その二


 追い立てられて、とぼとぼと力なく並んで歩いていたギギとググとゲゲは、「お、何してんだ?」と前方から声を掛けられて、立ち止まった。


 顔を上げると、近くのテーブルで、ほろ酔い気味のオーナーことソド・レーゾンデードル・タルトロスがこちらに手を振り、その隣には魔術師のイノン・ニクロムが座っているのが見えた。


 三人は早速、彼らのテーブルの下で並ぶ。そして、本日三度目の質問を二人にぶつけた。


「どっちがどっち?」「見分けられる?」「判断可能?」

「ふあ?」「うん?」


 こめかみの辺りから、黒い短髪を掻き分けて羊のような赤黒い角の生えているソドは、その恐ろしい外見から想像のつかないような間の抜けた声を出し、酔っ払いに付き合わされて少しむっとして様子の濃い赤毛のイノンも、その金色の目を丸くした。


 先にイノンが口を開いた。


「一体どうした?」

「それ、聞いた」「今の、二回目」「さっき、言われた」

「そ、そうか……」


 ユーシーと同じ反応をされて、呆れ顔でギギとググとゲゲが冷たく返す。

 それに対して、イノンは困惑した笑みを浮かべて引き下がることしかできなく、仕方がないので三人の見分け方を真剣に考え始めた。

 とはいえ、ギギとググとゲゲを、見た目や声などから見分けることはほとんど不可能に思える。


「あ、そうだ」


 しかしイノンは、ある出来事を思い出した。きょとんとした顔で自分を見上げるゴブリン達へと視線を落とす。


「三日前に、ググが指を包丁で切ってしまったから、俺の薬を塗ってもらいに来たことがあったよな?」

「あった」「そうそう」「覚えている」

「その時に包帯を軽く巻いたんだけど、今も残っているよな?」

「あるよ」「うん」「巻いてる」


 三人はそう言って、人差し指に包帯の巻かれた左手をそれぞれ差し出した。


「……なんでググ以外も包帯をしているんだ?」

「えっ?」「ん?」「はい?」


 イノンの疑問は最もで、怪我をしていないはずのギギとゲゲも、ググと全く同じ位置に包帯が巻かれていた。

 これでは、本当に怪我をしているググが誰なのかが分からなくなり、とりあえずググのことだけでも見分けようと思ったイノンの目論見は外れたことになる。


 一方、当の三人はなぜイノンが混乱しているのかが理解できずに、小首を全く同じ角度に傾げていた。


「……もしかして、俺がググに包帯を巻いた後に、ギギとゲゲも自分で巻いたのか?」

「うん」「はい」「そう」

「なんでそんなことをしたんだ?」

「みんな一緒」「同じが一番」「どこも統一」

「うん、格好もいつも同じだし、その気持ちは分かるんだけれども、でも指に包帯巻いていたら、動かしにくし、いちいち取り換えないといけないだろ? それでも怪我してないのに、包帯を巻くっていうのは、効率が悪いというかなんというか……」

「苦しいのは分け合う」「痛みも共有する」「大変さも受け入れる」


 非常に言い辛そうに言葉を濁していたイノンに対して、ギギとググとゲゲはあっけらかんと言い放つ。

 それを受けて、イノンは腕を組むと低く唸った。


「三つ子じゃないと分からない感覚なのか……」


 微かに聞こえてきたイノンの一言に、三人は小さく頷く。

 他の三つ子たちの例は分からないが、三位一体という感覚は、物心ついた時からずっと残っていた。


「生まれた時から一緒なんだから、一人だけ違うというのは違和感しか芽生えないんじゃないのか?」


 しかし、彼らの胸の内を代弁したのは、この時まで黙ってワイングラスを傾けていたソドであった。

 そう言われて、はっと我に返ったイノンが、ソドの方を見て尋ねる。


「そういや、オーナーはギギとググとゲゲを見分けられるのか?」

「もちろん、簡単だよ」


 ソドは胸を張って答えると、早速「本当!」「すごい!」「やった!」と三人は身を乗り出して喰い付いてきた。


「俺たちも、随分長い付き合いだからな。これくらい分からないと失礼って事だろ……」


 最初は意気揚々と喋っていたソドだったが、その声は段々と小さくなっていく。ギギとググとゲゲを眺めているその黒い瞳が、動揺して泳ぎ回っていることを、隣のイノンは見逃さなかった。


