「どうしたんだ」

「いや、これって……」

 ザムが訝しげに見ると、ニドレフは火にかけられた鍋を指さす。

「鍋だが?」

「いや、鍋って、これ……土器じゃないんすか?」

 彼が指さす鍋。それは見た目は花瓶か壷に酷似していた。円柱形でわずかに丸みがあり、底部は平らで上部の口は広くなっている。側面には細い線や縄を押し付けて作った模様が刻まれている。その色は、乾いた土色。

「土で作った鍋だ。それがどうした。普通だろ」

「イヤイヤ、普通じゃないですって!」

 今でも粘土を焼き固めた土鍋や壷といったものは使われている。ただし、持ち運びしないものとしてだ。土鍋や壷などは主に家庭用として使われている。なぜなら非常に割れやすいからだ。

 なので旅などに持っていくのは鉄製の鍋が常識だ。土鍋だと落としたりちょっとした衝撃で砕けてしまうが、鉄鍋ならへこむ程度で少々のことなら壊れない。だというのに、ザムは平然とこれが普通だと言う。

(鉄の剣じゃなく石の剣、鉄の鍋じゃなく土の鍋。これが普通ってことは、コイツら鉄を知らないのかよ)

 ニドレフの顔が驚愕に染まる。

 ザムが使っている食器も土器だった。料理を入れている器と匙も乾いた土色をしている。

 ニドレフは使っている食器を観察し、そのまま馬車へと視線を移す。そしてまたも驚きに目が丸くなった。

「それ、馬車ですか?」

「そうだが」

 馬車はニドレフから見れば、少し大きめ程度のものだった。太い木材を使っていて、頑丈で重たそうだ。それだけならニドレフは何度も見たことがあるので驚くことはない。

「……」

 ニドレフはゆっくりと視線を動かし、馬車へ繋がれた馬を見る。

「……馬じゃないじゃん」

 それを聞きとがめたザム。

「どう見たって馬だろうが」

「どこがですか! いや、たしかに馬の種類には入ってますけど、これポニーじゃないですか!」

 ニドレフはそう言って指さす。しかしザムは首をかしげるだけ。

「ポニーってなんだ」

「馬の種類で、体が小さいやつをそう言うんです」

「そうか」

「その興味無さそうな返事はなんですか!」

「興味無いからな」

「ちょっと、俺の馬を見て! 大きいでしょ」

 ザムはうるさそうに眉間を寄せたが、言われたとおりニドレフの馬を見て、微かに眉を上げた。

 確かにその馬は馬車を引く馬より大きかった。見た目もかなり違い、まず首がポニーと比べると長い。脚も長く、二倍以上違うのではないだろうか。筋肉の付き方も段違いだ。

「たしかに大きいな」

「そうでしょ。で、その馬車をなんでそいつに引かせてるんですか?」

「だから、これが普通なんだ」

 ニドレフは頭をかきむしる。あまりに自分の常識と違うできごとに、頭が爆発しそうだった。

 馬車はニドレフが何度も見たことがある大きさだった。人が乗るためのものではなく、農作物などを運ぶ荷馬車として。

 荷馬車はできるだけ多くの品物を乗せれたほうが効率が良い。なのでどうしても大きくなるが、その分重たくなってしまう。なので通常この大きさの荷馬車を動かすときには、馬二頭で引くようになっている。一頭では動かすことができないからだ。

 だというのに、あの大きさの馬車に繋がれているのはたった一頭の馬。しかも小柄なポニーだ。見た目の通りポニーは馬より力が無いので、この馬車を引けるわけがなかった。

 しかし目の前の馬車には一頭しか繋がれていない。草原には引かれた車輪の轍も存在していた。そのことから、置かれていた馬車にポニーが繋がれたわけではないことがわかる。

「本当に、そのポニーがこれを引っ張ってきたって言うんすか……」

 呆然と馬車とポニーを見るニドレフを、ザムは気味悪そうに睨む。

「なんだアイツは。頭がちょっとアレなのか?」

「アレってなにー?」

「なんでもない」

 ニドレフは立ち尽くし、それを気にした風でもなくザムとファーラは食事を続ける。ただ一人、カルルだけは横目で何度も見ていた。しかし食事の手を止めることはなかった。なにしろ、五日ぶりのまともな食事だったのだから。

