第9話「植え込み」

 英治は「事」を実行するため、動いた。まず工場の建物を出て、裏手に回った。敷地を囲うのは高い壁だが、裏のその一角だけは、くすんだ緑色をした金網のフェンスだという記憶があった。

 

 フェンスの前を実際に通ったことがあるわけではない。前回来た時に二階の小部屋の窓から外を見下ろしたはずで、その際に視界に入ったのだとしか思えなかった。そんなわずかな情報で今までの数年感覚えていてしかも今回の計画を考えるにあたりタイミングよく思い出したことに、英治はますます運命的なものを感じた。

 

 フェンスと建物の間は植物が茂っていて、手入れされずぼうぼうに伸びた背の高い草や荒れ放置の植え込み、ところどころに立っている若く小さなくすのきか何かの木のせいで、鬱蒼としている。

 

 姿勢を低くして植え込みの陰に隠れたら、外から英治の姿はまったく見えないだろう。そもそも目の前の狭い一本道を行き交う人はあまり多くなさそうだが。

 

 ツツジの植え込みにしゃがみ込みながら、英治はじっと待った。特定の誰かを、というわけではなかった。誰でもよかった。三十分ちかく待っても、通る人はまばらで、小型犬を連れた背中の曲がったおばあさんとか、でかい声で怒鳴るように何か話しながら歩くスラックスにスニーカー姿のおじいさんたちとか、そういう感じだった。彼らは英治の求める相手ではなかった。誰でもいいはずだったのに、気づくと品定めをしていた。相手に気づかれる心配のない安全な場所から他人を眺めて○×をつけるというのは、信じられないくらい気分がよかった。英治は万能感に酔った。ぞくぞくしながらフェンス越しに通りをじっと見て、もういい加減に誰でもいいかもしれない、と思い始めた頃、その一団は通りの向こうからやってきた。さまざまな色のランドセルを背負って黄色い帽子をかぶった、下校途中の小学生。その中に、英治は、一人の少女を見つけた。植え込みに隠れ始めてから、一時間が過ぎていた。

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