 あ、今見分けがつかなくて焦っているなと、ソドと知り合ってから百年近く経つイノンは、多少呆れ顔で彼の心の内を見抜いていた。

 酒が入っていたとは言え、そう簡単に言い切るもんじゃないなと、冷や汗を流す彼の横顔を見ながら、イノンは聞こえないほど小さな溜め息をついた。


「……ところで、こっちが見分けられると言っといてなんだが、ギギとググとゲゲは、自分たちを見分けられるようにと、何か工夫をしたことがあったのか?」

「へっ?」「うん?」「ええ?」


 突然出た、ソドの低い声と思いがけない言葉に、ゴブリンの三つ子は目を点にする。


「確かに、ギギとググとゲゲはいつも一緒に行動したり服装や言動を同じにしたりしたくなる気持ちも、俺には分かるよ。ただ、それなのに、自分たちの事をそれぞれ区別してほしいっていうのは、ちょっと言い方が悪いが、わがままなんじゃあないか? ここまで一緒にされてしまうと、いくら見分けがついているといっても、ふとした拍子に間違えてしまうのかもしれない。だけど、ギギとゲゲとググは、それも嫌なんだろ?」

「……」「……」「……」


 ソドの指摘に、三人は黙りこくってしまう。

 今までは、三人一緒でいることと、自分たちの区別もきちんとしてほしいという気持ちとに、矛盾を感じたことは一度も無かった。三人とも、痛い所を突かれたかのように、眉をしかめてしまう。


 その表情を見たソドは、大仰に肩をすくめて続けた。


「もちろん、その事を責めているわけではない。だが、本当に見分けてほしいと思うのならば、少しは妥協をしてほしいということだな。例えば、スカーフの色を別にするとか、コック帽の長さを変えるとか」

「妥協をする……」「スカーフの色を……」「コック帽を……」


 ソドの提案を受けて、顔を見合わせるギギとググとゲゲは、互いの顔に不安の色が強く表れているのを見つけた。

 このくらいの事ならば、受け入れてもいいのかもしれないと、三人とも考え始めていた。


 と同時に、やはりこのホテルの中には、目印が無くても見分けられる人たちはいないのかという諦めも、胸の内に広がっていた。

 そして昔、このホテルに泊まった魔術師の男が、この国の北の方にゴブリンたちの国が残っていることを語っていたことを思い出した。

 ローム兄弟が住んでいた洞窟の中にあった王国よりも小さいながらも、人間たちに見つかることなく、平和に暮らしているという。


 あの時は、このホテルでの暮らしも気に入っていて、他の従業員や常連客にも絆を感じていたため、そのゴブリンの国に行くことなど一瞬でも考えなかった。

 しかし、今そのことを思い出してしまい、さらにそのゴブリンたちの国には、自分たちを見分けられる人がどこかにいるのかもしれないという可能性まで考えてしまった。


 もちろん、区別がつけられなくても、仲間たちとの絆が絶たれるわけではないのだが、しかし一度抱いてしまった小さな疑念が、いつまでも胸の内に居残っているような予感が漂っていた。


 一方、話を脇道に逸らすことが出来てほっとしているソドを、イノンは終始冷ややかな目で眺めていた。

 ソドはその口八丁で、これまでもホテルに難癖をつけてくる客を上手に丸め込むことがあったのだった。ただ、約一年ぶりに自室から出てきて、ホテルの皆と共に食事や酒を楽しむようになったソドが、いつものようなやり方をしているのを見るのも久しぶりで、それがどこか懐かしくもあった。


「あれ、みんな何してるの?」


 その時、彼らが座っているテーブルの後ろの階段から、二階の窓に洗ってあったカーテンを付け直していたジェンティレスと、ライオット・ダイナモが降りてきた。


 霊感があること以外は、普通の十四歳の人間の少年であるジェンティレスと、人の死体を繋ぎ合わせて作られたここの誰よりも背の高い、人造の怪物であるライオットとでは、背格好も年齢も全く違っていた。


 しかし心根の優しいジェンティレスと、髪の毛の生えていない頭で常に白い左目を持っているが穏やかな性格のライオットは気が合うようで、よくホテル内で二人一緒に行動している所が見かけられた。


