file1-4 相賀赫真は殴らない。

「ふむ、これだけやれば十分だろ」


 気絶した北海ツヨシを見下ろしながら、赫真かくまは満足そうに呟いた。

 至近距離で威嚇された人狼ウェアウルフ達は身構える者あり、後ろを向いてうずくまる者あり、ひっくり返る者ありと、何ともだらしのない姿を見せている。

 ツヨシを押さえつけていた六號などはまだ良い方で、何とかその場に踏みとどまっている。目に涙を浮かべながらこちらを睨みつけてきている辺り、負けん気が強いのは噂通りのようだ。

 だが抑える手はもう力など入っていないのだろう、こちらから見ても分かる程にぶるぶると震えるその手を柔らかく引き剥がす。


「そんなに睨むなって。もう何もしないよ」

「だ、旦那……?」


 唐突に殺気を消した赫真に、ついていけなくなる人狼達。

 赫真が一人平然としているギンに視線をやると、彼は非常に嫌そうな顔をした後、諦めたように肩を落とした。


「赫真さん、俺に説明を振るんですか」

「俺が関わらないで暴発させた方が良かったか?」

「分かりました、分かりましたよもう。敵わないなあ、赫真さんには」

「ど、どういう事だよギンさん!?」

「この作家を追い立てる話は、俺と赫真さんとの間で取り決めた狂言だった、って事さ」


 目を丸くする六號達。

 ギンは赫真がまるっきり説明する気がないのを横目で確認した後、渋々ながら事情を説明し始めた。


***


 話は数日前に遡る。

 ギンこと瑠峰るぽうしろがねは、古馴染の訪問を受けていた。


「やあ、ギン。久しぶり」

「赫真さん! 本当に久しぶりです。お元気でしたか」

「まあね。そちらは相当にややこしい話だったようだな」

「御存じでしたか」

「この国に住む人獣ウェアビーストで、知らない奴は居ないんじゃないかな」


 巨大な人狼の群れ同士の争いである。実際に衝突にまで発展すれば、あるいは人獣の存在までも明るみに出てしまったかもしれない。

 多くの組織の幹部達が火消に奔走し、正面衝突を止めようと動き回ったものだが、それを止めた最後のきっかけが小説であったというのは何とも皮肉な結果だった。


「ギンは、この小説を書いた奴の事をどう考えているんだ?」


 古馴染――赫真の問いに、銀は考えるまでもなく告げる。


「実際に何者であっても構わないですけどね。お蔭さまで死なずに済んだから」

「成程。城銀エイジだっけ、ラストシーンで命を落とすはずだった」

「勘弁して下さいよ、赫真さん」


 小説自体は自身も目を通した。自分をモチーフにしたらしい『城銀エイジ』は実際の自分よりも多分に美化された無口な義侠として描かれている。

 相手役の『銅狗三号』は逆に騒がしく血の気が多い、暴れ者として描かれていたが、不思議と二人は馬が合ったという設定だった。

 実際、そのモチーフとなった豺狼の六號とも仲は良い。二つの組織が反目し合う前からの付き合いであるが、彼もまた少しばかり血の気は多いものの群れの仲間を大事にする好漢だ。


「外から見る人にしてみればよく似せてあるように思うのでしょうけど、人物描写はそれ程似てはいませんよ。問題は建物の間取りとかが完璧に一致していた事くらいかな」

「ああ、大上おおがみの爺様が驚いたと聞いたぜ?」

「祖父様もですが、読んでみて俺も驚きました。屋敷の奥なんて、家族以外では立ち入りませんし」


 銀爪舎ぎんそうしゃが解散する前のトップは、大上老の娘婿となった銀の父である。

 彼らの組織は世襲ではないが、銀自身は周囲から次期頭目として期待されてきた過去もあり、銀爪舎の建物については秘密にされている部分までよく知っている。


「血は衰えたと言っても人狼ですから、侵入者があれば気付きます。家族に協力者がいたんじゃないかって父は随分とナーバスになっていましたけれど」


 後に合流した翠狼組グリンウルフクランの元トップ達も同じ事を言っている。考えてみれば当然の事で、自分達の安全に直結する内容を軽々しく喋る者は居ないだろう。

 結果として北海ツヨシという作家が『思い浮かべた情景』が現実と接続されてしまっているという事態を肯定するほかなくなってしまった。二つの組織はノーガードの殴り合いを行う覚悟までは持てず、会談によって平和裏に組織の合一を行う事となったのである。


