その四
すっかり夜も更けた外からは、弱々しい月の光が入ってくる。
ベッドの上に膝を抱えて座ったリムは、腕の中に顔をうずめて声を押し殺して、泣いていた。
と、そこへノックの音がして、開いた扉の隙間からポットとカップを乗せた盆を持ったジェンティレスが、顔を覗かせた。
「リムちゃん? だいじょうぶ? おせっかいかもしれないけど、何か飲んで落ち着いた方がいいよ?」
「ああ、入ってもいいぞ。……ありがとう」
顔をあげたリムにそう言われて、ジェンティレスは「どうもいたしまして」とにっこりと微笑んだ。
部屋に入ったジェンティレスは、ベッドの後ろにある机に、盆をそっと置いた。
「本当は、ずっと気付いていたんだ」
「え? 何を?」
「……彼らが、私に危害を加えるつもりなど、無いことに」
一瞬迷いながらもそう答えたリムは、自分の隣を叩いて、ジェンティレスに「ここに座ってくれ」と促した。
言われた通りに座ってくれたジェンティレスの純粋な瞳を直視できずに、リムは顔を下に向けたまま続けた。
「私を、すぐに吸血鬼にすることなんて、簡単なはずだ。石に変えることも、体を燃やし尽くしてしまうことも、魔法で別の生き物にすることも、気を失って聖剣を奪われた私に出来たはずだった。しかし、彼らはそうしなかった。何の利点もないはずなのに、何もせず、私をここにおいていた」
「みんな、口では人間のことが大嫌いって言ってるけど、とても優しんだよ」
「ああ、それも感じていた。旅人を食べているという噂も、嘘だということがすぐに分かった」
「噂なんて、当てにならないよ」
「ああ、そうだな。ジェンティレスの言う通りだな」
リムは、苦笑を浮かべた。
「私は、早く一人前の退魔師になりたかった。人々を守るためというよりも、自分の名誉を最優先にしていた。ここの怪物たちが、どのようなものなのかもろくに調べずに……馬鹿げているよな。退魔師失格だ」
「リムちゃんが、なんで退魔師を目指していたのか、訊いてもいい?」
「ああ、構わない」
リムは小さく頷き、床の木目の一点を見つめながら、ぽつぽつと話し始めた。
「……私は、幼いころから霊感が強くてな、幽霊や精霊が、日常的に見えていた。人間には見えないものと喋ったり、怖がったりしていたため、村の大人にも子供にも気味悪がられて、殆ど両親としか過ごしていなかった」
小さな田舎の村の中では、リムのことを「私たちの小さなリム」と呼び、ありのままを受け入れてくれたのは、そのままを愛してくれたのは、たった二人の人間、リムの両親だけだった。
「私が十二歳になったある夏の日、都に行く途中で村に寄っていた退魔師に出会った。彼は、私には退魔師の資質があると熱心に言ってきた。そして、両親を説き伏せて、私を村から連れ出したんだ。……いや、実際に説き伏せたのは私だったな。両親以外の誰かに認められたのはあの時が初めてで、心から退魔師になりたいと思ったんだ」
村の出口まで見送ってくれて、見えなくなるまで泣きそうな顔で手を振り続けていた父と母の姿を、リムは鮮明に覚えている。
そしてそれが、両親を見た、最後の日だった。
「退魔師の修業を始めて、一年ほど経った日だ。村で流行り病が広がり、父と母が立て続けに亡くなったことを知らされた。都にいた私は、師匠に感傷に浸ってはいけないからと、葬式に出ることも許されなかった」
その夜、リムは自室で一晩中泣き続けた。その時に、涙は全て涸れ、笑顔も失ったのだと思い込んでいた。
「私はさらに熱心に修行に打ち込んだ。一日でも早く立派な退魔師にならないと、送り出してくれた両親に申し訳ない、顔向けが出来ないと思ったんだ。……それでも、独り立ち出来るまで一年以上掛かっただがな。私には、退魔師の才能が無かったんだ」