「どういうことっすか……こんなに文明が遅れてるなんて。それに……」

 ニドレフはザムとカルル二人の顔を観察する。金髪はどこにでも見かけるが、顔立ちは見慣れないものだった。彫りが浅く、子供のように丸みを帯びた顔。一般的に金髪の人種は彫りが深く、特に鼻が高いのが特徴だった。だが二人の鼻は低い。

 さらに目を引く特徴は、その体格だ。あまりにも小さい。言葉通りならザムはすでに成人している年齢だ。なのに身長はニドレフの腹までしかなく、見た目は十歳程度の子供に見える。

「……えーっと、二人は何歳なんすか?」

 ニドレフはおずおずと質問する。

「俺は十九だ」

「「じゅうきゅう!」」

 ニドレフとカルルが声をそろえて叫んだ。

「嘘でしょ。ザムって三十ぐらいだと思ってた!」

「いや十九って……それもおかしいけど三十には絶対見えねえっすよ!」

 カルルは若いことに驚き、ニドレフは年齢が高いことに驚愕する。特に後者の驚きようはかなりのものだった。

(ありえねえ……見た目は十歳ぐらいじゃないっすか……)

「ち、ちなみに、そちらのカルルさんはおいくつで?」

「わ、私ですか。十四歳です」

 それを聞いて、今度はザムが驚く。

「十四だったのか。十二ぐらいかと思ってたよ」

「そんな子供じゃありません!」

(見た目は子供そのものじゃないすか……)

 ニドレフの目には二人とも十歳程度にしか見えなかった。しかし若すぎる見た目の二人は、お互いの年齢を見た目で判断できていたらしい。

 じっくりとザムとファーラの顔を見比べる。それでもニドレフには言われた年齢には見えなかった。これはニドレフだけでなく、大多数の人間でもそうだ。

 なんとか驚きから立ち直ると、ニドレフは質問を続ける。

「あー、それで、どうしてお二人はこんな場所にいたんすか?」

「ファーラに連れられてだ」

「そういえば、何でファーラさんと一緒にいるんですか? 知り合いじゃないっすよね?」

 ニドレフがファーラへ目を向けると、彼女は頬張っていた肉を飲み込んで口を開く。

「うん。この前にあったばっかりだよー」

 ニドレフが疑問の目を向けると、カルルは視線をそらし、ザムは目が鋭くなる。

 ザムは切りつけるように言葉を放った。

「アンタはファーラと知り合いみたいだが、どういう関係なんだ?」

「えーっと、雇い主と雇用人っすかね」

「雇い主って、ファーラがか?」

 ザムはファーラへ振り向く。彼女は、ん? と小首をかしげた。

「ははっ。やっぱり雇い主みたいな偉い人にはみえませんっすよねえ。あの性格っすから」

 ざむの表情を見てニドレフは笑う。しかしザムが驚いたのはそういう理由ではなかった。

 それはファーラが人間を使役している、つまりはドラゴンが人間を支配しているという事だった。

(言動や態度から子供のようだと思っていたが、やはりドラゴンか! 強大な力で人間を従わせる最強の魔獣……)

 実際はそうではないのだが、これまでドラゴンを見たことが無く、その話も何も伝わってこない国で暮らしていたザムにわかるはずがない。

「それでは、貴方様はファーラ様の部下、ということでしょうか?」

「突然かしこまっちゃって、どうしたんすか?」

 態度の変化したザムに戸惑いの声をだすニドレフ。それに気付かず、ザムは跪く。

「ファーラ様の部下とは知らず、数々の無礼、申し訳ありません」

「ちょ、どうしたんすか? やめてくださいっす!」

 頭を垂れたザムを見て、慌てた様子で意味も無く手を動かすニドレフ。しかしザムは動かない。

「そんなのしなくていいっすから。そうですよねファーラさん!」

「え? ああ、うん。ボクのときもそんなのしなくていいって言ったよねー。それにコイツは下僕だから。部下じゃないし、コキ使えばいいよー」

「すでにコキ使われてますよ。だからファーラさんを探しにこんな所まで来たんじゃないすか!」

「そうか。だったら普通にやらせてもらう。それでいいんだな、えーと、下僕」

「それでいいんすけど、態度変えるの早すぎませんか? それに俺はニドレフです!」

「えー。下僕でいいじゃん」

 ファーラとニドレフは言い合いを始める。それは深刻なものでは無く、二人にとってはいつものじゃれ合いでしかなかった。

 ザムは唇の端を持ち上げていた。それはニドレフをからかったことでの笑みでは無い。

(気安いやり取りでわかっていたが、どうやらファーラとニドレフはかなり親しい。そして主従関係だとしても、対等に近い関係のようだ。これが例外の可能性もあるが、この関係性が一般的ならドラゴンと交渉の余地がある……)

