その二
リムの部屋の様子を見てきた幽霊の少女、ルージクト・カドリールが、二階から戻ってきた。
ホールに残った怪物たちは、先程と同じ位置で、彼女が雪のようにふわふわと降りてくるのを、黙って眺めている。
「リムは、眠ったか?」
ユーシーの問いに対して、ルージクトは笑顔のまま両手で丸を作った。
途端に、ホールのあちこちからため息が漏れた。天井のシャンデリアに火がつけられ、ホールは急に明るくなった。
一番安心したのは、ユーシーだった。今まで見せていた真面目な顔は陰を潜め、背もたれの上にのけぞって息を吐いた。
「よかったー。なんとか、騙し通せたー」
吸血鬼に噛まれたものは吸血鬼になるという噂は、本当であった。実際に、ユーシーもそうやって吸血鬼となった。
しかし、噛まれたものが誰でも吸血鬼になるのではなく、先祖に吸血鬼がいるもの、その中でもさらに一握りだけがなれるのだった。
よって、吸血鬼と血縁関係のないリムが噛まれても、何の影響もない。
「リムが新人の退魔師で、その事を知らなくてほんと助かった。一か八かの賭けだったな」
「ああ。あの聖剣の力は確かなものだったからな。直接対峙していれば、どうなっていたか分からない」
感慨深げに語るユーシーとは反対に、隣に腰かけたタキシードを着た悪魔のレン・カフカ・アシュタロトは淡々と言った。
その向かいに、魔術師のイノン・ニクロムが座った。
「クレセンチがいて、本当に助かった。俺たちだけじゃあ、あの聖剣に触れなかったからな」
「こういう形で役立てるなんて想像もしてなかった」
黒マントの死神のクレセンチ・レイジアは、苦笑を浮かべながらユーシーの向かいに座った。
純銀で作られた上に、聖なる力も存分に込められていたあの聖剣は、魔の者には触れる事さえできない。
そこで、魔の者でも聖の者でもない、丁度中間の死を司る死神のクレセンチが、聖剣と他の道具を気絶したリムから取り上げ、自室に隠したのであった。
クレセンチはフード越しにユーシーを見て、にやにやと笑った。
「だけど、一番の功労者はユーシーだろ。あの演技はすごかった。すごすぎて、笑いをこらえるのが大変だった」
「どうやってあの演技力を身につけた?」
レンが、心から不思議そうに尋ねた。
ユーシーは何でもないように、掌を振った。
「単純に、芝居が好きでよく見に行っていたからな、それの影響だ」
「そんなに演技ができるんだったら、案内役を代わってくれてもいいんじゃないか?」
イノンは笑顔で、しかし地を這うような低い声で言った。
ユーシーは慌ててイノンに向かって弁解する
「いや、今日は緊急事態であって……。というか、俺はそもそも宿泊客だぞ? 客に案内役をやらせるのは……」
「ユーシー」
「んあ? どうした、ジェン?」
いきなりそう声を掛けられて、ユーシーが振り返ると心配そうな顔をしたジェンティレスがそこにいた。
「火を消した時、熱くなかった? 痛くない?」
「ああ、それならもう大丈夫だ。ほら、傷も無くなっているだろ?」
ユーシーが掌を見せると、ジェンティレスはやっと安堵の息をついた。
改めて、ユーシーは自分の掌を見る。火傷の跡などどこにもない、火を消す前と全く変わらない手だった。
「……俺は吸血鬼になって、寿命もずっと伸びたし、怪我してもすぐに治るしで、もう最強になったと思っていたんだけどな。リムが剣を抜いた時、久々に『死ぬ!』って思ったよ」
「当り前よォ。私たちは怪物だからと言って、『死』からは完全に逃げられたわけじゃないのよォ」
テーブルの上で足を組んでいた髪が蛇の怪物であるメデューサ・ゴルゴンは、気怠るそう言った後にゆっくりとクレセンチのいる方へ顔を向けた。
「でも、例外はいるけれどねェ」
「なんか、仲間外れにされているような気がするな」
クレセンチは腕を組んだまま、苦笑を浮かべた。
「それよりも、リムをどうするかだ」
イノンは立ち上がり、ホールの中を見回した。奥の方にいた巨大な人造の怪物、ライオット・ダイナモもユーシーのすぐ後ろに来ていた。
ゴブリンの三つ子、ギギ・ロームとググ・ロームとゲゲ・ロームも、メデューサのいる向かいの円卓の上に並んでいる。
だが、もう一人、まだ奥にいた、
「あれ? ウルルはどうした?」
メイド姿の狼人間、ウルル・トロイデは元いた椅子の上で完全に伸びていた。
それを見たイノンが、すぐさま叱責した。
「ウルル! 何だらけてんだ!」
「あ~、あたし、もう無理~。新月の夜は、全然力が出ないの~」
ウルルは力なく手を振って、そのまま目を閉じてしまった。
そんなウルルの様子を、幽霊の少女ルージクト・カドリールが笑顔に心配を滲ませて、見守っていた。
イノンは溜め息をついて、ルージクトに言った。
「ルージクト、ウルルを頼んだ」
ルージクトが小さく頷くのを確認して、イノンは皆の方へ向き直った。
「で、さっきの話だが……」
「どうするも何も、リムが心変わりするまで、放っておくしかできないんじゃないか?」
「だが、心変わりするまでには、時間が掛かりそうだ。部屋に向かう時も、まだ我々のことを諦めていないという表情だったからな」
ユーシーの言葉を、すぐにレンが否定した。
