第七話 青い琥珀に詰まった夢

 年が明けて青琥二年。

「……入るわよ」

 美奈はあゆみの部屋にやってきていた。

「ここに来るのも随分久しぶりな気がするけど、何かあったの? もしかして戌亥さんに捨てられたの?」

「ある意味そうかも……なんて冗談はともかく、単にテスト前よ」

 美奈は苦笑いした。

「ノルマをクリアしたら、東園お祖父さんに高価なテレビゲームを買ってもらうんですってよ」

「あの人の行動原理がいまいちわからないわ」

「全く以て同感。そうそう、久々にピアノ聴きたいんだけどいいかな?」

「最近トルコ行進曲を練習してるからそれでいい?」

「おっけー」

 美奈はお茶をゆっくり飲みながら、あゆみの演奏に聞き入った。ここのところ憲法の作業で働いていたことが多かっただけに、久々のオフだった。

「皇帝になっていろいろやりたいことあるのはわかるけど、働きすぎには気をつけなよ。あんた体はあまり強くないんだから」

「ありがとう」

「はぁ……うらやましいなぁ」

 あゆみは恨めしそうに美奈を見つめた。

「私も教養があれば戌亥さんみたいに、お仕事できるんだけどなー」

 このことは実は美奈が気にしていたことでもあった。榮太郎と仕事をするようになってから、あゆみと触れ合う回数は以前より減っていた。

 無学だから美奈のために働けないという悔しさ、そのために友人としても美奈と接する時間が少なくなってしまうというもどかしさ……いろいろあるのであろう。

「私ね、一人で暇なときはね、いろいろ勉強してるんだ。政治のこととか、官僚をとっ捕まえて聞いてみたりとかさ」

「あゆみ……」

 自然と美奈はあゆみを抱きしめていた。

「美奈?」

「……私のためにありがとう」

「あはは、何言ってるのよ。私は美奈の使用人、あなたに尽くすのが仕事よ」

 水臭いな、とあゆみは笑った。

「言っとくけど、戌亥さんは大事にしなよ」

「……へ?」

「あんたがまともに付き合える、数少ない同世代男子だからね」

「そんなんじゃないんだけど……」

「どうだかね」

「……むー」

 あゆみにはわかっていたのだろう。榮太郎が美奈にとっていかに大きな存在たりえるかということに。


 桜も散って、新緑が眩しい季節になった。

「戌亥、今晩は暇?」

「ごめん、あと一回だけチャンスをください」

「入るわね」

 案の定、榮太郎は買ってもらったゲームをやっていた。どうやらゲームの腕も大したこと無いらしい。

「はいはい、何度やっても無駄よ」

「じゃぁ陛下、俺と対戦しませんか」

 榮太郎はコントローラーを美奈へ渡した。

「何これ……?」

「格闘ゲームです」

「いや、いきなり言われてもどうやって操作するのか」

 美奈の操作がおぼつかないうちに、画面上のキャラクターが相手にダメージを与えていく。

「よっしゃ勝った! ……はい、じゃぁ仕事しましょうか」

「何だか納得いかないけど、まぁいいわ」

「え?」

 榮太郎は不思議そうな顔をした。

「そこは、『戌亥に負けるなんて納得いかないわ! 悔しい、もう一回!』っていう風になる展開なんじゃないですか!?」

「私を一般人と思ったら大間違いよ」

「そうですね、陛下って相当変人ですもんね……失礼しました」

「もっと変人なあんたに言われたかないわ」

 美奈は書類を榮太郎の目の前に置いた。

「憲法調査会も大分煮詰まってきてね。今日の分の議事録と今現在の草案よ」

 榮太郎はじっと目を凝らす。

「そうですねぇ……皇帝と内閣の関係はもうちょっと突っ込んで書いたほうがいいと思います」

「やっぱりそう思う? 将来どうなるかわからないから、現時点で想定されることしか書いてないんだけど」

「それもわかりますけど、立憲主義を謳うなら行政の権限分配はもう少ししっかりと。最悪どっちに転んでもいいような書き方だってできますので」

 美奈に対して口で言いながら、榮太郎は手持ちのメモ帳に事細かに要点を書いていっている。普段は軽い性格だが根は努力家のようだ。

「全体としては良い感じになってきていますよ。美奈皇帝という人がどういう国にしたいのかってのが、よくわかります」

「あは、そう言ってもらえるとちょっと嬉しい」

「えぇ。このちょっとくどいかなと思えんばかりの、市民の理解のためには日常用語の使用も繰り返しも恐れない、なおかつ感情がちょっと入ってる気もする条文達」

「……誉めてるのよね?」

「誉めてますよ。ただ好き嫌い分かれそうだなと思うだけです。あ、俺は好きですよ。特にあえて国民を『市民』ってローマ帝国っぽくしちゃってるところとか、歴史好きの美奈皇帝らしくって大好きです!」

「本当に誉めてるのよねぇ!?」

「大丈夫です。プロの法律家達がこれで行こうといっているんでしょう? 信じてください」

 榮太郎は腰を上げると手帳を手に取った。

「それでですけど、もうそろそろ議論も良いところまで来ていますよね? 俺でよければ会議に同行しようと思うのですが。大学の授業が無いときに限りますけど」

「あ、本当に? それは助かるわ」

 皇帝とはいえ、いくら勉強したとはいえ、並み居る法律の専門家達相手に議論をしていくのは決して簡単なことではない。

 榮太郎だって調査会の委員から見れば美奈に毛が生えた程度のものだろうが、それでも美奈にとっては横に居ると心強い存在だった。


 九月六日。

 私は幾分かの興味を胸に、平和台公園へと足を運んでいた。去年皇帝によるクーデターが行われたこの公園で、また一つ歴史的な出来事が生まれようとしていたからだ。

「焼き鳥いかがっすかー!」

 今までの各国で行われたその出来事は厳かであるはずなのに、今日のこの公園の雰囲気はまさに夏祭りの会場といったところだ。そういえばクーデターのときも元々は夏祭りから火がついたと聞く。