 ザムは目だけでカルルを見る。目の前のやり取りを見て、カルルはついて行けずに目を白黒させていた。

 ザムはつい苦笑を浮かべる。この旅が始まった当初は、カルルをドラゴンの生贄としか思っていなかった。それよりも自分の命が大事で、本当にドラゴンの生贄は一人だけでいいのかと、そんな心配ばかりしていた。

 しかし二人で旅をすることになり、言葉を交わしてまだ数日だが、仲間意識のようなものが芽生えてきた。ザムも不思議だったが、なぜかカルルと会話するのが、楽しいのだ。それはカルルが年下の子供に見えるからかもしれない。

(そういえば、昔は弟か妹が欲しいって思っていたな……)

 記憶の彼方の情景を思い出し、先ほどとは違う苦笑を浮かべる。

 一度俯き、顔を上げた。その目には強い光が宿っていた。

「なあ、ニドレフ。生贄を欲しがってるドラゴンに心当たりはないか?」

「い、生贄っすか?」

 突然横からかけられた突拍子の無い質問に、ニドレフは目を白黒させた。混乱している様子を見て、ザムは薄い笑みを浮かべる。

「そうだ。なんでもいいから情報は無いか?」

「いや、知らないっす。それに、生贄なんて欲しがるドラゴンいませんよ」

「どうしてだ」

「そりゃあ条約で禁止……」

「ダメー!」

 ファーラは素早くニドレフの口を手で塞いだ。

「言っちゃダメだから!」

「ファーラ、手を外してやったらどうだ」

 ファーラは力の限り口を押さえていたため、ニドレフの顔は赤を通り越して青くなっている。、胃開かれた目は、半分白目をむいていた。

「ぶはあー! 殺す気ですか、ファーラさん!」

 ニドレフは叫ぶが、ファーラは軽くゴメンと言うだけで全く反省していない。

「もう。それで、生贄がどうとか……」

「ああ。俺はドラゴンへ生贄を捧げに来たんだ」

「へえ。ドラゴンに生贄を……って、はあっ!」

 ニドレフはこれまでで一番の驚愕を見せた。あごが外れんばかりに口を開け、目は呆然と限界まで開かれてしまっている。

「ちょっと待って! それ……」

「嘘じゃない。こっちのカルルが生贄だ」

 絶句してぎこちなく首を動かすニドレフ。目が合ったカルルは小さく頷く。

「はい。私はドラゴンの生贄です」

 その真剣な目を見て、ニドレフは嘘を言っていないと確信する。

「あー、えっと、その……生贄を捧げるドラゴンって、どのドラゴンなんすか?」

「それがわからないんです」

「最初はファーラだと思ったんだが、話してみて違うとわかった。そうしたら他のドラゴンと連絡が取れるってファーラが教えてくれた。で、その連絡が出来る街までファーラに案内してもらってる途中ってわけだ」

「へ、へー、そうなんすか……ちょっとファーラさん来てください!」

 ニドレフはファーラの腕をつかむと、早足でザムたちから離れた場所へ行く。十分距離が離れたことを確認すると、ニドレフは顔を近づけて小声で喋る。

「ちょっと、どういうことなんすか!」

「そんなのボクだってわかんないよー」

 ファーラはザムたちと出会ってからのことを説明する。ところどころ不明瞭な部分があったが、ニドレフは根気よく聞き出し、ファーラが覚えていないところなどは想像力で補うことでなんとか話を把握した。こう見えてニドレフは優秀な人材なのだ。

「うあー。何とんでもない面倒ごと拾ってくるんすかー」

「だってー、あんな場所に人間がいたら気になるでしょー?」

「確かにそうなんすけど……二人がいたのは向こうの岩山なんすよね?」

 ザムたちが死すら通れない場所と呼んでいたあの岩山が連なる場所は、ニドレフたちが全く見向きもしていない場所だった。ぞれはなぜかと言えば、まず緑の欠片もない不毛の場所であり、険しすぎて地質調査すらまともにできない場所だったからだ。さらには魔獣の発生数が格段に多く、人が住むには危険な場所でもあった。