「そんなことないよ!」
突然、リムの自嘲をジェンティレスが大声で否定した。
リムは驚き、彼の顔を見た。
「あ、ごめん、びっくりさせちゃって……。ぼくは、退魔師の才能がどういうのなのかよく分からないよ。でも、何でもかんでも怪物だからって、退治しちゃうよりも、その怪物が本当に悪い奴なのか、実は優しいんじゃないのかって思ったりする方が、立派な退魔師だと思うんだ。だから、ホテルのみんなが優しいって気付いたリムちゃんは、ぼくにはもう、一人前の退魔師なんだよ」
「そうか……。そういわれると、嬉しいな。ありがとう」
リムがそう言って表情を和らげると、ジェンティレスは照れ臭そうに笑った。そして、ふと真顔になって、リムを見つめ返した。
「僕の方こそ、みんなを退治しないでくれて、ありがとう」
ジェンティレスは右手を差し出した。リムはその手を、力強く握った。
☆
夜の闇の中で、一件の廃墟から「おおおおーん」と泣く声がする。
……言うまでもなく、その廃墟はホテル・トロイメライであり、泣いているのはホールで仁王立ちしたライオットである。
「ライオット、もう泣くなって。何事も無かったんだから、な?」
クレセンチがライオットの前に立ち、必死に宥めると、やっと彼は泣き止んだ。
「……、でも、リム、あのまま、だと、怪我、してた。やっぱり、おいらの、せいだ」
しかし、すぐに後悔がせり上げてきて、ライオットは再び泣き出した。
「ああ、もう、だから泣くなって。飴やるから、な?」
「レイジア、ダイナモはものを食べないぞ」
レンの冷静な言葉に、クレセンチは飴を持ったまま頭を抱えた。
「じゃあ、もうどうすればいいんだ!」
「それ以外の選択肢はないのか」
「ライオット、もう起きてしまったことをあれこれ言っても仕方ない。これからは、蜘蛛を見ても混乱しない方法を考えよう」
ユーシーが優しくそう語りかけ、やっとライオットは落ち着きを取り戻してきた。
「……だが、蜘蛛を見て大騒ぎしたのは、私が見る限りでは、あれで三十七回目だぞ」
「……それ、ライオットの前では絶対に言うなよ。また泣き出すから」
レンとクレセンチがひそひそとそう喋っている後ろで、ライオットとユーシーは蜘蛛に慣れる方法を真剣に話し合い始めた。
一方、別の円卓では、イノンが魂の抜けたような顔をして、椅子に力無く座っていた。
「……俺、どうしたんだろうな。とっさに人間を、それも退魔師を助けるなんて」
「イノンも丸くなったってことじゃないのォ?」
メデューサはそんなイノンの隣に腰かけて、意味深な微笑を浮かべていた。
例の一件ですっかり酔いが醒めたウルルが、腕を組んで何度も頷いた。
「たぶん、ジェンが来てからあたしたちも人間に寛容になったというか……とにかく、なんか変ったよな」
「そうかもしれないな」
イノンは椅子に座り直すと、真剣な面持ちで皆を見回した。
「だけど、リムが怪我しなくて良かったって、話じゃあ済まされないよな」
「そうねェ。まだ問題が残っているわねェ」
「へ? 何が?」
本当にとぼけた顔になったウルルに、イノンは答えた。
「リムは、ライオットに蜘蛛がいると嘘をついていた」
「実際、ライオットの足元には、何もいなかったわァ」
「ああ~。確かに、あたしが一生懸命掃除しているから、蜘蛛が出るなんておかしいよなー」
「……なぜ、リムがあんな嘘をついたのか、誰か理由を知っているか?」
イノンはウルルの自画自賛を何もなかったように流して、皆に尋ねた。
すると、メデューサが小さく手を挙げた。
「ワタシ、リムがジェンから、ライオットの弱点が何か訊いているのを見てたわァ」
「だから、あたしが掃除を頑張ってるから蜘蛛は、」
