Chapter5 ②


一度に三本矢が飛んでくるなら、射手が一人ではない事は容易に想像できる。


『三人!? いや、でも』

僕を驚かせたのは人数じゃない。


木の上から接近してくるカルネを仰ぐ三人の黒騎士。

一人は小柄で、これは以前の黒騎士だろう。

しかし、その後ろに並んだ騎士はなんだ? 黒い鎧こそ同じでも、異形と呼ぶに相応しいその姿はいったい……


背丈は高く、ざっと見たところ10フィート(3メートル)はあるだろうか。

異様なのは背丈よりもむしろ身体の比率だ。小さい胴に対し、手足が不釣り合いなほど長い。


背中には丸々太ったブタが楽に入りそうな荷物袋(それも鉄鎧で被われている)を背負っているのに、異形の騎士たちは梢を揺らすカルネに合わせて、片手で巨大な十字弓クロスボウを軽々と振ってみせる。

それはもはや人間業ではない。


『巨人、なのか?』


故郷に住む巨人たちが頭をよぎったが、すぐにそれとは違うと思い直した。

目の前の、まるでカカシのようにひょろ長い鎧を巨人たちが着ようとしたら、間違いなく窮屈さに悲鳴を上げるはずだ。

いったいこいつらは――


突然、バスン、と轟音が耳を叩く。

黒い騎士たちが引き金を絞り、クロスボウから鉄杭まがいの矢が放たれた。


木に上がったはいいが、下りるタイミングを失してサルよろしく逃げ続けるカルネの背後に鉄杭が着弾する。


「くそっ!」

毒づくカルネの下で三人の黒騎士が弓を再装填する。


普通のクロスボウなら地面に踏みつけるなりてこを使うなり、どちらにしても再装填にはかなり手間取る。

が、騎士たちのそれは違っていた。

その弦はひとりでに引き絞られ、矢がクロスボウの胴体からスルリと上がってくる。


そこに突然、カルネが勢いを付けて落ちて・・・きた。


「シァァァァァッ!」

吠えたカルネの右手に銀光が閃く。


彼女が手にしていたのは、出発前、護身用にとアデルがブーツに隠してくれた小刀ナイフ

それを素速く振り回して、彼女は二つのクロスボウ、小柄な騎士とカカシ騎士の片方が持つもの、の弦をたちまちブツリと切断する。


なぜか棒立ちになったカカシ騎士とは違い、小柄な黒騎士の対処は早かった。

一抱えもあるクロスボウをためらいもなく投げ捨てると、馬上刀サーベルを抜きカルネのナイフを打ち砕いた。


一瞬でナイフを破片にされ、カルネが舌打ちして後ずさる。


『カル……!!』

駆け寄ろうとして僕は立ち止まった。


いや言い直すべきだ。僕はカルネに怯んだ。

彼女の鬼のような形相に足が凍り付く。

あの夕刻の比ではない。彼女の口は耳まで裂けんばかりに引きつり、弾けそうなほど開かれた目は憎悪で真っ赤に染まっている。


そして喉の奥から、彼女は呪詛めいた謎の言葉を絞り出す。

機……装マーシヌンゲ・クライティ……軽作業用ライヒテアルバイェト……ノ弐型ツヴェー……」


「……否。これらはナウ・ティなる」

小柄な黒騎士がカルネの言葉に応えて、冷たい声で訂正する。


対してカルネは怒りをたたえた顔を全開に、黒騎士に吠えかかった。

「貴様、どの〈神〉からそれを賜った!? 貴様にそれを与えたのは誰か!?」


「答えるつもりははない。〈反抗者シュトロイベロ〉よ」


「その物言いが……答えだぁぁぁぁぁぁッ!!」


今度も止める事はできなかった。

三日前の再現よろしく、短い問答を置いてカルネが黒騎士に挑みかかる。


しかし状況はあのときより悪い。

徒手空拳のカルネに対し黒騎士は三人、そして一人はすでに抜刀している。


「愚かなり!」

小柄な黒騎士が嗤うと同時に、役立たずのクロスボウをようやく投げ捨てたカカシ騎士がだしぬけに、そして機敏に動いた。


その大皿ほどもある手でカルネの胴体をさらい、しっかり握って持ち上げる。

閉じた指の間からパキパキと何かが割れる音が聞こえるが、それが何かなんて想像したくもわかりたくもない。


「がふっ!? あ……」

カルネの開いた口から息と共に血の泡が吹く。目からは血があふれ、一瞬、僕に向いた顔が強い後悔に染まった。


『ボクまた、ごめ』

『カルネ待っ……』


「投げろ」

小柄な騎士が命じる声に、カカシ騎士はカルネを小石か何かのように振りかぶった。


そしてあっさりと、何の抵抗もなく、

カルネは谷めがけて高々と放り投げられた。


力なく手足を放り出して宙を落ちていく彼女を見ながら、僕も力なく膝をついて崩れ落ちる。

カルネから離れすぎた。

いつかの朝のように目の前が暗くなり、地面と世界が回り出す。


「撃て」

とても遠いところから氷の声がする。


目の端に、カカシ騎士の黒い鉄板で被われた足が見える。


僕は死ぬのだろうか。

カルネは、カルネも死ぬのか?