「そんな場所に人間が住んでるなんて信じられないっすね」

 しかし実際にそこからザムたちがやってきた、という目の前の真実があった。しかもとんでもない厄介ごとを連れて。

「これ、秘書さんに報告したらとんでもないことになりそうっすね……」

「ぜったい怒るよね……」

「でも、知らせなかったら、それはそれで怒るし……」

 二人は唸りながら良い考えはないかと考えるが、一向に何も浮かばない。

「……とりあえず、街についてから考えるっすよ」

「そうだねー」

 ファーラとニドレフ、この二人の仲がいいのは似たもの同士だからだ。その共通している部分とは、とにかく面倒くさいことが大嫌い、ということ。そして、面倒くさいことは全部他人に投げてしまえばいいと本気で思っていた。

「まあ、また秘書がなんとかしてくれるしー」

「そうっすねー」

 聞こえないように何かを話している二人を、ザムは無表情で見ていた。

(やはり、何か隠しているな)

 ファーラとニドレフの態度を見て、その確信をさらに深める。しかし何を隠しているかまではわからない。

(生贄について言えないことがあるみたいだが……それは一体何だ?)

 ザムは目だけを横に向けた。それに気付いたカルルは、不思議そうに瞬きをする。無言で目を戻すとため息をはく。

「まあ、何事も無く終わるなんて思っちゃいなかったが、ここまでとはね……」

 話が終わったニドレフたちが、戻ってきた。

「あ、もう食べちゃいました?」

「いいや。まだだ」

「それはよかったっす。俺はまだ食べてなかったっすから」

 ニドレフは小袋からパンを取り出して食べはじめる。

「食べ終わったら出発でいいっすか。近くに村があるっすから、そこで泊まりっすね」

「村までどれぐらいなんだ」

「日が暮れるまでには十分到着するっすよ。ただ街から離れてるんで、あまり大きくはないんすけど」

 ニドレフが確認の目を向けると、ザムは頷く。彼はとくに異存は無かった。ちゃんとした宿に泊まれるだけで十分だったのだ。

 連日の徹夜に近い夜の見張りのせいで、ザムの体力と精神力は大きく削れていた。村の中ならば安全に眠ることが出来る。

「じゃ、そういうことで」

 食事を終えて出発する。

 ニドレフは馬の背に軽々と飛び乗った。それをザムはじっと見ていた。

「どうしたんすか?」

「それは何だ」

 ザムが指さしたのは、馬の背に装着された鞍だった。ニドレフはそのことに首をかしげる。

「鞍っすか? これがどうしたんすか?」

「鞍というのか。それに何の意味があるんだ?」

 ニドレフは驚いた顔になる。

「意味は……これがあると馬に乗るのが楽なんすよ」

「そうなのか……?」

 鞍を見ながら首をひねるザム。

「あの……ザムさんは鞍を使わないんすか」

「ああ。誰も使ってないな」

「誰もって……」

「俺たちの国でこんなのを使って馬に乗っている人間はいなかった」

(鞍も無しで馬に乗るって……剣は石だし鍋は土器だし、どれだけ文明が遅れてるんすか!)

 ニドレフが絶句していると、ザムは馬車の御者台へ向かう。カルルは馬車へすでに乗車している。ザムが座り手綱を掴むと、振り返って声を出す。

「ファーラ、どっちだ」

「あっちだよー」

 馬車の屋根に座ったファーラが腕を水平に上げて指さす。その方向を確認してザムは手綱を小さく引く。ポニーはゆっくりと歩き始め、馬車は音をたてて動く。

 馬よりも小柄で力が無いはずのポニーが、普通なら二頭立ての馬車を引いていく光景をニドレフは呆然と見ていた。

「嘘っすよね……」

 思わず小さな笑いが漏れた。しばらく動く馬車を見ていたが、一度頬を抓り、これが現実であることを確認するニドレフ。すでに馬車は遠くなっていたので、慌ててその後を追い始めた。

「あれが村っす」

 ニドレフは前方を指差した。

 村は草原をしばらく行った所にあった。周囲はいくつもの畑に囲まれている。

「そんな馬鹿な……」

 ザムは近づくにつれて見えるようになった畑の大きさに絶句する。地平線が見えるほどとは言わないが、それほど奥行きのある耕作地が広がっていた。そこで何人もの人間が農具で土を耕したり、作物を収穫したりしている。