 不思議そうな顔でジェンティレスが尋ねて、珍しい組み合わせにライオットも目を瞬かせていた。その声に反応した彼らは二人の方を向き、代表してイノンがこの状況を説明する。


「理由は分からないが、ギギとググとゲゲが自分たちを見分けてほしいと言い出してな。二人で見分けようとしていたところだ」

「そうそう」


 イノンが「二人で」という部分をわざわざ強調したと点に、一瞬顔が強張ったソドだったが、ここは笑顔で彼の話に合わせる。

 それを聞いて、ライオットは三人をじい……と交互に見詰めていたが、酷く申し訳なさそうに眉を下げて答えた。


「ごめん、おいら、には、誰が、誰だか、よく、分からない」

「えっ? ライオットは分からないの?」


 その一言を聞いて、目を丸くしたジェンティレスはライオットを見上げながら呟いた。


「へっ?」

「んん?」

「うそ」「本当に」「信じられない」


 すぐさま、イノンとソドが反応する。

 話の中心になっているギギとググとゲゲでさえ、半信半疑になっている。

 対するジェンティレスは、ますます不可解そうな顔になって、周りを見回した。


「あれ? みんなも見分けられないの?」

「あ、いや、俺は見分けられないんじゃなくて、」

「ジェン、当ててみて!」「ジェンティレス、判別して!」「少年、はっきりさせて!」


 言い訳をするソドの言葉を強引に遮って、ギギとググとゲゲは勢いよく前に出る。


 やっと自分たちを見分ける相手を見つけられたという喜びと興奮で、目をらんらんと輝かせる三人に押されて「あ、うん」と戸惑いを示しながらも、ジェンティレスは左から一人一人を指差して名前を言った。


「こっちがググで、そっちがゲゲで、あっちがギギ」


 それを受けた三人は急に真顔になって、本日何度目かの顔を見合わせた。


「……今の、合ってたのか?」

「……そうみたいだな」


 ギギとググとゲゲの様子から、ジェンティレスが見事に三人を見分けたことを察したイノンとソドはひそひそと話し合う。


 それを耳をしたわけではないが、三つ子たちが一斉に顔を上げてジェンティレスの方を見たので、イノンとソドが驚いてびくりとした。


「何か、あったの、ギギと、ググと、ゲゲ」

「振り返って!」「回れ右!」「後ろを向く!」

「え、ええ?」


 心配そうなライオットの言葉を聞き流して、三人は早口でジェンティレスに捲し立てる。

 ジェンティレスも困惑を滲ませながらも、彼らの言う通りに背中を向けた。


 その間に、ギギとググとゲゲは、順番を並び替えてみる。そして、先程までとは全く違う並びになった後に、満を持してジェンティレスに声を掛けた。


「いいよ!」「こっち見て!」「踵を返して!」

「あ、また順番が変わっている」


 再びこちらの方を向いたジェンティレスは、一目見て彼らの変化を見抜いた。それに驚いた、イノンとソドが息を呑む音が微かに聞こえる。


 そして、もう一度確認するために、ギギとググとゲゲはジェンティレスを見上げて小首を傾げる。


「今度はどう?」「分かる?」「難しい?」

「大丈夫、今のも分かるし、難しくないよ」


 ジェンティレスは今までの皆とは違って、一切不安がらずにむしろにこにこと笑いながら、また左から一人ずつ指差していった。


「ゲゲと、ギギと、ググでしょ?」


 今度もしっかり名前を呼ばれて、ギギとググとゲゲの胸の内から嬉しさが止めどなく湧き上がってきた。


「もう一回! もう一回!」「まだまだ! まだまだ!」「やって! やって!」

「何回やっても同じだよー」


 楽しそうにぴょんぴょんと跳ねる三人に、呆れたような笑みを浮かべながらも、ジェンティレスはその後も何度も並び替えられたゴブリンの三つ子たちの名前を言い当てていった。


 その様子を、まるで手品でも見ているような顔で眺めている、魔術師と鬼、そして手持ち無沙汰になって彼らの後ろに移動した人造の怪物。

 最初に、魔術師のイノンが口を開いた。


「なんで、ジェンはギギとググとゲゲを見分けることが出来るんだ?」

「多分、ギギとググとゲゲと一緒にいた時間だけで言ったら、俺たちの方が長いだろうが、ジェンは赤ん坊の頃から一緒だったから、物心ついた頃にはもう、誰が誰だか分かっていたんじゃないのか?」

