第6章:スモレンスク攻防戦

[1] 変遷

 7月3日、ハルダー参謀総長は日誌にこう記している。

「・・・全体としてビアトリスク屈折部の敵軍は取るに足らない兵力を残して撃滅されたと見ることが出来る。北方軍集団前面で12ないし15個師団が壊滅したものと考えても良かろう。南方軍集団前面でも敵軍は友軍の攻撃によって寸断され、大部分は壊滅した。すなわち全体としてみると、ドヴィナ・ドニエプル河前面のソ連軍殲滅の使命は達成されたといえるのである。ロシア戦役は2週間で勝利したと言っても過言ではない」

 陸軍の大半の指揮官はハルダーと同じように、対ソ戦の先行きを楽観視していた。しかし、前線の実情を詳細に知る中央軍集団司令官ボック元帥はソ連軍の潜在能力に対して深い懸念を抱いており、それほど楽観的ではなかった。各方面から寄せられた報告を総合すると、敵が西ドヴィナ河からドニエプル河にかけて新たな防衛線を形成しつつあることを確認したからでもあった。

 中央軍集団の目前に出現した西ドヴィナ河=ドニエプル河の防衛線には、1941年5月から戦略予備の4個軍(第19軍・第20軍・第21軍・第22軍)が段階的に配備されていた。これらの部隊はミンスク包囲戦で被った莫大な損失を埋めるために、ただちに西部正面軍に編入された。

 西部正面軍では防衛態勢の立て直しが急務となっていたが、ミンスク陥落の責任から西部正面軍司令官パヴロフ上級大将と参謀長クリモフスキフ少将は7月1日に罷免されてしまった。その代わりに西部正面軍の指揮を臨時で執ることになったのは極東正面軍の第1赤旗軍司令官エレメンコ中将だった。エレメンコは6月19日に国防相ティモシェンコ元帥からモスクワに出頭するように命じられ、開戦当日はシベリア鉄道に乗って出発するところだった。

 6月28日、ミンスク陥落と時を同じくして、エレメンコは航空機でモスクワに到着した。国防人民委員部においてエレメンコはひと通り戦況の説明を受けた後、ティモシェンコが発した言葉に内心で驚いた。

「政府の決議で、貴官が西部正面軍の暫定司令官に任命されたのです」

 暫定司令官に就任したエレメンコは新任の参謀長マランディン中将とともに、ドニエプル河畔のモギリョフに置かれた西部正面軍司令部に航空機で向かった。そして前線の状況を調査して回った結果、エレメンコはある恐れを感じ取っていた。

 すでに中央軍集団は6月28日にミンスクとドニエプル河の中間を流れるベレジナ河畔のスヴィスロチに到達しており、もし約80キロ上流のボリソフも占領される事態になれば、西部正面軍の残滓である第4軍と第13軍がベレジナ河西岸の狭い領域に再び包囲されてしまうという恐れである。

 7月2日、エレメンコは西部正面軍が置かれた現状を踏まえて、7月1日付けで「指令第14号」を発令した。

「西部正面軍の各軍に所属する部隊は敵軍がドニエプル河に到達することを阻止し、またベレジナ河沿いの防衛線を7月7日まで保持せねばならない。第4軍と第13軍は7月2日から3日にかけての夜に、ベレジナ河東岸の防衛線まで撤退せよ。

 第17機械化軍団は7月4日に、ボブルイスク奪回作戦を実行できるよう準備せよ」

 また、エレメンコは手持ちの航空部隊を撤退の支援に割り振ろうとした。しかし、この時点で西部正面軍に残っていた航空機はわずかに150機ほどに過ぎず、戦闘機はその3分の1程度という有様だった。

 7月4日、ティモシェンコが西部正面軍司令部に姿を現し、自ら7月2日付けで西部正面軍司令官に就任した。ティモシェンコの着任に伴い、エレメンコは同正面軍副司令官に格下げされた。

 ティモシェンコはエレメンコが企図したボブルイスク奪回作戦を撤回し、中央軍集団がドニエプル河に到達する前に反撃に出るよう麾下の部隊に命じた。しかし、どの部隊も戦車、通信機材、対戦車兵器、高射砲が不足していた。指揮官たちは毎日のように、陣地を交代させられた。どの部隊も戦闘準備のために割く時間がなく、バラバラの行動を取るようになった。

 こうした内情が示す通り、ソ連軍は未だ開戦直後の混乱から立ち直れずにいたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る