「こんな広大な畑が……」

 ザムはこれほど大きな畑を見たことが無かった。ベレロ国はほとんどが荒れた土地で、農地として使える場所は猫の額ほどしかなかったからだ。

 また、この畑のように周囲を柵で囲まれたものも王都周辺にしか無かった。木材が圧倒的に不足していたからだ。木材に使えるような木々がある場所は少なく、そのため高級品になってしまう。その結果、木材は王族や貴族の家や馬車などに優先して使用され、地方に木材が供給されることは全くと言っていいほど無かった。ほとんどの畑には柵など無いのが普通なのだ。

 馬車と馬は畑の間に続く道を進み、村の入り口へ到着した。

「到着したっすよ……どうしたんすか?」

 呆然とした様子のザムに気付き、ニドレフは声をかける。

「これが……村だっていうのか……」

 村の周囲は畑と同じように柵で囲まれていた。それだけではなく柵の手前の地面は深く掘られている。これなら魔獣が村を襲撃したとしても、簡単には侵入することはできない。

「村じゃないだろ……まるで、王都じゃないか……」

 ベレロ国の王都は上空から見ると歪な二重円を描いている。内側の円に囲まれた部分は王族や貴族が住む地域。内側と外側の円に挟まれた部分は下級氏族たちが住む地域だ。外側の円はこの村のように柵で囲まれていたが、空堀は存在しなかった。

 そして地方や辺境の村はというと、柵も空掘も存在しない。ただ家や耕作地があるだけだ。そうなると動物や魔獣による被害がありそうだが、そんなことは滅多に起こらない。地方と辺境には、動物や魔獣そのものがほとんど存在しないからだ。それほどまでにベレロ国は荒廃した土地だった。

 そんな場所しか知らないザムにとって見渡す限りの畑は信じられず、王都と同じ設備を持つ村などは幻覚にしか見えなかった。絶句するのも仕方がない。

「大丈夫っすか? 顔色悪いっすけど」

「……平気だ。なんでもない……」

 ニドレフに先導されて村の中へ入る。そこかしこに人々が行き交い、賑やかな喧騒に満ちていた。人数はそれほどでもないが、ザムが知っている村とは比べ物にならないほど賑やかだ。

 ゆっくりと村の中を進む。村人たちはみんなザムたちをを見ていた。見慣れない形の馬車と、それを引く小さなポニーが珍しいのだ。そうなると自然にザムの小柄な体が目に入る。大人も子供も、なぜ御者台に子供が座っているのかと不思議そうに見ていた。

 だがザムにその視線を気にする余裕は無かった。村の姿に圧倒されていたのだ。

(なんなんだこれは)

 村の道は土がむき出しだが、平坦にならされている。石やゴミなども落ちていない。これだけでザムには驚くべきことだった。

 さらに村の家は全て木製だった。ザムたちの国では王族か貴族の家でしか使われない木材が、ただの村に使われているのだ。これはドラゴンに出会った事と同等の衝撃を彼に与えた。しかも家の数が多い。見えるだけで余裕で十より多いだろう。ザムが知っているなかで十より家が多い村は存在しなかった。

「…………」

 驚く言葉も忘れ、ザムは無言で茫洋とした顔をしながら馬車を進ませる。

「っと、ここっすよ」

 ニドレフの言葉で、ザムは慌てて馬車を停止させた。

「ここが今日の宿っす。と言っても、この村にはこの一軒しかないんすけどね」

 ザムはその建物を見上げる。それは二階建ての建物だった。これもザムには信じられないことだった。なぜなら、二階以上の建物は王族の住居にしか認められていないからだ。その理由は深刻な材木不足と、王族を見下ろすことは不敬に当たるとされていたからだった。

「ここに泊まるのか……」

「そうっすよ。あ、宿泊手続きするんでカルルさんも一緒に来てくださいっす」

 まだ信じられない気分でザムは馬車の扉を開ける。馬車の中には、小さな窓から一心に窓を覗くカルルの姿があった。

 扉を開く音が聞こえたのか、カルルは振り向く。その顔は驚きと好奇心を浮かべていた。

「村と言ってたけどすごいね。まるで王都のようだよ」

 そう言うカルルはザムほど驚いていない。それはカルルが王族で、王都の光景を見慣れているからだった。規模で言えば王都のほうがさすがに広い。家の数も多い。ただ、こちらの家は木材で作られているが、王都の家は土壁である。その圧倒的な格差に気付いていない。

