いものになるやつを見つけてくれよ」


 ムスタークは、つい先日も愚痴まじりにそう懇願したばかりだったのである。

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