「そうか、あれはリムの計画だったんだな。ただの悪戯か? それなら、なぜ遠くにいたライオットを狙ったんだ?」
「あたしの掃除が世界一だから、」
「ライオットはルージクトの次に霊力や魔力が弱いからねェ。もしかしたら、リムはライオットを退治しようとしたのかしらァ?」
「ねえ、あたしの掃除、」
「ウルル、お前の掃除の腕は後でたっぷり誉めるから、今はちょっと黙ってくれ」
イノンにはっきりと叱られて、ウルルはしゅんと肩をすくめた。
「ジェン」「ジェンティレス」「少年」
別の円卓に座っていたギギとググとゲゲがそう呼びかけるのを聞き、皆は階段の方を見た。
ジェンティレスはちょうど、ホールに降り立ったところだった。
「リムは?」「サクラメントは?」「退魔師は?」
「最初は泣いてたけど、もう大丈夫。だいぶ落ち着いてきてたし、紅茶も飲んでた。これから眠る準備をするんだって」
ジェンティレスと三つ子がいる円卓に、皆も集まってきた。ジェンティレスは真っ先に、ライオットに向き合った。
「ライオット、リムが、嘘ついてごめんなさいって言ってたよ」
「いいよ、もう、平気。それより、びっくり、させて、しまって、ことを、謝り、たい」
「そうだね。明日、直接謝ろうね」
ジェンティレスが優しくそう言って、ライオットは頷いた。
一方で、イノンとメデューサはまだ難しい顔をしている。
「やっぱり嘘だったか……」
「どうしてリムがそんな嘘をついたか、ますます気になるわねェ」
「うん……。ライオットをびっくりさせて、その……やっつけようと、思ったんだって……」
急に歯切れが悪くなったジェンティレスの言葉に、イノンとメデューサの顔はさらに険しくなった。
慌てて、ジェンティレスは付け加える。
「あ、あのね、でも、もうみんなを退治しないって、リムちゃん言ってたよ!」
「本当か?」
「まず、私たちを退治しようとしてここに来たのでしょォ? そう簡単に諦めたとは思えないわァ」
約束したリムの思いも、疑ってしまうイノンとメデューサの気持ちも、ジェンティレスはよく分かっていたため、困ってしまい黙り込んだ。
「まあまあ、そう熱くなるなって」
そんな二組の間を、ユーシーが割り込んできた。
「ジェンに言った言葉が、リムの新しい作戦だとしても、俺たちを退治したくないって口に出したってことは、そっちの方向へ気持ちが傾きかけているってことじゃないのか?」
「あたしも、ジェンとユーシーに賛成。一緒にお菓子食べてる時、リムは本当に楽しそうだったもん」
ルージクトも、ウルルの隣で両手を叩いた。
様子を窺っていたレンが、顎に手を当てながら口を開いた。
「しかし、ライオットに何か仕掛けてきたということは、未だリムの心は危うい均衡にあるのかもしれぬ」
「もう少し、様子を見たほうがいいのかもな。リムと親交を深めたりして」
クレセンチも頷いている。
「リムの気持ちを聞きたい」「サクラメントの心を知りたい」「退魔師の本心を覗きたい」
ゴブリン達も口々にそう言った。
ユーシーはぐるりとホールを見渡して、声高に宣言した。
「みんなの意見はよく分かった! それじゃあ、あと一日待ってみて、リムの本心を調べてみよう! もし、リムに俺たちを退治しようという気持ちが残っているなら、イノンの魔法で記憶を消すとかなんとかして、町に返せばいい。だけど、明日は今日みたいに何もしないわけにはいかないぞ。リムが退治することを諦めるように、こちらから仕掛けてみるんだ」
「仕掛けるって、何をする気だ?」
イノンが怪訝そうな顔でぶつけたもっともな疑問に、ユーシーはにやりと笑って見せた。
「明日、大宴会を開く」
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