 しかし馬車から降りて宿屋を見ると、さすがにカルルの顔色が変わった。なにしろ王族の象徴でもある二階建ての建物が普通に存在していたのだから。

 カルルは驚きと困惑の声を出す。

「あのさ、ザム……これって、どういうことかな……」

「俺に聞くなよ……」

 呆然と立って建物を見上げる二人。その理由がわからないニドレフは呆れたように声をかける。

「何してんすか。早く来てくださいよ」

 初めて入った自分の国以外の建物。それはザムとカルルにとって何もかもが初めてのものだった。

 まず入り口のドアが大きい。ドアノブが頭の高さにある。

 建物に入ると右手に受付カウンター、正面には広い場所にいくつかのテーブルと椅子が並べられている。この宿は一階が食堂になっているため、その向こうの調理場からは何かを切る音や、煙と美味しそうなにおいが漂っていた。

 ザムはこんな清潔な食堂に来たことはなく、カルルは屋敷の調理場と食事をする場所が別々だったので、初めて見るこの光景に驚いていた。

 ザムたちが立ち尽くしている間に、ニドレフは宿泊手続きを行っている。その顔が曇った。

「すいません、部屋が二部屋しか空いてないんすよ。すいませんけど、お二人は同室でお願いするっす」

「……ああ、それでいい」

「泊まる部屋は二階なんで、行くっすよ」

 階段を上ると廊下が伸びていて、そこにドアが並んでいた。ザムたちが泊まる部屋は隣どうしになっている。

「じゃ、これが鍵っすから無くさないでくださいっす。あと食事の時間なんすけど、まだちょっと早いんでそれまで休んでくださいっす。時間になったら部屋へ呼びに行くっす」

 そう言うと「えー、おなかすいたー」「がまんしてくださいっす」などと言い合いをしながらニドレフトファーラは部屋の中へ入っていった。ザムとカルルは廊下へ立ち尽くす。

 ザムは渡された鍵へ目を落とす。見たことの無い素材でできた鍵だ。鈍く光っていて、木に比べて重い。しかし磨かれてツルツルとした手触りから、これが石ではないことがわかる。

「これが鍵……」

 しげしげと観察して、ドアの鍵穴へ入れて回す。小さな音が聞こえ、ザムは眉を小さく動かす。彼にとって一般的な木製の鍵ではしない音だったからだ。

 ドアを開けて室内へ入る。狭いが清潔な部屋だった。窓は一つ、ベッドが二つ並べて置いてある。それだけで部屋の半分以上は埋まっていて小さなテーブルもあったが、それでも広さには余裕があった。

