亡霊葬稿ダイホーン だれが変温の哺乳類を操っているのか/コリカンチャとカト●チャはインカに違うのか

烏田かあ

第一話『だれが変温の哺乳類を操っているのか』

序章『周波数一万七〇〇〇ヘルツの殺意』

①雨と笛

 一二月の夜空を塗る黒雲は、いやにべとつく雨を降り注がせていた。

 寒風が吹き抜ける度、電線が激しくしなり、ポリバケツ似の変圧器が火花を散らす。ついに送電に不具合が生じたのか、街灯が点滅した矢先、LED製のサンタが闇に沈んだ。


「開けろ!」

 力の限り訴え掛け、根津ねづ次郎じろうは八百屋のシャッターに拳を叩き付ける。

 これでもう何件目になるのだろうか?

 かじかんだ指は畳んだ状態で固まり、ふしから血を滲ませている。オールバックにしていた金髪は枝垂しだれ柳のように垂れ、止めどなく水滴を垂らしていた。頬は鳥肌に埋め尽くされ、青紫に染まった唇共々小刻みに震えている。


「開けろつってんだろ!」

 返事のない呼び掛けに痺れを切らした根津は、ボールのようにシャッターを蹴り上げた。ずぶ濡れのスニーカーが泥水をまき散らし、凄まじい金属音が雨粒を切り裂く。

 シンバルまがいの轟きは、とてもシャッター程度で遮音しゃおん出来る代物ではない。

 ではなぜ、怒号も苦情も返って来ない?

 暴挙の余韻が消えた途端、雨音だけがのさばる静寂が戻って来るのか?


「何でシカトすんだよぉ……」

 泣き言を漏らした拍子に力が抜け、根津の身体はシャッターにもたれ掛かる。表面にべっとりと貼り付いた背中は、ずるずると金属製の蛇腹を滑り落ちていった。


 何で? 本気で言っているのか?

 せせら笑うように風が吹き、T字路のカーブミラーが細かく震える。

 雨粒で汗だくになった鏡には、他人を威嚇し、萎縮させることだけに腐心した男が映っていた。

 トライバルマークの描かれた白いジャージに、尻ポケットからはみ出たヘビ柄の長財布。威圧的に開いた胸元では、喜平きへいのネックレスがイヤミったらしく輝いている。ツタンカーメンばりの24Kは、日サロ謹製の黒い肌をこれでもかとばかりに強調していた。


 あんなナリの人間に関わりたいか?

 自問した根津は、迷うことなく首を横に振る。

 根津自身、傍目に今の自分を見たなら、一も二もなく確信するだろう。タチの悪い酔っ払いが、所構わず騒ぎまくっているのだと。

 酔い覚ましの水を浴びせないだけでも、八百屋の住人は充分心が広い。

 いや、この雨だ。

 これ以上冷や水を浴びせても無意味だと、合理的な判断を下しただけかも知れない。


 これもまた走馬燈の一種なのだろうか。

 先程から根津の脳内では、中学時代の担任が勝ち誇ったように説教している。


 結局、人は外見で他人を判断する――。


 いつ何があってもいいように、誰も不快にさせない格好を心掛けておけ――。


 机に足を乗せていた頃には、ざれ言にしか聞こえなかった。

 固く閉ざされたシャッターを前にした今は、真理にしか思えない。

 仮に根津が背広姿だったなら、一件目の門を叩いた時点で救いの手を差し伸べてもらえたことだろう。

 せめてあの下品な金髪だけでも、なぜ黒いままにしておかなかったのか。いきがるだけいきがった鏡像を眺めるほど、カーブミラーを殴り飛ばしたくなる。


「もう何でもいい、助けてくれよぉ……」

 手を合わせながら懇願し、根津は天をあおぐ。

 尻を地面にへばり付け、たかが空に祈りを捧げる?

 今朝の自分が目撃したなら、翌朝まで笑い転げたことだろう。

 だが他に手があるか? 人間に期待出来ない以上、もっと慈悲深い何かに救いを求めるしかない。そう、罪人にも蜘蛛の糸を垂らしてくれる何かに。


 救われる理由があるとは、到底言えない。

 クラブで引っ掛けた女は、無理矢理ビルの陰に連れ込み、オモチャにした。

 財布を膨らませる万札にしろ、中年の会社員から取り上げたものだ。後生大事に鞄を抱える姿がカンにさわって、血の泡を噴くまで蹴り続けた。

 

 タバコをポイ捨てし、道路にガムを吐き、塀に小便する――。

 都条例レベルの違反まで含めたら、一週間かかっても罪状を数え切れない。閻魔大王えんまだいおうの量刑が、アメリカのように刑期を足していく方式なら、少なくとも今世紀中は地獄から出られないだろう。


 そう言えば、小学生の頃、何度か母親の肩を叩いたことがあった。

 蜘蛛の糸を垂らす理由になる?