次にリムがどんな行動を起こすか分からないと思うと、ユーシーの背筋が再び冷たくなった。
「イノン、魔法で何とかできないか?」
ユーシーにそう問われると、イノンは渋い顔をして腕を組んだ。
「魔法陣を使えば、ここに来た記憶を消すことはできる。だが、消せるのは記憶だけで、リムに俺たちへの敵対心が残っていれば、何度でもやってくるだろうな」
「結局、根本的な解決にはならないのか」
クレセンチがため息をつくと、教師に質問する生徒のように、ライオットが片手を挙げて、口を開いた。
「じゃあ、リムの、おいら、たちを、退治、したい、気持ちも、消したら?」
「それも、不可能じゃない。ただ、失敗する危険性も高い。そもそも俺の不得意な分野だからな」
「そうか、だめ、なんだ」
ライオットががっくりと肩を落とす。
その背中を、クレセンチが仕方ないさと叩いていた。
「はい」「ほい」「あい」
そこへ、ギギとググとゲゲが手を挙げた。皆が一斉に彼らの方を向く。イノンが代表して問い掛けた。
「何かいい考えがあるのか?」
「楽しませる」「喜ばせる」「感動させる」
三人が出したのはごくごく当たり前のことだったが、それをどうすればいいのかが一番難しいことを、他の者たちは知っていた。
イノンは少し落胆しながらも、もう一度尋ねた。
「具体的には?」
「うまい食事」「おいしい料理」「素晴らしい食卓」
「……ただの食事ぐらいで、あの堅物を感動させられるかな?」
ユーシーが何気なく呟いた一言に、三つ子は「ガーン」「ゴーン」「ズーン」とそれぞれ衝撃を受けて、がっくしと肩を落とした。
それを見て、ユーシーは慌てた。
「あ、いや、ギギ、ググ、ゲゲの料理がまずいとかじゃなくて……。とにかく、何事も挑戦してみたらいいと思うぞ」
「本当?」「その実?」「心から?」
「ああ、そうだ」
ユーシーが力強く頷くと、三匹はこれからリムを心変わりさせるような料理を作ろうと、勝手に情熱を燃やし始めた。
レンは呆れた様子で、ほっとしているユーシーの顔を見た。
「ゲネラルプローベ、言葉には気を付けたほうがいい」
「……バカ正直にだけは、それを言われたくなかった」
「その言葉、以前にもニクロムから言われたな」
レンが首を捻っていると、今度はメデューサが口を開いた。
「人間が一番感動するのは、歌と踊りよォ。みんなで、歌って踊ればいいわァ」
「それ、すごく楽しそう! みんなでやろうよ!」
ジェンティレスが目を輝かせて皆を見たが、誰も乗り気になっていない。
「みんな、ワタシの分まで頑張ってほしいわァ」
「え! メデューサはやらないの!」
「わざわざ、人間の前で歌わなくちゃいけないのは、ちょっとねェ」
「発案者が乗り気じゃないなら、無理だな」
イノンがメデューサの案を一蹴した。
すると次に、ライオットがその大きな掌をぱんと鳴らした。
「リムは、十四、歳。ジェンと、おない、年」
「ああ、そうだったな」
「ジェンと比べると、リムの方がずっと大人びているように見えるけどな」
ユーシーとイノンは、顔を見合わせた。
「だから、ジェンが、好きな、こと、きっと、リムも、好きな、こと。それを、やれば、リムも、喜ぶ」
「それは妙案だ。よし、ジェン、お前が一番好きなことはなんだ?」
イノンが前のめりになりながら、ジェンティレスに尋ねた。
皆の視線が、ジェンティレスに集中する。
「うーん……僕が一番好きなのは、ウルルと一緒に『捕まったら狼人間ごっこ』をしているときかな」
「……それをやったら、リムは怒り狂いそうだな」
「同意する」
ユーシーとレンが落胆した皆の思いを代弁して、席に座り直した。
しばらく、誰もが黙り込んで何かいい案が出ないかと考え込んでいたが、ふとクレセンチが「なあ」と呟くように問い掛けた。
「さっきから俺たちは、リムをどうやって楽しませるとか感動させるとか考えてるけど、本当は俺たちを退治する気持ちを消すのが目的じゃなかったっけ?」
「あ」
今まで見当違いなことを話し合っていたことに気付き、怪物たちは動きを止めた。
そして、ユーシーが顎を触りながら言った。
「とすれば、俺たちがそんなに悪い奴じゃないことを証明すればいいんじゃないのか?」
「そもそもサクラメントは、私たちが旅人を殺して食べているという噂を信じて、ここに来たのだからな」
レンの言葉に、皆頷いた。
「それじゃあ、旅人が偶然来て、ワタシたちが脅かすところを見てもらうしかないのかしらァ」
「もし、そうなったとしても、リムがそれを邪魔してくるかもしれないぞ」
イノンは苦い顔をしていった。
「リム、おいらたち、大嫌い。そう、簡単に、信じて、もらえない」
「まだ、子供なのになぁ。なんかあったのか?」
クレセンチが、リムが眠る部屋の方を見上げた。
ホテルは再び静かになった。すると、微かにウルルがいびきをかいているのが聞こえてきた。
「……とにかく、今はいつも通りに振る舞って、リムに誤解を解いてもらうしかないな」
ウルルのいびきに一気に力が抜けてしまい、心身ともにどっと疲れた怪物たちは、イノンの言葉に頷くしかなかった。
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