第二章 ホテルの怪物たちと少年

その一


 空は雲一つなく、黄金の半月や星々が穏やかに光っている、よく晴れた夜だった。


 人間を案内する用の、紺色の背広に布ネクタイを締めた赤毛の魔術師のイノン・ニクロムは、一人で廃城を利用したホテル・トロイメライの外に立ち、石畳の上に置かれた、それを見詰めていた。


「……」


 彼の目線の先には、一抱えほどの籠があり、その中には人間の赤ん坊がすやすやと眠っていた。


「……どうすればいいんだよ、この子……」


 イノンは嘆くように夜空を見上げたが、もちろん誰も答えてくれなかった。






   ☆






「おう、イノン、遅かったな。って、それ、どうしたんだ?」

「外に落ちていたから、拾った」


 籠を抱えて戻ってきたイノンを見て、メイド姿なのに足を広げて座っていた狼人間のウルル・トロイデは金色の目を丸くして、驚きの声を発した。



 イノンが籠を空いているテーブルの上に置くと、自由に飲み食いしていた怪物たちがその周りに集まってきた。

 彼らが籠を覗き込むと、毛布代わりにイノンの背広を被せられた、色の薄い茶色の髪をした赤ん坊の寝顔が見えた。


「人間の、子供、だよね?」


 人工的に作られた巨大な怪物で、ツギだらけのライオット・ダイナモが身を屈めて籠の中を覗きこむ。


「呼吸をしているみたいよねェ」


 蛇が髪の毛の女、その眼を見た者は石になってしまうため、いつも目隠しをしているメデューサ・ゴルゴンが赤ん坊の寝息を聞いて微笑んだ。

 彼女の言葉に反応しているのか、髪の毛の蛇がくねくねと動いている。


「男の子のようだな」


 黒いマント姿に大鎌を背負った死神のクレセンチ・レイジアは、目深に被ったフードで分かりにくいが、とろけるような笑顔になっていた。


「可愛らしい」「愛おしい」「愛くるしい」


 灰色の肌でコックの格好をしたゴブリンの三つ子、ギギ・ローム、ググ・ローム、ゲゲ・ロームは、小さな体をテーブルの上に乗せて、競うように赤ん坊を見ていた。

 その後ろでは、白いワンピースで享年十八歳の幽霊の少女、ルージクト・カドリールがふわふわと浮きながら赤ん坊を見詰めて、笑いかけている。


「先程、外で人の気配がすると言っていたのは、この子だったのか」


 シルクハットを被り、黒のタキシードを着た悪魔のレン・カフカ・アシュタロトが、いつもと変わらない無表情と真っ赤な瞳をイノンに向けた。

 イノンは頷いた。


 ……たまにホテルに人が迷い込んできたときと同じように、イノンは燭台を持って出迎える準備をしていた。しかし、いくら待ってもホテル内に入ってこない。

 人間を脅かすためにそれぞれの配置で待機していた怪物たちが騒ぎ出した頃、イノンも我慢できなくなり、外に出た。そして、この子を見つけた。


「それで、連れてきたはいいけど、どうするつもりなんだ?」


 黒いスーツを付け、青いネクタイを締めた吸血鬼のユーシー・ゲネラルプローベが、珍しく真剣な面持ちで疑問を投げかけた。

 イノンは思わず言葉に詰まる。


「親を探し出して、返してあげるとか? 無理だろ」

「仮に見つけて返したとしても、また捨てられるかもな」


 クレセンチとレンが、冷酷ながら現実的な考えをぶつけてきた。

 イノンはますます答えに窮した。


「それなら、ここで人生を終えてもいいんじゃないのォ」

「料理する?」「調理する?」「こしらえる?」


 メデューサと、ギギ、ググ、ゲゲが口々にさらに残酷なことを提案した。

 その無責任な一言が、イノンの逆鱗に触れた。


「もっと真剣に考えろ!」


 イノンの大声に皆驚き、動きを止めてしまった。

 と、その声で起きてしまった赤ん坊が泣き始めた。途端に、怪物たちは混乱状態に陥ってしまう。


「どどどど、どうすればいいんだ?」


 ユーシーが先程の落ち着きとは打って変わって、慌ただしく辺りを見渡した。


「は、腹を空かしているんじゃあないか?」


 クレセンチが急いでマントの中の飴を取り出そうとする。


「クレセ、それ、赤ん坊は、食べない。ウルル、乳を、飲ませて、あげて」

「わかった、ライオット! まかせろ!」

「待て待て待て、早まるな」


 メイド服を脱ぎ捨てようとするウルルを、イノンは肩を掴んで制した。


「今は揉めている場合ではないというのに……」


 レンは小さく眉を顰めて皆を見ていた。


 すると、今まで黙っていたメデューサが、泣き続ける赤ん坊に向かって手を伸ばした。

 ウルルの肩を押さえていたイノンは、赤ん坊の細い首を絞めるメデューサを想像してしまった。


「メデューサ、やめろ!」


 しかしメデューサは、優しく赤ん坊を抱き上げると、ゆっくりと揺らし始めた。赤ん坊の泣き声は段々と小さくなり、完全に聞こえなくなった。


 呆気に取られる面々の代わりに、音もなくルージクトがメデューサの後ろに回り、そっと赤ん坊の顔を覗きこんだ。

 そして、片手で小さな丸を作った。どうやら、すっかり眠りに落ちたらしい。


 安心したイノンは、体中の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。


「驚かすなよ……」

「ふふふッ。きっと、可愛らしい顔をしているのねェ。ぜひ、この目で見てみたいわァ」

「頼むから、これ以上の冗談は止めてくれ。身が持たない」


 イノンはテーブルの縁に手をかけて、立ち上がった。そして眠っている赤ん坊の横顔を眺めがら、呟いた。


「……この子、ここで育てないか?」


