③シェフ大泉 夏野菜スペシャル

「……今まで悪い虫が付かないようにしてきたのに」

「ム・シ?」とオウム返しし、佳世は首を傾げる。うっかり愚痴を聞かれてしまった小春は、意味なく両手を振り、急いで取りつくろう。

「最近、天井裏からヘンな音が聞こえてくんの。黒い悪魔かなーって」

「ミント置いてみたら? 害虫とかネズミさんとかは、ミントの香り――メントールが苦手なんだって」

「へぇ~」と予期せず雑学を仕入れた小春は、トリビア的な相づちを打つ。

 ミント――いいかも知れない。

 きっと、この胸の苦々しさもすーっとさせてくれるだろう。


 サンドイッチを取ってくれた――。

 シュールストレミング級に臭いセリフを除外すれば、道案内レベルの親切だ。

 小春なら、サンキューの一言で済ませる。

 ところが佳世の反応と言ったら、王子さまの求婚を受けたお姫さまそのもの。

 間違いない。

 あの目には梅宮改のワイシャツが赤いマントに、ズボンが白いタイツに見えている。ジャージにポロシャツをinした体育教師が、雪駄せったで廊下を巡回する音は、白馬のひづめに聞こえていることだろう。


 完全に醒ヶ井小春の責任だ。佳世から男を遠ざけすぎたのだ。

 父親以外の異性と話した経験のない箱入り娘が、「車のドアを開けてくれた」レベルのレディファーストに心を奪われる――。

 ご近所のマダムたちとの井戸端会議で、情報収集は出来ていたはずだ。

 こんなことなら、一度、手も握れないような小僧でもあてがっておけばよかった。毒性の低いウィルスで免疫を作っておけば、T―ウィルスの毒牙に掛かることもなかったはずだ。


「春ちゃん、梅宮くんのこと嫌い?」

 悲しそうに問い掛けた佳世は、後悔のあまり押し黙る小春を覗き込む。

 好きな人だ。友達にも親しみを持って欲しいのだろう。

「好きではない」

 即答した小春は、グサリと目の前のプリンにスプーンを突き立てる。

「嫌いなんだね……」

 的確に小春の発言を翻訳し、佳世は苦そうに笑った。


「あいつ、評判最悪じゃん」

「悪く言ってるの男の子だけじゃない?」

 確かに、佳世のおっしゃる通りだ。

 奴をディスるのは、年齢=彼女いない歴な負け組どもだけ。さかりの付いた小娘どもは、さいたまスーパーアリーナに来たように大歓声を送っている。噂ではブロマイドやうちわも流通しているらしい。


「同姓の評判が悪い奴に、いい奴はいない」

「時々、女子会のOLさんみたいな発言するよね、春ちゃんって」

「実際、取っ換え引っ換え女変えてるし。中学の頃、転校繰り返してたらしいよ、あいつ。何でもクラスの女全員と不適切な関係になっちゃ、学校にいられなくなってたんだって」

「噂でしょ?」

「いーや真実だね。リアルだね。実在の人物や事件、団体等と関わりのあるノンフィクションだね」

 早口で断言した小春は、むすっと腕を組み、がに股気味に足を開く。

「でも女の子が好きになっちゃうのは判る気がするな。梅宮くん、優しいし」

やさすぃ!? あいつが!?」

 ぐちゃっ! とあんぱんを食いちぎり、小春は梅宮改を睨み付ける。がに股+お口くちゃくちゃな様子は、傍から見たら完全に山賊の親玉だ。


 お忙しい奴は教壇に移動し、女子と喋っている。

 お相手は今野こんのさんに北山きたやまさん、クラスの中でも派手な二人だ。

 軽くパーマを当てた茶髪に、具を見せるのが目的としか思えない丈のスカート。がっつりデコられたスマホには、巨峰のようにストラップが実っている。


 小春自身、いつかは佳世の目に止まってしまうと思っていた。

 梅宮改は何かと話題になりやすい男だ。

 中でも体育祭の花形競技、クラス対抗リレーは記憶に新しい。

 アンカーを任された奴は華麗な走りを披露し、全国大会にも出場している陸上部員たちを一人、二人とごぼう抜きしていった。「きゃぁぁ! 梅宮きゅーん!」と失神した女子の数は、二桁に達するとも言われている。


「梅宮くん、料理も得意だったよね? そういうところもポイント高いんじゃないかな」

 佳世は自分と小春の机を眺め、いたたまれなそうな表情を見せる。

 あんぱん、焼きそばパン、メロンパン――。

 食卓に用意された昼食は、どれもヤマザキさんのお手製だ。

 改めて見直してみると、お日さまのロゴが問題提起している気がする。

 一七の女子としてどーよ?


「どーせ私は、料理も洗濯もおばあちゃん任せですよ」

 痛いところを突かれた小春は、自虐的にヤケ酒もといヤケ牛乳をあおる。

 確かに梅宮改は名コックだ。調理実習の時はターメリックやらクミンやら持ち込み、カレー粉から作っていた。噂では野菜も皿も自作してきたらしい。

 畑を開墾かいこんし、野菜を育て、皿を練る――。

 片故辺かたこべ学園では、これを「日本一長い調理実習」と呼ぶ。


 ちなみに同じ日、小春と佳世の班は鍋一杯分のヘドロを製造した。

 どーすっべ、これ。家庭科の成績が「1」になんぞ。

 って言うか、先生の命が危ない。

 ――ってな具合に議論を重ねた結果、小春は最寄りのスーパーへ走った。

 ボンカレーみたいね。

 ↑先生の感想だ。

 料理の味を表現するにあたって、小春はこれ以上的確なたとえを聞いたことがない。


「つーか、顔、顔でしょ。世の中結局、顔なんだよ」

 スレた口調で毒突いた小春は、気付かれないように奴のご尊顔を観察する。

 線が細く、切れ長の目で、髪がサラサラのアイドル系?

 なまっちろく、四六時中眠たげで、どこか無頓着な感じのするサブカル系?

 いや、奴の輪郭には男性特有のたくましさと言うか、骨の硬さがある。軽く脱色し、緩めにパーマを掛けた髪も影響してか、一七歳にしては大人っぽい。


 彫りの深さは西洋人も真っ青で、容姿を形作る各パーツが、墨で陰影を付けたような存在感を放っている。無害そうに緩んだ目尻とは裏腹、眼差しは野心的だ。かすかに青みを帯びた双眸そうぼうは、地中海の太陽のようにぎらぎらとした光を滲ませている。

 情熱的な顔立ちは、ファンの皆様の間で「レアル・マドリードの選手」とか評されているらしい。小春にはいいとこ、バルセロナの結婚詐欺師にしか見えないが。

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