「よくできた奥さんももらえたし、俺は今の境遇に満足しています。あの北海って作家が『神の目』の持主だって話は眉唾ですけどね」

「神の目ねえ」

「赫真さんも信じていないみたいですね?」

「そりゃな。自分の考えや選択が『誰かにあらかじめ決められたもの』だなんて言われて、誰が喜ぶのかね」

「それはまあ、そうですけど」

「一部の人獣がかつて予知の力を持っていた、って話は聞いている。それはそれで眉唾だけどな」


 これみよがしに溜息までつく赫真。

 その言葉に、銀は赫真の考えに察しがついた。


「つまり、彼が『神の目の持ち主』ではなく、『予知の力を持った人獣』であると考えているんですね?」

「ああ。俺みたいに猫と会話を成立させられる人虎ウェアタイガーも居るんだ。俺の力は何ともショボいが、俺より凄い力を持っている奴がいても不思議じゃあないさ」


 赫真が虎群こぐん会議かいぎの中でたった一人、個人で席次を持っている理由を知っている銀からすれば、その発言を全て肯定するつもりにはなれない。

 しかし、赫真の言う通りに北海が人獣だったとしたら、あの小説は

 だがな、と赫真が肩を竦めた。


「まあ、俺にとっちゃ神の目だろうと予知能力だろうとどちらでもいいんだけどな。ありがたがっている連中が崇め奉っているのが気に入らない」

「虎群会議の方で何か?」


 銀はここまでの会話で、赫真が虎群会議から何らかの役目を与えられて来たことを察した。


「どうやら北海センセイは、今回は俺たち虎群会議の事について一作仕上げたらしくてね」

「えぇっ!?」

虎群会議ウチとしてはどうにか握り潰したい。しかし奴を神の目だと思っている連中が圧力をかけてきたのさ。お前さん達の上の方だろうな」

「なぜ、それを僕に?」

「さっき、板取大臣の事務所に顔を出してな。どうやら人狼達の中にも、北海を特別視するのを嫌がる連中が居るらしいと聞いた」


 痛いところを的確にえぐられた気分になり、思わず銀は顔をしかめた。

 過激な思想を持つ者はやはり一定の数いるものだ。自分たちの命を賭ける場所を奪われた事に憤る者や、自分の与り知らぬところで自分たちのプライベートが覗かれたとうすら寒い気分を味わった者などは、むしろ北海を危険視している。

 北海ツヨシは危険だ。監視では生ぬるい、筆を折らせるべし、と強硬な意見を上層部に幾度となくぶつけているものの、色よい返事はない。


「赫真さんは、彼らをどうしたいと言うんです?」

「なに、こちらが動いている最中に横入りされると厄介だからな。この際だから手伝ってもらおうかと」

「手伝う?」

「時間を置けば置いただけ、考え方が過激になるぜ。早いうちにガス抜きさせてやらんと、筆を折らせるどころか命が危ないと思うんだがな?」

「む」


 赫真の言い分を聞いて、銀もまた考え込まなくてはならなくなった。

 何しろ、その『過激派』の中には、死に花を咲かせようと覚悟を決めていた六號も含まれているのだ。北海の小説にあったように、銀と戦って戦って戦い抜いて散るつもりだった六號。死に場所を奪われてしまった事はやはり大いにショックだったらしく、北海排除の急先鋒になっている。


「北海の命を護ったうえで、彼に人獣が実在している事を察知させるか、彼自身の人獣の血を目覚めさせるか。そのどちらかの手を使うと」

「なに、散々追い立てて疲れさせたところに、一声吼えてやる程度の話さ。人獣ならまず間違いなく血が騒ぐ、そうじゃなけりゃ幻覚でも見たと思うだろ」

「そんな乱暴な」

「ならギン、もっと良い方法があるなら教えてくれよ」

「それはっ」


 仲間達を道化とする提案だ。本来ならば絶対に受け入れない話の筈だが、六號らの事が頭にある状態で簡単に断ることもできない。

 しばらく考えたものの良い方法が思い浮かばなかった銀は、結局赫真の提案に乗らざるを得ないと諦めたのだった。


***


「とまあ、そんな訳で君達には人狼として北海ツヨシこいつを追い立てる役をしてもらった訳だ」

「済まない、みんな」


 にこやかに――とはいえ虎頭では笑顔も威嚇にしか見えない――赫真が会話を引き継ぎ、銀が頭を下げる。

 