まだ思い出してないのに。話さなきゃいけないことも、聞かなきゃいけないことも山ほどあるのに。


せめてひと言、あやまらなきゃいけないのに。


それすらできずに、ぼくはしぬのか。


『ながらうべきか、それとも死するべきか』

だれかがぼくにきく。


ぼくは、ぼくは……ぼくはしにたくない。


『然り。ゆえに我が主、そなたは我を胸の内から呼び覚ましたり。

 我が主よ、我を用いよ。全ては御心のままに……』



 ***



感じるのは焼けつくような胸の痛み。

そして浮遊感。


どこかを落ちていくのか。風が僕のまわりで渦巻いている。


ここは……


黒くかすんだ視界が一気に晴れると、くるくると回る天地が前に開けた。


「落ちてる!」

血の味と共に吐き出した言葉は、しっかりとした音を持って世界へと流れた。


身体の感覚がある!

手も足も燃えるように熱い!


僕はここにいる。僕は……生きている!


自分の身体に戻ったことを覚る僕に、それを喜べる時間は残っていない。

身体を支えるものは何もない。下には岩がむき出しの地面が、そして手が届きそうな所に僕を貫こうとする無慈悲な鉄の杭がある。

それはさっき、宣告をもって放たれた鉄矢に他ならない。


迫る危機に心臓が飛び跳ねる。

時の流れが長く引き延ばされ、耳の奥に聞き覚えのない涼やかな女性の声がこだました。


『〈喚装かんそう〉を望むか?』


カルネ?


『否、我は管理者にあらず。我が主、〈喚装〉を望むか?』


〈喚装〉、その意味はわからない。

でも僕は望む。それで今この瞬間を助かるなら。


『承知!』

声が高らかに笑った。


長い一瞬が終わり、世界があるべき速さに戻っていく中で、僕の心臓だけが早鐘を叩き続けていた。

胸の中心から熱が生じ、背筋や骨を伝って身体の隅々にまで広がっていく。それが爪の先、髪の先端にまで達したとき、僕の身体に変化が起こった。


銀の光が身体を取り巻き、手や足がするりと伸びる。

胸回りが服で締め付けられたかと思うと、服は消え失せて代わりに素肌の上に光が形を成してまとわりつく。

鈴を千個束ねたような鋭い音が鳴り、光は一瞬で押し固まって銀の輝きを帯びた。


終わってみれば、僕は銀の鎧を着ていた。そして変化が、一瞬にすら満たなかったことに気づく。

鉄杭はわずかに空を進んだだけで、まだ目の前にある。


これを掴める。ふっと、そんな考えが頭をよぎる。


目の前の鉄杭を手で止めようという無茶な発想は、しかし半ば確信めいた衝動をもって手を動かした。

銀と青に彩られた手甲が鉄の杭を捕らえ、火花を散らしてそれを掴み止めようとする。


僕は行為そのものよりも、それを行う細くしなやかな手に違和感を持つ。


なおも杭の勢いは死なず、尖った先端が豊かな胸の谷間、それを包みこむ細く優美な銀鎧に触れる。


またしても違和感。


そして分厚い鉄板にでも突き当たったように杭がひしゃげ、柔らかな双丘を軽く押すような感触を残してピッタリと止まった。


違和感は確信に変わる。

「ふう……って、えぇぇぇぇぇぇええええええっ!?」

息をつくのも途中で、僕の声は絶叫に変わった。


念のために言っておこう。

僕は男性だ。

生まれてから十七年間そうであったし、カルネに身体を貸していたこの数日間も、それは同じだったと思う。


なのになぜ。だのにどうして。


風に逆巻く髪は、赤い色こそ同じだがはるかに長く艶やか。

鎧から露出する肌はきめ細かく、透きとおるような白さ。

胸と腰はしっかり張って重く感じ、逆に腹は頼りないほどに軽い。


そしてなにより、身体のどことは言わないが常に出っ張っていると感じていた場所が妙に寂しく、むしろその下というか奥というかに、絹の肌触りと微妙な何かを感じる。


この空を切って落ちていく僕の身体は、見下ろす僕自身が一切の疑問を持てないほどに……


「なんで女の子になってるのぉぉぉっ!?」


全てに戸惑いを抱えたまま、僕は矢の勢いに乗って向きを変え、本来落下するはずだった地面を逸れて谷底へと一直線に落ちていく。


そして派手な水しぶきと盛大な水音を残し、僕は川に沈んだ。

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