 怪物たちが、一斉にイノンを見た。


「イノン、本気なのォ」

「確かにこの子はかわいいけれど、あたしたちが人間を育てるのは……」

「おかしい」「ヘン」「矛盾」

「イノン、おいらは、人間が、嫌い。イノンも、そう、だった、でしょ?」


 メデューサ、ウルル、三つ子達、ライオットが、イノンに向けて反対の意を表してくる。

 ルージクトも、いつもの笑顔の上に困惑を滲ませていた。


 イノンは一人一人の言い分を受け止め、小さく息を吸い込むと、口を開いた。


「確かに、俺たちは人間を嫌っている、何よりも憎んでいる。だけど、この子はまだ赤ん坊だ。俺たちを見て、拒絶するとか迫害しようとか、そういう意志もまだ持っていない。それなのに、俺たちがこいつを人間だからって一方的に嫌うのは、人間と同じことをしているような気がするんだ」


 イノンは周囲を見回した。

 殆どの者が、気まずそうに目を逸らしていた。


「それに、クレセとレンが言ってた通り、仮に親を見つけて返したとしても、何されるか分かんないだろ? それは……感情論になるけれど、可哀想だ」


 皆は黙ったままだった。イノンの言いたいことは分かるし、赤ん坊が可哀想という気持ちもある。だが、まだどこかで割りきずにいた。

 そんな怪物たちを代表して、ユーシーが咳払いを一つして前に出た。


「みんなの気持ちはよく分かった。だけど、ここで赤ん坊を育てるかどうかを決めるのは、俺たちじゃなくてオーナーの役割じゃないのか?」

「あ」


 その時になって初めて、皆はホテルのオーナーの存在を思い出した。

 彼は今日も一日中自室に閉じこもっていたため、それも仕方のないことだったのだが。


「俺、ちょっとオーナーに聞いてくるよ」


 代表してイノンが、短く呪文を唱えて何もない空間から箒を出現させると、それに跨ってオーナーのいる二一四号室へと飛んで行った。


 しばらく、この場は静寂に包まれていたが、それを破ったのはウルルだった。


「なあ、メデューサ、あたしにもこの子を抱っこさせてよ」

「いいけど、起さないでよォ」

「ウルル、力が、強い、から、握り、潰しちゃう、かも」

「えー、ライオットには言われたくないなー」

「オレも」「ボクも」「ウチも」

「ギギ、ググ、ゲゲにもできるかしらァ」


 そんな楽しそうなやり取りを、少し離れたところからレンとクレセンチとユーシーが見ていた。


「皆、口ではああ言っていたが、やはり気になるようだ」

「分かる。あの子、すごく可愛いから。だから、俺にも抱っこさせろー!」


 クレセンチはマントを翻して輪の中へと、走り去った。


「そういえばあいつ、大の子供好きだったな……」


 ユーシーが苦笑を浮かべると、レンもその言葉に頷いた。


 誰から赤ん坊を抱くかを言い争っているとき、箒に乗ったイノンがホールに戻ってきた。顔色は白く、表情も虚ろだ。


「イノン、どうだったか?」


 ユーシーが声を掛けると、皆動きを止めて、緊張の面持ちで箒から降りたイノンの言葉を待った。


「……オーナーは、一言だけ言ったよ」


 ホールに、息を呑む音が響いた。


「……『名前、なんにしようか』って……」


 一瞬だけその場から音が失われて、突如わああああと歓声が上がった。


「ちょっと! みんなうるさい! また赤ん坊を起こす気か!」


 イノンの声も届いていない様子で、怪物たちは口々に赤ん坊の名前の候補を挙げていった。


「ポニーちゃん、サブリナちゃん、マリンちゃんがかわいいわねェ」

「それは女の名前だろ!」

「ウルル・ジュニア!」

「自分の名前を入れるな!」

「タローとか、デメトリウスとか、アザードとか……」

「クレセ、それはどこの国の名前だ?」

「ヂヂ!」「ヅヅ!」「デデ!」

「自己主張が強すぎる!」

「サラシ、ナメワ、シルタ、ロイウ、グエオ、テレレ、キミザ、」

「ライオット、それで一つの名前じゃないよな?」

「……いろいろ考えたけれど、かっこいい名前が思いつかない……」

「そんなにがっかりしなくてもいいぞ、ユーシー……」


 イノンは好き勝手な皆に溜め息をついて、レンの方を向いた。


「レンだったら、なんて付ける?」


 読書家であるレンならば、何かいい名前が出てくるのかもしれないと、イノンは期待していた。

 レンは黙って腕を組んだまま、皆の方を見た。


「名前の由来にするために、まずはどのような子に育ってほしいかを決めるのはどうだ?」

「おっ、それはいいな」


 むやみやたらと名前の候補を連呼する他の面々と違い、レンはずっと冷静なことにイノンは感心した。


「優しい……」


 赤ん坊を抱いているメデューサが、呟くように発言した。

 赤ん坊をあやしながら、目隠しした目でその顔を見詰め、頬をそっと撫でてあげた。


「優しい子に、なってほしいわねェ」


 このメデューサの意見に賛成して、皆は顔を見合わせて頷き合った。


「では、ジェンティレスという名はどうだ? 異国の言葉で、優しさという意味だ」


 レンの提案に反対する者はなく、自然と拍手が赤ん坊に向けられた。


「ようこそ、ジェンティレス、ホテル・トロイメライへ」


 イノンがジェンティレスという名を貰った赤ん坊へ、静かに歓迎の言葉を贈った。

 ジェンティレスは、すやすやと眠ったまま、微かに笑っているように見えた。















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