 ならない。

 中学から高校を中退するまで、母親の瞳が涙を絶やすことはなかった。警察で頭を下げさせた回数を思えば、ゲーム欲しさのご機嫌取りなど、とっくの昔に相殺されている。


 そう、弱者と見れば奪った。

 肉親すら傷付けた。

 認める。

 誰も笑顔にしない二二年間だった。

 だが、それも今日までだ。

 万が一、明日を迎えられたなら、生き方を改める。警察にも行く。罪を償う。例え檻の中に放り込まれるとしても、永遠に棺桶の中から出られなくなるよりはマシだ。


「棺桶」と言う親和性の高い単語に呼ばれたのだろうか。

 天上の何者かに誓った矢先、根津の脳裏に生白い病室が浮かび上がる。

 点滴をはべらせたベッドには、ミイラのように包帯で梱包された男が横たわっていた。

 呼吸のために空けられた口元からは、ノミでえぐったような傷跡が無数に覗いている。仮に全身があの調子だったとするなら、本来無地であるはずの肌は青海波せいがいはになっていたはずだ。


 う゛ぇ……ええ……と、病床から延々鳴り続けていた低い声――。

 釘で板を引っ掻いたようなその音を、根津は三〇分前までうめき声だと疑わなかった。

 違う。

 ミイラ男が発していたのは、「歓喜」の声だ。

「あんなもの」に襲われたにも関わらず、命を失わずに済んだのだ。誰だって自分の幸運さに、雄叫おたけびの一つも上げたくなる。


 記憶に目を向けている内に、雨脚が強まったのだろうか。

 路面から跳ね返った水滴がすねを打ち、根津の意識を現実に呼び戻す。

 横殴りの雨が並木を打ち据え、色褪いろあせた枯れ枝が弱々しく震える。許容量をオーバーした雨樋あまどいがカタカタきしみだすと、家々の軒先のきさきから濁った水が噴き上がった。


 打ち水と呼ぶには激しく飛沫しぶきを浴び、標語の剥げた立て看板が小さく波打つ。古びたトタンが小さく悲鳴を上げた――瞬間、曇った金属音に透き通った音色が混じった。


 弱めの冬風?


 いや、これは……笛のだ。


 もの悲しく途切れがちな旋律は、力尽きる寸前のスズムシを彷彿とさせる。音量もまたステレオのボリュームを限界まで絞ったような小ささで、少し大きく息を吐いただけで聞こえなくなってしまいそうだ。


 それでいて、アスファルトを乱打する雨粒にも掻き消されない。


 耳を塞いでも耳鳴りのように付いて回り、頭の芯を神経質に波打たせる。まるで現世とは微妙にズレた次元から、限りなく音波に近い震えが混信してきているかのように。


 何者が奏でているのか、根津には見当も付かない。

 だが土砂降りの雨の中、それも野良犬さえ寝床にもる夜更けに演奏を始めるやからだ。まともでないのは間違いない。


 気温とは無関係に寒気が走り、大粒の唾が根津の喉を下る。

 そう、硬く冷えたシャッターを連打してまで欲した他人がそこにいる。

 だが根津は音の方向に駆け出すことはおろか、目を向ける真似さえ出来ない。

 可能なのは、まばたき一つせずに座り込むことだけ。

 ただ地面から侵食してくる雨水に尻を濡らしながら、正常とは言いがたい独奏に耳をさらしている。


 根津と言う聴衆を得た笛の音は、滑稽こっけいなほど劇的に、恐ろしいほど悲壮に盛り上がっていく。

 小鳥の断末魔にも似た高音が夜空を飛び交い、干渉を受けた雨粒が木っ端微塵に砕け散る。大粒の雨が霧雨に変わると、狂おしく枝を振っていた並木は、台風の目に入ったように静まり返っていった。


 大地を打つ勢いと共に、世界を洗う力も弱まったのだろうか。

 物陰と言う物陰を這い回り、

 家と言う家の屋根を越え、

 じわじわと近付いてくる。

 眼球の奥まで突き刺すようなアンモニア臭が。

 呼吸を苦痛に変える強烈さは、大便を小便で繋ぎ、小一時間練り合わせたようだ。そこはかとなく混じった鉄臭さは、ミイラ男を製造した時に浴びた返り血だろうか。


 この臭い……忘れるはずがない。


 いいや、忘れられるはずがない。


 これは、これは……。


 間違いなく、「奴等」だ。

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