「それでも、分かっちゃう、のは、すごいと、思う。それに、ジェンも、ギギと、ググと、ゲゲも、とても、楽しそう」


 ライオットが、後ろを向いたり、並び替えたり、また振り返ったりを目まぐるしく繰り返している彼らの様子を見ながら、穏やかに微笑む。


「……そうだな」


 それを受けて、ソドも顔を綻ばせた。ジェンティレスの事を、怪物に育てられた、怪物側に近い人間だと受け入れていたソドだったが、心のどこかに、まだ人間と仲良くすることに抵抗を感じている部分があって、ジェンティレスと話すことはあまりなかった。


 しかし、天使のエルーナと再会して、彼の人間に対しての考え方にも、少し変化が起きている。人間全てを憎むのではなく、人間の中にも色々居るのだということを、素直に認めることが出来るようになったのだ。

 俺も、もっとジェンと話していかないとなと、目を細めながらはしゃいで笑うジェンティレスを見つめていた。


 しばらくして、まだ楽しそうに笑い合いながら、ジェンティレスとギギとググとゲゲが、テーブルの方に歩み寄ってきた。


「すごいすごいすごい!」「全部あってた! 全部全部!」「完璧、完璧!」

「言い過ぎだよ、ギギ、ググ、ゲゲ」


 興奮冷め上がらぬ様子のギギとググとゲゲに対して、謙虚に宥めるジェンティレスだったが、そう言って向ける彼らへの目線も、名前通りになっていた。


「なあ、どこで見分けてるんだ?」

「どこで、っていうより、全体の、雰囲気? 気配? とか、そういうのだと思う」


 イノンの最もな疑問にも、ジェンティレス自身見分ける方法はちゃんと分っていないようで、不明瞭な答えを返してくる。

 「そういうもんなのか」と、イノンは納得しているのか受け入れがたいのか、複雑そうな表情を浮かべる。


 二人のやり取りを横目にしながら、ギギとググとゲゲは嬉しさを抑えきれない様子で、未だにそわそわとしていた。

 このホテルの中で初めて、そして恐らく唯一の、自分たちを見分けてくれる存在に気付いたのだ。もう、見分けてもらう努力をしないかというソドの提案も、北の方にあるゴブリンの国の事も、頭の中から綺麗さっぱり消え果ていた。


 元々、見分けられる相手は、一人で良かったのだ。そもそも、ゴブリンの王国にいた時も、自分たちを見分けられるのは、母親一人だけだった。

 だが、そのたった一人がいるだけで、三つ子として同じ格好、言動をしたいという欲求と、自分たちそれぞれの事を見ていて欲しいという欲求という矛盾があってもいいのだと、そのままの自己を認められたという安心感が生まれた。


 もう、見分けてほしいと誰かに尋ねることはないのだろうなと、三つ子たちが確信めいたものを抱いていると、


「そういえば、オーナーもギギとググとゲゲの事、見分けられるんだよね?」

 椅子に座ったジェンティレスが、向かいにいるソドの方を見上げながら、無邪気に言った。

 ソドの口走った、「見分けられないんじゃなくて」という言葉を、覚えていたのだ。


「え、ああ、そうだな……」


 引いていた冷や汗をまた流しながら、ソドが答える。

 まだ見栄を張るのかと怪訝そうな視線を送るイノンに、ライオットは状況を把握していないのか頭上に疑問符を浮かべている。


 そしてギギとググとゲゲは、もうこの疑問に執着心など殆ど無かったが、せっかくだからとソドの前に出て、四度目の質問をぶつける。


「見分けがついてる?」「判別出来る?」「誰が誰?」

「ええと、それは……」


 完全に追い詰められたソドは、イノンの冷たい視線と、ライオットの不思議そうな瞳と、ジェンティレスの期待に満ちた眼差しに晒されて、終始目を泳がしていた。









 この直後に、ジェンティレスが食事をまだ摂っていないことを指摘されて、当事者から話を逸らされて台所に走っていくことになるのを夢にも思わず、ギギとググとゲゲも何事も無いような顔で、ソドの言葉を待っていた。
















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