 なかなか始まらないので焼き鳥を頬張って待っていたが、午後八時を過ぎた頃に、ステージの上に当事者達が現れた。

「いったい、今から何が始まるのかわかっているのかしらね、この人達」

 ドレス姿のあゆみは苦笑い。その横でタキシードに身を包んだ榮太郎は直立不動だった。

「あなたって、意外にこういう場は苦手?」

「な、ナンノコトデスカ」

「……図星ね。陛下をダンボールに詰め込むのは余裕なくせに」

 ステージの一番高い場所に、青い着物と赤いリボンを身につけたこの国の若い皇帝が上がった。その一段下に宰相東園実世が、皇帝を目の前に、大勢の市民を背にして直立した。

「朕は自由を希求して止まない我が市民のため、帝国の永遠なる栄光と幸福を願って、この憲法を発布します。我が帝国と市民に八百万の神の深き恩寵あれ――」

 皇帝が新たな憲法の原本を宰相に手渡したとき、溢れんばかりの拍手と皇帝陛下万歳の声が鳴り響いた。


 どうして二十歳になったばかりの若き女帝が、こうまで市民に権威を持った存在として受け入れられるのか。

 私は翌日、アメリカ大使館でこの新たな憲法の内容を見たとき、この女帝の能力を目にすることになった。

「非常にユニークな内容だ……」

 思わず私は唸ってしまった。中身はなんてことはない、ただの憲法である。ただ私は一つの物語を目にしているかのような錯覚を覚えた。

「この国の国民は長い間専制政治の下にあった。そんな彼らからすればこの憲法は光り輝いて見えるだろう」

 上司にあたる大使がそのようなことを言っていたが、私は彼の意見に尽きないことを直感していた。

 前文や冒頭に掲げられた理念、人権、特に自由権は、まさにあの若き女帝が演説しているかのようであった。

 新たに掲げられた政府設計も興味深い。皇帝権力が最高であることには変わりないが、実際は内閣中心の運営を想定している。諸外国でいう大統領制がこれに近いのであろうが、それだけでは語りつくせない可能性をこの国の皇帝は持っている。

 進歩的であり、一方で保守的である。全く類を見ない新しいもののようで、現在この世界にある先進国の模倣のようで、かつてのローマ帝国の香りすら漂ってくる。

「後はこの国の政府が運用できるかどうかだな」

 大使はそんなことを言いながら部屋を後にした。

 全く以ってその通りだ。だとするならば、私はこの国のこれからの動向に抑えがたい興味が湧いてくる。

 まさに美奈という皇帝を象徴するかのようなこの憲法の下、いったいこの国はどういう政治が展開されるのか。私はこの日に取り付かれた衝動にこの後引きずられることになる。


 一方その日――憲法発布式典の翌日の夜。

『かんぱーい!』

 美奈皇帝の部屋で、美奈とあゆみと榮太郎による「お疲れ様会」が開催されていた。

「いやぁ、みんなよくやったよ。お疲れさん」

「違うね……俺達の戦いはこれからだっ!」

 突如榮太郎は叫んだ。

「実際に運用されてみないと何ともいえないわけでございます」

「まぁそうだけどね」

「でもそうも言いつつ、俺も嬉しいです」

 榮太郎は少し照れくさそうに笑った。

「俺、陛下と仕事できて本当によかったです。いい思い出になりました」

「あはは、そうでしょ。私の美奈を舐めてもらっちゃ困るね」

「……なんであんたが偉そうにしてるのよ?」

 三人とも満面の笑みだった。

 この国は変わることができる。美奈皇帝の力で――誰もがその第一歩を踏み出せたことを実感していた。

「これから忙しくなるわよ。帝国議会も始まるし、行政改革もこの勢いに乗じてどんどん進めちゃわないと」

「ところで」

 榮太郎が手を上げた。

「はい、戌亥君。どうしたの?」

「俺ってこれからも秘書なんですよね?」

「もちろんよ。私のブレーンとして精一杯活躍してもらわないと」

「そうですか」

 榮太郎はにっこりと笑った。

「俺の就職先がこんなに早く決まって何よりです」

「美奈は子分の面倒見がいいからね。慣れてしまうと抜け出せなくなっちゃうわよ」

「なんでしたっけ、『あなたと仕事がしたいの!』だっけ?」

「そうそう、『友達として仲良くやっていきたいの』とかね」

「恥ずかしいから、蒸し返すなー!」

 あゆみに榮太郎。これからも彼らと一緒にいたい。そしたらきっとこれから難しい出来事が起こっても乗り越えていける――美奈はそう心から思っていた。


 翌年、青琥三年の一月にこの国久々の選挙が行われ、帝国議会が再開。それと同時に憲法――正式名は神陽帝国西部皇帝領憲法だが、通称青琥憲法と呼ばれる――も施行され、美奈の帝国は世界に名だたる国へと名乗りを上げることになる。

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