「ギンさんが謝る事はない! 俺たちは、虎群の旦那に担がれたって事だろう!?」

「そういうことになるな。お前達が現状を粛々と受け止めていればギンの奴もこんな方法を選ぶ必要はなかっただろうさ」


 噛みついてくる六號に、むしろ銀に対して頭を下げるのはお前達だと暗に告げる。


「俺にしてみれば、どうしてもお前達を利用しなくてはいけない理由もないしな」

「くっ」


 しかし六號はどうしても納得が出来ないのか、赫真に対して突っかかるのをやめない。


「で、虎群の旦那! そいつをどうするつもりですかね!」

「別にどうもしない」

「どうもしない!?」

「ああ。意図せずに人獣の縄張りに入り込んだ奴を、存分に追い立てて恐ろしい思いをさせたんだ。今後は軽々しく縄張りに入ってきたりはしないだろ」


 現在北海が専属契約を結んでいるのは虎群会議の傘下企業だ。何も知らない前の出版社とは違うから、後の調整はしっかりとしてくれる筈だ。

 口では勝てないと思ったか、六號は牙を剥く。完全な殺気をまき散らす姿は、伝承にある血に飢えた人狼のようだ。


「おいおい、あれだけ追い回してまだ足りないのか? 確かに血の気が多いみたいだな」

「煩い! こいつは危険なんだ、二度と人獣の事を題材になんてしたくなくなるようにしなくちゃならない!」

「危険、ねえ」

「人獣の恐ろしさを知らしめるなら、その牙と爪で思い知らせてやればいいだろう!? こんな面倒な事をしなくてもいいじゃないか!」


 赫真は小さく息をつくと、体を屈めて六號の顔に己の顔を近づけた。

 至近距離で虎の頭に睨みつけられ、六號が小刻みに震えだす。本能的なものだ。

 赫真は六號に視線を逸らす事を許さず、問う。


「六號、お前は人か、獣か」

「な、何だよ」

「人獣は人なのか、獣なのか」

「ひ、人だ。人だよ」

「そうか、人か。人が人を傷つけるのは罪だろう」

「なら獣だ! 獣だよ!」

「そうか、獣か。獣の爪と牙は何のためにある?」

「こ、殺す為だ」

「そうだな。ならばなぜ、この男に牙を剥く必要があるんだ?」

「それは当たり前だ、こいつは敵だからだ!」

「人の心で決めた敵を、獣の牙で殺せと言うのか、お前は」

「それのなにが悪いんだよ!」

「悪いさ。獣が獣を殺すのは食うためだ。人が人を殺すのは食うためか?」

「それは!」

「人獣が人の理屈で獣の力を使えば、人より下で獣より下だ。そりゃあ、差別されても仕方ないよな」

「う、ううっ!」

「獣の爪と牙は食うための獲物を狩る時に使うものだ。俺はこの牙と爪を、ただ人を傷つける為に使うつもりはねえぞ」

「わ、分かったよ。虎群の、旦那。そいつのことは、諦める……」

「分かればいい。それじゃあこいつの事は……おや」


 体を起こして、気絶から一向に目覚める様子のない北海の方に視線を落としてみれば、ちょっとした変化が起きていた。

 六號が気づいた様子はない。視線はずっと赫真を捉えていたからか、すぐ近くで起きている変化に気づいていないらしい。

 だが、ほぼ同時に周囲がざわめいた。誰もが今気づいたとなると、変化が起きたのはちょうど今だったか。

 ざわめきに驚いたのは六號だ。顔を上げて仲間達を見回すが、自分以上に驚いた顔の様子に混乱の色が隠せていない。


「な、何だよお前ら、どうしたんだ?」

「まさかとは思ったが、本当に」

「ぎ、ギンさん?」


 銀までが呻くように漏らすので、とうとう何がなんだか分からなくなった様子の六號に、赫真は優しく促した。


「六號、そいつの事をよぉく見てみな」

「虎群の旦那? って!?」


 赫真の言葉に従い、視線を落とした六號が表情を変える。


「小説家、北海ツヨシは予知の力を持つ人獣だったという事さ。これでこいつは同胞だ、これ以上の手出しは無用、分かっているな?」

「虎群の旦那と同様の、先祖返り。こうなるって、分かっていたのか?」

「まさか。先祖返りなんてそうそう現れるもんじゃないだろ?」

「そりゃ、そうだけど」


 よいしょ、と赫真は北海の体を片手で抱え上げた。肩に担ぐように乗せ、一同に宣言する。


「と言う訳で、こいつの身柄は虎群会議が預かる。世話をかけたな」


 空いた方の手を挙げれば、銀が頭を下げてきた。

 どうやら人狼達も毒気を吐き出して落ち着いたようだ。これで銀も安心だろう。赫真は彼らに背を向けると、そのまま夜の闇に向かって歩き出す。


「やれやれ、柄にもなく熱くなっちまった」


 街灯のない夜道を歩きながら一人呟く赫真を、大きな満月が優しく見下ろしていた。

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