 ザムは疲れた足取りでベッドへ向かうと、音をたてて腰を下ろした。しばらくそのまま俯いていたが、やがて顔を上げる。

「……疲れただろ。立っていないで座れ」

 部屋の入り口で立ち尽くしていたカルルは、その言葉でやっと動きだし、よろけながらもう一つのベッドへ腰を下ろした。

 しばらく無言の時が過ぎる。

「……驚きすぎて疲れたぜ」

「……そうだね」

 言葉は続かず、自然に二人の体は倒れ、深い眠りに沈んでいった。

「……うう」

 ザムは閉じていた目を開ける。一瞬ここがどこかわからず、周囲を見回した。もう太陽が沈んでいるらしく、部屋の中は暗い。

 ドアをノックする音。

「ザムさーん、カルルさーん。食事の時間でーす」

 おざなりに返事をすると、隣のベッドに寝ているカルルの肩を揺らす。

「起きろ、カルル」

「ううん……」

 ゆっくりと目が開く。寝起きで頭がはっきりしていないカルルは、ぼうっとした顔で何度か瞬きをくり返す。と、急にその目が大きく開かれた。

「ちょっ、ザム! 何してるんだ!」

「何って、寝てたお前を起こしてるんだ」

 真っ赤な顔で後ずさるカルルを、ザムは呆れた顔で見る。

「どうしたんすかー?」

「何でもない」

 ザムはドアを開けた。その時ドアの鍵が開いたままだったことに気付き、自分がどれだけ混乱していたか理解して苦笑する。

 ドアの向こうにはニドレフとファーラが立っていた。

「食事の時間っすから一階の食堂へ行くっすよ」

「ごはんー」

「わかった。カルル、行くぞ」

 ザムが振り向くと、カルルはまだベッドの端で縮こまっていた。

「何やってんだ」

「バカ! また私の寝顔を見たな!」

「なんでそんなに寝顔見られるのが嫌なんだ? いいから飯にするぞ」

 カルルは狼のように威嚇していたが、小さくため息をはくとベッドから下りた。

 部屋を出て階段へ向かう。廊下を照らす壁に設置されたランプを、ザムはまじまじと観察する。

「ランプがどうしたんすか?」

「これは、たいまつとは違うのか?」

 ランプを知らないザムに驚きの声を出しそうになり、ニドレフはそれを抑える。何度も驚いたおかげで耐性ができていた。

「たいまつは木を燃やしますけど、これは中に入った油を燃やすっすよ」

「はあ。これも見たことが無い素材でできてるな」

 ランプは鉄製のフレームにガラスを取り付けた物だった。ザムはそれを指で触る。

「ねえ。早くごはん食べようよー」

 ファーラが不満の声を出す。

 それに急かされるようにして階段を下り、一階の食堂へ向かう。すでに大勢の人間が食事をしていて、賑やかな話し声が飛び交っていた。その間を数人の給仕が料理や飲み物を両手に持って回っている。その光景にザムとカルルは圧倒されていた。

「これが、村の食堂……」

「まるで晩餐会のようです……」

 それを聞いてニドレフは笑う。

「ハハハ。晩餐会にはほど遠いっすよ。ここは小さい村なんでこの程度っすけど、大きな街ならたしかに晩餐会に見えなくもないすかねえ」

「この程度だと……」

 あまりに自分たちの常識と違うことにザムは絶句するしかない。ザムにとって村の食堂とは、まずいスープと硬いパンを出す狭い小屋だ。壁も床も土で、食べ物は砂まみれになってしまう。テーブルと椅子もなく、むき出しの地面に座って食事をする。

 カルルは晩餐会に片手で数えるほどしか行ったことがない。五年に一回開催されるかどうか、といった頻度でしか行われないからだ。その数少ない晩餐会の記憶での中でだが、それぞれのテーブルに乗せられた料理はそこで見たものよりも豪華で、また種類も豊富だった。晩餐会で出される料理は多くても五品程度で、それは収穫できる作物の種類が少なく、また調味料の数も少ないからだった。

 二人の様子に気付かずファーラは獲物を見る目で料理を見つめ、ニドレフは空いているテーブルを探す。

「おっ。あそこが空いてるっすね」

 端にあるテーブルが一つ空いていたのでそこへ移動する。すぐに給仕係の女性がやってきた。

「ご注文は?」

「全員分のパンと、肉料理を二種類。それとオススメがあればそれをお願いするっす。飲み物は果物ジュースと、ビール。あと、他に何かあるっすか?」

「……この店で一番強い酒は何だ」

 ザムの言葉に、ニドレフと給仕係が驚いた顔で振り向く。ザムの眉間には深いしわができていた。

「それを頼む」

「えーっと、子供はお酒は飲んじゃだめだよ……?」

 困惑気味に給仕係が言うと、ザムはきつい顔で睨む。

「俺は大人だ」

 十六歳で成人となり酒を飲むことが解禁される。ザムは十九歳なので問題ないが、見た目は十歳ほどの子供にしか見えない。なので給仕係は困った顔をニドレフへ向けた。

「あーっと、俺が飲むのでそれを。ははは、コイツ大人ぶっちゃって困っちゃうっすねえ」

 わざとらしく笑うニドレフへ曖昧に笑うと、給仕係は去っていく。

「ちょっと、変なこと言わないでくださいっす」

「変じゃない。俺はとっくに成人してる」

「ザムさんは子供にしか見えないんすよ」

 ニドレフは大きくため息をはく。

(マズいっすかねー? 子供にしか見えないうえに、ここらでは見たことが無い顔立ちっすからねえ。けっこう目立っちゃってますし)

 周囲のテーブルからチラチラとこちらに向けられる視線がある。子供を三人も連れた男、しかも子供は珍しい人種と赤い髪を持っているとなれば、目立ってしまうのは仕方がない。

(どうするっすかねー?)

 ニドレフが頭を抱えていると料理が運ばれてきた。ニドレフはビールが注がれジョッキを掴む。

「ええい! 考えるのはやめて飲むっすよ!」

「同感だ」

 ザムはこの店で一番強い酒、瓶で運ばれてきたそれを杯に注ぐと、一息に飲み干した。

「……」

 頼りない足取りで歩き、ザムはベッドまでくると倒れるように身を沈める。頭は靄がかかったようにうまく働かない。

「飲みすぎだよ」

 カルルが言ったが、ザムは動かない。ため息をはいてカルルはドアを閉めた。

 ザムの頭を、ファーラと出会ってから今までの光景がグルグルと回る。どれもこれも全てが驚愕に値するものばかりで、整理できずに今も混乱している。それを忘れるには酒を飲むしかなかった。

 ザムはもともと大酒飲みというわけではない。しこたま飲んだのはヤケ酒もあったが、何より酒が美味しかったのだ。最初に頼んだ酒はたしかにアルコールが強かったが、舌に残る辛味と芳醇な香りですぐに一瓶を飲み干した。その後ニドレフが頼んでいたビールを三杯飲んだ。どちらも飲んだことが無いもので、ザムがこれまで飲んだどの酒より何倍も美味だった。

 ザムは国の外の世界が、とてつもなく進んだ文明であることを理解する。食料の豊富さ、村の建物の数と大きさ、剣や鍵の素材の違い。全てが天と地ほどの差だ。

 さらに体格の違い。食堂で見た限り、女性であってもザムより小さいものはいなかった。もし争いになったら勝ち目は無いだろうとザムは考える。

「どうなってるんだ……」

 酔いのせいか、溜め込んでいた不安と恐怖が弱気な声を出させる。

「あの……」

 ザムの首だけが横を向く。不安そうなカルルの顔が目に入った。

「なんだその顔は。まるで狼に狙われた子兎みたいだぞ」

 意地悪く笑うと、カルルの目がつり上がる。

「なんですか、もうっ!」

 カルルが声を荒げると、ザムは顔を逆方向へ向けた。しばらくその後頭部を睨んでいたが、動かないことがわかるとカルルは乱暴にベッドへ倒れ、ザムへ背中を向けて目を閉じた。

「……」

 目を閉じると様々なことが思い浮かぶ。自分が生贄として選ばれたこと、馬車に一人で閉じ込められて運ばれていたときのこと、ドラゴンと出会ったときのこと。どれも恐怖に結びつく記憶だ。どれだけ諦めていても、絶望していても、それは簡単に押し込めない。

「どうして……」

 一階での食事を思い出す。料理は信じられないほど美味しく、果物ジュースは食べたことのある菓子より甘かった。そのはずなのに味はほとんど感じられず、のどをなかなか通らなかった。

 ファーラは笑顔で何度もおかわりをして、ニドレフもなにかと話しかけてきた。しかしザムは無言で浴びるように酒を飲み、しかめ顔で一言程度の生返事をするだけだった。彼の剣呑な雰囲気に毒されて、カルルは食事を全く楽しめなかった。

 ザムが馬車の扉を開けたときのことを思い出す。眠たげな目をした三十ぐらいの青年が姿を見せたとき、表面的には平然としていたが、内心は恐怖で一杯だった。

 あえて王族らしくない気安い口調で話しかけたカルル。実際は堅苦しい言葉遣いよりも、こっちのほうがカルルの素に近かった。なぜそうしたのかといえば、そうやって虚勢を張らなければ今にも崩れ落ちてしまいそうだったからだ。

 王族に気安く接するなど、たとえ本人が許しても簡単に下級氏族ができるものではない。王族に対する畏敬と恐怖はそれほどまでに刻み込まれている。だというのに、ザムは何でもないようにぞんざいな口調になった。それにカルルは毒気を抜かれ、それまでの恐怖が和らいだのを感じた。

 交わした言葉は少ない。すぐにドラゴンと出会い、それどころでは無くなった。しかしそれは家族と呼べる人間がおらず、友人もいなかったカルルにとって多少腹に据えかねることがあっても、それは安らぎと言えるものだった。

 ドラゴンと出会ったあとも多少は緊張していたが、カルルの目にはザムの雰囲気が変わったようには見えなかった。しかし今日の食事の際は苛立ち、誰をも拒絶するような雰囲気を纏っていた。

 カルルにとってザムは唯一安心感を得られる相手だった。それが崩壊した。

「うっ……」

 カルルの目が熱くなり、嗚咽がこぼれそうになる。シーツを握り締めながら肩を震わせた。

「……守るって言っただろ」

 小さく聞こえた声に、カルルははっと振り向く。ザムは顔を横に向けたままだ。

「……はやく寝ろ。明日から、どうなるかわからん。ちゃんと休んでおけよ」

 カルルはじっと見つめる。それ以上ザムは何かを言うつもりはないようだ。小さく息をはくと、カルルは目を閉じる。

「おやすみなさい」

 返事は無く、やがて小さな寝息が聞こえ始めた。

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